十二話
翌日、作成した虹の氷樹をトリーシアに託して審査に回した。
トリーシアの反応は予想通りのものを受け取ったという感じだったから、まあ及第点だろう。上がどう判断するかは知らんが。
国の依頼は結果待ちになったので、時間ができた。さて次に何に取り掛かるか――と思ったところに、風に乗って微かに楽器で奏でられた旋律が流れてくる。
これは、オルガンか? 曲はどうやらサラが歌っていたのと同じ讃美歌だ。
人がそれなりに集まって、練習が始まったのかもしれない。
さすがに国が選抜した奏者というべきか、奏でられる音楽は耳に快い。もう少し近くで、はっきり聞きたいと思うぐらいには。
ただ、場所が……明らかに工業区内ではない。入るのが許される場所かどうかが分からない。
とりあえず、行けるところまで行って聞くとするか。
音の方角に向かってしばらく歩くと、壁で隔てられた場所まで来た。ここまでにしておいた方が無難か。
壁に寄りかかって演奏を聴いていると、錬金術の研究棟からトリーシアが出てきた。俺を見付けて戸惑った顔をしつつ、近付いてくる。
「何をしているの。正直に言って、不審よ」
「曲を聴いている」
別にやましいことはないので、堂々と答えた。
「曲……? ああ、賛美歌の練習の。意外ね。興味があるの?」
「快い音だったからな」
「ふうん……?」
あまり意識を向けていなかったらしいトリーシアは、改めて耳を澄ませた様子だ。
しばし目を閉じ集中して音を拾っていたようだが、すぐに興味を失った様子で目を開く。
「不足ない腕の持ち主だろうとは思うけれど」
「絶賛という訳ではないんだな。王都にはもっと優れた楽士がいるのか?」
ならばぜひ、聞いてみたい。
期待を込めて問えば、トリーシアは困ったように眉を寄せた。
「分からないわ。わたくしそこまで良い耳は持っていないもの。素人と玄人ぐらいの差があればさすがに聞き分けられるでしょうけど、その程度よ」
「なるほど」
人には向き不向きがある。トリーシアには音楽に関しての適性が薄かったようだ。
「せっかくなら近くで聴いてきてはどう?」
「入っても大丈夫な区画なのか?」
「あら。貴方でも城内の規則を気にするのね」
「一応、気にはしているぞ。元から」
人が守っているルールを破ると悪目立ちするからな。思い至らないまま踏み越えることも最近は減ってきたと思う。
「向こうは大丈夫よ。一般開放区だから」
「民間に開放される場所が城にあるのか」
意外だ。貴族の住むあたりにさえ、近付くのに許可がいるというのに。
「もちろん、目的があってその正当性を証明できる者だけよ。主に行政の手続きなどね」
敷地が巨大なのも見栄えだけではないということか。
城は王族の居住区というだけではなく、国を運営するための施設としての顔も持つ。民間から上がる報告を受け取る場所は確かに必要そうだ。
「むしろこちらの工業区の方が、出入りは厳しいわよ」
「金になったり、軍事的に広めたくない技術も置いてあるからだな」
だから極力出入りを減らせるように、働いている者のための寮があるんだろう。
「そういうことよ。わたくしは会場の視察に行くの。貴方も来る?」
「なら、同行させてもらおう」
会場の作りの可否など俺には分からないが、近くで演奏を聴くという目的は達せられる。
「いいわ。付いていらっしゃい」
先に立ったトリーシアは、守衛らしき者たちの間を躊躇なく通り抜けていく。そして実際、呼び止められることもなかった。
彼女のおかげで俺も引き留められることなく壁を超える。
音の発生源は敷地内にある神殿からのようだ。儀式もそこで行うのか、トリーシアの足も真っ直ぐ神殿へ向かっている。
ただこの神殿、どの神のもの、という訳ではないな。あえて言うなら全てを薄くか。
それぞれを個別に信仰する神殿は町にあるから、城内の神殿は実を求めたものではないのかもしれない。
そんなことを考えつつ、扉を開いたトリーシアの後に付いて中へと入って、納得した。
「会場作りとはこういう意味か」
どの神を特別に信仰したものではない神殿の内部は、今はディスハラークを讃えるものへと姿を変えていた。
「ここは目的によって、宿す力を変えるんだな」
「ええ、そうよ。祭日などに合わせて装飾を揃えるの」
聖域を作るという意味では役に立っていないが、儀式の場として使うには機能的かもしれん。金は余計にかかるが。
オルガンの奏者は入ってきたトリーシアと俺を一瞥したが、演奏を止めることはなかった。
滑らかに紡がれていく旋律は荘厳でありつつも柔らかく、慈愛に満ちている。これが奏者の持つディスハラークの姿なのだろう。
ディスハラークに伝われば、間違いなく喜ばれる。それだけの技術と敬意が感じ取れた。
「貴方に芸術を嗜む趣味があったとは、意外ね」
「音楽は好きだ。それ以外はさっぱりだが」
トリーシアが俺に抱いていた印象は間違っていない。でなければ虹の氷樹の作成にああも悩むものか。
答えは出したが、芸術とは違う気がするし。
俺のことはともかく、曲の方だ。オルガンの演奏に文句はない。むしろつけようがない。素晴らしいの一言に尽きる。
だが、乗せられる歌は微妙だ……。
「難しい顔をしているわね。問題点でも見付けたの?」
「歌い手の意識がバラバラだ。あれではディスハラークの興は引けまい」
「確信のある言い方をするのね。神への奉納なんて、反応が返ってこないのが普通でしょう? 今回はそれでは困るから、こうして必死になっているわけだけど」
神々は世界の全てを認識しているが、一つ一つに対応はしない。神とて力は有限だ。
それでも知ってはいるから、日頃からの感謝や礼拝は価値がある。トリーシアの考えは正しい。
「届かない確信を持っているのは俺だけじゃなさそうだぞ。オルガン奏者の顔を見ろ」
「あら……」
言われて目を向けたトリーシアも、すぐに俺の言わんとしたことを理解した。
オルガン奏者は渋面を作っている。明らかに納得していない。いっそ不愉快そうですらある。
「そんなに酷いの? 神々から何かしらの恩寵を受けたことがある者を集めると聞いていたのだけど」
「意思が見事にバラバラだからな。歌い手に目的の説明はしているのか」
「していないわ」
だと思った。そのせいだな。
「というより、できるはずがないでしょう。万が一町にまで伝わったら大混乱になるわ。まして――……いえ、何でもないわ」
トリーシアは続きを口にするのをためらって言葉を飲み込んだが、彼女が思い浮かべた内容は察せられた。
「隣国の町がダンジョンから出てきた魔物に滅ぼされたからか」
「知っていたの」
「昨日、リージェたちが話していた」
そもそも、隠せるような類の話じゃない。国が発表するしないに関わらず、民間に広がっていく話だ。
「だったら、分かるでしょう。他人事じゃなくなるのよ。大混乱になるわ」
「気の早い奴はすぐにも逃げ出すだろうな」
「ええ、そうなるでしょうね」
元々知らせるのが難しい案件だったが、今は最早足元にダンジョンがあるなどと言える状態ではないということか。
だがもう少し意思の統一――しかもディスハラークに向けたものでどうにかしないと、目的が達せられるかどうか怪しいぞ。
ちょうどその時、曲が終わった。奏者はうんざりとした顔をして頬杖を突いている。
当然、奏者の態度が好意的でないことは歌い手にも伝わっている。空気はかなり悪い。
大丈夫なのか。これで。
気まずげに佇む歌い手の一人、サラが落ち着かなげに視線をさまよわせる。と、俺と目が合って驚いた顔をした。
ただ、彼女も俺が奉納品を作る役目を担っているのを知っている。なのですぐに納得した顔に変わった。
どうせしばらく再開はされないと見込んだんだろう。こちらに歩み寄ってくる。
「久し振り。本当に城の中で会うとか、びっくりだよね」
「いや?」
サラはいると思っていたし、俺も滞在する予定だった。驚くべき部分は特にない。
あえて言うなら、無事に着いていたことへの安堵か。
「う。いやまあ、確かにそういう話だったけどさあ……」
そうだろう。
「……ニア、こちらは?」
交流の幅が並より狭い俺が、縁も所縁もなさそうな神官見習いと知り合いなのが意外だったらしい。戸惑った様子でトリーシアが聞いてくる。
「サラだ。王都に行く途中、ノーウィットに立ち寄ったときに知り合った」
「家から出ることが少なさそうな貴方が知り合うには、奇跡的な偶然ね」
「否定できんな」
その日王都に向かおうと思わなければ、サラと会うことはなかった。
しかしその奇跡の一端を担ったのは、お前の通知の仕方だぞ、トリーシア。急いでいたんだろうが、伝えるべき情報は省くな。
俺の技術を高く評価し過ぎな感がある。
「……ええっと」
自分のことは紹介されたが、サラはトリーシアのことを知らないままだ。しかし立ち居振る舞いから、身分が高いことは察している。
身元を尋ねていいかどうか、迷っているらしかった。
別段、隠すような身元ではないだろう。
「こっちはトリーシアだ。王宮錬金術士で、今日は会場の出来栄えを確認しに来たそうだ」
「あ、そ、そうなんですね。すみません、お引止めして」
「構わないわ。それよりせっかくだから聞きたいのだけど、歌の具合はどうなの」
「えーっと」
よくないのは当人であるサラも感じていたらしい。これでもかというぐらい分かりやすく、目が泳ぐ。
「はっきりお願い」
「じゃあはっきり言いますけど。これで神様に目を留めてもらおうとかは無理だと思います」
要求通り、サラははっきり答えた。むしろ要求したトリーシアの方が戸惑った気配がする。
自分から言っておいて、なぜだ。人は時々不可思議な反応をする。
「……そう。では、どうしたらいいかしら」
「ええ? アタシに聞くの? それ。偉い人に聞いてくださいよ」
「実際に携わっている現場の人間以上に物事を把握している人材はいないわ。それとも、駄目だ駄目だと言うだけで、改善点の一つも挙げられないのかしら」
挑発的なトリーシアの言葉に、サラはムっと表情を厳しくする。
ただ、トリーシアに相手を挑発する意図はなかった。素で高慢だからな、こいつは。
「そもそも、集めてる人員がめちゃくちゃだし。目的もよく分からないし。言っとくけど、普段の感謝の気持ちを込めて歌いましょうじゃ届かないですから。人間界と神界って、そんなに近くないんじゃないでしょうか」
「……」
目的を教えることは可能だ。聞けば少なからず身も入るだろう。
だがトリーシアにその判断をする権限はない。ぐっと眉を寄せて、どうするべきかを考えている。
「問題点として、報告を上げておきましょう。ニア、わたくしはこれから点検して回るけど、貴方はどうするの」
「アトリエに戻る」
目的だった演奏は思っていたよりずっと近くで聴けたし、満足だ。
「それがいいかもしれないわね。賛美歌が力にならないのなら、奉納品だけで加護を賜れるようにしなくてはならないのだから」
他の二人が何を用意してくるかは分からないが、分が悪い気がするぞ。
世界は広く、美しく尊いものも溢れている。その中から意図して注意を引くのは結構な難題だ。
「……」
トリーシアの見限ったとも取れる言葉に、サラはますます面白くなさそうに不貞腐れた顔をしている。
呼びつけられて勝手に重い期待をして、挙句落胆しているんだ。振り回される方はたまったものじゃない。
これは本当に、駄目かもしれん。
「やっほー。ニアー。見学しに来たよー」
アトリエに戻ってしばらくすると、唐突にリージェが訪れた。
「構わないが、お前の役に立ちそうなことはしていないぞ。ついでに、薬を作るという話はどうした」
「今ポーションろ過中」
「なるほど」
時間しか完成させてくれないやつだな。
空き時間でわざわざ勉強しようと来たわけか。むしろ勤勉だった。
「ニアは……。何か抽出してる? 花?」
「ああ」
「何ができるの?」
俺が特に止めなかったので、リージェは生成中の機材とその中身をじっと見つめる。おそらく効能を見定めようとしているんだろう。
「何が見える」
「ほんの少し、緊張を緩和する成分があるだけ、かな?」
「正解だ」
属性的には土の聖神に寄る。
「え、安らぎのアロマ? それにしては効能が僅か過ぎない?」
「いや。どちらかといえばただの香水だ」
精神安定成分も、入れようとして入れたわけじゃない。素材に元々備わっていただけだ。
ちなみにこれぐらいの精神安定成分は、ほぼすべての植物に存在している。どの神に依るかで若干性質の差が出るな。




