十三話
「大量のサンプルが確保できたのはいいけれど。どうやって取り出すの、これは」
あの執拗さを見た後では、とても手を入れる気にはならないだろう。
満足に休んでいないし栄養もろくに摂っていないのだから、蜂も疲労は蓄積している。その上で大量に毒を生成し吐き出したせいで、困憊しているようだ。
だが人間が手を入れれば察知して、襲いかかってくるだろうな。自分が死んだとしても。群れの生き物は自分の役割に忠実だ。
「眠らせればいい。睡眠薬の類はないか?」
「あるけど……。確実とは言えないわよ。人間には敏感で、すぐに起きるの」
トリーシアの言い方は確信したもの。試したことがあるか。
「一応でも効くのなら、おそらく大丈夫だ。俺の魔力質は魔物だからな」
命令の対象外だろう。
「……本当ね?」
眉を寄せ、不安そうにトリーシアは言う。本心からの心配だが、不要だ。
「ああ」
「分かったわ。少し待っていて」
さすが一等錬金術士のアトリエと言うべきか。道具の在庫も豊富だ。
今度は棚ではなく、部屋の隅に設置されているコンテナから薬瓶を持ってくる。薄紫の液体が何とも毒々しい。
トリーシアは僅かに蓋をスライドさせると、中身を霧状にして吹き掛けた。
蜂は動かない。
空気の流動は分かっているはずだが、確実に襲うべき獲物がいると判断できない限り動きたくないんだ。それだけ疲れている。
数十秒待つ――と、蜂は完全に動かなくなった。少なくとも微睡んではいる。
再びケースをスライドさせ、指だけ入れて小皿を回収。やはり反応しなかった。
「本当に、人ではないのね。……あ、いえ……」
思わずといった様子で零した感想に、トリーシアはうろたえる。
「その、ごめんなさい。そういう意味ではなく、ただの魔力質の話よ」
「別に構わない。事実だからな」
人ではない、という部分含めて。
本当に気にしていないのだが、失言だと思っているトリーシアの表情は晴れない。
「時間が惜しい。始めるぞ」
「え、ええ。そうね。――リージェ、悪いけれど、貴女のアトリエを貸してもらえる?」
「勿論です」
当初は共有して使うつもりだった自分のアトリエを、トリーシアは俺に明け渡すつもりらしい。
分担して行う作業がはっきりしたからだな。作業中、使う道具が重なるのを予感したんだろう。
「ニア。部屋にあるものは何でも使って構わないわ」
「そうさせてもらう」
「では、またあとで。行きましょう、リージェ」
「はい。ニア、手が必要になったら声かけてね」
「ああ」
部屋の主を送り出し、部外者であるはずの俺が残る。奇妙な感じがするな。
――さて。取りかかるか。
まずは毒の解析から。主成分は神経系毒か。脳からの命令伝達を阻害し、命を奪う。
即効薬の方は問題ない。これならシャーレクアレの神力の作用の一つ、浄化の力を宿した薬で対応できるだろう。
トリーシアの許可も出ているので、コンテナの中を確認。やはりクアレの水が大量に保管されていた。
キュア系の薬品を作ろうとすれば必須だからな。俺も在庫は常に持っている。
しかし品質は段違いだ。頼もしい。
だがこのままでは使用には堪えない。まずは不要な性質を選り分ける必要がある。
クアレの水を器に移し、やや偏った位置に鉄の塊を置く。逆側には土の塊を。
水属性と土属性は相性が良い。鉄と土を核にして風の神気を流し、混ざり合っている水を分離させていく。
今欲しいのは純粋な浄化の力だ。それ以外は要らない。
余計な性質を土に吸着させつつ、鉄を中心に渦を巻いて集まった水だけを確保する。
きっちり別れたのを確認してから仕切りを入れて区分けした。
素材として悪いわけではないので、土側の水はまとめて別の器に戻し、コンテナへと帰還。
そして鉄側の水は瓶型の器に移動。プラウタと呼ばれる切り花を水の中に投入する。こちらはトリーシアのコンテナ内にはなかったので自前だ。便利なんだがな。
プラウタは水と共に属性を吸い上げ、花びらに凝縮させていくという性質を持つ。
期間は長いだけよい。そして最低でも数日は欲しい。が、今回は時間がない。近くに熱源を置いて常に乾燥状態にさせ、急速に水を吸い上げてもらう。プラウタの状態が悪くなるので少し品質が落ちるが、まずは万が一の時のために一つ薬を作っておきたい。
後は時間経過が必要なので、このまま放置。
次は抵抗力を高める方。
方向性としては二つ。免疫を高めるか、毒の作用を妨害する成分を体内に常に入れておくかだ。
……免疫を高めるのが妥当だろう。後者は即効薬の作用に近いので、体が慣れてしまうといざという時に効きが悪くなる可能性がある。
蜂の毒の毒性を弱めて、体に入れて慣れさせる。
そして活性を促す火神フラマティアと、体の抵抗力が負けたときの安全策としてバズゼナの閉ざす力を一緒に服用する感じか。
この辺りも素材次第だが、トリーシアのコンテナの中には問題ないほど揃っていた。
材料が揃えば、あとは適度に混ぜ合わせるのみ。ヒールポーション作成とさほど変わらない。
ただ、中和剤に満足のいくものがなかったので作り直した分、時間はかかった。
抑制剤が完成したところで、扉が叩かれる。
「ニア、少しいいかしら? そろそろ時間も遅いわ。切り上げる準備を始めなさい」
トリーシアだ。言われてみれば、窓の外はすっかり暗い。時間を確認すれば夕食の時間もとうに回っている。
主を部屋の外に締め出し続けるのも悪いので、すぐに扉を開けに出る。
「調子はどう」
「悪くはない」
「それは頼もしいことね。展望を聞かせてもらえる?」
部屋の中に招いたトリーシアに、即効薬と免疫薬として考えている二種の構想を話した。
「プラウタにそんな効果が……?」
そこから驚くのか。
「採集しているうちに気付かなかったか? 場所によって性質が変わ……。いや、そこまで精密には把握できないんだったか」
自然に起こる濃縮など、そう強いものではない。人間が効能や性質として認められなかったのも無理からぬことか。
「周囲の状況に影響されやすいことは分かっていたわ。だからこそ、汎用的な薬草としては認められなかった」
場所によって効能が違うことが、むしろマイナスと捉えられたか。
「貴方が人寄りで幸いであったと、心から思うわ。魔王軍にでも入られていたら、さぞかし脅威となったでしょう」
「魔王軍は絶対に御免だ」
あいつらは魔物を使役する物としか思っていない。待遇が悪すぎる。
「あら。ハーフにも優しくないのね」
「それはどちらでも同じじゃないのか」
自分たちと『違う』方を重視する。間違いなく『同じ』でもあるというのに。
正真正銘の魔物である俺には、どちらも当てはまらない話だが。
「ではこちらは、蜂の毒をと言うより毒素すべてを浄化する万能薬に近いのかしら」
「そんな大袈裟なものか? 使用者にとって有害な働きをするものは消し去ると思うが。ああ、あと体力回復の要素は加えるつもりでいる」
毒を消しても、力尽きて命を失っては意味がない。
「素材はエルンドルフィアで充分だ。集めるのにも苦労しないだろう」
基本、どこの町でも売っているし、栽培している農家も少なくない。何ならサラダに加えられたりもする一般的な薬草だ。
「……それは最早、エリクサーと呼ぶのではなくて?」
「いや、魔力や神力は回復しないから別物だな」
「では準エリクサーとでも呼ぶべきね。製法をレシピ化して公開しても構わなくて?」
「構わないが……。作るのはあまり勧めないぞ。前提として、まずクアレの水を純粋に癒しの効果だけに分離させなくてはならない。魔力操作が雑な人間には難しいだろう」
別の効果が残っていると、当然そちらも濃縮される。下手な効果が残っていたらどうなるかなど自明だ。
「ざ、雑ですって?」
癇に障ったのか、トリーシアの声に険がこもる。
「雑な人間には、だ。お前がそうとは言っていない」
「……わたくしには、おそらくできないわ。やり方も分からない。つまり貴方からすれば、雑な人間ということになるのでしょう」
「否定はしない。見たところ、少し前のリージェよりもややマシ程度だ」
今はリージェの方が整っている。努力の成果だ。
「少し前……。では、今は?」
「比べるべくもない」
「……」
断言した俺に、トリーシアは眉を吊り上げたが、無言。腕組みをして、厳しい表情でこちらを見てくる。
「貴方が言うのなら、事実なのでしょうね」
「大人しいな。ダンジョン討伐のときは、リージェに抜かされたかもしれないと感じた途端にうろたえていたというのに」
「う、うるさいわね」
羞恥に頬を染め、トリーシアは抗議してくる。自分でも無様だった自覚はあるんだな。
「わたくしは有能でなくてはならないのよ。一度立った地位から引き摺り下ろされるようなみっともない真似は許されないの。庶民と違ってね」
「それはまた、息苦しいことだ」
俺には縁のない世界だ。そして永久に御免被りたい。
だがトリーシアが自身の価値を対外的に委ねている理由は分かった。貴族だかららしい。
「だから、わたくしにも教えなさい」
「断る」
冗談だろう。リージェ一人でも手に余る。これ以上他人に時間を使いたくない。俺の研究時間を何だと思っているんだ。
一段落したらリージェはその方法を人に伝えていくと言っていたが、駄目だな。納得しなさそうだ。
ここまでの言動からして、トリーシアがリージェに教わりに行くことはないだろう。
「講師として、相応の金額は払うわ」
「金は暮らせる程度には稼いでいる。研究時間を奪われるほどの利はない」
「……っ」
金にも権力にも用のない俺を説得する材料は、トリーシアからは出てこないようだった。唇を噛み締め、しばし逡巡したあと発された言葉は。
「は、伯爵令嬢たるこのわたくしが要請しているのよ!」
身分による強制だった。
「……」
貴族の命令、か。
「確かに、それは断れない奴だったな」
アストライトは王や貴族の権力が強い。平民はその意思に従わなければならないと法で明言されている。
まったくもって理不尽であり、面倒だ。権力者の目になんか留まるものじゃない。
「っ……」
俺がうんざりした息を吐くと、トリーシアからうろたえる気配がする。
権力者に近付きたい者なら、貴族から求められれば喜んで快諾するんだろう。トリーシアの周りはそういう人間ばかりだったのかもしれない。
と言うか、そういう人間しか自ら好んで貴族になんか近付かないな。当然だった。
「分かった。だが今は蜂の件が先だ。片付くまで待て」
「……ええ、そうね。勿論……」
そしてこの件が終わったら、アストライトを出よう。リージェとイルミナにだけは経緯を伝えようと思う。
あると思っていた猶予、あっさり消え去ったな。一人の横暴のおかげで。
「そういえば、俺はどこに泊まればいい」
「三階に客室があるから、そこを使ってちょうだい。案内するわ」
話が変わったことに、トリーシアはほっとした様子を見せた。
自分から持ち出した話だろうに。相手が快く思わないのなど予想に容易い。せめて覚悟ぐらい決めてから切り出せと思う。
呆れつつトリーシアの後について廊下を歩く。アトリエが並ぶ辺りからは、少し離れた場所に固めているようだ。
「ここを使って。他に質問はある?」
「いや。特には」
寝る場所があれば、今日の所は充分だ。
「そう。――では、お疲れ様。また明日、お願いするわ」
「ああ。お疲れ様」
案内を終えると、トリーシアはそそくさと立ち去った。気まずさもあるだろうし、夜中だというので外聞を気にしてもいるのかもしれない。
扉に鍵をかけ、中の設備を確認。広めのリビングと、奥に寝室と風呂場、という感じだ。
……軽く夕食だけは摂るか。
一日ぐらい抜いてもさして支障はないが、食事を取れる状況にあってあえて取らない理由もない。
小さめながらキッチンはある。しかし食材はない。基本は頼んで外から持ってこさせるんだろう。
三階に案内されるような人間は、おおむね地位のある奴なのだろうから。
一応、食料は自前でも用意してきてある。生きるのに必須であるものだ。確保しておかないと落ち着かない。
軽く焼いたベーコンをサラダと一緒にパンに挟み、適当な大きさに切る。腹を満たすだけならこれで充分。
ものの数分で完食する。あとは風呂に入って寝るだけだ。
何となく部屋の空気がこもっている気がして、窓を開けて外気を取り込む。
ああ、わざとである可能性があるか。蜂に入り込まれないように。注意しておく必要があるな。
適当に空気を入れ替えたら、大人しく閉め切ろう。明日もやるべきことは積み重なっている。
しかし本当に、蜂の目的は一体何なのだろうか。




