十話
「本当に良かったのか、ユーリ。本来ならお前のような、可能性のある若い者こそ一刻も早く人生を立て直すべきだろうに」
「本当に切羽詰まってたらそうするけど。世界はまだそこまで追い詰められちゃいないだろう? だったらよりしんどい人が先さ。俺は幸い頑丈だから、大抵の環境で生きていける自信があるし」
けろりとして言い放った少年――ユーリの言葉には、本当に未練がなかった。
今回定住先を与えられる権利を、状況から抜け出す席を、争うことなく譲っているのだ。
赤みの強い金髪に、鮮やかな深紅の瞳。おそらく、あまり裕福な人生は歩んできていない。年相応より発達したユーリの肉体からは、労働の気配がする。
十中八、九、下流層。労働階級だ。しかもその中でもかなり下の方にいる。
しかし今も会話からするに、ユーリがこの防衛力など期待できない難民キャンプから脱するのは、相当先になりそうだぞ。何なら、最後の一人になりかねん。
「じゃ、話してくる」
「待て」
当たり前に自らの目的を果たしに行こうとするルーを引き留める。
「何」
「あいつは多分、ここにいる他の人間の安全が保障されないと動かないぞ」
「どうして。ここにいたって護り切れるわけでもなし。それどころか魔王が力を付ければ付けるだけ、他地域でも被害者は増える。同族を気に掛けるなら留まるのは悪手だというのは明確だろう」
「……それでもだ」
効率だけでは選べないときがある。そしてユーリはきっと、効率よりも状を優先する人間だ。
「お前の話は、きっとユーリを迷わせる。そして傷を作る。まだ早い」
己が世界の行く末を委ねられた者だと知れば、その後の選択に責任を感じるようになるだろう。
動かなかったことで生じた被害が、選んだ結果に変わってしまうのだ。
断言するが、人はその重さに耐えられない。必ず心を病む。病まない程度にしか気にしない奴は、そもそも神子の役目に向かない。
他人との共感性が低すぎる。それでは集団を束ねて戦うことができない。
だからこそ、組織の支援が必要なのだ。神子が道を切り拓いている間、他を護るために。
「じゃあ、どうするのさ」
「とりあえず、加護は与えておけ。才があるなら独力でも多少は使い始めるだろう」
すでに出遅れているから、今すぐにでも力は磨いてほしい。
「加護を与えるときは結構派手だよ? 大丈夫か?」
「駄目だな」
よし、一旦諦めよう。
この際ノーウィットでもいい。ユーリの身をもっと安全な場所に移すべきだ。
「先にイルミナと話すか。付いて来い」
「いいよ。とりあえず目的の相手は見付かったし」
イルミナがいるのはキャンプの端。テントよりはもう少し頑丈に設置された、大きめの天幕だ。そこには騎士の護衛も立っていて、やや物々しい。
「止まれ。お前たち難民ではないな。何者だ」
「ノーウィットの錬金術士で、ニアという。難民の受け入れに関しての話がある。イルミナに会わせてもらいたい」
「スティレシア侯爵家のご令嬢を呼び捨てるとは何事だ! 一介の錬金術士ごときが、無礼極まる!」
……しまった。
本人から指摘されたことがなかったので、つい。
「ニアも結構駄目じゃん?」
「お前ほどじゃない。……多分」
真顔でルーに突っ込まれた。
ただ、幸いにしてここは外の音がまったく内に通らないような、巨大な建物というわけではないので――
「どうしたの。何かあった?」
腰の軽いイルミナが、自ら様子を見に来てくれた。
「いえ、大したことではありません。無知な輩に道理を説くところです」
言いつつも、本当に己の行いを恥じていない証拠にイルミナが状況を把握するのを邪魔しようとはしない。
そして自然に、俺とイルミナの目が合った。
「ニアさん?」
「ああ。急ぎの話があって来た。イルミナ様、と呼ぶべきか」
「い、いいよ、いつも通りで。……お願い。呼び方一つで子どもっぽいって思われるかもしれないけど、距離ができたみたいで寂しいから」
イルミナが望むのなら、俺に否はない。世の常識よりも、俺にとってはイルミナの感情の方が大事だ。
「イルミナ様、お知り合いなのですか」
そしてうろたえる羽目になったのは騎士たちだ。
「ええ。彼はわたしの……友人なの」
現状、それ以上の表現をするのはどちらにとっても得がない。友人としか称せない関係に、イルミナの口調からもどかしさを感じる。
こちらも、早く何とかしたい。
「だから、ごめんなさい。規律を乱してしまうけれど、彼の振る舞いは咎めないで。行いの咎はわたしにあります」
王という絶対者が身分による貴賤を定めている以上、その社会の中で生きている俺たちが国の決め事を無視するのは反逆となる。
行いそのものの善悪とは別だ。それでも、社会としては悪行となる。
「お前の立場を悪くするのは本意じゃない。必要なら決まりに従うぐらいはするぞ。口調一つで何が変わるわけでもない。それでも拘るか?」
「拘る。だって、挑もうとしているものに押し込められてしまいそうな気持ちになるもの」
超えるために、あえて形から入るか。それも悪くない。
「分かった。なら遠慮はしない」
「うん」
ほっとした様子でイルミナは微笑む。
「そういうことだ。気分の悪いことをさせて悪かった」
こちらがまとまったので、俺を怒鳴った騎士にも謝っておく。
「いや……。分かっているならば、良い。だがそれは蛮勇だ。気を付けろ」
「ああ」
騎士が俺を強く叱責したのは、警告だ。そして自分の裁量が届く範囲で収めようという親切心でもあった。
俺の行いが、相手によってはその場で切られかねないものだと分かっていたから。
「ただ、急ぎの話があるのは本当だ。相談がしたい」
いろいろ状況が難しい。ぜひ人間であるイルミナの意見が聞きたい。
「じゃあ、中で聞くね。えっと、そちらの方は初めて会うけど」
「ルーハーラ・ハルバゼーラという。こいつは……まあ、昔の知人だ」
「ということは、人間じゃない、よね?」
神人たるルーの擬態は俺のように半端ではない。内容も内容だからだろう、イルミナは声を潜めつつ疑問形で確認してきた。
ノーウィットで暮らし始めるまで、俺に人間の知人などいなかった。そのことはイルミナも知っている。
自然な結論だな。
「そうなる。だが安心しろ。魔物じゃない」
「魔物でも構わないよ? 大切なのは種族じゃないから」
悪戯っぽく笑って、そんな思い切ったことを言う。
さすが、俺が魔物でも想いを優先させることを選んでくれた人間だ。
「さあ、中にどうぞ」
「失礼するよ」
イルミナに招かれて入った俺の後に続いたルーが、しっかり断りを入れる。いっそ俺よりしっかり人間社会に適合できるかもしれない。
……考えてみれば、ルーの上には絶対的な上位者である神がいて、同じく神に仕える神人の仲間と暮らしているのだ。
集団生活に慣れていて当然だった。
大きな天幕の中には、小振りな天幕が張ってあった。これで部屋の仕切りをしているらしい。
その中の一つに俺たちを案内して、イルミナは腰を下ろした。地面の感触を通さない、厚めの上質な絨毯はダークエルフたちの好みとも変わらない。
「傍聴とかの備えがあるわけじゃないから、必要があれば小声でお願い」
「分かった」
必要を否定しなかった俺に、イルミナが少し緊張した。
「そこまで構えなくても大丈夫だ。――ノーウィットとケセラ村に移住する人間の選定は、すでに終わっているのだと思うが」
「うん」
「そこにもう一人、どうにかして加えたい。ユーリという名の十六、七ぐらいの男だ。名前だけで分かるか?」
「ユーリさんなら分かるよ。とても助けられているから」
やはりあいつは目立つらしい。説明不要なのは楽でいい。
「でも、ユーリさんは動かないと思う。きっとみんなが落ち着けるまで、最後までここに残るよ」
「俺もお前と同意見だ。だから、どうにかして移動させたい」
「理由を聞いてもいい?」
証拠もないもない話だが、おそらくイルミナは全く信じないという態度は取らないだろう。話す価値はある。
「あいつがここにいると、魔物が集まる」
「え!?」
「ユーリはこの先、魔王軍との戦いで中心となる人物だ。そういう人間がこの辺りにいることまでは、魔物側も気付いている。本人のためにも周りのためにも、急ぎ身柄を安全な場所に移さなくてはならない」
まずはユーリにもこれを信じさせなくてはならないんだ。
自分が魔王軍に狙われていると分かれば、戦う術を持たない者たちと共に行動はしなくなるはず。
そしてユーリに移動を決意してもらえれば、あとの事は何とかなる。
というか、何とかする。それは知っている者全員で向かい合うべき課題だろう。
「どうしてユーリさんの未来が分かるの?」
「こいつが、勇者なり英雄なりを選んで神の加護を与える使徒、神人だからだ」
今度はルーを示しつつ答える。
「――」
驚きに目を見開き絶句したが、イルミナはやはり、否定はしてこなかった。
「神との距離が遠いお前たちには証明し難いが、事実だ」
「……うん。ニアさんが言うことだからね。わたしが分からないことより、ニアさんの確信が正しいと思う」
「そうか」
イルミナが、俺への信頼を基準に話を信じてくれたこと。
やや危うさも感じるが、嬉しく思う。
だからこそ俺は、彼女の信頼を裏切ってはならない。
「イルミナ。お前は俺を信じてくれたが、他の人間はそうもいかないだろう。たとえ王宮騎士という肩書を持つお前の言葉でもだ」
「そう思う。何しろ神々や神人様を見たことのある人はほとんどいない上、嘘をつく人はいるからね」
この世界にはマナが充分あって、魔力も神力も使える。属性の違いも分かっている。
だから存在そのものは疑っていないし、信仰心も持っているのだ。だからこそ幸いで、厄介でもある。
「……神官のお告げ、ぐらいにしておいた方がいいかもしれない」
その身を偽らせることについてどう思うか――と、イルミナの視線がルーを窺う。
「それで上手く行くならそうするよ。急ぎたいからね」
イルミナの心配は杞憂で、ルーはあっさりと提案を受け入れる。
「急ぐ必要があるんですか?」
「魔物に襲われて、無駄に被害が出る前の方がいいんだろう? 襲われた後だと気に病むってニアが言うし」
「……お前は、どうするのがいいと思う?」
魔物である俺も神人であるルーも、人との感覚にはズレがあるかもしれない。なので、人間代表としてイルミナに訊ねる。
勇者の、精神的な影響にかかわる部分だ。重要な選択である。
分かっているからだろう。イルミナはしばし悩んでから、決断を口にした。
「ユーリさんには神職者の人――ルーハーラ様がお告げを聞いたってことにして話をしよう。信じてもらえるかは分からないけど」
「時間の問題だろうな」
「だねえ」
魔物たちはしばらく、答えを得るまで暴れる。すなわち、勇者を見付けるか、すでに移動したかの判断を上が行うまでだ。
「なら、すぐに話そう。ニアさんたちもここで、少し待っていて」
言ってイルミナは立ち上がり、天幕の外へと出た。
どうやら見張りの騎士の一人にユーリを連れてくるようにと頼んでいるようだ。
キャンプ地はそう広くはない。然程時をかけずにユーリは連れてこられた。
「スティレシア様。連れてきました」
「ありがとう。入って」
イルミナが許可を出すと、戸惑いつつユーリが中に入ってくる。
「ユーリです。スティレシア、様? 何の用でしょうか」
ユーリは家名を名乗らなかった。ということは、無いんだな。やはりあまり恵まれた生活はしてきていない気配がする。
「急に呼び出してごめんなさい。まずは座って。楽にして聞いてほしいの」
新しく座るための場所を開けるために、俺とルーが同時に動く。示し合わせたわけではないが、見事に左右に分かれた。
ちょうどユーリを挟むような形になっている。圧迫を感じるかもしれない。
事実、ユーリは僅かにだが警戒するように眉を寄せる。悪いことをした。
それでも逆らう選択肢はないんだろう。空いた空間に腰を下ろす。
「これはまだ、貴方の胸にだけ留めておいてほしいのだけど」
「はあ」
「貴方にこの先、世界の命運に関わる重大な使命があると、神から伝え聞いた方がいます」
「……はあ?」
イルミナの言葉を、ユーリは丸きり理解していない声を上げた。
「平たく言うと、魔王と戦う勇者に選ばれたということだ」
「俺が? まさか。いや、本当にそうなら望むところだけど――……」
ユーリの紅の瞳に、強い熱がこもる。
そうだった。こいつは魔物によって、すでに町を滅ぼされている。相手を打ち滅ぼそうという怒りも恨みも大義名分も充分だろう。




