さぁ、選べ!選択肢は「真の地獄」と「微妙に地獄?」の二者択一
私はいつのまに眠っていたのだろう。
体中が嫌な汗で気持ちが悪い気がするのは現実だろうか。それでも私はシャワーを浴びるよりも、このまま死んだように横になっていたかった。
強い風の音とそれに建物がギシギシ揺れている音がする。だからこれはたぶん夢なのだろう。だって鉄筋コンクリートの私の家でそんなことありっこないんだから。
「大丈夫か? しっかりしろ」
不意に至近距離から、聞き覚えのある声が聞こえる。
ああ、やっぱりこれは夢だ。
「チカ! 」
ほら。彼は私を「チカ」なんて呼ばないもの。
きっと目を開いたら終わりだ。
甘い誘いに目を開いた途端、あの悲惨で悪趣味な現実に突き落とす気だ。
「チカ、頼む。目を覚ましてくれ」
酷いな、そんな必死そうな声を出して。でも駄目。
私はこの幸せな夢の中にいられるだけずっといたい。
「わふっ」
次に聞こえたのは大好きな愛犬の声。
思わず目を開かないように注意しながらも愛犬の姿を求めて手を彷徨わせた。しかし、そんなことをしてもただ空を掴むばかり。
そして、とつぜん静かになった。
夢は・・・・・・もう終わってしまったのだろうか。
次の瞬間、離れた所からミシリと床が軋む音が聞こえる。
あ、まだ終わってないと喜んだ次の瞬間、
「グレン・フェルトン! 死になさい!」
憎悪に満ちたような女の声が響く。
私はびっくりして咄嗟にベッドから飛び起き傍らの人影を庇うように立つと、驚いた事に斧を構えた金髪の美少女と対峙していた。
うっかり鷹時代の癖で、戦えもしないのに武器を持つ相手に立ち塞がると言うこの間抜けぶり。それにしてもこの少女は誰だろう。
「え~っと? フーアーユー?」
この状況は何だろう。そこは木で出来た山小屋のような場所だった。
窓の外は夜のように真っ暗で部屋から洩れる薄明かりが強風に揺れる花畑を映しだしていた。
美少女は呆れた顔で構えていた斧を下げる。
「情けないわね、騎士のくせに。女の子に守ってもらって、格好悪~」
うん、日本語だ。
それに私の質問はまるっと無視されてしまった。
ん?騎士?そうだ、グレンさん!それにグレンも?!
そう思って、振り返ろうとすると後ろから抱きしめられる。
「・・・チカ、戻ってきてくれて良かった」
なぜかグレンさんの声は震えている。
この美少女が恐かったのだろうかと一瞬考えたが、そんな筈はないなと打ち消す。
「グレンさん?あの、どうしましたか? 」
しかしグレンさんはぎゅっと抱き付いたままで答えない。
どういう状況なのか、正直全く分からん。
でも不思議だ。なんでこんなに安心するのだろう。
先刻父親が馬乗りになってきた時は、恐怖と嫌悪しか感じなかったのに。
そこまで考えて、自分がびっしょりと汗をかいていたことを思い出す。
「ち、ちょっと、グレンさん? 今、汗をかいてるのでちょっと放してくれませんでしょうか? 」
ニオイとか気になるし。
だけど一向に放すどころか強く抱きしめられて、焦ってジタバタと暴れる。
「オスワリ!」
今まで呆れた目で見ていた美少女が、苛ついたように斧をグレンさんに向けた。
すると、抱き付いていたグレンさんの影は段々ぼやけて、よく知っている犬の姿になる。
「きゃぁ~、グレン!! 」
久しぶりに見る愛犬の姿に私は思わず飛びついた。ピンと立った耳、ちょっと固い灰色の被毛、そしてグレンさんと同じ紫色の瞳。
ギュッと抱き付くのは私の番だった。
「知らないの、チカ? 犬は人間の嗅覚の100倍って・・・」
美少女のその冷静な言葉に慌てて、グレンとの距離をとる。
「グレンさんがグレンだったんですか?」
その質問に美少女がビシっと人間の姿に戻ったグレンさんを指さし答える。
「そうよっ! 可愛らしい動物の姿を良いことに、無垢な乙女のベッドに潜り込む変態野郎なのよ! 」
「ち、違うだろ!断じて・・・」
焦ったようにグレンさんが異議を唱える。
「分かってますよ、グレンさん。嫌がるグレンさんを無理矢理ベッドに誘ったのは私ですし」
そう彼は断固として最初一緒に寝ることを拒んでいたんだから。そう思って助け船を出すと、美少女は意外そうに目を見開いた。
「へぇ、やる~♪ あなた意外と積極的なのね」
「ちがっ、そう言う意味じゃなくて」
彼女と意図に気付いてすっかり赤面した私は否定の言葉を紡ごうと慌てる。グレンさんはそんな私の背中を宥めるようにポンポンと叩きながら「コラ餓鬼のくせに、チカをからかうな」と苦言を漏らす。
それに美少女は「誰が餓鬼ですって~! アンタ自分の立場分かってるの?」と怒りで真っ赤になった。
そんなこんながあって、ようやくお互い冷静に話し合えるようになったのはしばらく経ってからであった。
「それでここは夢の中みたいな世界と言うことでいいんですか? と言うことは、今現実の世界で私はどう言うことになっているんでしょうか? 」
震える手を握りしめ恐る恐る尋ねた。ここは私の現実逃避の世界なのだろうか。欲望に満ちた目で自分の大腿に触れた感触を思い出しブルリと震える。そんな私を見て、頼りになる逞しい腕が優しく肩を抱いてくれた。
「安心して、向こうの世界の時は一時的に止めてあるから」
そう言って私を見る少女の目は先程とは一転して慈愛に満ちたものだった。
「でも、ずっと止めて置くわけには行かないの。酷だとは思うけど貴方には選択して貰わないといけないわ。チキュウ……ニホンに戻るか、この駄犬騎士のいる世界アブサンティ―ンで暮らすかを」
え?
私は思わず彼の方を見ると、グレンさんは真剣な目で私にうなずく。
これは結構な究極の選択ではないだろうか。
つまり父親に犯されその後の人生を歩むか、異世界で鷹としての一生を過ごしていくという。考え込む私を見て、グレンさんは苦笑いを浮かべ優しく残酷な言葉を紡ぐ。
「何もこちらに来たからと言って俺に縛られる必要はないぞ。チカのやりたいようにやっていい。こっちに慣れてきて、いつか誰か想う奴が出来たら離れていくとしても我慢する。チカが俺を必要としてくれる限りは喜んで助けると約束しよう」
その発言に私は俄かに眉根を寄せた。
想う奴って、鷹でって事? あり得ない。昔テレビで男の人の頭の中は女にとってまるで異星人だと言っていたが本当なのかも。グレンさんは男の人だから一生鷹として生きよと言われても、「飛べる! ヒャッホゥ!」ぐらいの気分なのかもしれない。それに、いずれ想う人が出来るのはグレンさんの方なのに。
「確かによく知らない世界は怖いと思う。しかしあの状況でニホンへ戻るなんてやめてくれ。頼む、俺から離れるにしてもチカには絶対幸せになって貰いたいんだ」
勿論私だって、あの窮地に陥るのは嫌だ。
それに出来ればグレンさんの顔を毎日見たい。グレンさんの笑った顔も困った顔も、自信に満ちたドヤ顔も大好きだ。鷹としてグレンさんと過ごした日々も、犬のグレンと過ごした日々もすごく楽しかったけれど、一生鷹の姿のままで幸せといえるのだろうか。
「俺は今、夢でも現実でもどこを探してもチカにいなくてすごく寂しい。出来ればずっと一緒にいたい。ベッドの裏のメッセージを発見したときの俺の気持ちが分かるか? 」
男の人って本当にズルい。
ベッドの裏って、あのストーカー紛いの嘴で彫ったメッセージのことだろうか。アレは、あっちの文字で使える文章の語彙が少なかったからああなっちゃった訳で。
「あんな熱烈な告白をしておいて…「重い!!」」
グレンさんの言葉は、冷めた目つきの少女の一喝に遮られた。
「重過ぎるわよ。老い先短いオッサンが惨めったらしい」
「・・・・・・オッサンだと。俺はまだ20代だ」
ショックを隠せないグレンさんに、先程の意趣返しとばかりに少女がフフーンと鼻を鳴らして胸を張る。
「十分オッサンじゃない」
また始まってしまった二人の言葉の応酬を余所に私は脳を絞り冷静に考えた。
私が望む限り、向こうではグレンさんに世話をしてもらえること。
しかしずっと鷹として生きて行かなくてはならないこと。
つまり愛し愛される誰かと寄り添い生きていくことは不可能なこと。
ただし、大好きなグレンさんの傍にはいられること。
しかしそれは一生報われない想いであるという事。
それはかなり辛い事であるに違いない。しかしそのうち鷹として過ごしているうちに野性に目覚め、意外と楽しくやれるかもしれない。日本に残り、あの男との今後を少しでも考えようものなら酷い吐き気がした。とても楽しく生きていける自信が無い。
「チカ、大丈夫か。顔色が悪い」
気が付くと、心配そうな表情でグレンさんが私の顔をのぞき込んでいた。
「・・・・・・行く。私グレンさんと一緒に行く」
そう言うと、グレンさんは安堵した顔で私を抱きしめた。
「そうか。チカの生活と安全は俺が保証する。安心して欲しい」
優しい温もりに甘え、将来の不安にはとりあえず蓋をすることにした。
そうだ、取り敢えず凄く役に立つ優秀な鷹になってグレンさんの相棒として自分の居場所を確立しよう。前向きな目標を立てて、人としては最後かもしれない抱擁に応えて彼を抱きしめ返した。
「ストップ! ストップ! 」
その空気を破ったのは、存在を忘れかけていた金髪の美少女だった。
恥ずかしいことに私はすっかりバカップルのように人前で抱き合っていたのだ。
でも、最初で最後なんだからもうちょっと知らんぷりしてくれても良いのにと恨みがましくも思う。
「そう言うことは後で好きなだけやって頂戴。チカはニホンを捨て、アブサンティ―ンへ行くと言うことで良いのね? じゃあ、早速儀式に取りかかるわよ。正式にチカがアブサンティ―ンの民として生きていけるように。クライヴ、お願い! 」
少女の呼びかけと共に、辺りが眩しく光り出し室内に強い風が吹き込む。その風にスカートと髪が激しく踊り、眩しさに何も見えない中、私は必死で目の前の存在に抱き付いた。この手を少しでも離してしまったらもう一生会えない気がして。




