クローバーの想い出
音楽が鳴りやみ、拍手と歓声が響き渡る。
踊り疲れて火照った体に夜風が心地いい。私も皆と一緒にパチパチと手を叩くと、街と人々が織りなす風景の一部に私もなれたような気がした。
「ディアス様! 素敵でした。楽器を演奏なさるのですね、とても楽しくて幸せな気持ちになる調べでした」
「ありがとう。リジェットも、突然のことで驚いただろう?」
「いえ、とても楽しかったです」
「そうか。……とても、可憐だった」
口々にお礼と称賛の言葉をくれる人々や、子供たちから少し離れた場所に、ディアス様は私を連れて行った。
長椅子に並んで座って、再び奏でられる音楽を聴きながら、優しい疲労感に身をゆだねた。
女性たちが近づいて来て、私たちに果物やシナモンを煮出したお茶をくれる。
一口、カップに口をつける。爽やかでほんのりと甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がった。
「ディアス様、さきほどはお聞きできなかったのですけれど、慰霊祭というのは、王国ではあまり馴染みがありませんね」
「あぁ。そうだな。人の体に魂が宿る。天にのぼった魂へ捧げるのが慰霊祭だ。王国ではそうではないが、サリヴェでは人に魂があると信じられている。ウルフガードには、サリヴェやラヴァロ神聖国からの移民もいる。徐々に、その考えが浸透していったのだろうな」
「とても素敵な考え方だと思います。……人に魂があるとしたら、亡くなったお母様に、私が元気にしていることを報告できるでしょうから」
不思議なことだけれど――ディアス様の中には、サリヴェ王国やラヴァロ神聖国への怒りは感じられない。
お父様はサリヴェ王国との戦いで亡くなったというのに。
「君の母は、亡くなったのか? すまないな。あまり、他家のことは知らないんだ。君の父上から貰った手紙にも、詳しいことが書いてあったわけではないのでな」
「いえ、気になさらないでください。私のお母様は、私が三歳の時に亡くなりました。心臓が弱かったのだそうです。とても優しいお母様でした」
「今の母や、姉妹は? 確か、何人かいただろう」
「義理のお母様は、元々、私のお母様の侍女でした。お父様の後妻になりました。サフィアさんとエメラダさんは、私の腹違いの姉妹です」
ディアス様は何かに得心がいったように、頷いた。
静かな瞳が言葉の先をゆっくり待っていてくれている。
「お母様のことを、私はほんの少ししか覚えていません。それでも、優しかった記憶があります。頭を撫でて貰いましたし、手を繋いでもらいました。伯爵家のお庭を抜けた先に、林があって、その先に開けた場所があります」
「どんな景色の場所だ?」
「小さな花が一面に咲いていて、小高い丘になっています。そこからは海が見えて、どこまでも広がる水平線と、お父様の船。船は、遠目に見ると、小指ぐらいに小さいのです。日差しが水面を宝石みたいに輝かせて――大好きな、景色です」
「それは、いいな。リジェットの話を聞いていると、その光景が目の前に浮かぶようだ」
私は一口、お茶を飲んだ。空になったカップをディアス様が受け取って、長椅子の端へと置いた。
膝の上に置いた手に、そっと大きな手が重なる。
とくんと心臓が跳ねて、踊り疲れた火照りだけではなく、体温があがっていく。
大きな、手。
皮膚があつくて、指が長くて、骨ばっている。
私とは別の、体。
「お母様との思い出は、ほんの少しです。……その丘の野原で、一緒に四葉のクローバーを探しました。見つけると、幸運が訪れると言って」
「あぁ、そのような話は聞いたことがある。昔、グレイシードも探していたな。見つからなくて泣き出したグレイシードを、ローラが叱りつけていたのを覚えている」
「ふふ……グレイシードさんとローラさんは昔から仲がよいのですね」
「あぁ。すまない、今は君の話だった。話をそらしてしまったな」
「いいえ、いいのですよ。私は、ディアス様の話を聞くのが好きです。あなたのことを、知ることができる気がして」
ディアス様の想い出は、賑やかだ。
私が話せることはほんの少ししかないけれど、ディアス様の過去にはたくさんの想い出が詰まっている。
私にはそれが、とても眩しく感じた。
「俺は君の話を聞きたい。リジェット、四つ葉のクローバーは見つかったのか?」
「……いえ。多分、見つからなかったのです。見つからなかったのだと、思います」
私は軽く眉を寄せた。
きっと見つからなかったのだ。お母様と二人で四つ葉のクローバーを探したけれど、今の私が持っている四つ葉のクローバーは、ディアス様の元に来る少し前に摘んだものだ。
それ以外に、私は四つ葉を持っていない。
「なにせ、小さなころの話ですから、よく覚えてはいなくて。幸運を運ぶ四つ葉が――見つからなくて、お母様は亡くなってしまいました。でも、ディアス様との婚礼が決まる前に、私は四つ葉のクローバーを探していたのですよ」
「それは、偶然だな」
「はい。ちょうど見つけた時に、侍女に呼ばれて――お父様に、ディアス様に嫁ぐように言われました」
ディアス様の指先が、私の指に絡まった。
離れないように指を一本一本絡めるようにして手を繋ぎなおされて、気恥ずかしさに尚更体が熱を持つ。
私の熱が――ディアス様に伝わっていないといいのだけれど。
私はディアス様をまだよく知らない。それなのに、こんな気持ちになっていることに、息がつまるような羞恥を感じた。
「それで?」
「……その、……ですから、四つ葉が幸運を運んできてくれたのです」
「俺の元に来ることが、幸運だったと?」
「はい。……素敵な場所に、連れてきてくださいました。音楽に合わせて踊って、失われた人のことを感じることができました。お母様のことを。もう一つ、思い出したのです」
「母上との記憶、か」
「お母様と私は、いつも二人でした。誰もいない静かなお屋敷の中で、お母様は私の手を取って、踊ってくれました。私の可愛いリジェ、私の宝物……そんなことを言われた気がします。私は幸せで、とても、楽しかったのです」
不意に、涙がぽたりとこぼれた。
私はあわてて、手の甲で涙をぬぐう。
「……リジェット」
「ごめんなさい。どうしてでしょう。……とても嬉しい話をしているはずなのに」
「――リジェ」
強引に、腕をひかれる。
私の体は、ディアス様の腕の中にすっぽりと包まれた。
体が僅かに軋む。
「リジェ。俺の、可愛い花嫁。俺の宝物」
「……ディアス様?」
「母上はきっと、天に昇られた。君を見守っているだろう。これからは俺が、君の母上がそうしたかった分も全て含めて、それ以上に君を大切にすると誓う」
「……っ、……ディアス様」
ありがとうございますと、お礼を言おうとした。
けれどその声は、形にならなくて。
その代わりに、新しい涙が頬を伝って、ディアス様の服にしみ込んだ。
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