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第七話(A.D.356)籠城中盤

 ***セノネス(現サンス)十日目***


 密室で一匹の(へび)を三等分に切り別ける。

 ユリアヌスは不器用な腕で何とかその作業をこなした。

 それをサルスティウスとトゥルートに配ると、二人とも躊躇(ためら)わずに口に運んでくれた。

 ――僕は恵まれているな。

 自身も焼いた蛇の肉を口に運びながら、改めてその事実を噛み締める。城の食糧が心許ない今、動物性蛋白質は貴重である。捕えた蛇を差し出してくれた兵士といい、それを別け合える側近といい、間違いなく恵まれている。

 無言の食事を終えると、どこか神々しい気配が漂う。

 それを見計らって、ユリアヌスは言った。

「僕達三人はガリアのために戦う同志だ。そうだよね?」

「何だよ。いきなり」トゥルートは少し照れたように、しかし、返答する。「その通りだよ。こっちは地元(じもと)を荒らされたんだ。手段はともかく何とかしたいと思うのが、普通だろ」

 ユリアヌスにはその言葉に眩しく思えた。それはサルスティウスも同じらしい。

「私も【筆頭衛士(プリムス・リクトル)】と同じです」とサルスティウスは目下であるトゥルートに(なら)った。だが、言葉を補うことも忘れない。「それこそがローマ帝国と正帝陛下への忠誠でもあります」

 ユリアヌスは大人の気苦労を察した。が、直言を避けるわけにもいかない。

「では、伝えよう――問題は戦術ではなく政局だ。それも悪い意味でね」

 これに対するトゥルートの反応は「は?」で、サルスティウスの反応は「やはり」だった。

「サルスティウスはわかっているようだね」

 ユリアヌスは声が重くなった。

 わかっていながら、どうにもならなかった事がはっきりしたからだ。

「トゥルート、君は先程『こっちは故郷を荒らされているんだ。手段はともかく何とかしたいと思うのが、普通』と言ったね。けれど、そうではない考えの者もいるんだよ」

騎兵長官(マギステル・エクイツム)マルケルスもその一人というわけですね……」

 サルスティウスは苦々しく呟いた。彼にしては思い切った発言だろう。

 一方、トゥルートは眉を(ひそ)める。

「……?」

「マルケルスがこのセノネス(現サンス)の包囲に気付いていないはずがない。何しろ、僕は何度も救援命令を四方八方に送っている。それなのに一向に反応がない。これは僕らの危機を察知できずにいるのではなく、あえて僕らの危機を無視していると考えるべきだ」

「いえ……マルケルス氏以外からの救援もありません。と、なれば、意図的かつ強権的な隠蔽工作も考えるべきでしょうな」

 男二人のやり取りにトゥルートは思わず叫ぶ。

「何でだよ! そんな事をされたら……!」


「僕に死んでもらうためさ」

 ユリアヌスが色々なものを諦めて答えた。


   ***


「なっ……!」

 トゥルートは絶句した。

 サルスティウスはまずそんなトゥルートに告げる。

「トゥルート、お前に衛士(リクトル)を任せた理由はいくつかある。しかし、最大の理由はその若さだ。若さ故にこの手の政局とは無関係だったからだ」

 次にサルスティウスはユリアヌスへと向きを変える。

「ユリアヌス様、お許し下さい。この者以外にエウセビウス氏への追従やコンスタンティウス陛下への媚態がないと確信できる者がいなかったのです」

「ああ、なるほど。君の深慮には常々感服させられる」

 ……トゥルートとしては男同士でイチャついていないで、こちらに説明して欲しい。

 そんな視線を感じたのか、ユリアヌスは顔を引き締める。

「正帝コンスタンティウスの周囲には僕を殺したがっている一派がある。宦官エウセビウスはその首魁だ」

「……理由は?」

「複合的なんだが、まずは僕にキリスト教徒ではない疑いがかかっている」

「? おまえキリスト教徒じゃなかったの?」

 トゥルートは驚きのあまり蓮っ葉な口調になっていた。サルスティウスがいる事をすっかり忘れていた(幸いにも、東洋でいう『不臣の礼』であると、解釈してくれたようだが)。

「だってお前、聖書は好きじゃん? たまに引用するしさ。神学講義に顔を出した時は成績も評判はよかったろ?」

 そもそも、ユリアヌスの勤勉さと質実さ、堅忍不抜の精神は清廉なキリスト教修道士を髣髴とさせる――と、後世の歴史家には評価されるのだ。そして、そんな評価を既にトゥルートは予見していた。

 トゥルートは、キリスト教について、よく知らない。

 ただ、ケルン(コローニア)の外れに住んでいた一人のキリスト教修道士は覚えている。彼は厳格な戒律に従い、日の出のはるか前に起き、数時間も神に祈り、読書と瞑想を行っていた。そして、日が昇れば、後は日が沈むまでひたすら畑仕事をしていた。それを彼は誰も見ていない、誰も咎める者がいない中で何年も続けた。飲酒を避け、粗食を貫き、無駄口一つ言わずに水を運び、土を耕した。その結果、当時既に始まっていた戦乱で荒れ果てて、誰もが見放していた不毛の耕地を幾つも蘇らせた。

 これこそ奇跡、彼こそ聖人――と讃える声も少なくなかった。

 何時間も祈りに捧げる馬鹿馬鹿しさや、神は一つだのいった戯言には、首を傾げたが、

 ――あんな働き者の妻になる女は幸せだ。

 とトゥルートも素直に思ったものだ(妻がいない理由を知らなかった)。

 憧れて……いた。辺境のケルン(コローニア)には、良くも悪くも野卑な男性が多い。たまに見かける教養人も口数が多い。黙々とやるべき事をやり抜く修道士がいれば、憧れるなと言う方が無理だ。

 そして、ユリアヌスの働きぶりは、あの修道士に似ている。軽薄饒舌という悪癖はあるが、勤勉厳格という点では明日から修道士に鞍替えしてもおかしくない。

 だから、ユリアヌスもキリスト教徒に違いない――と思っていた。そんな(むね)を伝えると、

「ああ、キリスト教の聖職者が皆そのようであれば……」

 サルスティウスは何故か溜め息を吐いた。そして、ユリアヌスが続ける。

「うーん、僕もギリシャに留学するまでは、キリスト教徒に『保護』されていたし、キリスト教徒に『教育』してもらったからね。勉強した新プラトン主義も、キリスト教の影響が強い。そも、キリスト教自体がギリシャ=ローマ文明の影響を受けているし。だから、僕がキリスト教徒に似ているのは自然だよ。とはいえ」

 しかし……と、ユリアヌスは明言する。

「僕はキリスト教徒ではない」

 この一言にサルスティウスが身体を振るわせた。

「殺された僕の父も『異教徒(パガヌス)』だったんだ。熱心な多神教徒(パガヌス)という訳ではなかったらしいけど、東方でキリスト教が勢力を増していた時に、その流れに乗らなかったのだから、一定自覚的な『異教徒(パガヌス)』だった事は間違いない。その上、皇族だった」

 そして、それがユリアヌスの父が殺された理由の一つだったらしい。勿論、本質的には権力闘争だった。が、最後の一押しでもあった。つまり『異教徒』であるユリアヌスの父が権力を握れば、キリスト教徒は迫害されるかもしれない。だから……。

「殺らなければ、殺られる!――という訳で、キリスト教徒は、今の正帝コンスタンティウス二世に、僕の父を殺せ殺せと(ささや)き続けたらしい」

「うー、駄目だ。意味がわからん」

 トゥルートは頭痛がしてきた。自分もまた所詮は野蛮人だと心底自覚した。

「サルスティウス、この者を衛士に推薦した君は慧眼だったよ」とユリアヌスは苦笑した。「で、その殺された『異教徒(パガヌス)』の息子たる僕はやはりキリスト教徒ではない。キリスト教徒の振る舞いはしているが、信仰を宣言はしないし、言葉の端々に『異教徒』の特徴がある。……見る目があるよ。実際、僕はキリスト教徒ではないのだからね」

 ユリアヌスは苦笑のまま続ける。あとは父の時と同じだ。万が一、ユリアヌスが帝国全土の権力を握れば、キリスト教徒はまた迫害されるかもしれない。だから……。

「馬っ鹿じゃねえの。そいつら」トゥルートは率直に言った。本音だったし、怒りもあった。憧れだった修道士を汚されている気がした。「そんな理由で一々誰かを殺して回っているの? 馬っ鹿じゃねえの……!」

「弁護しておくと、キリスト教徒には昔迫害された記憶が残っているからね。それに熱心だ。東方では『イエス・キリストの神様比率はどのくらいか?』で論争が続いている」

 やはり馬鹿だ。トゥルートは確信した(それで今でも殺し合いをしていると知れば、さらに確信を深めただろう)。第一、そんな風に命を狙われ続ければ、

 ――今、笑っているこのユリアヌスも、いずれキリスト教徒を殺さねばならなくなる……。

 が、ユリアヌスは笑みを崩さない。

「ただ、これは僕を殺したい理由としてはあくまで潜在的なものだ。何しろ、僕は【皇帝(インペラートル)】とはいっても、所詮は【副帝(カエサル)】であり、【正帝(アウグストゥス)】の(しもべ)に過ぎないからね。仮に迫害の意思があっても権限はない」

 よって、父の時と同じで、動機としては最後の一押しでしかないという。ユリアヌス殺害を躊躇う者に『いや、これは神に逆らう異教徒を倒す正義の行いだ』と囁く程度だという。

 それにしたって酷い話だとトゥルートは呆れた。

 しかし、ユリアヌスにはさらに明確な脅威があるという。それが……、

「エウセビウスを首魁する宦官集団だ。この一派は僕に対し明確な殺意を持っている。一部のキリスト教徒達のような潜在的なものではない。積極的具体的に僕は何度も殺されかけた」

 政治上妥当な措置だったとはいえ、ユリアヌスの実兄ガルスを嬉々として殺したのも、この一派だという。

「理由はわかりやすい。純粋な権力闘争だよ。最近の宮廷では【宦官(エウヌコス)】が幅を利かせている。今の正帝コンスタンティウス二世も幼少の頃から、宦官に育てられた。必然、宦官集団は重用されている。今では正帝に上奏する前に、必ず宦官に付け届けをしなきゃいけない有り様だ」

「?……ろくでもない話だとは思うよ。でも、どうしてユリアヌスはそいつらに殺されなきゃいけない?」

「世の中が宦官だけで回っているわけではないからさ」

「???」

 トゥルートはさっぱりだったが、ユリアヌスは噛み砕いて説明してくれた。

 今の正帝コンスタンティウス二世は外界から隔絶された後宮で宦官に育てられた。ある意味、宦官の洗脳の下にある。言わば、宦官の操り人形だ。しかし、子供の頃ならともかく、大人になれば、皇帝の職務に励まねばならない。すると、世の中が宦官で回っているわけではない――という素朴な事実に嫌でも気付く。甘言や佞言ばかりを耳にしていると、ろくでもない事になると知る。

 特に今の正帝コンスタンティウス二世は断じて暗愚ではない。さすがにユリアヌスのように最前線へ出たりはしない。が、帝国に危機あらば、やはり前線で指揮を()ってはいるのだ。

 そこで血を流して闘う将兵を目にすれば、

 ――日頃、周囲で自分を()(たた)えるだけの宦官は『君側の奸』ではないか?

 という当然の疑惑が出てくる。少なくとも、甘言や佞言で外敵は防げない。むしろ、優秀な将軍を重用すべきでは? いいや、軍事だけではない。内政でも、有能な官僚がいなければ、国は駄目になる。彼らも重用すべきだ。逆に

 ――おべっかを使うしか能のない宦官は……()らないのでは?

 という平凡な結論に近づく。こうなると実務能力のない宦官ほど焦る。そこで出てくるのが、

 ――讒言(ざんげん)

 である。あいつは不正を行っているとか、あいつは陰謀を行っているとか、宮廷政治の最も醜悪な病巣だった。その中でもとりわけ人気だったのが、

 ――陛下。正帝陛下が重用されているあの将軍は、陰で反逆を起こそうとしていますぞ!

 だった。優秀な将軍がその実力を背景に、皇帝にとって代わろうとする事例は、古今東西、無数にある。だから、皇帝にも自然と疑心が生まれる。勿論、皇帝も大概は一笑に付すのだが、そこは宦官の強み。日常的に皇帝に接するのだから、讒言の機会は無数にある。宦官が徒党を組み、揃って同じ内容を繰り返せば、皇帝はその讒言だけをずっと聞き続ける事になる。

 これで正気を保てれば、むしろ異常だろう。

「救い難いのは、今の宦官が予防措置として、この手の讒言を行っている事だ」

 すなわち、現在、正帝の寵愛を受けている者だけでなく、将来、正帝の寵愛を受けるかもしれない者というだけで、讒言による排除の候補となるのだ。そうして、宦官は予め競争相手を取り除き、宦官同士の一体感を強め、さらに『反乱を未然に防いだ功労者』の顔をする。

 ……正帝コンスタンティウス二世だけでない。最近の宦官に育てられた皇帝には、皆、友がいない。過去のローマ皇帝たちに友がいた。真に心を許せる友だったかはわからない。だが、仮初(かりそめ)ながらも友がいた。しかし、今の正帝達にはそれすらいない。本当に孤独なのだ。

 本人の資質ではあり得ない。このユリアヌスですら『友達が(多くは)いない』のであって、『友達が(一人も)いない』わけではないのだ。コンスタンティウス達が揃いも揃って、友達づくりの才能が欠落している訳ではあるまい。

 おそらく排除されたのだという。

「そして、今や宦官にとって、讒言は日常習慣になってしまっている」

 息をするように讒言を行う。最早、自覚すらない。ガルスもユリアヌスも、その日常習慣の対象になった。

「幽閉されている時から、宦官の監視……と言うか、荒探しが酷くてねえ。僕も兄さんの件があってからは、気を付けていたんだけどさ……」

 ユリアヌスのうんざりした口調は珍しかった。

「友達と話していると、反乱の相談をしているに違いない。一人で黙っていると、反乱の構想を練っているに違いない。表情や動作で誹謗中傷は当たり前。夏に青い服を着ていたら『あのように暖色系の色を避けるのは心にやましいところのある証拠』だってさ」

「……それは夏で暑いからじゃねーの?」

「僕も同じ事を言ったよ。そうしたら、『そのように顔を真っ赤にして、言い返すのはやはり後ろめたいところがあるに違いない』と返ってきた」

「……ヤクザのいちゃもんだな」

 トゥルートはふと気付いた。ユリアヌスはガリアにやってきたのではなく、ガリアに逃げてきたのではなかろうか? 宦官たちの魔の手も、辺境ガリアならば、とりあえず届かない。

 もっとも、そのガリアは陰湿な宦官の脅威ではなく、より明確な蛮族の脅威にさらされているが……。

「いや、つうかさ、それで国境の防備が損なわれたら、どうすんの?」

「というよりも、既に損なわれているのだ」

 サルスティウスは口を挟んだ。

「ローマは絶望的に弱くなったわけでもない。実際、トゥルート、お前のような勇者もいる。装備、規律、戦術、兵站の面ではまだ世界一だ。あとはそれを指揮する優秀な将軍さえいればいい……というか、実際にいたのだ」

 そういえば、トゥルートにも覚えがある。たしか、シルヴァヌスというローマの将軍が連戦連勝を続けた事がある。これで平和が戻ってくる。そんな風に大人達が語っていた。が、結局シルヴァヌスは反乱をおこし、鎮圧された。そして、優秀な将軍がいなくなったローマはまた戦乱に陥った。

 思い返してみると、殺されたシルヴァヌスには同情の声が多かった。当時は意味がわからなかったが、今のユリアヌスと似た境遇だったのだろうか? あのシルヴァヌスも……。

「シルヴァヌス様だけではない……!」

 サルスティウスは静かに声を荒げた。珍しい事だったし、すぐに「いや、失礼」と落ち着きを取り戻した。いずれにせよ、若者二人は咎めなかった。サルスティウスはこの中で最年長だ。それだけ積った想いも大きいのだろう。

「これまで何度も優秀な将軍が辺境に赴き、蛮族を破り、平和を取り戻しかけた。ところが、その度に宮廷からの横槍が入る。勿論、かつてのクラウディウス帝のように兵站の問題で引き戻すのは仕方がない。しかし、反逆者として、殺されるのではたまったものではない」

 これでは実際に反乱を企んでいるか否かは問題でなくなる。優秀な将軍は自衛のために反乱せざるをえなくなる。しかし、この手の反乱は場当たり的に起こされるので(これが逆説的に将軍たちの無実を証明しているのだが)、あっさりと潰される。

「だけど、その結果、優秀な将軍が失われ、国境の防備が損なわれる。帝国領土は再び戦乱に陥る。その中から、再び優秀な将軍が出て来て、平和を取り戻しかけても、また讒言によって、反逆者にさせられ――の繰り返し……」

「いえ、繰り返しならばまだいいのです。しかしながら、戦乱で荒れた農地や傷ついた人民はそうすぐ元へは戻りません。蓄えを費やし、飢えをしのいでいるようなものです。これでは……」

 遠くない内に破綻する――と、男二人は暗澹とした結論を導き出した。

 三人の間を沈黙が支配した。

 トゥルートは首を振って、それを破る。「だが、今は……」

「うん。そうだね」ユリアヌスは先んじた。「来年の不作を恐れる前に、今日の飢餓――この籠城を切りぬける事を考えねばならない」

「わかっているじゃねーか」

「君から学んだ事だ。ただ、同志とは情報の共有をやっておきたかった」

「……わかった。こっちも何とか頭に入れてみる」

 本来ユリアヌスもサルスティウスも陰口や悪口を好む人間ではない。誰かを貶す言葉を長々繰り返す馬鹿女とは違う。それだけに『欠席裁判』であっても、トゥルートは素直に受け容れられた。

 が、これだけは確認しておきたい。

「しかし、思うんだが……取り巻きのキリスト教徒や宦官ではなく、その正帝当人に嫌われている可能性はないのか?」

「ある。僕もその可能性を検討はしている」

 ユリアヌスはきっぱり言った。サルスティウスも続ける。

「最初にユリアヌス様がガリア入りされた時、付き人の類がいなかっただろう? トゥルート、あの時はお前の問いに答えられなかったが、今は答えよう。あれはキリスト教徒の疑念、宦官たちの悪意、……そして、正帝陛下への媚態の結果だ」

 つまり、副帝ユリアヌスの成功を望んでいない派閥がある。その連中が遠回しに副帝の足を引っ張るのだ。そうでない者も、宮廷勢力に目を付けられたくない。だから、ユリアヌスへの助力を惜しむ。

「【騎兵長官(マギステル・エクイツム)】マルケルスが救援に来ない理由がまさにそれ?」

「私もマルケルス氏とは面識がある。為人(ひととなり)も多少は知っている。その上で私見を述べると……」サルスティウスは言葉を選んだ。「積極的にユリアヌス様を害したいわけではないだろう。ただ、宮廷からの婉曲な圧力があり、かつ、正帝が副帝の成功を望んでいないという憶測が、救援を消極的にさせている。……そんなところだな」

「でも、正帝当人が本当に僕を嫌っていたら、そも僕を副帝に任命しない……はずだ」

 ユリアヌスの口調には願望が混じっていた。考えてみれば、副帝ユリアヌスにとって、正帝コンスタンティウス二世は家族の仇であると同時に、最後に残った肉親なのだ。

「弁解になるけどね、僕に消えて欲しい人達がいるにしても、こんな早く手を打ってくるとは思わなかったんだ。キリスト教徒勢力が僕を殺したい理由は薄弱だ。何しろ、僕も対外的にはキリスト教徒だからね。宦官が僕を殺したい理由はそれに比べ強固だけど、やはり、脆弱だ。僕も勝ち進んでいるとはいえ、宦官を脅かす程の功績は立てていない。……だから、何かあるとしても当分先だと考えていたんだ」

 そのせいで、ユリアヌスの対応は遅れた。しかし、逆にこれは『敵』もまだ一枚岩ではない証左とも見えた。ユリアヌスに消えて貰いたくとも、それはもう少し後――ガリアを平定した後――というのが理想的なはずなのだ。

 何故なら【正帝(アウグストゥス)】はそれなりに【副帝(カエサル)】へ投資しているからだ。ここでユリアヌスに死んでもらっては大損だ。つまり、『反ユリアヌス派』の足並みは揃っていない。一部の急進派が先走っただけとみるべきだ。

 というか、足並みが揃っていたら、こんな風に考える暇もなく、殺されているだろう。

 その先走りは痛打であったが、しかし、向こうにとっても博打(ばくち)のはずだ。何しろ、最高権力者である【正帝(アウグストゥス)】の意思に(そむ)く行いである。

「そこで僕も博打(ばくち)に出る」

 ユリアヌスは密室の外に向かって、声をかける。

「シャハラザード、入ってきたまえ」


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