五話
「え……?」
マリーエルザは呆けた声を上げた。今まで考えたこともないような問いを向けられたような鈍さで。
「え、ええ。勿論です。民を護り導き、国を発展させることが貴族の務めですから」
トリーシアと似たような答えだ。
だが、何という空疎な響きか。発した音こそ同じだが、こいつの心はどこにもなかった。
俺への禍根をいったん脇に置いてでも、民に尽くそうという考えでないことははっきりした。
だとすれば、協力の目的は俺への妨害工作に違いない。
声、掛けない方が良かったか。賭けに大負けした気分だ。
だが表面上マリーエルザは友好的だし、カルティエラを通して協力を要請した相手。話を持ち掛けたのもこちらだ。
やはり手助けはいらない、とは言えない。
仕方ない。監視しつつ、作業はしてもらおう。
「わたくしたち貴族にとっては果たすべき責務ですけれど、貴方のような平民がそのように崇高な志を持つだなんて。やはり貴方は、とても素敵な方……。わたくし、感銘を受けました」
二重音声で『身の程知らずが』と吐き捨てているのが聞こえる気がする。
「では、早速始めましょう」
「ああ、どうかそのようにかしこまらないで。わたくしは貴方を尊敬しているのです。距離がとても寂しいわ……。友人のように語り合えたら嬉しく思います」
許可せず触れられてうっとうしかった腕をマリーエルザから取り戻そうとする……が、もう意図を隠さず絡んだ腕を放さない。
そして俺が逃れようとしたときに、ムッとした感情が垣間見えた。
性急な接触と言い、媚びるような物言いといい、俺を篭絡でもするつもりか。
だがそう考えれば納得できる。マリーエルザは確かに目鼻立ちが整っているし、年も俺と釣り合う。体も均整が取れていて美しい。個体として魅力的かと問われれば、是だ。
……だったら、適当に乗っておいた方がいいかもしれん。脈なしだと手を切り替えられるより、時間稼ぎになるだろう。
正直、今は感情以上に実情で貴族の体面になんぞ付き合っていられない。現在進行形で、命の危険に晒されている人々がいる。
ユーリの足跡を辿れば、真っ先に標的になるのは避難民のキャンプだ。そこにはイルミナがいる。そしてイルミナは護るために最前線に立って戦う。絶対だ。
到着したアトリエで扉を叩き、中へと入る。
第三者のいる前でなれなれしく振舞うのは尚早だと思ったか、マリーエルザは少し残念そうに微笑んで、そっと離れた。
声のない演技だけなら、見抜けないぐらいには完璧だ。
「あ、お帰り、ニア。――って、マリーエルザ様!」
「ごきげんよう、リージェ。わたくしも協力することになったの。同じく二等級同士、力を合わせて頑張りましょう?」
「はい、よろしくお願いします!」
リージェの声に然程の怯えはない。マリーエルザの方にもリージェへの悪意は少ない。身分で見下している部分はあるが、それだけだ。
ということは、普段の人当たりは悪くないんだな。
畏まったリージェが頭を下げると、鷹揚に微笑む。
「それで、わたくしは何をすれば良いのかしら」
「ええとですね……」
構想の概要をリージェが説明すると、マリーエルザは戸惑った顔をした。
「……聞いたことのない手法だわ。そのような大掛かりな仕掛けが可能なの?」
「大丈夫です。理屈の上では可能ですし、だったらきっと成功しますから。それに、万が一駄目ならやり直せばいいじゃないですか。失敗なくして成功はありません」
挑戦というのは、失敗を前提に行うものだ。挑戦に完全な成功を求めるなど、愚かである。まして初の試みなら、一割上手くいけば上々だろう。
そこから上手く行った部分、行かなかった部分をそれぞれ試行錯誤することで、完成に近付けていく。
そして挑戦しなくては、新しいものは生まれない。停滞と維持こそが最良だと言うなら、それもいいだろう。
だが概ね、停滞は衰退への第一歩となる。
流れない水も、風も、腐りゆくだけだ。
「何を言っているの? 成功しなくては失点になってしまうのよ? 失敗などできないわ。許されない」
だというのに、マリーエルザはまさにその愚かそのままのことを言う。それがアストライトの常識なのか。
このままでは、アストライトが中堅から弱小国に滑り落ちる日も遠くないな。
「まあ、そうなっちゃうんですけど」
「ならばその浅慮な認識を早急に変えるべきだ。マリーエルザ、貴女は貴族で、権力がある。その権力を持って、貴女が失敗を許せばいい」
「わ、わたくしにそのような権力はありません。だって……」
何事かを続けようとして、飲み込む。あまり強くない立場か。
今回の件に限っても、マリーエルザに権限はないな。事業の責任者はカルティエラで、あいつも国から評価される立場。そしてカルティエラに評価を下す王さえもまた、成否は効率で他国から評価されるのだ。
だがどこまで波及しようが同じこと。皆が当然を理解していれば問題ない。
成功は素晴らしいが、失敗は普通なのだ。悪ではない。皆がその当然を理解していれば問題ないはずだろう。
もっと言うなら挑戦の意味、意義、危険を理解していない奴が責任を負う立場になどなってはならない。
でなければいずれ、組織は死ぬ。必ずだ。
「ならば貴女が責任を持てるときに、許すべき者を許せばいい。とはいえ仰る通り今回の件の責任者は貴女ではなくカルティエラ殿下だ。そしてこの方法はすでに裁可を受けている」
ついでに、実行における責任者は俺だろう。カルティエラが指名したのが俺で、リージェとマリーエルザは手伝いなのだから。
それでも地位がある分、嫌みが飛んでくるのだとは思う。嫌がる気持ちは分かる。
どうしても避けたいのならば、そもそもかかわらずにいる以外にない。だがマリーエルザはそれもできないのだろう。
「……」
カルティエラに釘を刺されたのを思い出したか、マリーエルザは沈黙した。そのあと、にこりと微笑んだ。
「ええ、まったくもって仰る通り。わたくし、浅慮を申し上げましたわ」
感情のこもらない肯定。淀みのない口調。そこにあるのは己の意思を通すことを諦めきった諦観だ。
「貴方のご活躍を知っているのだから、そちらを信じるべきですのに。挑戦する勇気のないわたくしの弱さ、どうかお許しください」
笑みから気弱そうな表情へと変え、縋るように見上げてくるマリーエルザに微笑って返そう――と思ったんだが。失敗した。
表情を上手く作れる気がしない。無理はしない方がいい気がする。
できないことはできないのだ。せめて言葉でぐらいは柔らかく応じなくては。
「いや、貴女が不安に思うのは当然だ。信を得られるよう、俺の方が力を尽くすべきだろう」
「へ!?」
余程奇妙に見えたか、リージェが驚きの声を上げて俺を見た。
「貴方のその真摯な姿勢こそ、今のわたくしには頼もしく見えますわ」
両手を胸の前で組み、熱に潤んだ瞳で見上げてくるマリーエルザ。凄い技術だ。役者になれるんじゃないか。
「え!?」
そしてこちらにも反応し、今度は焦ったような声を上げてマリーエルザへと顔を向けるリージェ。
俺からすれば茶番に付き合っているだけの行いだが、それでリージェに心労を与えたくはない。……が、今説明するわけにはいかない。後で釈明させてもらおう。
しばしマリーエルザの熱を受け止めるように見詰め合う。ややあって、恥じらいを思い出したかのような素振りで彼女の方がそっと目線を外した。
「で、では始めましょう。でもわたくし、上手くできるか自信がありません。ニア様、指導していただけませんか?」
「構わない」
上手くやる自信がないのは事実だろうし。
並べられている板の一つを取り、床に置く。まずは確認だ。
「貴女はマナ経路を視ることができるか?」
「いいえ、まさか。わたくしにそのような才はありません」
まるで冗談を聞いたとばかりに小さく笑って言い切った。恥ずかしげもなく。
出来る者の方が稀有であるのは知っているが、だからと言ってその道を志しながらできないのを当然にし続けるのもどうなのか。
とはいえ、ここでマリーエルザの錬金術に対しての姿勢に落胆していても仕方ない。経路が見えないないなら、下絵が要る。
ペンで薄く、魔法陣を板に描きつけた。
「この線の通りに魔方陣を彫ってもらいたい」
「ええ、分かりました」
うなずき、マリーエルザは作業の邪魔になりそうな髪を一つに束ね、彫刻刀を手に線を彫り進める。
「蓄積魔方陣を彫るということは、この溝には神力を効率よく溜め込む素材を合成するのですね? 何を使われるのでしょう」
「蓄積性能を別素材から継承させ、キッフェルから採集した樹脂になるだろう」
継承のための素材にはプラウタを使う。
ただ、これは広めないようにと言われた部分に抵触する気がしなくもないので、伏せておくことにした。
「溝に流して結合させて固めるには、最適かもしれませんわね。では折角ですし、上からもう一枚板を張り付けてはいかがでしょう。魔方陣の保護もできますし、初見で仕掛けを看破されるのも防いでくれますわ」
一手間かかるが、手間以上に有益だ。
そしてそれは錬金術ではなく通常の工作に類する加工。俺の中には発想さえなかった。
何も錬金術だけで完成させる必要はない。これからは頭に留めおくことにしよう。
「良い案だと思う。実際にできるかは費用と相談することになるだろうが、提案してみよう」
「光栄ですわ」
答えた声には、僅かながら本気で喜んでいる感情が乗っていた。
正直、意外だ。マリーエルザ自身がこの仕事に重きを置いていないのは明らか。それでも自ら考え、提案し、評価を喜んだ。
心底どうでもいいのなら、考えることからするまい。
その後も、マリーエルザの取り組みは真面目だった。
……余程でない限り、一日目からこちらの信用を損ねるようなことはしないよな。まずは信用を得るところから始めるのは定石。何を仕掛けるにしても動きやすくなる。
以降、俺も彫る方に加わって、完成したのは十一枚。気が遠くなる数字だ。
それでも続けていけば、いずれは完成する。……が、完全な完成を待つのは諦めた方がいいかもしれない。
「日も暮れてきたし、今日は切り上げるか」
「そうしよっかー」
大きく伸びをしつつ、リージェもうなずく。
集中力というものは、どう頑張っても途切れるときがくる。変に粘るよりも休みをしっかり入れた方が効率的だ。
「リージェ。一人で無理をして進めようとか考えるなよ」
「無理じゃない範囲なら?」
「自由だ」
自宅のアトリエに戻ったら、俺ももう一調合するつもりでいるし。
その俺とリージェのやり取りを、マリーエルザはどこか複雑そうな面持ちで見ていた。ただ、どういう感情のものであるかは読み解けない。
「ええと、では、わたくしも失礼しますわね。ごきげんよう」
俺が見ているのに気付くとすぐに微笑を浮かべ、マリーエルザは優雅に一礼すると部屋を去って行く。
こちらが何をしようとしているかは分かったわけだから、いつ、どうやって、どの程度妨害するか考えに――あるいは指示を受けに行くのだろう。
「リージェ。マリーエルザの事について聞きたい。彼女はどういう人間だ?」
「アンスチェアー伯爵家の三女だったかなあ。貴族だけど、あんまり怖くない人だよ。あれかな、アンスチェアー家があんまり強い家じゃないから、横暴に振り回される嫌さを知ってるからかも」
なるほど。家は貴族の中では強くないのか。
「っていうかさ、マリーエルザ様、妙にニアに好意的っていうか……」
「ああ、あれは振りだから気にするな。彼女はむしろ、心底俺を嫌っている」
「そ、そうなの?」
同じ人間の目から見ても、マリーエルザの演技は上手いようだ。リージェは戸惑いの声を上げた。
「王宮で活躍の話を聞いた、と言っていたから、その辺りで俺がやった何かが気に食わなかったんだろう」
「うわぁ……」
マリーエルザの動機らしい話を伝えると、リージェは否定してこなかった。逆に納得さえした気配で引きつった声を上げる。
「ついでに、彼女は民のために力を尽くそうとも考えていない。ここに来たのは純粋に俺の邪魔をするためだ。そのつもりで彼女の行動を見て、気を付けておいてくれ」
マリーエルザの言動からしてリージェに思うところはないようだから、変に巻き込むことはしないと思うが……。
それでも類が及ぶのが避けられなくなったとき。かかわりのないリージェにどこまでの害を与えても妥協するかは……マリーエルザの見境のなさによる。
「ニアが言うなら本当なんだと思うけど。あんまり信じたくはない、かも」
「だろうな。親交があって、悪感情を持っていないなら当然だ」
「それもあるけど。だってニアの邪魔をするってことは、今正に、人を危険に晒している時間を伸ばしてるってことよ? 計画の遅れや出来はカルティエラ殿下の評価に直結するし、それってつまりアストライトって国自体が侮られるってことでもある。いいことなくない?」
ない。一切。
だが思う。益や損の判断が、そこにはないのだろう、と。
国の、公の利益よりも、己の体面が大事なんだ。そうと以外考えられない。
貴族が何に重きを置いているかは、俺よりリージェの方が余程分かっているはずだ。証拠に、否定して欲しがりつつも、できないと諦めている気配がある。
俺が無言でいると、がくりと肩を落として項垂れた。
「……うん。分かってる」




