## 最終章「いただきます、運命」
## 最終章「いただきます、運命」
――視界が戻る。
重力が戻る。
音が、匂いが、現実が押し寄せてくる。
「……っ、は……!」
私は床に手をついて、息を吐いた。
石造りの冷たい感触。
ここは――
「レティシア!」
すぐそばで声。
顔を上げる。
「……殿下」
アレクシスが、私の肩を掴んでいる。
その瞳は、強く揺れていた。
「無事か!? 突然、意識が――」
「大丈夫……です」
かすれた声で答える。
でも。
(……戻ってきた)
ここは王宮。
現実。
だけど――
(終わってない)
確信があった。
むしろ、ここからが“本番”。
◆
「顔色が悪い」
アレクシスが額に触れる。
近い。
息がかかる距離。
「少し休め」
「……いいえ」
私は首を振った。
「時間がありません」
「何を言っている」
「来ます」
短く言い切る。
その瞬間。
――空気が、変わった。
重く。
冷たく。
そして。
圧倒的に“異質”。
「……っ」
アレクシスも気づいたらしい。
剣に手をかける。
「何だ、この気配は……」
答えは、すぐに現れた。
――空間が、裂ける。
音もなく。
現実が、紙のように。
その向こうから。
“それ”は、現れた。
◆
人の形。
でも、人ではない。
輪郭が曖昧で、存在が安定していない。
見ているのに、認識できない。
それでも。
(分かる)
これは。
「……“本当の管理者”」
思わず、呟いた。
『観測対象、確認』
声が響く。
直接、頭の中に。
『特異因子、レティシア・アルヴェーン』
「……ご丁寧にどうも」
私は立ち上がる。
足は震えていない。
(怖いけど)
逃げない。
『逸脱行為、確認』
『世界構造への干渉、確認』
『再構築処理、失敗』
淡々と告げる。
まるで報告書。
でも。
『よって』
一瞬、間が空く。
そして。
『排除する』
その一言に。
空気が凍った。
◆
「下がれ、レティシア!」
アレクシスが前に出る。
剣を抜く。
でも。
(無理)
直感で分かる。
あれは、“戦う相手”じゃない。
「殿下」
私はそっと、彼の腕を掴んだ。
「これは、私の問題です」
「何を言っている」
「……お願いです」
まっすぐ見つめる。
「信じてください」
沈黙。
数秒。
やがて。
「……分かった」
彼は剣を下ろした。
「だが」
低く言う。
「危険だと判断したら、俺が出る」
「ええ」
小さく頷く。
◆
「さて」
私は“それ”に向き直る。
「排除、ね」
『是』
「理由は?」
『不安定要因』
『物語進行阻害』
『予測不能』
……なるほど。
(完全に“バグ”扱い)
「じゃあ、逆に聞くけど」
一歩、踏み出す。
「あなたは何?」
『管理者』
「それだけ?」
『是』
即答。
でも。
(中身がない)
ただの“機能”。
意志はあるけど、感情がない。
だから。
(食える)
◆
「……レティシア?」
背後で、アレクシスが戸惑う。
無理もない。
私が厨房へ向かっているんだから。
「ちょっと待っててください」
「何をする気だ」
「決まってるじゃないですか」
振り返って、にっこり笑う。
「料理です」
「……は?」
◆
王宮厨房。
いつもと同じ場所。
でも、空気が違う。
背後には“管理者”。
圧倒的な存在。
普通なら、震えて動けない。
でも。
(ここなら、負けない)
私はエプロンを結んだ。
「さて」
手を洗う。
冷たい水。
指先が冴える。
「最後の一皿です」
◆
食材を並べる。
肉、魚、野菜。
でも、それだけじゃない。
目に見えない“何か”。
空気。
空間。
そして――
(“運命”)
それら全部を、素材として扱う。
「何を……している」
アレクシスが呟く。
「料理ですわ」
「いや、それは分かるが……」
「見ててください」
私はナイフを握る。
深く、息を吸う。
そして。
――切る。
現実を。
空間を。
“流れ”を。
◆
ジュウ、と音が弾ける。
火が上がる。
香りが広がる。
肉の旨味。
野菜の甘み。
香草の爽やかさ。
そこに。
ほんの少し。
“感情”。
さらに。
“記憶”。
そして最後に。
“選ばれなかった未来”。
(……ミレイユ)
あの笑顔。
あの言葉。
あの願い。
全部、ここに込める。
◆
「……何を混ぜた」
低い声。
“管理者”が、初めて反応した。
「内緒です」
私は笑う。
「でも」
フライパンを振る。
香りが、爆発する。
「あなたには、必要な味です」
◆
仕上げ。
皿に盛る。
それは。
今までで、一番“普通”な料理だった。
見た目は、ただの一皿。
でも。
(全部、入ってる)
この世界。
私。
ミレイユ。
アレクシス。
全部。
◆
「どうぞ」
私は差し出した。
『……拒否』
「そう言うと思いました」
一歩、近づく。
「でも」
にっこり笑う。
「食べてもらいます」
◆
次の瞬間。
“それ”が動いた。
排除の力。
圧力が押し寄せる。
でも。
「遅い」
私は踏み込む。
皿を押し付ける。
「――いただきなさい」
◆
沈黙。
そして。
『……解析中』
初めての言葉。
“処理”ではなく、“解析”。
『……不明』
『……矛盾』
『……感情……?』
声が揺れる。
乱れる。
「そうよ」
私は静かに言う。
「それが、“人間”」
◆
『……処理不能』
空間が震える。
でも、崩れない。
代わりに。
『……選択』
その言葉が、響く。
『排除、継続』
『もしくは』
一瞬の間。
そして。
『観測、継続』
私は、息を止めた。
◆
長い沈黙。
やがて。
『……観測を選択』
その一言で。
圧力が、消えた。
空間が、安定する。
“管理者”の輪郭が、薄れていく。
『特異因子』
最後に。
『興味深い』
そして。
完全に、消えた。
◆
「……はぁ……」
力が抜ける。
膝が崩れそうになる。
「レティシア!」
アレクシスが支える。
「無事か!?」
「ええ……なんとか」
笑う。
疲れた。
でも。
(終わった……?)
そのとき。
◆
「……本当に?」
背後から声。
振り向く。
そこにいたのは――
「……ミレイユ?」
でも、違う。
あの時の彼女とは違う。
もっと“鮮明”。
「残ってたのよ」
彼女は微笑む。
「ほんの少しだけ」
「……」
「あなたが、混ぜたでしょう?」
くすっと笑う。
「“私”を」
(……)
胸が熱くなる。
「ありがとう」
彼女は言った。
「これで、私も――」
一瞬、言葉を止める。
そして。
「“物語にいる”」
◆
光が、彼女を包む。
ゆっくりと、溶けていく。
「またね」
その言葉を残して。
ミレイユは、消えた。
◆
静寂。
完全な静寂。
「……終わったのか?」
アレクシスが呟く。
「ええ」
私は、ゆっくりと頷いた。
「たぶん」
◆
数日後。
王宮。
何もかもが、落ち着いていた。
世界は、安定している。
婚約も、そのまま。
でも。
(今度は、“自然”)
無理な書き換えじゃない。
ちゃんと、積み重なった結果。
「レティシア」
アレクシスが呼ぶ。
「はい」
「改めて聞く」
真剣な顔。
「俺は、君を愛している」
まっすぐな言葉。
「君は?」
逃げ場はない。
でも。
(もう、いいか)
私は、少しだけ笑った。
「……嫌いじゃない、って言ったでしょう?」
「それは覚えている」
「じゃあ」
一歩、近づく。
「これから、好きになります」
彼が目を見開く。
そして。
「……上等だ」
笑った。
◆
そのとき。
頭の奥で、微かな声。
『……観測継続中』
(……まだ見てるのね)
私は小さく笑った。
いいわ。
見てなさい。
この先も。
全部。
◆
私は、厨房へ向かう。
新しい料理を作るために。
人生を、味わうために。
そして――
(次は、何を料理しようかしら)
ふと、思う。
もし。
“別の物語”があったら?
もし。
“別の世界”があったら?
そのとき。
私は――
◆
ナイフを手に取る。
光が反射する。
静かに、笑う。
「――いただきます」
次に切るのは。
**どの“運命”にしようか。**




