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騎士の矜持



 腕がつり、息が切れる。

 生きて、生きてと祈る私の耳に、冷酷な声が響いた。


「こうなった以上は、ディアスとの和睦などはできはしない。砦の警備を堅めよ、ディアス・ウルフガードを迎えうつ」


「――邪魔をしないで!」


 ナユタ様の命令で私に近づいてこようとする兵士たちを、私は睨み付けた。

 私が諦めてしまったら、フェリオ君の命は本当に、星にかえってしまう。


 慰霊祭で、私はお母様の魂を見た。

 お母様は私を見守ってくれている。死は、終わりではないのかもしれない。

 

 死者は隣人のように傍にいてくれる。それはとても素敵な考え方だろう。


 けれど、生きていて欲しい。フェリオ君に、生きていて欲しい。

 私たちは家族になったばかりだ。まだこれから、沢山の彩りに満ちた楽しいことが待っているのだから。


 苦しい日も辛い日も、楽しいときも嬉しいときも。

 ディアス様やフェリオ君と、ローラさんや皆さんたちと、私は一緒にいたい。


「やめて、離して! 離しなさい!」


 兵士が私の腕を掴んだ。

 私はその手を、渾身の力をこめて振りほどく。


「絶対に、救います! フェリオ君、私の命を半分あげます、だから、戻ってきて!」

「諦めろ。聡明な女だと思ったが、勘違いだったようだな。死は静かに悼むべきものだ。死者を穢すことは見ていられない」


 ナユタ様に命じられた兵士たちが、私とフェリオ君を取り囲んだ。

 伸ばされる手に、掴まれる腕に、私は叫び声をあげる。


「離して! 邪魔をしないで……!」


 あぁ――フェリオ君が、離れて行ってしまう。

 私は、私には価値がないと心のどこかで思っていたのだろう。


 だからきっと何かに執着することもなく、何かに懸命になることもなかった。

 ただ穏やかに静かに時間が過ぎてくれたらいい。

 変わらない毎日を、書物に囲まれ、風や草や木々に囲まれて過ごしていけたらいい。


 それは、きっと諦める癖がついていたからだ。


 人の感情は、あまり得意じゃなかった。誰かを恨んだり怒ったりすることは、苦手だった。


 だから――私は、フェリオ君を追い詰めてしまった。

 私のせいだ。

 もっとうまくやれたはずだ。フェリオ君を守るためにもっと、何かできたはずだ。

 フェリオ君だけではない。私とフェリオ君で一緒に――ディアス様が来てくださるまで、生きなくてはいけなかったのに。


 私をおさえつける兵士の腕に思い切り噛みついた。

 拘束が緩み、私は腕の中からするりと抜け出す。フェリオ君の前に膝をついて、再び胸に手を当てた。


「いい加減にしろ」

「――黙れ、ナユタ」


 居並ぶ兵士たちが――うめき声をあげながらばたばた倒れていく。

 向ってくる兵士たちを一太刀に切り伏せて、こちらに向ってくる雄々しい姿がある。


 剣を振るう度に靡く金の髪。赤い羽根の耳飾り。

 獣が踊っているように靡く、毛皮がついたマント。


「ディアス様……っ」

「待たせたな、リジェ! 構わず、続けろ!」

「はい……!」


 多くの兵士が、ディアス様一人によって打ち倒される。

 その圧倒的な強さに、空気さえ変わるようだった。


 優位だったサリヴェの兵士たちや、ナユタ様から感じるのは、恐怖と畏怖。

 自分よりも強い動物を前に、勝てないのだと戦う前から怖じ気づいているようだった。


 兵士たちが、剣を捨てて散り散りになっていく。

 ナユタ様は「臆するな!」と鼓舞しながら、剣をディアス様に向けた。

 

 ディアス様の振るった剣を受けるが、すぐに力で押し巻けて、ナユタ様の剣は弾き飛ばされた。

 ピタリと、喉元に剣が突きつけられる。


「――ナユタ。死にたくなければ、大人しくしていろ。お前の首をはねることほど、簡単なことはない」


 ディアス様は剣を降ろした。

 ナユタ様の足は、床にへばりついてしまったように動かない。

 多数の兵士たちが床に倒れ伏している。逃げた兵士たちは、厳罰をおそれて砦から離れていったのだろう。その気配さえ感じない。

 ナユタ様の傍には、護衛さえ残っていなかった。


「サリヴェ人は死を恐れないのだと、俺は思っていた。だが、違うな。サリヴェ人は王が恐ろしいのだろう。お前も、同じか」

「……どうとでも、言え」

「妙な気を起こすなよ、ナユタ。邪魔をしなければ、悪いようにはしない」


 敵前で剣を降ろすなど、危険なことだろう。

 けれどディアス様の圧倒的な強さを見てしまった今となっては、それは獅子がひとときの眠りについただけのように見えた。

 眠りから目覚めさせることがあれば、すぐにその喉笛にかぶりつく。

 それが分かっているからか、ナユタ様は剣をゆっくりと鞘におさめた。


「リジェ、フェリオ!」


 冷静で、威厳のある声音とは違う、心底苦しげな声音でディアス様は私たちの名を呼んだ。

 私は息切れをしながら、フェリオ君の蘇生を続けている。


 蒼白な頬に血色は戻らない。閉じた瞼は開くことはない。


「フェリオ……よく、頑張ったな。リジェを守った。お前は、立派な騎士だ」


 フェリオ君の隣に膝をついて、ディアス様はその頬を撫でた。


「まだ、希望が……っ」

「リジェも、よく頑張ってくれた。……だが、もういい。フェリオはうまれつき心臓が悪い。もとより、長くは生きることができないだろうとは、分かっていた」

「でも、まだ……っ」

「いいんだ、リジェ。騎士として君を守り命を使い果たすことができたのだから、フェリオはきっと幸せだった」


 ディアス様は優しく微笑んだ。

 それから、きつく眉を寄せる。今にも泣き出しそうな顔だ。

 怒りも憎しみも、心の中に押し込んで、悲しみさえも飲み込んでしまう。

 ――そうやって生きてきたのだろう。


 いままでずっと。これからも、ずっと。

 ウルフガードの、王として。


 ディアス様の耳飾りが、風もないのに揺れた。

 赤く、輝くような艶やかな色の羽根は――不死鳥のものだと思い出す。


 本の僅かな希望の糸が、雨上がりの空にかかる大きな虹のように感じられた。


不死鳥よ(ラフォーマ)力を貸して!(レマ・センティス!)


 彼らは、幻獣と呼ばれている。

 幻獣には幻獣の言葉があると、幻想動物の本には書かれていた。

 

 きちんと呼び、願うと――彼らは力を貸してくれる。

 呼びかけにより、本来の力が戻るのだと。


 私は両手を胸の前で組むと――不死鳥ニクスを呼んだ。





お読みくださりありがとうございました!

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