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第二十二話:『剥き出しの真実、あるいは未来を拒む鏡』

現代の東京という、冷徹な機械仕掛けの街。そこでありふれたコンビニのレシートを握りしめ、最後まで「一人の人間」として生き抜いた石田徹也の魂を見送ってから、リリの笑顔にはどこか確かな芯が通っていた。

「私、もう世界のパーツになんてならない。私の足で、ちゃんと生きていくよ」

 骨董店『遺品閣』の帳場で、温かいほうじ茶を淹れながら微笑むリリ。しかし、その前を向いたばかりの健気な決意を嘲笑うかのように、現世うつしよの境界は再び不穏に歪み始める。


夕暮れ時、店に持ち込まれたのは、ある大学の心理学研究室の倉庫から見つかったという、煤けた一通の茶封筒だった。明治の消印。驚くべきは、その封筒が太い麻紐で何重にも縛られ、怪しげな赤黒い「ろう」で厳重に封印されていることだった。


「これ……なんだか、すごく冷たい」

 リリが差し出された封筒に触れ、湊がその上から手を重ねた――瞬間。

 パサササッ! と乾いた音が響き、骨董店の視界がぐにゃりと反転した。

 瞬時に消え去る帳場。現れたのは、煤けた電球が怪しく灯る、明治期の陰惨な「大学の公開実験場(講堂)」だった。すり鉢状に配置された無人の木製ベンチ。しかし、空間全体から「嘘つき」「ペテン師」「証明してみせろ」という、数千人もの群衆の疑心暗鬼が混ざり合った幻聴のノイズが、濁流となって押し寄せてくる。


「来ないで……! 近寄らないで……!」

 講堂の中央、白木づくりの古風な机の前に、着物姿の若い女性の迷霊が立ち尽くしていた。ひどく肩を震わせ、両手で自らの目を覆っている。彼女こそ、明治の日本を千里眼騒動の渦へと巻き込んだ悲劇の超能力者――御船千鶴子だった。


「呪符を展開します! 道徹、下がって!」

 異変を察知し、即座に美晴が結界を張る。道徹もまた、影から怨念を喰らう黒怨の糸を伸ばした。

 だが、千鶴子は顔を覆っていた両手をゆっくりと離し、その虚ろな、しかしすべてを射抜くような瞳で、そこにいる者たちを真っ直ぐに見据えた。


「無駄よ、陰陽師の娘さん」

 千鶴子の唇が、静かに動く。その瞬間、美晴が放とうとした呪符の術式が、展開される前に内側から霧霧と霧散した。

「あなたの術の構造なかみも、次に打とうとする手も、その指の動き一つで全て『見えて』しまう。……それだけじゃない。あなたたちの心の、一番隠しておきたい泥の底まで、全部、全部透き通って見えるわ……!」


千鶴子は、冷酷なまでに澄んだ声で、まず湊とリリを指差した。


「そこのおかしな二人……。あなたたち、他人の振りをしているけれど、魂の根底に流れる『血の拒絶』が同じ色をしている。そう、四百年も昔の、浅井の……『江』という悲劇の母の濃い血脈が、あなたたちを現代ここへ引き寄せたのね。完子の血を引く末裔の男と、歴史の闇に人柱として葬られた初姫。血の繋がりが、あなたたちの能力を、呪いを響かせ合っている……!」


「な……ッ!?」

 湊が息を呑み、リリが恐怖に身体を硬直させる。誰にも明かしていない、二人だけの宿命の血脈。それを、初対面の迷霊が一瞬で見透かしたのだ。


千鶴子の千里眼(暴走)は、止まらない。彼女の視線は、次に防壁を張っていた美晴へと向けられた。


「安倍の血を引くお堅い陰陽師。規律だ、秩序だ、霊的危殆の監視対象だと自分に言い聞かせながら、その胸の奥にあるのは、この少女リリへのあまりにも不器用で、壊れやすい……そう、姉妹のような、いいえ。誰の手にも渡したくないという、独占したいほどの歪な『愛おしさ』。自らの職務を免罪符にして、この子を自分の隣に縛り付けたいだけ……。哀れな秩序ね」


「な、何を……無礼なことを……っ!」

 美晴の端正な顔が、かつてないほど真っ赤に染まり、激しく動揺して術の結界が大きく揺らいだ。


「くくっ、傑作だねぇ。お嬢様がそんな情念を抱えていたとは――」

 道徹が下品に笑おうとした瞬間、千鶴子の冷たい眼光が、今度は彼を捉えた。


「笑っている貴方も同じよ、蘆屋の呪術師。飄々とした仮面を被りながら、貴方が求めているのは救済などではない。貴方はただ、この少女リリが過酷な運命に傷つき、泥を啜りながらも、なお『生きようともがく醜くも美しい姿』を、特等席で眺めていたいだけ。それはただの悪趣味な、けれど誰よりも狂おしい『執着』……」


道徹の笑いが、ぴたりと止まった。トレードマークの薄汚い笑みが消え、その眼光に本物の「闇」が宿る。骨董店を支える四人の心の輪郭が、千鶴子の言葉というメスによって、容赦なく切り裂かれ、剥き出しにされていく。


「見たくもないのに……見えてしまう! 人間の嘘も、欲望も、醜い執着も! 誰も私を信じないくせに、私の裸を覗くように、中身を暴きたてる! 私を怪物にしたのは、あなたたちだ……!」

 千鶴子の絶叫とともに、上空から、何重にも麻紐で縛られ、赤黒い蝋で固められた「巨大な鉛の箱」がいくつも降り注ぎ、空間そのものを圧潰しようと迫り来る。


「くそっ……! リリ、下がれ!」

 湊は、術の乱れた二人の前に進み出ると、机の上の封筒を素手で強く掴み取った。強引な〈遺品感応〉。脳裏に滑り込んできたのは、凄絶な「真実の孤独」だった。


――生まれ故郷の熊本で、静かに人を癒やしていた純朴な娘。それが、大人たちの「超能力を証明して金と名誉を得る」という思惑のために東京へ連れてこられ、冷酷な学者たちや、群衆の「好奇の目」という暴力に晒される。どれだけ透視を成功させても「手品だ」「ペテンだ」と新聞に叩かれ、最後は、薄暗い部屋で一人、「こんな力、なければよかった。普通の人間として愛されたかった」と、冷たい毒を煽る――二十四歳の、あまりにも早すぎる孤独な死。


その瞬間、浅井の血脈を通じて、千鶴子の最期の絶望が、リリの魂へとダイレクトに突き刺さった。


「あ……、ぁ、ああ……っ!」

 リリは自分の両腕を抱きしめ、ガタガタと歯の根が合わないほどに震えだした。

 石田徹也編で「自分の意思で生きる」と言ったばかりだった。だが、目の前にあるのは、「人とは違う異質な力(霊能力)を持った人間が、社会の中でどう消費され、破滅していくか」という、最悪の未来の鏡だった。


(私も……普通の人じゃない。何百年も前の生霊で、普通じゃない霊力を持っている……。もし、現代の人たちに私の正体がバレたら? 千鶴子さんみたいに、実験台にされて、見世物にされて、最後は嘘つきって叩かれて……私の居場所なんて、どこにもなくなっちゃう……!?)


異分子は、社会に潰される。

「自分の色」を持てば持つほど、世界はそれを異物として排除する。その圧倒的な現実論が、リリの未来への希望を完全にへし折った。恐怖のあまり、リリの魂の輪郭がボロボロと崩れ始め、千鶴子の鉛の箱(絶望の檻)の底へと引きずり込まれそうになる。


「リリ――ッ!!」

 湊は、鉛の箱に押し潰されそうになりながらも、リリの手を、骨が軋むほどの力で強く握りしめた。

「お前は、千鶴子さんとは違う! お前の周りには、お前を道具にする大人も、バッシングする記者もいない! 俺がいる、美晴がいる、道徹がいる! 誰も、お前を一人になんかしない!!」


そして湊は、千鶴子の封筒へ向かって、読み取った未来の光を逆流させた。

 それは、明治の欺瞞ぎまんに満ちた実験ではなく、現代において彼女の悲劇が「時代に殺された、あまりにも純粋すぎた真実」として同情され、科学の先駆者として再評価されている歴史の光。そして――。


「誰も信じなくても……俺たちは知っている! あなたが確かに、命を懸けて真実を見ていたことを!」


湊の叫びと、四人の決して揺るがない「絆」の光が、千鶴子の千里眼を包み込んだ。

 千鶴子は、リリの手を握りしめる湊の姿、そして暴かれた秘密に動揺しながらも、なおリリを庇おうと武器を構え直す美晴と道徹の姿を、その目でじっと見つめた。


「……あぁ。温かい。誰も私を疑わない、私を利用しない場所が……未来には、本当にあったのですね……」

 千鶴子の瞳から、静かに涙が溢れ落ちる。

 その瞬間、空間を埋め尽くしていた鉛の箱が、パリン、パリンと美しい硝子の結晶となって砕け散り、講堂の幻影は、夕暮れ時の骨董店へと戻っていった。

 御船千鶴子は、最後にリリへ向かって、切なくも優しい微笑みを浮かべ、静かに彼岸へと成仏していった。


カサリ、と音を立てて、麻紐が解けた茶封筒がガラスケースの上に落ちる。

 店内には、いつもの静けさが戻っていた。


しかし――美晴も、道徹も、そして湊も、千鶴子に暴かれた「胸の内」の余韻に囚われ、言葉を交わすことができない。気まずい、重苦しい沈黙が帳場を支配する。


何より、リリの胸に植え付けられた「未来への不安」は、千鶴子が消えても、何一つ消え去ってはくれなかった。


「……湊さん」

 リリは、少し震える手で、新しく淹れ直した温かいお茶の湯飲みを湊の前に置いた。その瞳は、先ほどまでの明るさを失い、まるでいつ霧散してもおかしくない生霊の頃のように、深く、暗く沈んでいた。


「私……いつか本当に、『普通の人』になれるのかな。……もし、私のこの力がまた暴走して、街の人たちにバレちゃったら……私、やっぱり……」


千鶴子のように、化け物として消費され、居場所を失うのではないか。

 その消え入りそうな問いかけに、湊は明確な正解を出すことができなかった。現代社会は、優しいだけではない。異分子を排除する冷酷な側面を、彼らは今、目の当たりにしたのだから。


湊は何も言わず、ただ、静かに彼女の淹れたお茶を啜った。窓の外では、夜の帳が東京の街を灰色に包み込んでいく。リリの胸に宿った「異分子としての孤独」という暗い火種が、これからの過酷な戦いを予感させるように、静かに、しかし確実にくすぶり始めていた。


(第二十二話 了)

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