中編 現在時 第5話 不可視
アパートの階段を上る。
その際に、それぞれの部屋の壁に設置されているポストを確かめる。
沢山の封筒が差し込まれていたり、ほこりまみれになっていたりと一つ一つ変わっている。
僕のポストには二枚封筒が差し込まれていた。広告とかたまったら捨ててるからこのアパートのうちじゃ綺麗な方。
宛先人は2つともちゃんと僕になっていて、差出人が一つは裏戸可憐、二つ目は……書いてない。
……まさか、犯人からの脅迫状だったりしてね。
『もう、あの娘に近づくな』とか書いてあったりするんだよ。あれ、その場合僕が悪者……?
と、どうでもいいことを考えながら手っ取り早く鍵を開け、中に入る。
家に帰ると、部屋がとても涼しかった。
「あー、……生き返るー」
……ん?
あれ?、……今って、夏だよな……?
外はとんでもない猛暑。エアコンでもないとこの涼しさはあり得ない。
…つまり、僕の部屋のエアコンを、僕の宝物を勝手に使ってる奴がいる。万死に値する。
というか、シトミだった。
「あ、お帰り兄さん。」
シトミは僕の残しておいたとっておきのアイスを租借しながら『エコに学び、エコを実践』だとかいうバラエティー番組を見ていた。
……くそぅ、あのアイス三百円したのに!!
ハーゲン○ッツなのに!!
家計が、家計が圧迫される……。また日雇いのバイト探さなきゃいけないのか僕は!?
「ただいま……」
正直、ローテンションにならざるをえない。
……いや、逆にこんな状況でハイテンションとかどんなドMだよ…って話だ。
と、悪の権化を睨み付けながら考えていたのだが、突然背中に悪寒が走る。
「おおう、なんかこの部屋寒すぎないか……??」
「そう?」
と、すっとぼけるシトミ。
あっはっは!!
……地獄(猛暑)に追い出すぞコノヤロウ。
玄関では丁度いい涼しさだったが、エアコンの近くに来ると涼しいより、寒くなってきた。
ブルブルと震えながら。エアコンのリモコンを確認すると設定温度は19℃。
なにそれ、全然エコじゃないんだけど……。
電気代もバカになんないし。
あと、さっきからエコが題材の番組見てうんうん頷いてるけど君はそれで何を学んでるの?
疑問に疑問を重ねながら。一応エアコンの電源を切る。
「ちょ、あついー」
アイスを振り回しながら抗議するシトミ。ちょ、やめ、汁が飛ぶ!
お願いだから、畳に落とさないでくれ!!
「我慢しろよ……。お前はもう小学生じゃないだろう?」
あえて落ち着いた態度で僕は語った。 こんなことで、シトミが落ち着くとも限らないが……一応ね。
同時に、ちゃぶ台などに残った汁を綺麗に布巾で拭いてから、座布団に座る。
「あのなぁ、お前。もう何歳だよ…?こんなこと、するのはおかしいって分かるだろう?」
「……う、」
少ししょんぼりするシトミ。僕も他人が悲しむ顔を見たくはないが致し方ない。僕にとっては電気代も大事なのである。
しかし、そんな考えも無用だったようで、数秒経つと彼女はけろっといつもの顔になっていた。
「……でも、童心を忘れちゃいけないってアタシ先生に教えられたよ。」
「限度があるつってんだバカヤロウ!!」
何が童心だよ。皆が皆、童心イチイチ思い出してたらこの国破滅するわ。
「…それにしてもさー、童心とかどうとか言ってるけど、大人と子供の境界線ってどこなんだろうね。子供の頃の事を思い出すのはやっぱり大人になってからでしょ?」
「いきなり、すごいことを話題にするな、お前は……」
さっきまで童心を忘れちゃいけないって言ってたのはどうしたんだよ。
まぁ、しょうがない。こっちは年長者である。話に付き合おうじゃないの。
「そんなの、成人してる人のことだろ?……だから十九歳と二十歳の間が境界線なんじゃないのか。」
「いや、でもさ。成人してる人でも子供みたいな人いるじゃない?……自分が盗撮した画像をブログに張ったりする人とか。」
それは……子供みたいなじゃない。底が浅いだけ。いや、しかしそういうのが子供っていう節もあるな。
「二十歳は基準なだけだろう。二十歳は成年だから社会的な判断が出来るお年頃です、みたいなさ。」
「まあ、成人はいろんな事が解禁されるからね。」
タバコとか、お酒とか、車とか、選挙権とか。成人が大人な判断が出来るという基準で物事は進められている。
ホントに正式な下せるとは別としてだが、
「大人しいって言葉あるじゃん。それも多分大人らしいから来てると思うんだけど、物静かなという意味合いに使われることが多いよね。逆説的に大人は物静かな者なんじゃないのかな?」
「物静か、というのは物事を達観してるようなイメージもあるよな。」
ということは、つまり、この社会というものを形作ってきた大人はどういう者なのだろう?
僕にはけして物静かなイメージがあるようには思えない。裏戸はアイツラに裏切られた。大人に。
それを理解しているからこそ。僕には大人が立派な存在には見えない。
ひしめき合って、押し付けあって、共にナゲキ、共にワラウ。それを行うだけの存在にも見える。
「まあ、どちらにしろ大人という存在は面倒だよ。」
「そうだよね。やっぱりか。思った通りだ。」
そんな言葉を呟いた彼女はどこか空虚な落胆したような口調で、アイスを食べた後のゴミをゴミ箱に放り投げた。
夢を見た。
どこまでも続いていそうな真っ白な空間。先なんかとても見えない。
その空間の中の僕は服を着た男という存在だった。
これがゲームだったなら。何かしら終わりや条件があるんだろうが、ヒントなんて物は見つからない。
歩くしかなかった。
僕の選べる選択肢は、その真っ白な空間をただひたすらに真っ直ぐと進むことしかない。
――一歩進む。唐突に眠気が襲いかかってきた。
――二歩進む。腕、足に重りがかかったような気分になった。
――三歩進む。体全体に、痛みが走る。まるで何年も前に負った傷が開いたかのようにもどかしい痛みが僕を襲う。
――四歩目は、進めなかった。体が痛くて痛くてしょうがない。動くのもダルい。
きっと、僕には四歩目は進み得ない。幾ら月日を重ねて、この痛みに慣れたとしても、四歩目に何が起こるかわからなくて、怖くて、進めない。
そして、考え直した。
進めないことは悪いことなのかを、停滞することは悪なのかと。
でも、この世界に多分悪や正義はない。
それは僕がいたあの世界でも一緒で、それならば、悪はずっと誰なのか。僕にはずっとわからない。
目覚めると朝だった。
窓から見える空はまだ黒くて、単純に夜だと思った。
「兄さん。」
立ち上がると後ろから声がかかった。僕を兄さんと呼ぶ人物はただ一人。 声のする方へ顔を向けるとそこにはシトミがいた。
シトミは僕の部屋の合鍵を持っているので、家にいることは不思議ではない。
「なんでこんな時間に。」
しかし、今は夜遅い時間。こんな時間にシトミが来るのは初めてのことである。
「泊めて。」
彼女は泣きそうな顔で僕に一言、言い放った。
突然だが、アンケートをとりたい。
この頼み、断れるか、断れないか。
多分だが『断れない』が90%を越えると思う。これを断れる人は多分ゲイだと思う…。
僕には、ベットを彼女に渡すしかなかったのである。
その後、シトミはなにをするわけでもなく直ぐに寝てしまった。
後日、話を聞くと、
どうやら、家出というものをシトミは行ったらしい。
親と喧嘩したんだそうだ。それは何故か、順を追って説明していこう。
シトミは思春期真っ只中。まあ、だからあんな世界がつまらないなんてことを言い出したのではあるまいが、なにかと親に頼りたくない時期だったのだろう。
しかし、両親はそんなシトミを見て世界は面白いとか君は幸せなんだとかそういうことを教えたのである。
それにシトミは両親にこんなことを言ったのである。
「つまんな。」
と返し、世界がどれだけつまらないか、両親を論破してしまったのである。父さんは黙り、母さんは号泣。
そして、居心地が悪くなったからここへ逃げ出してきたというのだ。
諸君、幸せとはなんだ?
言っちゃあなんだが、これはただの自己満足だ。
百円が道に落ちてたとする。それをラッキーととるかとらないかは個々によって違うだろう。ある人は百円見つけてラッキーかもしれないし、交番に届けなければいけないからラッキーではないととるかもしれない。一見幸せそうに見える状況でも誰かが満足しなければ、それはその誰かにとってそれは幸せではないのだ。
故に自己満足。
そして、世界がつまらないのは本当の事だし、それで論破できるのもなんらおかしなことではない。
ただ、まあ……そうやって自分を誤魔化しでもしなければ、人は生きていけない。
世界はつまらないとかそんなことをずっと考えていたら、人間いつの間にか壊れてしまう。
ず、ずざざざざ……
『失敗』『失敗』『失敗』『失敗』『失敗』『失敗』『失敗』『失敗』は変えられない。それは決定事項だ。
ず、ずざざざざ……
「変な奴だ。」
そんなことはない。それは違うだろう?
この世に失敗なんてない。あるのは結果だ。
てめぇは、まだ足掻けるだろう?
そのために最上の結果を求めることは悪でもなんでもない。
世界がつまらないというのは正しい。
それでも、それを誤魔化して生きていくのは正しい、のかは分からないがきっとそれは悪ではない。
そんな考え事をしながら、机に残る教科書を片付ける。
場所は僕が所属するクラス一年B組。時間帯としては昼休み。
「すみません。もう机を付けて良いですか?」
クラスメイトは両手に近くのコンビニで買ってきたろうパンを抱えて僕が昼食を用意するのを待っていた。
「ああ、ごめん。」
と小さく頭を下げてさっさと鞄から数個のパンを取り出す。
クラスメイトはそれを確認して、僕の前の席に座る。
そして、メロンパンのパッケージを破り、中身を取り出す。
「そういえば、行ったんですか?……前話していた女性のところ。」
「ああ、行ったよ。」
――ついでに、僕が今彼女に害をなした(?)犯人を探すことを手伝っていることを話した――
「へぇーついにお家に通うまでの仲になったんですか。そうですか。……腐り落ちてもげればいいのに。」
どこの部位か超不安。変わんないなー、我が同級生。主に目の凄みが。
クラスメイトはどこか軽蔑するような目でこちらを睨み付けながら。ふぅ、と息をつく。
「大丈夫なんですかね、それ。」
「え、何が?」
「犯人探しなんていう事件に巻き込まれて、ですよ。いえいえ、貴方がとても暇だということは分かります。毎日言っているのですからね。しかし、貴方は面倒事も同じくらいに嫌だった筈では?」
「ああ、そうだね。」
『面倒だな』
それが僕の口癖だ。今後とも事あるごとにちょくちょく使われるワードなるだろうが、きっと今それを使うのはおかしい。
僕が『面倒だな』なんて言葉を使うのは世界に呆れるためじゃない。
「でもさ、つまんなくてもさ、面白くなくてもさ、世界ってやつは十分劇的だよ。結構分かってきたんだ。この世界がどれだけつまんないか。幸せなんてものは自己満足だって僕にも解ってるんだよ、『シトミ』」
ビックリしたんだよ、僕はこの学校にお前が転校してきた時は。
なんてやつだ。お前は。すげえよホントに。なんで、海外で飛び級してこんなカスみたいな高校来てんだよ。お前みたいなすげえ奴僕は見たことないんだよ。家事もできて、頭もよくて、可愛くて、血も繋がってないんじゃないかと思うくらいに僕と顔が似てなくて、、大人が…世界がどういうものか悟って、他人みたいに、何もなかったみたいに振る舞って、全然…お前はそんなのと違うじゃねぇか。
なのに、なんでそんなに『つまんな』くなったんだよ。
「……だから、期待しろ。世界が面白くないんなら未来に期待しろ。そして、平凡な今に絶望しろ。その分訪れたもんは幸せに見えるからさ。」
「そっか、」
机に手をつく。顔は下げられる。それはそうか、こんな斜め下な説得ないもんな。今が幸せだと誤魔化せないなら、逆に今を不幸だと考えればいい。とか、そんなもの救いじゃない。ただの衰退だ。
要するに僕は彼女に些細な事でも幸せを感じられるようにバカになれ、と言ったのだ。
おかしい、おかしいな。笑えてくる。バカみたいな兄妹だ。
それでも、兄妹なんだから。傷をなめるくらいならしてやると決めてるんだよ。
呆然と他のクラスメイトが僕らを見守っていると。シトミの肩がプルプルと小刻みに震えているのが解った。
「ふ、…くふふ、あっはははははははは!!」
笑っている。シトミが笑っていた。腹を押さえて、目尻に涙ためて、笑い泣きしてやがる。
「ホント兄さんバカだなぁ……なんで、そんなこと妹に言うの、マジで最低だよ……あはははは!!」
本当に最低だとか思ってるんだろうかと思うほどに軽快に笑うシトミ。
「いや、なんというか……その…」
うまく口で説明できない。妹が悩んでたからその悩みを解決してやろうと思いました。とか口が割けても言い出せない。だって他のクラスメイトの方々滅茶苦茶こっち見てるしさ。
「いいよ、言わなくて。ありがとう、助かったよ兄さん。アタシも自殺なんかしたくないし、そこまで人生捨ててなかったけど、死にたくなるときはいくらでもあった。だから、いつかこの世界と折り合いをつけなきゃならないなんてことは分かりきってた。でもね、ずっと分かんなかったんだ。どうすれば、世界と折り合いつけられるのか。考えても、答えなんか出なかったよ。だから……ありがとう。」
ついに滝のように溢れた涙はボタボタと机に貯まっていく。
「アタシもうちょっと頑張ってみるよ。だからさ、その人の事助けてやってね?」
人差し指で涙を拭いながら僕の肩をバンバン叩く。
僕は肩の衝撃にうんざりしながら、
「ああ、解ったよ約束する。」
と言った。
キンコーンカーンコーンとチャイムがなる。昼休みはもう終わったらしい。
それでも、まだまだ僕らの日常は続いていく。
だから、僕は四歩目を踏み出すことにした。




