第89話 興行師の一行、到着
町のあちこちに、旗が立っている。興行ご一行の歓迎の印なんだって。住民が自主的に用意しているのだとか。よっぽど待ちわびているのねえ。
「てんちょー、旗がたくさん立ってて楽しいね。このお店は用意しないの?」
猫店員のノラにも大好評。旗を立てたいのかしら。
ノラは今日も、カウンターテーブルに置いたトレント編みのカゴに入っている。客にも可愛いと好評なので、このカゴは売らずにノラ専用になりそうね。
「しないわよ、お金がかかるもん。ああいうのは余裕のある人がやるものなのよ」
「そっかー。わたしががんばって、売るね! 旗を立てられる、りっぱなお店になるように」
「ええ、頑張って売ってちょうだい」
「ノラ、店長はお金に厳しいから、どんなに余裕があっても旗は作らないよ」
同じく猫店員、灰色猫のバートが余計なことをノラに言う。
私は強欲なだけで、ケチじゃないわよ。旗くらい作ってやらあ!
適当な棒を用意し、値札にしていた紙を裏返しにして適当に四枚つなげる。そこに適当なマークを書く。
「はい、旗の完成! ノラのカゴに差しましょうね~」
「やったー、わたしの旗だよ!」
ノラは大喜び。しかし前足でチラチラといじってから、ちょっとガッカリした様子になった。
「どうしたの?」
「てーんちょ、布じゃないとつまらないよ……」
じゃれたいのかーい。所詮は猫ね。その後に訪れた猫好きの客が布を用意して、私の手作りの旗を布製に直していた。
さて、猫店員のお礼などを買っておかねば。私は店を任せて、果物屋を目指した。リンゴをリクエストされたのだ。
外はやたらと人が多く、混雑して騒がしい。なんだこりゃ。
「ねえねえ、何かあったの?」
近くにいる人に尋ねた。若い女性が振り返る。
「興行師の一行が到着したのよ。ところが、途中で魔物に襲われたんだって。怪我人が治療院に運び込まれたわ」
「大変じゃない、大丈夫なの?」
「まだ分からないから、みんな不安になってるの。聖騎士様を含めた討伐隊が、出発したところよ」
おー、猫好きエルナンドご出陣か。さようなら、君の雄姿は忘れない。帰って来なくていいからね。
そういえば、治療院ってどこかしら。繁華街にはなかったような……、いや、気にしていないから見落としてるかも。そんなものよね。神様の加護を受けている人は、病気やケガに強くなるのだ。これは基本的に、どの神様でも同じ。
私もあまり病気はしない。ちょっと風邪気味だけどピンピンしてるぜ、たまには熱を出して布団でゆっくり休みたいな、と思ったら高熱で、「アイツは熱があっても分からない、鈍感なだけだ」と陰口を叩かれたことがある。
閑話休題。
人が多い方へ進んだら、治療院があった。ここに運ばれてるのか~。
野次馬をしていても仕方がないので、リンゴを買ってからお店を眺めた。今日はキャベツが安いな、ちぎって食べようかな。
繁華街の外れにも、人だかりができていた。小さな治療院があるのだ。入り口が狭いから、今まで全然気付かなかったわ。
「あっちの治療院に入りきらなかった人が、ここに運ばれたんだって」
「さっきの女の人、けっこう酷いケガだったよ。大丈夫かな……」
人々が覗き込みながら噂をしている。
ほう、酷いケガ。となると、公演には間に合わない。そんな時、ああ、女神ブリージダ様の使徒がいらっしゃったら!
あら、ここに私がいたわ! なんてありがたいシャロン様!
と、いうわけで人混みを掻き分けて治療院に足を踏み入れた。
「ごめんよー」
「悪いね、今は手一杯なの。しばらく待ってもらうことになるわ」
受付で止められる。待合室には数人の患者が待っていた。ケガ、軽い病気、ヒマなご老人。そんな感じかな。
「いえいえー、実は私、プレパナロス自治国出身でして。治療のお手伝いができます。もちろん、謝礼は安くないですよ」
「まあ、ちょっと先生に聞いてきます!」
女性は私の神々《こうごう》しさに驚き、急いで奥に姿を消した。話し合っている声がする。
少しして、女性は再び姿を現した。笑顔だ。
「どうぞ入ってください。治療は一応終えたんですが、重傷の女性が酷く痛がっていて……」
「そんな時こそ効果てきめん、自治国由来の治療をお見せしましょう!」
ここで元聖女だとか明かしても、いいことはない気がする。単なる正義と慈愛の乙女として、治療に協力しよう。
診察室の奥には短い廊下がまっすぐ延びて、部屋が幾つかある。受付の女性に案内されて、手前の治療室に入った。
怪我人は三人ほどで、ベッドに腰かけたり、横になっりしていた。女性の先生が、ベッドの脇の椅子に座って診察している。
「ええと、どの方ですか?」
「隣の部屋です。ここの人たちは軽傷です。こちらへどうぞ」
女医が立ち上がって移動するので、それに続いた。受付の女性は、元来た方へ戻って行く。
今度の部屋は先程より狭く、左右にベッドが一つずつ。患者がいるのは片方だけで、呻き声が続いている。
「うう……、痛い……」
四十歳前後の女性で、真新しい包帯が真っ赤に染まっていた。かなり出血が多いのだ。
「背中を広範囲に渡って、爪で引っ掛かれています。傷も深く、手持ちの薬では効果が少なくて」
「わー、痛そう。こりゃ人の手じゃ、完治に時間がかかるわ」
私は窓辺にあった椅子を運んで、患者の横に座った。
そして女神ブリージダに祈りを捧げる。女医の先生は、私のやることをじっと眺めていた。
「親愛なる女神ブリージダ様、心優しきお方よ。救いの御手を差し伸べたまえ。罪には救いを、傷つきし者には癒やしを、貧しき者には金塊を与えてください。心からの感謝と祈りを捧げます」
怪我人が淡い光に包まれ、呻き声がだんだん小さくなる。苦しそうだった息遣いも、徐々に穏やかなものへ変化した。
「すごいわ……、痛みはどう?」
「先生……? あんなに痛かったのに、だいぶマシになりました。動かなければ平気です」
顔を近付ける先生に、患者は笑顔を浮かべてみせた。先程までの苦悶の表情が嘘のよう。
「動かないでね、また傷が開くから。もう一度体を拭いてから傷薬を塗って、包帯を清潔なのでまき直してくれる?」
「分かりました! ありがとうございます」
女医は私の手を握ってお礼を言い、すぐに新しい包帯などを用意した。私も患者の服の背中を首元までめくりあげ、血まみれ包帯を解く手伝いをする。
包帯の下の傷は既に塞がって、うっすらと線が残っていた。
濡れタオルで背中を拭けば、タオルはすぐに真っ赤に染まった。出血はないので、新しいタオルに変えたらもうほとんど汚れない。
「すごい、本当にすごいです! 女神ブリージダ様の祭壇を作りたくなっちゃう!」
「良い心掛けだと思います。女神様に感謝を、私にお金を捧げてくれればいいんですよ」
このラスナムカルム王国は特に国教は定められていなくて、信教の自由が完全に認められている。
プレパナロス自治国は女神ブリージダ様を、ロークトランド中立国は芸術の神メクを信奉するなど、国教が定まっている国はみんなが同じ神様を崇めるので、他の神様の信者になりにくいのだ。
だからといって、異端だと排斥されるような国は聞かないけれども。
ちなみに、プレパナロス自治国は信徒や支援者が集まって気の利いた町より大きくなり、ギリギリ国として承認されている感じだ。国教というよりも、国の中核が癒しの女神ブリージダ様への信仰なのだ。エッヘン。
「これでいいですね。他の患者さんを診てきます。この後の療養で注意する点などがありましたら、患者さんに説明してあげて頂けますか?」
「あ、はいはい。元が酷いケガだから、少し様子も確認したいですし。こちらは任せてください!」
女医が去り、部屋には女性と二人になった。狭い病室のゴミ箱には血が付いた包帯などが捨ててあり、ほんのり鉄臭い匂いがする。
部屋は飾りもなく質素だが、キレイに掃除されている。
「あの……貴女様は、もしや自治国の聖女様ではありませんか……?」
窓を開けるか考えていたら、女性がおずおずと尋ねてきた。
聖女は聖女だが、元聖女。七聖人だと名乗るのもなあ。
興行の人よね。短期間でここから去って、あちこちで「素敵で美しい元聖女シャロン様に助けられた」などと言いふらされて、噂になっても面倒だわ。
適当に答えとこ。
「ええ、内緒ですよ。私は自治国の聖女、ラウラです!」
名前を借りたわ、ラウラ。本人も何度かここに来ているし、問題ないわね。
「ラウ……ラ……」
女性は目を大きく開いて名前を繰り返し、一筋の涙を流した。
「ラウラ! 本当にラウラなの? お母さんよ。ああ、立派になって……」
「…………うほい?」
驚きすぎて変な言葉が出たわ! え、ラウラのお母さん???
「貴女を捨てた私を恨んでいるでしょうね……。でもあの時は、ああするしかなかったの。私自身も帰る場所もなくなって、生きていかれるか分からない状況だったのよ……」
泣きながら両手を握って切々と語りかけてくる。やっべえ、うっそでーす! とか言えない雰囲気になっちゃったよ……。
え、これどうしたらいいの???
シャロンちゃん最大のピンチ!!!