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十九話

「悪いが、人の多い場所は好きじゃない」


 断って、飛び立つために翼を動かす。


 無理に引き止めたり、去るのを阻害しようとする者はおらず、普通に距離を取ってくれた。

 洞窟の天井近くまで高度を上げ、そのまま飛び去る。用は済んだ。早く王都に戻らなくては。


 しかし。蜂の件は片付いたが、すべてが解決したという感じでもない。


 魔神側の神人が降臨したという話は本当なのか。そしてなぜ、人間たち曰く旨味のない国であるアストライトを狙ったのか。


 地下から感じた異様に強力な魔力。そちらの正体も突き止めたいところだ。

 となると、王都への滞在を継続したいところだが……。


 呼ばれた理由自体は片付いてしまったので、少々面倒かもしれない。

 危険と比べてどちらがマシかとなれば、言うまでもないけどな。




 王都、そして借りている客室までのルートは、行きに通った道を遡れば問題なかった。

 問題だったのはその先。窓が閉じていて、目的の部屋に入れなかったのだ。


 おそらくリージェなりトリーシアなりが来て閉めて言ったんだろうが……迂闊だった。

 蜂の侵入を怖れてピリピリしていた状態である。開け放たれたままの窓を放置するわけがなかった。

 顔を合わせたときの文句が増える案件である。


 ともあれ、開いていないものは仕方ない。適当に人目につかなさそうな区画に下り、人化してから服を着る。


 この辺りに住む人間は皆職人だから、無用に外をフラフラしている者はいない。気を付けるのは気分転換に出てきている少数と警備の兵ぐらいだ。助かる。


 扉や窓が閉められていようと、器用な人の手を得た今の俺ならば問題ない。

 錬金術棟の一階、二階を突っ切り、客室に向かう。鍵を開けて中に入った。


 机の上に置いた俺のメモは――……握り潰された跡がある。それから再び丁寧に広げられ、重石もきっちり置き直されていた。


 ……読んだ人間の心情が察せられる。


 やや悪寒を覚えるが、メモの役目は無事に果たされた。用が済んだので捨てておく。

 メモの惨状を見た後では気は進まないが、後回しにして何が解決するわけでもない。とりあえず、トリーシアのアトリエに行くか。作りかけのプラウタも気になるし。


 気合いを入れ覚悟を決めて、部屋を出る。

 トリーシアのアトリエは同じ三階にあるのですぐ到着する。一応扉を叩き、訪れを告げてから中へと入る。


「入るぞ」

「あ――、貴方!」

「ニア!」


 そこには、リージェとトリーシアが揃っていた。


「戻った」

「随分堂々としたものね! この緊急時に、断わりもなく留守にするなんて!」

「必要ができたのが夜だったから仕方ない。書き置き以上にできることはなかった」


 夜に異性の部屋を訊ねるのは常識知らずだったはずだ。


「急用って何だったの? っていうか、ニアのことだからイルミナさん絡み以外にないよね? ……まさか、蜂の誘引作戦の現場に行った、とか……」


 鋭い。

 と言うより、俺が分かりやすいのか。公言もしているし。


「遠目からな。というか、お前も知ってたのか」


 それほど嘘はついていない。


「ニアが留守にしてるってトリーシア様から聞いたとき、一緒に」


 成程。今日先に来たのはトリーシアか。書き置きを握り潰したのもおそらくはだな。


「呆れた。貴方が行ったところで、戦場で大した役には立たないでしょうに。それよりも自分の才を活かして、一つでも多く薬を作っていた方が有意義よ。それこそ、イルミナ様のためにもね」


 リージェの推測を肯定した俺に、トリーシアは心底呆れた口調でそんなことを言ってくる。

 しかし、妙に内容に覚えがあるような……。ああ、俺が依然リージェに似たようなことを言ったのか。


「確かに、お前が正しい」


 純粋に強さを計れば、俺は大して強くない。あの場に揃った騎士と蜂たちの中で、最も弱かったのが俺だろう。


 だがそれでも行けばできることがあるし、近くにいないと何もできない。やり方によっては戦力にもなれる。


 だから本当に何もできない確信がない限り、次に似たようなことが起こっても俺は行くだろう。

 たとえ、トリーシアが言っている方が合理的でもだ。


 俺が認めてうなずくと、なぜかトリーシアの方がうろたえた。


「と、ともかく無事でよかったわ。戦力にはならなかろうと、想ってくれたという気持ちと行動は嬉しいものですもの。でも、次は控えた方がよろしいわ」

「次がないことを祈りたいところだ」


 そうはいかない気がすでにしているが。

 そして予感があるのだから、薬の類は本当にいくらあってもいい。長期保存が可能な物だし。


 断りなく留守にした苦情は一通り聞いたので、プラウタの精製に取りかかる。

 まだ少し不満そうだが、トリーシアも文句は引っ込めて作業に戻った。リージェは初めからあまり気にしていなさそうで、むしろトリーシアからの苦言が終わった方に安心した様子だった。


「じゃあ、わたしは自分のアトリエに戻ります。トリーシア様、ありがとうございました」

「ええ、ご苦労様」


 察するに、俺を待ってトリーシアのアトリエにいただけなんだな。もちろん、何かしら作業はしていたんだろうが。


 部屋を立ち去る前に、リージェは俺の近くまで来てそっと小声で囁く。


「無事で、本当に良かった。人を心配して駆けつけちゃうニアのことは好きだけど、でも、心配だから。……お帰りなさい」

「悪かった。気を付ける」

「うん。――じゃあね、また後で」


 今度こそ本当にほっとした様子で、リージェは晴れやかにアトリエを出て行こうとする。


「わっ」


 そしてタイミング悪く、扉を開け放った直後に今まさにノックをしようと手を上げていた人物と鉢合わせた。なんという奇跡……。


「イルミナ」


 リージェと一緒に奇跡を演出することになったもう一人の名を呼ぶ。


「良かった、皆揃っていて。……でもリージェちゃんはこれから用がある感じ、かな」

「い、いえ! 自分のアトリエに戻るだけですからお気遣いなくっ」

「じゃあ、少し時間はある? 今回の作戦はここにいる皆の協力あってこそだから、結果の報告をしに来たの」


 マメだな。


「全然大丈夫です」


 出て行こうとしていた手と足を引っ込め、リージェは扉の前から離れてイルミナに道を譲る。


「ありがとう。ごめんね?」

「いえ! ニアが平然としてるから多分上手くいったんだろうなー、とは思っていますけど、どうなったのかは気になるので!」


 おい。


「ニアさん?」


 リージェが盛大に口を滑らせたので、イルミナの視線がこちらを向いた。


 別に口止めもしていないから、リージェが悪いわけではないんだが……。わざわざ余計なことを言わないでは欲しかった。


「貴女のことが心配で、後を追ったそうですわ。……会わなかったのですね」


 トリーシアは止めを刺しに来た。しかも心なしか目が俺を責めている。


 どうも俺が言った『遠目から見ていた』を言葉通りだと判断したらしい。行ったことを責めたり、側にいなかったことを責めたり、一貫しない奴だな。


「会わなかったけど……。そう、なの?」

「まあ、遠くから」

「そう。遠くから……」


 イルミナの声が思案に沈み始めた。


「そう言えば、ニアさんの声って……。髪の色も……」


 さすがにバレそうな気がしてきた。だが自分から白状してやる理由はない。まだ。


「それより、蜂の件を話しに来たんだろう」

「あ、うん。そう」


 話を戻すと、すぐにイルミナも乗って来た。俺の正体などというのは、この場で追及すべき内容でもないしな。

 そして実は、気になっている点があるんだ。


「蜂の巣を見つけるための作戦にしては、随分手練れが多かった気がするが?」

「全員王宮騎士だったからね」


 やっぱりか。


「もしかしたら、誘引作戦が蜂に筒抜けになるかも、って気付いた人がいたの」


 ……なるほど。

 あれだけの数の暗殺蜂が潜んでいたんだ。情報が抜かれる可能性は考えるべきだった。


「でも香水に誘われる蜂は必ずいるから、蜂側も無視はできないだろうって。それならむしろ、いっそこっちを襲ってくるかもしれないねって話になってね?」


 ふむ。


 蜂側としては、巣を見つける探索部隊を襲いに来たつもりだったのか。だから無防備に女王も来ていたのかもしれない。


 それを見越して、アストライト側は初めから精鋭で部隊編成をしていたと。

 知恵比べは人の勝利だった、という形か。


「でも、正直に言って、潜んでいた蜂は多すぎたと思う。あれだけの数がいたなら、とっくに国の機能をマヒさせる行動が起こせたはず」

「だったら、目的はアストライトではないんだろう」


 王都から飛び立ってきた蜂を見たとき、俺も奇妙に思った。だが同時に、その答えらしきものを得てもいた。


「土地をもう一度調べてみたらどうだ」

「土地って、王都の?」

「そうだ」


 もしクイーンビーの神人降臨の話が妄想でないなら、王都の地下に何かがある。

 というか、神人どうのの話が妄想でも、地下には何かがある。あるいはいる。巨大な魔力を持ったモノが。


「……そうだね。蜂の目的が国じゃなくて土地だと言うならしっくりくる」


 俺の推測に、イルミナもうなずいて肯定した。


 潜んでいた暗殺蜂の目的は地下にあるだろうモノの探索で、アストライトについてはおまけだったのではないか。


 いずれ邪魔になるのは分かっているから、勿論無関心ではなかった。実際王は刺されている。

 だが優先順位は二番目か、三番目でさえあり得る。


「は、蜂を片付けて一件落着、じゃないんですか?」

「残念だが」


 ああ、まったくもって。


「続きがあるぞ。この一件には」

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