星にかえる命
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ナユタ様の部屋から出ると、鉄錆の匂いが僅かにした。
回廊を騒々しく、兵士が駆けてくる。「何事だ」とナユタ様が彼に尋ねた。
「ナユタ様、ウルフガードが!」
「ディアスが来たのか!?」
「そうではありません、まさか、あんな子供が……」
私ははっとして、顔をあげる。兵士の横をすり抜けて、鉄錆の匂いがする方向へと走り出した。
ナユタ様の制止の声がする。兵士が私を捕まえようと追いすがってくる。
捕まるわけにはいかない。私は、フェリオ君の元に行かなくてはいけない。
きっと、不安だっただろう。
一生懸命考えてくれたはずだ。どうすれば、ここから逃げられるか。
フェリオ君はディアス様の弟。誇り高いウルフガードの血が流れている。
座して救援を待つなんて、できるわけがない。
あの時、私が差し伸べた手を払った。
あれは拒絶などではなく、守られることを否定する矜持のようなものだったのだろう。
だとしたら私のしたナユタ様との交渉は、フェリオ君にとっては苦しいばかりのものだったはずだ。
私の行動が、フェリオ君を追い詰めたのかもしれない。
どうか無事でいてと祈りながら、回廊を駆ける。
息が切れて、足がもつれそうになる。追いすがってくる兵士の足音が聞こえる。
振り向いている余裕はない。フェリオ君の無事を確かめないと――。
「フェリオ君!」
回廊の先にある玉座の間には、多くのサリヴェ兵たちが倒れている。
その中心に、小柄な人影がある。
私が声をかけると、フェリオ君は血に染まった剣を一振りした。
美しい金の髪も、顔にも、血が飛び散っている。
一体何人、倒したのだろう。息が切れて、立っているのもやっとな様子だ。
「リジェ……」
ぐらりと、小柄な体が揺れた。
そのままずるっと、床に崩れ落ちるように倒れていく。
私はフェリオ君の元に駆けると、倒れる前にその体を抱きとめた。
顔が、真っ青になっている。唇も青く変色している。薔薇色の頬は色を亡くして、深く閉じた瞳は落ちくぼんでいるように見えた。
「フェリオ君、しっかりしてください、フェリオ君……!」
「無事で、よかった。リジェ」
「私は大丈夫です。それよりも、フェリオ君が」
「逃げて、リジェ……兄上の元に、無事に、戻って」
掠れた小さい声でそう言われて、胸がつぶれるような気持ちになる。
私は何を迷う必要があったのだろう。
ディアス様の元に帰らなくては。フェリオ君と一緒に。
一瞬でも、ナユタ様の提案に揺らいでしまった自分が情けなかった。
呼吸の音がか細い。発熱しているように体は熱いのに、指先は冷えている。
首に指を当てると、不規則に波打つ脈が伝わってくる。
冷や汗が額に髪を張り付かせていた。
「こんなに、頑張ってくれて……フェリオ君、ありがとうございます」
私はフェリオ君の体を抱きしめる。
せっかくフェリオ君が逃げ道を作ってくれたのだ。抱えて、逃げなくては。
フェリオ君を抱き上げようとするけれど、力を失った体は子供のそれでもずしりと重い。
「動くな、リジェット」
フェリオ君を抱き上げて立ち上がろうとしていた私は、声方向をゆっくりと振り向いた。
フェリオ君が倒してくれた兵士たちよりもずっと多くの兵士たちを従えて、ナユタ様が立っていた。
ナユタ様が抜いた剣の切っ先は、フェリオ君に向いている。
玉座の間から砦の出口に続く扉からも、兵士たちが雪崩れ込むようにして入ってくる。
砦には多くの兵士たちがいる。とても、逃げられそうになかった。
「大人しくしていれば悪いようにはしなかったが、残念だ」
「ナユタ様! どうか、フェリオを助けてください……! この子は私を助けようとしたのです、お願いです!」
「男としての矜持はあるようだな。しかし、ここまでのようだ。サリヴェの兵を殺めた罪は、命を持って償わねばならない」
「あなたが私たちをさらわなければ、こんなことにはなりませんでした。ナユタ様、フェリオを失えば、和睦の道など崖下に崩れ落ち、二度と修復できなくなってしまいます」
「どのみち、俺が手を下すまでもなく、その子供は死ぬ」
フェリオ君には怪我はない。けれど、喘ぐような呼吸は次第に弱く弱く、途切れ途切れになってきている。
その瞳は焦点を結ばず、指先から力がだらんと抜けて、腕が床に落ちた。
「フェリオ君!」
呼吸が止まるのを見た。
瞳から、光が失せるのを見た。
けれど、まだ体は温かい。こういう時どうすればいいのか――知識だけならある。
私はフェリオ君を床に寝かせた。心臓のある場所に両手を当てて、真っ直ぐに強く押した。
心臓の鼓動と同じ早さで。息を吹き返すよう祈りながら。
「無駄だ。止まった心臓を動かすことなどできない。相当弱っていたのではないか? ここで死なずとも、近いうちにその子供の命は星にかえっていた」
ナユタ様の同情とも哀れみともつかない声がする。
私は心臓を押し、フェリオの口に息を吹き込む。
ディアス様が来てくだされば、きっと私たちはウルフガードに帰れる。
――二人で一緒に帰ろう。
私たちは、家族だ。
私はもう迷ったりしない。フェリオ君が私を守ってくれたように、私もフェリオ君を守らなくては。
ほのぼのを書こうと思っていたのですが……もう少しでシリアスが終わる筈です……すみません!




