夜の続き
そろそろ戻ろうかという言葉に、一抹の寂しさを思えた。
明日になったらまた会えるのに、寂しいと思うのは不思議だ。
ディアス様は私を抱き上げて、星見台を降りた。
お城の中は寝静まっている。見張の兵士の方々が外にいるけれど、話し声は聞こえない。
「ディアス様……?」
大きな声をあげるのは気が引けたので、囁くような声でディアス様を呼んだ。
私の部屋を通り過ぎて、向かったのはディアス様の寝室だった。
壁には剣や盾が飾られており、大きな暖炉がある。
書架には兵法書の類が並んでいて、飾り気のない無骨な部屋はディアス様らしいものだった。
天蓋のある大きなベッドに降ろされる。シーツからはお日様の香りがした。
ディアス様と同じ匂いだ。
「ディアス様、あの」
「ウルフガードに来たばかりで、婚礼の儀式も終わっていないのに、俺と夜を共にするのは辛いだろうと思い、別室を準備した。だが、今は君を離したくない」
覆い被さるようにされると、ディアス様の金の髪がカーテンのように頬に触れる。
くすぐったさに眉根を寄せる。再び重なる唇は、驚きの方が優っていた初めての時よりも、柔らかく甘く、切なさが指先をじわりと痺れさせた。
私よりもずっと大きなディアス様が私の上にいる。けれど、重さは感じない。
私に体重をかけないように、気遣ってくれているの分かる。
その優しさが、嬉しい。
「ん……」
唇は、そっと触れて離れていく。
皮膚を重ね合わせるだけなのに、特別な親密さと愛情がそこにはある。
ディアス様の瞳が私を映している。空のように青色をしているのに、炎がともっているような熱を帯びている。
「君に、口づけることのできる幸運に感謝をしなくてはな」
「幸運に……?」
「あぁ。俺に会う前に、君は四葉のクローバーを見つけたと言っていた。その四葉は、俺に幸運を運んできてくれたのだろう」
「私にではないのですか?」
「君と出会えて幸運だったのは、俺の方だ。リジェ。君に会えて、よかった。君のおかげで、フェリオを失わずにすんだ。ニクスも、戻ってきてくれた」
髪に、頬に、唇が落ちる。
くすぐったくて恥ずかしくて、私は目を伏せる。
顔をじっくり見られているのがわかり、今は夜で、ランプのあかりに照らされてはいるけれど、そのほのかな灯りの中でよかったと思う。
頬が熱い。体も、熱い。
きっと、見せられないような顔をしている。
ディアス様は私の隣に横になると、ぎゅっと手を握ってくださった。
指が絡み合い、離さないようにきつく繋がれる。
皮の厚く硬い、無骨な手だ。ゴツゴツした指は、私のそれよりもずっと太い。
皆を守ってくださる立派な手に、ディアス様の努力を感じた
「ありがとう、リジェ。改めて、礼を言わせて欲しい」
繋がれた手の指先に唇が落ちる。
「私は、何も。……偶然が、重なって。運が、よかったのだろうと思います。それこそ、幸運です」
「その幸運は、君が掴んだものだ。ニクスの言葉が、どうして分かるんだ?」
「ディアス様に買っていただいた本に、書いてあったのです。幻想動物の本に。彼らは幻獣と呼ばれていて、特別な言語を使用すると。読みましたので、覚えていました」
「読んだだけで、覚えたのか?」
「はい。読めば、覚えます。皆、そうでしょう。特別なことではありません」
ディアス様は楽しそうに、声をおさえて笑った。
どうして笑うのか分からずに、私は目をしばたかせる。
「特別だよ、リジェ。ウルフガードには、書物の類は苦手な人間が多い。文字を読むことができ、本を好んでいるというだけで十分特別だが、読むだけで覚えるとは」
「たいしたことでは」
「たいしたことだ。君の母が、君に残してくれた才能なのだろう」
こんなふうに、褒められたことは今までなかった。
くすぐったくて、恥ずかしくて、私は視線を彷徨わせる。
褒められるようなことではないのに。私にとっては、剣を持って戦うことのできるディアス様やウルフガードの方々の方がずっと立派だ。
「母上が亡くなったのは、三歳の時と言っていたか?」
「はい」
「それにしては、君はずいぶんと母上のことを覚えているのだな思った。幼い頃の記憶など、普通は覚えていない。覚えていたとしても、曖昧で断片的なものだ。それなのに、君は覚えていた。おそらくは、幼い頃から特別に、物覚えがよかったのだろうな」
そうなのだろうか
そんなことを言われたのは、はじめてだけれど。
ディアス様は優しい声音で続けた。
「君と君の母上は、不遇な境遇にあったのだろう。君の母上は、君の才能に気づいていた。だからきっと、いつも笑顔でいたのだろうな。誰のことも悪く言わず、辛い顔をせずに。君の記憶が、楽しさと幸福で満たされるように」
はっとして、ディアス様の顔をまじまじと見つめた。
そんなふうに、考えたことは一度もなかった。
お母様の笑顔が、向日葵のように明るく、春風のように優しい声が、思い出される。
『リジェ、今日はとても晴れているわ』
『海が、綺麗よ。空も、とても綺麗。そして、リジェは可愛い! 私は幸せよ』
その裏側に、どれほどの苦しさを隠していたのだろう。
愛としか呼べないものたくさん、私はお母様からいただいた。
「ディアス様、私……」
「君の母上は、君の命を繋ぎ、俺の元に君をもたらしてくれた。感謝をしなくては」
一緒に墓参りに行こうと、ディアス様がおっしゃる。
流れた涙を指で拭い、きつく抱きしめてくださった。
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