お伝えする事項9
ソーサリウム浄化剤。その空間の幻影を、空間のソーサリウム濃度を減少させることで消し去る代物。
それを先程の換気扇の下に設置する――ここまで、幻影からは一切眼を逸らさない。
急速に左に振れていく濃度計。血だらけの女は霧のように消えていく。
「き、消えた……?」
「よし。これで大丈夫です。しばらくは」
消えたことにさえ怯えているような依頼人とは対照的に、悠の声はいつものそれに戻っている。
「外からソーサリウムがこの部屋に流れて込んでいたみたいですね。いくつか条件はありますが、たまにあるんですよこういうの。一応浄化剤を使っているので今日明日はもう出ないと思います」
「そ、そう……」
「ただ、浄化剤はあくまで応急処置ですので、根本的な解決には外気を完全に遮断するか、或いはあの換気扇に濾過フィルターという専用の器具を取り付けることになります。このぐらいの濃度ですと二日ほどで浄化剤の交換が必要になると思いますから、お手間でしたらそうした処置をするのもいいかと思います」
マニュアルを読み聞かせるようにすらすらと話す悠。
「よろしければ、私の方で工事業者をご紹介できますが……。すぐに工事ではなく、お見積りだけでも可能かと」
「え、ええ……」
対照的にまだ青い顔の依頼人。
そのまま他の部屋も見て回ったが、ソーサリウムの流入が確認されたのは先程の洋間だけだった。
その間も状況の説明を続ける悠。こちらもまたその間ずっと青い顔でぼうっと聞いている依頼人。
「これで全てですね」
最初の洋間に戻ってきても、その関係は変わらなかった。
「……」
何とも言えない、微妙な空気が辺りを支配している。
バッグからお札を取り出したのは、依頼人を安心させるためか、はたまた自分をか。
兎に角、今は元通りとなっている幻影が現れた場所にお札を貼りつける。
「これでよ――」
言いかけて、ひきつる。
「……え?」
ほんの一瞬だった。だが、確かに視線を感じた。
自分達を睨みつける、鋭いそれ。
窓の外=それを感じた方向に目を向ける悠だったが、向こうに見えるのはもう冬だというのに盛大に生い茂っている藪だけ。
「……気のせい、だよね?」
背中を這いずっていく冷たい感覚にそう言い聞かせて建物を後にする。
その後、銭湯に戻ってから今後についての話。依頼人は二日後にもう一度部屋の様子を見ること、その際伊集院化学の人間も同行する事を承諾。
ついでに、悠がその場で漆原へ連絡を入れる。
お世話になっております。実は……。はい。では、当日はよろしくお願いいたします――スムーズに決定。
「それでは、また二日後に」
「はい。……今日はありがとうございました」
神社に戻る道。
周りを見ても、前を見ても、上を見ても下を見ても、見えるのは街並みか道路か空。だが悠が見ているのは先程の幻影。脳にこびりついたそれ=初めて見る自殺した人間の姿。
「ただいま!」
社務所の扉を開ける――努めて明るく。
「ああ、お帰り」
奥から声と共に妖刀。一本結びにエプロン=台所に立つ時の姿。
彼女が悠の精神状態を認識するのには、言葉をかけたその一瞬だけで十分だった。
「……お疲れ様」
ただそれだけ。
その一言だけをかけて、泣き崩れそうな悠を抱きしめた。
「辛かったよな」
青白い顔をエプロン越しに押し付ける。
ほどなくして熱く湿った感覚とすすり泣く音がそこから伝わってきた。
「よく頑張った」
小さな体。強く抱いたら折れてしまいそうなほどの。
普段はそう思えないのに、今は余りに頼りなく、小さく、弱々しい。
生まれて初めて見た、穏やかではない死。
それに当てられた悠=本当ならあの部屋でこうなっていた筈の彼女。それをただ巫女としての、専門家としての意識と責任感だけが、ここまで動かしていた。
そのスイッチが切れた彼女を、妖刀はしっかりと優しく、何かから庇うようにじっと抱き続けていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。




