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謝罪



 私とディアス様は、フェリオ君を連れて夕凪に乗り、ウルフガードに戻った。

 ウルフガードでは、アスベル様とカーライル様、それからローラさんたちが武器を持ち馬にのり、今まさにサリヴェの砦に向けて出立しようとしている所だった。


 私たちが戻ったことに気づくと、ローラさんが涙を浮かべて駆け寄ってくる。

 そして、血に塗れたフェリオ君の姿に青ざめた。ディアス様が「フェリオは無事だ。怪我もない。リジェのおかげだ」と何があったかを簡単に伝えた。


 部屋に運びベッドに寝かせると、あとのことをローラさんたちに任せた。

 フェリオ君は、穏やかな寝顔を浮かべている。

 ゆるやかに上下する胸や、血色のいい頬やあたたかい手のひらに、ほっとした。

 ニクスも疲れたのだろうか、フェリオ君の眠るベッドの片隅に丸くなって、眠りはじめる。

 私はそっとそのふわふわの体を指先で撫でると、「アルーシャ」と、幻獣語でお礼を言った。


「体を清めます。リジェット様も、血を落としてお着替えをしましょう」

「リジェット様、ご無事でよかった」

「リジェット様……っ」

「皆、泣かないの! 喜ぶのは後、私たちの役目を果たしましょう」


 ローラさんが侍女の皆を叱咤しているのを見ると――ようやく帰って来れたのだと実感した。

 サリヴェの砦に連れて行かれていかれたのは、ほんの数刻程度の短い間だった。

 

 それでもずっと、張り詰めていたせいだろう。

 安堵すると体の力が抜ける。フェリオ君の胸を押し続けていた腕が、じんじんと痺れた。


 本当に――無事でよかった。

 皆、無事で。


 ウルフガードでの暮らしでは、皆が無事でいることが奇跡のようなものなのだろう。

 死者を想い、そして――自分の中にある悲しみや苦しみを昇華するために、慰霊祭を行うのだ。


 そんなことを、私はローラさんたちに湯浴みをさせてもらいながら、考えていた。


 清潔なドレスに着替えさせてもらい、綺麗に髪を整えてもらう。

 もう、夜が近い。簡単でいいとお願いしたけれど、「ディアス様がお呼びですから」と言われた。


「あぁ、本当に――ご無事でよかった。リジェット様を守るべきは私たちなのに、みすみす奪われてしまうなんて……一生の不覚です」

「私は無事に戻りました。だから、大丈夫です。でも、お気持ち、ありがとうございます」


 私の髪に花を飾り付けながら、ローラさんが声を震わせた。

 腕や足、爪の先まで手入れをしながら、侍女の方々が次々に口を開く。


「ご無事でよかったです、リジェット様」

「ウルフガードの兵も、あの時はアリエス様の傍若無人さに振り回されていて、警備がおろそかに……」

「悪いことは重なるものです」

「本当に腹立たしい!」


 いつもは控えめな皆さんが、怒ったり悲しんだりしている。

 そういえば――アリエス様はどうなったのだろうか。


「あの時は、私も悪かったのです。ディアス様のご不在の時は、ウルフガードを守るのは私の役目。家を乱す者があれば、私が毅然と、叱るべきでした。ですから今度また同じことが起ったら、私がアリエス様を叱ります」

「リジェット様が?」

「ええ。私は剣を持って戦うことはできませんけれど、私も皆を守ることができます」


 それは、私の役目。

 悲しいことが多いウルフガードで、ディアス様と共に皆の穏やかな暮らしを守りたい。


「ふふ」

「あはは……っ、リジェット様らしいです」

「私たちのことも、叱ってくださいね」

「悪いところがあったときには、叱ってください」


 私は、皆と笑い合った。 

 それから、ディアス様の元に向った。

 ディアス様は広い応接間で、私を待っていてくださった。


「リジェ、こちらに」


 差し伸べられた手をとる。

 湯浴みと着替えを終えたのだろう、血の匂いは消えて、石鹸の清潔な香りがした。


 応接間には、ゆったりとしたソファが置かれている。

 カーライル様とアスベル様が並んで立っていて、それから――見知らぬ男性が、アリエス様と並んでいた。

 優しそうな男性だ。年齢は私のお父様と同じぐらいだろうか。

 その男性は、アリエス様の頭をがしっと掴むようにすると、私たちに向って深く頭をさげた。


「申し訳なかった、ディアス、リジェットさん。娘が、迷惑をかけたようで」

「リジェ、この方は、テオ・ファスト。叔父上だ」

「叔父上様……はじめまして。リジェットと申します。どうか、顔をあげてください」


 年上の男性に頭をさげられるのはどうにも居心地が悪い。

 それに、アリエス様との問題は私にも責任がある。

 

この家を守るために立ち向かわなかった私のせいで、皆の心が乱れてしまったのだから。

 誰かと戦うなんてことを、今までの私は考えたこともなかった。

 

 少し、変わったように思う。守りたい大切な人たちが、沢山増えたからだ。


「リジェットさん。本当に、申し訳ない。何があったかは、アスベルに聞いた。アリエスを連れ戻して欲しいという手紙を使者から貰い、急いでウルフガードに馬を走らせたのだ。そうしたら、大変なことになっていた」

「……ごめんなさい」


 顔をあげたアリエス様の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

 テオ様はきつく眉を寄せて、疲れ果てたような溜息をついた。


「私が、この子を甘やかし過ぎたのだ。リジェットさんがいるというのに、ウルフガードの奥方のように振る舞い、皆を混乱させたと聞いた。サリヴェの兵にディアスの妻かと問われると、何も言えなかったそうだな。リジェットさんは、自ら進み出たというのに」

「それは……」

「覚悟も、何もかもが足りないのだ。これで、ディアスの妻になりたいとは。全く、情けない」

「……ごめんなさい、お父様。リジェットも……私、何もできなかった。ごめんなさい」


 アリエス様は本当に反省しているように見えた。

 私たちは無事だった。それに、サリヴェの襲撃とアリエス様は関係がない。

 アリエス様はディアス様のことが好きだった。ただそれだけだろう。


「大丈夫です。サリヴェの襲撃について、アリエス様は責任がありません」

「そうだとしても、俺の不在時に傍若無人に振る舞われるのは不愉快だ。今までは叔父上との関係を考慮して、ある程度好きなようにさせていたが。ウルフガードの城にはアリエスは不要だ。今まで黙っていたが――俺は、お前が大嫌いだ、アリエス」

「……お兄様っ」

「兄と呼ぶこともやめろ。俺はお前の兄ではない。お前の反省の言葉も涙も、俺は信じていない。二度とこの城に足を踏み入れるな、アリエス」


 それは――厳しすぎるのではないだろうか。

 私は驚いて、ディアス様の顔を見上げた。

 ディアス様は、他者に対してとても寛大な方だと思っていたからだ。

 アリエス様は大粒の涙をこぼして泣き始める。幼子が泣いているような哀れな様子に手を差し伸べたくなる。


「叔父上。悪いが、俺は俺の大切な者を守りたい。今までのようにアリエスを許すことはできない」

「あぁ。もとより、甘やかして育てた私に責任がある。厳しくしつけ直し、しかるべき相手に嫁がせることにする」

「ディアス様……私はディアス様の妻として、アリエス様とも仲良くできればと考えています。アリエス様は私がお嫌いでしょうが、できることなら」

「……っ、ごめんなさい、リジェット。私が、悪かったわ……!」


 アリエス様は何度も私に謝ってくれた。

 その言葉は嘘だとは思えなかったけれど、ディアス様は「アリエスは昔から嘘つきだ。信用していない」と、冷たく言っただけだった。


 テオ様が、アリエス様を連れて部屋を出て行く。

 二人がいなくなると、アスベル様が部屋に響き渡るぐらいに大きく溜息をついて、カーライル様が両手をあげて伸びをした。



 

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