お伝えする事項11
「あ……」
「……ありがと」
小さく漏らした妖刀。
同じぐらい小さく、しかしはっきりと妖刀の耳に届いた悠の声。
それ以降再び、二人は沈黙した。
ただそれまでの気まずさはもうない。しっかりと手を繋ぎ、身を寄せ合って夜の道を歩いて行った。
二日後。もう一度例の物件を尋ねる日。
悠は二日前と同じ時刻に八木湯へ向かっていた。
「……分かっているとは思うが」
今回は妖刀も同行する。
「もし浄化剤が切れていた場合、前回よりも幻影が鮮やかに出る可能性が高い。その辺はちゃんと覚悟しておけよ」
ソーサリウムの幻影は人の思念によって生まれてくる。
元々、目の前で妻が、或いは母が自殺した夫か子供のトラウマが生み出した存在だ。
そのトラウマの光景がソーサリウムによって再現されているのがあの洋間の幻影。
となれば、それを目撃した悠や依頼人がその光景にトラウマを覚えてしまえば、復活した幻影は更にしっかり鮮やかに、おぞましくその姿を見せることになる。
「うん、分かっているよ」
そしてそれは専門家である悠も知っている。
「でも大丈夫。今日は漆原さんも……妖刀ちゃんもいるから」
そう答えて笑顔を見せる悠。やせ我慢ではない、いつもの屈託のない笑顔。
そしてそんな風に名前が出されているとはつゆ知らず、二人の後ろからついていくスーツ姿に眼鏡の男。
漆原正親。伊集院化学の綾篠神社担当営業マン。上手くいけば新規顧客開拓に成功するかもしれない男。
神社で待ち合わせした三人が八木湯に到着すると、依頼人は二日前と同様に入口の前で待ち構えていた。
その眼は見慣れないスーツ姿の男に止まる。当然、見られた本人もそれに気付いている。
「本日はありがとうございます。私、伊集院化学の漆原と申します」
すかさず名刺を出して自己紹介。事前に話は通してあるとはいえ、一切考える時間すら与えないのは営業マンの腕か。
「今日は実際に現場を見て、見積りだけでもという事ですので」
悠が補足すると、依頼人が彼女の方に注目したのは妖刀にも分かった。
知っている巫女が紹介しているのだから、そう悪い業者ではないのかもしれない――なんとなく、そう思ってくれている。少なくとも警戒は抱いていないのだろう。それが妖刀の感想だ。
(悠が嘘を吐ける人間ではないという事を自分は知っているという点を差引しなければならないだろうが)
まあ、とにかく。
依頼人の車で再びあの建物へ。
以前に訪れた時と同様、しんと静まり返った家に、玄関の鍵を開ける音だけが大きく響く。
「では、まず洋間へ」
案内する依頼人の声は硬い。扉の前に立つまでになんとか彼女に並んだ悠が代わりに扉を開こうとする。
「開けます」
だが、実際に明けたのは妖刀だった。
もし浄化剤が切れていれば、以前より悪いものをみてしまうだろう――二人とも共通する考え。
だがそれは杞憂だった。
洋間は以前と同様、一切何もない床と壁だけの空間だ。
「浄化剤は……ああ、まだ残っていますね」
二日前自分で設置した浄化剤を拾い上げ、漆原と依頼人に見せる悠。
上に伸びているろ紙の根元、容器のほぼ全体に満ちていた透明の液体は、半分以上無くなってはいたもののまだ二割方残っていた。
「あー、成程ですね――」
それを確認して漆原が自分の鞄から濃度計を取り出す。
悠の使っていたものと多少異なるそれは、ろ紙に当てることでどれ程浄化剤が効果を発揮しているのか調べるためのものだ。
こうした浄化剤にはその成分によりいくつかタイプがあり、状況によって最適なものが変わる。
もし工事や濾過フィルターの設置を行う際には、悠が設置したタイプがその浄化力と効果時間共に適当であれば、同じ傾向に対応する施工をすることになる。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。




