十二話
「努力するけど、同じ町にいたら無理な気がする。相談に行くと思うし」
「よし。諦めるか、王都に残れ」
「あはは。やっぱり?」
錬金術とは関係のない分野への、一時的な感情による反感なので本気度は低い。
時間とともに冷静になって来たか、リージェは笑って俺の許否を受け入れた。
「ちょっと本気だけど、おおむね冗談だから大丈夫。ただでさえ国の施策的にニアって目を付けられやすいのに、これ以上はね」
カルティエラの兄にされもしたし。
「その点、トリーシアは遠慮がなかったな」
さすが貴族だ。気が咎めていても迷いがない。
「確かに。でもトリーシア様に言われなくても、多分ニアは来てたよね?」
「お前とイルミナがいるからな」
「っ」
隣を歩くリージェが、足を下ろす力加減を間違えたかのように膝を折ってバランスを崩す。幸い、転びはしなかった。
「お前は本当に落ち着きがないな」
「今のはニアのせいッ」
ため息をつきつつ言った俺に、顔を赤くしてリージェがくって掛かって来る。
「大体、ニアはさ。イルミナさんのことどう想ってるの。イルミナさんにも言われてたでしょ。どう想っているかが分かったら、伝えてほしいって」
「そうだったな」
忘れていたわけじゃない。ずっと引っかかってはいた。
そしてリージェに対するものと同様、すでに答えは出たと言えるだろう。
イルミナやリージェが傷付くのを見たくないと思ったのは、俺が彼女たちに好意を抱いているからだ。そこまでは明確である。
そしてその行為の中には、愛しいという感情があるのも間違いないと思う。
「どうするの? はぐらかし続けるのって不誠実だと思う」
「悩ましいところだ」
もしこれが今すぐ選ばなくては失うものなら、俺もためらわず自分の正体を明かして答えを口にするだろう。
ただ現状、答えを出さないでも許される時間がある。だから迷うのだ。
「……悩ましいんだ」
「失うのが惜しいものがかかっていたら、悩むだろう。動かない間は失わずに済む。お前の言う通り不誠実だがな」
「失うって、どういうこと? イルミナさんの気持ちは決まってるんだから、あとはニア次第でしょ?」
それだけで済むなら迷っていない。
無言で息をつく俺に、リージェは口元を引きつらせた。
「待って。ちょっと怖いんだけど……。まだ何かあるの?」
「答える気はない」
「あるんだ……」
否定しないことが、この場合は肯定だ。
とはいえ俺の答えはその続きの質問を拒否するものなので、リージェも訊いてこなかった。口をへの字に曲げて、もの凄く追及したそうではあるが。
「それより。向かっているのは王宮でいいんだろう? どれぐらいで着くんだ?」
「今半分ぐらいかな……。あ、ほら。あそこが貴族街との境目」
規模は違うが、本当にノーウィットと作りが同じだ。土地に物理的な高低差を付け、格差をも同時に示している。
当然のように止められるが、ここもリージェが王宮錬金術士であることが分かるとすんなり通れた。職場がこの階段の先だから当然だが。
ここから先は全ての道が広い。基本的に馬車が移動するためだと思われる。歩いている人間の方が少ないのが一目で分かるぐらいに差があった。
おかげで、一応存在はする歩行者用の道は空いていて快適だ。
リージェはともかく、俺の恰好があまりに貴族街に相応しくないので、訝しげな視線が途切れない。しかしそれ以上には発展しなかったので、こちらも特に問題ない。
そして辿り着いた王宮では、逆に呼び止められない。門衛の態度からして、リージェの顔を知っている様子だ。
「これからどこに行くんだ?」
「やっぱりトリーシア様の所かなあ。多分、寮とかを用意してくれてると思う」
「そう願いたいな」
俺一人で市民街と王宮を行き来すると、無駄に時間がかかりそうだ。
リージェにとっては慣れた場所。すいすいと進んでいく。行き交う人々の間を抜け、通路を曲がり、庭を越えて別棟へ。
そうすると、どことなく身近な空気感で満ちる場所に出た。
「分かる? ここは技術者を集めて研究開発を行う工業区なの。貴族よりも、むしろ一般庶民の方が多いぐらい」
「ああ。王都に入ってから一番落ち着く」
「分かる!」
しみじみうなずいた俺に、リージェは笑って同意した。
「トリーシア様のアトリエは三階にあるの。行こうか」
「不便そうだが、防犯上の理由か」
「そうよ」
限られた通路からしか行き来できない場所に施設を置く理由など限られる。
この辺りに来ると知り合いも多いようで、すれ違う何人かとリージェは挨拶を交わしながら進んでいく。そして例外なく、声を掛けてきた人間たちは俺を新人だと思い込んでいた。
所属人数が多くないから、見知らぬ者が入ってきたらすぐ分かるんだ。それはいい。侵入者もやり難いだろう。
同時に、制服さえ着ていれば『新人か?』で流してしまいそうな気配もあるが。
建物は階を上がるにつれ、内装が豪華になっていく。三階ともなればやはりここは城だなと納得してしまうぐらいだ。
ややあってリージェが足を止めたのは、ユリの紋章が掲げられた扉の前。深呼吸をして心の準備を済ませ、ノックをする。
「どなた?」
「リージェ・シェートです。ニアを連れてきました」
「そう。ご苦労様」
内側から応じたトリーシアは、リージェの名乗りを受けてすぐに扉を開く。
「お入りなさい。話したいことがあるわ」
トリーシアの声にも表情にも、緊張が見える。
「何かあったか」
ぱっと見何事もなさそうだったんだが、そうでもないようだ。
「それを話すから、中に入りなさい」
そしてまだ広まってほしくない内容か。
うなずき、リージェと共に部屋の中に入る。
通ってきた通路同様装飾性は高いが、機能性は妨げられていない。この部屋はれっきとしたアトリエだ。
「適当にお掛けなさい」
「失礼します」
トリーシアが手の平を上にして示したソファに、リージェと並んで座る。部屋の主であるトリーシアは、壁沿いに設置してある棚の中から小箱を持って来てから正面に座った。
「状況はどうなっている」
「貴方の読みは正しかったわ。王都の結界を擦り抜け、潜伏していた個体がすでにいた」
言ってトリーシアは持ってきた小箱を開き、中身を見せる。
そこには透明なケースに閉じ込められた、銀の蜂が一匹存在していた。
敵対者と向かい合っていると分かると、音を立ててこちらを威嚇してくる。
「捕らえたのか」
「ええ。これは研究用にと譲り受けたものよ。どうやら雌のようね」
星咲の花の特性をまま継いだ形だな。植物と魔物に同じ法則が適用されるのは、なかなか興味深い。
銀の蜂は空を飛んでいくのを見かけた奴よりは小柄だが、体内の魔力と神力ははるかに多い。さらに上位種だ。無駄に暴れない所からも知性を感じる。
「調べてみたところ、この蜂はとても毒が強い」
「暗殺用か」
「おそらく。貴方の言う通り知性が高いことを前提とするならば。応戦中に指揮官を殺して指揮系統を乱す、そういう役目を担っているのではないかしら」
それだけではないだろう。
まだ戦線が開いていないにもかかわらず、見つかる危険を犯してまで入り込んでいるということは、別の目的がある。
たとえば、王や軍の要人。襲撃前に亡き者にしてしまえば相当楽になる。
トリーシアも分かっているだろうが、わざと口にしなかった感じだな。
どれだけ潜り込まれているか分からないが、このサイズだ。全てを炙り出すのは現実的ではない。別の対策が必要だ。
「解毒剤の作成は進んでいるのか」
「真っ最中よ。新しい薬がそんな簡単にできるはずがないでしょう」
「急務だな」
「ええ。協力してくれるわね」
「そのつもりだが……。サンプル確保と時間稼ぎを兼ねて、入り込んだ蜂も減らしておきたいところだ」
カルティエラから譲り受けた星咲の花が役に立ってくれるだろう。
「蜂がどこから来てるのかは分かってるんですか?」
「目撃例からするに、北かしらね」
迎撃するだけでは今後の不安が残る。見付けて巣ごと殲滅したいところだ。
「そちらの準備も必要そうだな。ときに、トリーシア」
「何かしら」
「お前は、俺を錬金術士として呼んだと思っていいんだろう?」
「勿論よ。今更なに?」
「どこかアトリエを借りられるのか」
できれば個人で使いたい。無理ならリージェに借りるしかないが。
「悪いけど、個室は用意できなかったの。色々と都合があって、ね……」
トリーシアは言葉を濁したが、察して余りある。俺が魔物であることとか、市井の庶民であることなどだろう。おそらく。
「なので名目上はわたくしの手伝いとして、このアトリエを使ってちょうだい。設備はアストラントで最高のものよ。不足はないでしょう」
不足はある。専用に使いやすくカスタマイズした物には、使い勝手は遠く及ばない。
だが使うだけなら問題ないというのはトリーシアの言う通り。機材の種類に限って言えば、本当に不足のない環境だ。
「わかった。だがお前はどうする?」
「必要な道具は一つじゃないでしょう?」
別の作業をするということか。
「了解した。それなら、さっさと始めるか」
「わたしが手伝うことってある?」
リージェは俺の手伝いを優先するつもりらしい。少し考えて、首を縦に振った。
「なら、ガラスの粉を頼めるか。魔力と神力を通さない、属性抵抗力の高い素材がいる」
「では、それはわたくしとリージェでやりましょう。貴方は?」
星咲の花の香水を作るための素材だが、そちらを二人に丸投げできるのなら――
「俺は先に解毒薬を作ろう」
いつ何時誰が刺されるか分からない状況だ。急務である。
国王やら軍の上層部やらが動けなくなったらろくに抵抗できない。
即効性の高い物と、事前に服用して抗体を作る物。両方あるのが望ましい。優先順位は即効性の高い方だが。
「そのために、毒のサンプルがいる」
「少量ならあるけれど……」
立ち上がって、トリーシアは蜂を出した棚から小瓶を取り出して持ってきた。ガラスの瓶に透明な液体がほんの少し入っている。よくて数滴だろう。
どうやら時間も経っている。保存方法も正しくないらしく、劣化の気配も感じられた。
「あまり役に立たなさそうだな」
「ないよりはマシだと思ってちょうだい。毒を出してと言って出してくれる相手じゃないのよ」
研究材料としてあまり質が良くないのは、トリーシアも分かっているようだ。
「ふむ。……小さな容器はあるか?」
「採取するの? 気を付けなさいよ」
サンプルの必要性はトリーシアも否定しない。毒を受け止めるための小皿を持ってくる。
受け取った小皿は本当にただの容器でしかなかったので、時を凍らせる神呪を組み込んだシートを腕輪から出して補強を試みる。
普段、採集とかのときにも役立つやつだ。
「なっ、何よ、それは……っ!? 強い神力を感じるけど……!? 神具なの!?」
「神の力を宿した物をそう呼ぶなら神具か。力を閉ざす闇の魔神バスゼナと、すべてを凍らせる水の魔神テディツォーネの力を借りている」
同じ属性を司る神でも、聖と魔では得意分野が異なる。闇の聖神ハルバゼーラが安らぎを司り、水の聖神シャーレクアレが浄化を司るように。
布を小皿の形に添ううようにして張り付け、蓋にも使用。これで内側に落ちた毒は時間を止め、劣化を防げるはずだ。
蜂が針で蓋にした布を突き破るはずなので完全ではないが。逆にそうしないと採集できん。止まるので。
小皿の内側には、人間の魔力と神力を模した結晶を埋め込んだ粘土を置く。人に対して攻撃性が高いようだから、かかってくれるといいんだが。
蜂が出て来られない程度の隙間を空けて、小皿をそっと差し込む。
反応は顕著だった。まず外気の流れを感じ取って、逃げ出そうとしてくる。しかし不可能だと分かるとすぐに諦めた。
そして小皿と、その内側に置かれた結晶の反応に気付き飛び掛かる。
「うわっ」
思っていたよりもさらに俊敏だ。布を突き破り、粘土に針を刺す。
人が死ねば、その魔力、神力の活動も止まる。しかし粘土の中の結晶が力を発したままなので、蜂は攻撃を加えている人間が生きていると判断しているようだ。
溢れた毒液が小皿に溜まり、何度か針を突き刺し直す。徹底している。
「……」
これは粘土だから被害のない採集だが、蜂本来の目的は人間。
人が死ぬまで攻撃し続ける、その証明だと言える。
躍起になる蜂を見詰めるリージェとトリーシアの顔色は悪い。無理もないだろう。
何度も針を指し直して、蜂はついに結晶を貫いた。壊れて力を発されなくなったことで、蜂も大人しくなる。
「怖いの見ちゃった……」
言った通り、リージェはいつの間にか俺の袖を摘まんでいた。




