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フラスコの中の世界  作者: 瀬野 或
一章
4/7

幽霊少女 ②

幽霊という存在について、僕は世間一般的な知識しか持ち合わせていない。世間一般的な知識とは何処から何処までが世間一般的と言えるのか分からないが、テレビやネットで公開されている知識と過程するのならば、その程度の知識だ。だから、僕は心霊学者でもなければオカルトオタクでも無い。夏休みの特番で心霊番組があれば観る程度のミーハーだ。勿論、霊が視える、視えた、感じた…という類の力は無いし、これからも幽霊とは無縁の人生を歩んで行くのだと思っていた。


だが、どうだろう───?


僕の目の前には、幼さの残る顔立ちの自称幽霊と名乗る一学年上の先輩がいる。僕は、昼休みに吉野先輩に会った時に「今は時間が少ないから、放課後にまた来て欲しい」と頼まれ、こうしてまた保健室へと赴いたのだ。賢汰郎は今日もサッカー部の練習がある。だから一緒に着いてこれない。別に賢汰郎に着いて来て欲しいなんて微塵も思わないが、もし仮にこの人が本物の幽霊であるなら、一人より二人の方が安心出来る。でも、その心配はどうやらしなくて良いらしい。吉野先輩の隣には冴木先生がいる。ロリお姉さんと二人きりというシチュエーションを逃したのはとても残念だけど、今はそんな事を考えている場合ではない。吉野先輩の意図を聞かなければ、話は全く進まないのだから。


然し、話が始まるまで大分無言の時間が続く。僕は吉野先輩が言葉を発するのを待ち、吉野先輩は冴木先生が言葉を発するのを待ち、冴木先生は僕が言葉を発するのを待っているかのような、まるで奇妙な三角関係を築いてしまっているかのようだ。だが、痺れを切らしたのか、冴木先生は一つ咳払いをすると、この無意味な静寂に終止符を打った。


「吉野…君が話を進めないでどうする」


その表情は呆れてしまったかのような落胆の色を見せている。一方吉野先輩はと言うと、「えーっと、えーっと…そうだよね…」と口をもごもごさせながらも、まだ会話の糸口を探っているようだった。


これでは、ろくに話が全く進まない……。


「野口。君も何か質問は無いのかね?」


冴木先生が鋭い目付きで僕を見る。


「え?あ、いや…まあ、そりゃ有りますけど…」


「だったら質問したまえ。その為の場なんだぞ?」


改めて吉野先輩を見る。


吉野先輩は「うんうん」と頷きながら、僕の質問を待っているようだ。こうなってしまっては仕方が無い。僕は昼休みからの疑問を切り出した。


「吉野先輩は、本当に幽霊なんですか…?」


「そうだよ」


吉野先輩は意図も簡単に、それは事実だと断言した。


「だとしたら、なんで僕は吉野先輩を視る事が出来るんですか?僕は生まれてこの方、幽霊を視た事が無いのに……」


「それについては私が説明しよう」と、冴木先生が前に出る。


「もし私が〝保健室に幽霊がいるから〟なんて伝えていたら、君は吉野を視る事は出来なかったよ」


「こんなにハッキリと視えるのに…ですか…?」


「私が保健室に誰がいると明言しなかったのは、野口に〝保健室に誰かいる〟という先入観を持たせたかったからだ」


冴木先生は隣にいる吉野先輩の頭を優しく撫でながら、一呼吸置いて再び話し出す。


「霊と交信する際に重要なのが〝波長〟を合わせる事になる。世間一般的に幽霊が視える者というのは、その波長を幽霊に合わせているからだ。意識せずとも、ね」


この手の話はテレビやネットでも確認出来る。簡単に説明すると、テレビと同じなのだ。観たい番組にチャンネルを回すのと同じで、幽霊を視る場合もそのチャンネルを合わせるという事。


「だかは私は、野口と吉野の波長を合わせるように、敢えて野口に口外しなかった。君は〝幽霊は視えないが、いたら面白いかも〟と考えつつ〝でも幽霊なんて視えない〟と思っている口だろ?その場合〝幽霊は視えない〟という先入観が邪魔をして、吉野を視る事が出来なくなる…ここまでは大丈夫か?」


途中から『日本語でOK』と言いたくなる気持ちを抑えつつ、冴木先生が言わんとする事を理解しようと、僕なりに真面目に聞いた。


「つまり、僕に〝幽霊は視えない〟という先入観を無意識レベルで考えさせないように、わざと伏せたって事で間違いないですか?」


「そういう事だ。なんだ野口、やれば出来るじゃないか。勉強もそれくらい真剣に聞いてくれたら、多少はマシになるんだがな」


「そこには〝興味〟という概念が備わっていないので、それとこれとはまた別物です」


「ほう?つまり私の授業は退屈だ…そう言いたいのかね?」


笑っているのに笑ってないよこの人!!怖い!!それと怖い!!


「まあ、それについては後程たっぷりと聞かせて貰う事にして、今は吉野についてだ」


うわぁ…完全に地雷踏んだじゃんこれ…。


「え、えっと…今までの話は何となく理解したんですけど、どうして僕なんですか…?」


僕が一番引っかかっているのはそこだ。何故僕だったのだろう?別にそこは賢汰郎でも良いし、何ならその他大勢でも良いはずだ。


「それについては、私が説明するね?」


今まで沈黙を守っていた吉野先輩は、一度優しく微笑み、直ぐに真剣な趣になった。


「野口君は気付いていないようだけど、野口君は〝視える人〟なんだよ。確かにこの学校には霊感の強い人もいるけど、私と一番波長が合う人が野口君だったの」


「・・・・・・」


それは、なんと言うか…素直に喜ぶべき事なのだろうか?いや、寧ろ幽霊と波長が合うなんて、喜ぶべき事ではない気がする。相手は死者、もうこの世界に存在しない者だ。存在してはいけない存在だ。そんな存在に関わる事は絶対に危険だろう。


そうだ、絶対に危険だ──────。


まだ吉野先輩を幽霊と信じた訳では無い。でも、本当に幽霊だとするなら…と考えた時、背中に寒気が走った。きっと、僕はこの場にいてはいけない、その思いが次第に強くなって来る。


「───やっぱり、怖いよね」


吉野先輩は僕の顔を見ながら、寂しそうに微笑む。

どうやら、僕の様子を見て察したようだ。


「吉野先輩は、その…本当に幽霊なんですか…?」


改めて確認をしてみる。


「うん。そうだよ」


やはり、即答だった。


「でも、こんなにハッキリと視えるものなんですか?幽霊って、ほら…半透明で、長い髪に白いワンピースを着て…ってイメージが強いんですけど、吉野先輩はあまりにその…幽霊らしくないと言いますか…」


「君が言っているのは〝心霊〟の事だろう」


「心霊?」


聞き慣れたワードだ。心霊写真、心霊現象…心霊が冠となる言葉は幾つかある。だけど、冴木先生が言っている〝心霊〟は、僕の知るソレでは無い気がした。


「この世には二種類の霊が存在する。それが〝心霊〟と〝霊魂〟だ。心霊というのは〝心を失い我を忘れた悪霊〟で、霊魂というのは〝心を失う前の意識を持つ霊〟だ」


「ちょっと待って下さい…そんなファンタジックな話をされても、理解しろなんて無理ですよ!?それに心を失うって…死んでるんですから既に失ってるじゃないですか!?幽霊なのに心を失ってないってどういう事ですか!?もしかして幽霊って最初は三機あって、落とし穴や敵に当たると徐々に減るシステムなんですか!?」


「私はマ〇オじゃないよ!?」


すかさず吉野先輩がツッコミを入れた。おお、なかなかやりますな……。


「……まあ落ち着きたまえ。それについてもちゃんと説明する」


冴木先生は僕を宥めて、またゆっくりと話し出した……。


「人間は死んだら天国や地獄に行く…という話を聞いた事があるだろ?だが、この世に未練を持つ者は成仏出来ない。成仏させるには、その人の〝心〟を見つけ出す必要がある」


冴木先生の話を要約すると、こういう事だった。


悔いを残して死んだ人間は〝心〟と〝魂〟が分かれて〝霊魂〟という存在になる。霊魂となった者は、自分の心を見つけるまで成仏が出来ない。そして、もし心を見つけられずにずっと彷徨い続けると、魂が穢れていき、その果てに〝心霊〟という悪霊のような存在になってしまう…という。そして、厄介なのが〝霊魂には自分の心を探しに行けない〟という事だった。


「え…?それじゃあその〝心霊〟っていうのになるまで待つだけって事ですか?」


それには吉野先輩が答えた。


「正確には〝探しに行ける霊〟と〝行けない霊〟が存在するの。野口君は〝地縛霊〟って聞いた事ある?」


地縛霊…その場に留まり、ずっと縛られ続ける霊…という事以外の詳しい事は知らない。


「地縛霊は、強い念によりその場から動けなくなった霊で、そうなると霊は自分の心を探しに行けないの。行こうとしても、その場に縛られてしまうから…。探しに行ける霊は〝浮遊霊〟と呼ばれる霊。浮遊霊は一定の場所に留まらず、空気のように様々な場所を彷徨い続ける霊。こうやって聞くと浮遊霊の方が良いって思うかもしれないけど、何も良い事なんて無い。浮遊霊だって帰る場所が無いし、もうこの世には存在出来ないから…」


「そう…ですよね…。でも、浮遊霊は自分の心を探しに行けるだけマシな気がしますけど…」


「だが、そう楽観視出来る事ではない。結局、自分の心を見つけ出す事が出来る霊は一握りだ。それこそお釈迦様が蜘蛛の糸を垂らすような奇跡と言ってもいい」


冴木先生は険しい顔でそう呟いた。


「心霊になった霊は、恨み、憎しみ、悲しみを膨らませ、生者に害をもたらす。自分の事すら忘れて、ただ負の感情に身を任せ行動するのだ…悲しい世界だと思う」


「そ、それじゃあ…心霊の末路ってどうなるんですか?」


先程よりも重苦しい空気が保健室の中を蹂躙するかのように、僕ら三人を襲う。それはきっと、生や死という最も身近にあり、最も遠いものが視えてしまっているからかもしれない。

率直に言うと、それは恐怖なのだろう。得体の知れない世界に僕は、一歩近付いてしまっている…そういう感覚が僕の表情を強ばらせた。


何となく発した『末路』という言葉が、やまびこのように僕の頭の中を目まぐるしく巡り、真っ暗で光も無い、それこそ救いさえ無い結末を迎えるのかもしれないという推測を導き出した。


そして、その推測は無慈悲にも、正解という無味無臭で絶対的な権限を持つ言葉で冴木先生が紡ぐ。


「消滅、だ……」


消滅するという事は、仏の導きも無く、神の救いもそこには存在しない。輪廻の理から外れ、無かった事になる…という事だろう。


誰もが死んだら『天国』や『地獄』に行くと思うだろう。いや、それこそ『無になる』と考える人もいるが、僕は輪廻転生を信じたい。獣が土になり、若葉を芽吹かせるように、氷が溶けて蒸気となり空へ回帰するかのように、屍がまた新たな生命を生むように。だが、消滅は違う。消滅は何もも生み出さない。土になる事も無ければ、雲になる事も無いし、新たな生命を生み出す事も無いのだ。


「痛みや苦しみから解放される…と考えれば、消滅もまた救いなのかもしれないが、私は出来るなら成仏させたいと思う」


「そうですね…消滅なんて、悲しいです…」


そんな時、ふと吉野先輩と目が合った。


「吉野先輩は、大丈夫なんですか?」


「私は───」


言葉に詰まってしまった。きっと「大丈夫」と言いたかったのだろう。然し、これまでの話の流れでその答えを発するには、非現実的過ぎる。


「吉野の残された時間は、あまり長くない」


代わりに冴木先生がそう答えた。


そうだろうな…死んでしまった以上、心を見つけ出す事が出来なければ、心霊となり、消滅してしまう運命なのだ。大丈夫なはずがない。


「そこで、だ───」


今度は冴木先生が言葉に詰まった。きっと、伝えにくい事なのだろう。だからと言って、その言葉の続きを聞かない訳にはいかない。僕は、その言葉の先を待った。そして、冴木先生は意を決したかのような趣で、僕の目を見る。


「野口、君は吉野の〝依り代〟になって欲しい」


何か、とてつもなく嫌な予感が、僕の五感を刺激した───。

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