May I get to be your friend?
向こうから話しかけてきたのは幸いだった。
「…そ、それ…」
麻利亜は真希の手にあるものを指さす。
「ん? これがどうかした?」
「それ…どうするつもり?」
「どうするって、決まってるじゃん、食べるんだよ」
真希の顔には不快と困惑の色が浮かんでいる。何故そんなことを聞くのか。こんなものに奪うような価値はないはずだが。
何せ、そこら中に生えていたのだから。
だから、麻利亜の顔が何故青ざめているのか分からなかったし、彼女が口にした言葉を、しばらく理解できずにいた。
「…それ…毒なの…!」
「…は?」
無理のない返事だった。普通の人は、そんなものを知らない。特に、知り合いの話やネットの情報で興味を持ったばかりの、にわか採集家には。
でも、麻利亜には分かる。毒草・薬草に通じている麻利亜には、真希の手にあるものが食草に酷似した毒草であることが。そして、それが致死的な種類と量であることが。
バイケイソウ。知名度こそトリカブトには遠く及ばないが、ウルイやギョウジャニンニクと間違えて中毒する人が後を絶たない。古くは高血圧の薬として用いられていたが、効果があまりにも激烈なため、現在は毒草とされている。その成分は加熱しても分解せず、少量囓っただけでも吐き気や喉の痛みを呈し、大量に摂取すれば血圧が下がってショック状態となり、死に至る。特効薬は存在しない。
しかし、麻利亜はそれを言葉にはできなかった。知識があるかと説明できるかとは別の問題だ。何と言えば真希に伝わるか分からなかった。毒という単語を口にするので精一杯だった。
しかし真希は突拍子のない話を鼻で笑うようなことはなかった。麻利亜の様子が尋常ではなかったというのもあったが、何より。
「ちょっと待って…それ、本当なんでしょうね?」
真希が念を押す。麻利亜は無言で頷く。それを確認した途端。
「美沙っ!」
真希は弾かれたように飛び出した。
真希が妹とこれを採りに行ったのは、美沙から話を聞いたからだった。美味しいらしいよと昨日美沙が言っていたのだ。実物も見せてもらった。両親が不在のため、自分で料理して食べるらしい。
今朝、真希は美沙にメールを送った。何の用があるわけでもなく、ただの暇つぶしの内容だったが、美沙から返事はなかった。よくあることだから特に気にしてはいなかった。でも、麻利亜の言葉が本当ならば。
インターホンを鳴らす。美沙が出てきた。ほっとしたのも束の間、美沙の表情を見て、真希は只ならぬことが起きていることに気づく。
美沙は笑っていなかった。虚ろな目。青ざめた顔。何よりも、腕についたまだ新しいいくつもの切り傷。真希は全てを悟った。
土足で家に上がり込む。一番近いトイレのドアを開ける。いない。リビング。いない。やはり向こうか。階段をかけ上る。眞子の部屋をノックもせずに開く。その瞬間、不快な臭いが鼻を突いた。吐瀉物の臭い。
そこには眞子がうずくまっていた。手足はがくがくと痙攣し、口からは大量の唾液が流れ出ている。助け起こしても目の焦点が合わず、皮膚はじっとりと濡れている。
「ちょっと! どうしたのよこれ!」
「え…えっと…あ、あの…その…」
後ろから来た美沙に詰問するが、パニックに陥っていて全く要領を得ない。とにかく救急車だ。真希は携帯電話を取り出す。
麻利亜はその光景を呆然と眺めていた。どうしてこんなことになってしまったのか。アタシは事故を未然に防ごうとしたのに、既に遅かった。アタシは無力だ。己の矮小さを突きつけられるばかり。もう嫌だ。逃げ出したい。声なんかかけなければよかった。変な世話心なんか持たなければよかった。すれ違う人なんて見なければよかった。毒草のことなんか知らなければよかった。そうすれば、後になってテレビで知るだけだったのに。他人事でいられたのに。余計なことをして後悔する。何も変わっちゃいないじゃないか、アタシは。
今からでも遅くはないかもしれない。家に帰ろう。夢でも見ていたのだと思おう。何もなかったことにすれば、忘れてしまえば、きっと楽になれる。だって、どうせもともと名前も知らない人間だ。どうなろうと知ったこっちゃないし、そもそもアタシがここに残ったところで、救うことなどできやしない。帰れる。帰りたい。帰ろう。麻利亜は階段に足をかけた。
その時。
「…?」
階段に足をかけたとき、麻利亜は違和感を覚えた。
何かを忘れている。何か大切なことを見落としている。このまま帰ったら、私はまた後悔する気がする。
第6感とでもいうべきものが麻利亜に警告する。何だろう。何に気づいていないのだろう。
「美沙ねえ…大丈夫?」
背後で美菜が声を発した。それを聞いて麻利亜ははっと気づく。
「美沙ねえは気持ち悪くなったりしてないの?」
「…う、うん」
…そうだ。それだ。
テレビで食中毒のニュースを聞くとき、決まって一緒に出てくる単語は何だ?
小学校、飲食店、町内会…食中毒は基本的に「集団」で発生する。
今目の前で起きているのが食中毒なら。眞子が食べたものに原因があるのなら。そしてその原因が真希の持っていたものならば。美沙も同じものを食べていないとどうして言える? 美沙は大丈夫だとどうして言える? まだ発症していないだけかもしれない。だとしたら、まだ手遅れじゃない。できることは、残ってる。
眞子に駆け寄り、首に触る。脈が遅く、弱い。恐らく副交感神経症状だ。呼びかけにも応じない。
「バイケイソウを食べたのね?」
麻利亜は美沙を振り返る。
「…え?」
「山で採った植物。その人が持ってるのと同じものを食べたの?」
そう言って電話をかけている真希を指差す。美沙は頷く。麻利亜はそれを見て、真希に向かって叫んだ。
「バイケイソウ中毒だって向こうの人に伝えて!」
有無を言わせぬ雰囲気に真希はたじろぐが、言われた通りにする。続いて麻利亜は美菜の姿を認めると、指示を出す。
「あなた! 水道水をコップ2杯持ってきて!」
美菜は慌てて階下へ降りる。勝手知ったる家だ、物の位置は分かっている。
その間、麻利亜は美沙に質問をぶつける。
「この症状はいつから?」
「…お昼を食べて…しばらくしたら喉が痛いっていって部屋に戻って行って…それで…変な音がするから様子を見に来たら…」
「どうやって食べたの?」
「一晩あく抜きして…お肉と炒めて…」
「どのくらい食べたか分かる?」
「えっと…3つか4つくらい…」
頭の中のページを繰る。若葉を4枚、十分な量だ。致死量ではなかった気がするが、体が小さく未完成な小学生となるとまた話は違う。それに、致死量とは半数の人間が死ぬ量であって、それより多ければ必ず死ぬわけではないし、少なければ安全というわけでもない。
「あなたも一緒に食べたの?」
「…ちょっとだけ…あんまり美味しくなかったから…」
「何か体に変わったことは?」
「…喉がちょっと痛いかも…」
しどろもどろになりながらも美沙は答える。目の前にいる少女が何者なのかは分からないが、真希が連れてきたのだ、そう悪い人物ではあるまい。
「はあ!? 20分!? もっと早くできないのかよ!」
電話越しに真希が怒鳴っている。20分もかかるのか。間に合わないとは言わないが、処置は速いに越したことはない。
「あ、あの…お水…」
美菜が戻ってきた。コップを受け取ると麻利亜はバッグからフィルムケースを取り出し、中身を注いだ。そしてコップの口を掌で押さえ、よく振る。
「これ飲んで」
「こ、これ…何…?」
「解毒薬」
「だ、だったら眞子が飲んだ方が…」
「意識がはっきりしない人に無理に飲ませると窒息の危険があるわ。それより、あなたの発症を防ぐのに使った方が有効」
フィルムケースの中身は、活性炭と硫酸マグネシウムの混合粉末だった。活性炭は腸内の毒を吸着し、硫酸マグネシウムは吸着した活性炭をいち早く排出させる効果がある。この組み合わせはかなり多くの毒物に有効で、それを本で読んだ麻利亜はお守り代わりにこれを携帯していた。
眞子に飲ませるのは危険だが、既に胃の内容物はいくらか吐き出しているようなので、取り入れた毒の全てが体に回るわけでもないだろう。
「で、後は何をすればいい?」
電話を終えた真希が尋ねる。正直言って一般人にできることなど高が知れている。後はせいぜい、医療者の手に渡るまでの時間を短縮することくらいだ。
「救急車はここに来るのね?」
「うん」
「じゃあ、玄関まで運びましょう。それと救急車が迷わないように家の前に案内役を。後は窒息しないようにうつ伏せにして、常に呼吸しているか確認して」
真希と2人で眞子の体を運びながら、麻利亜は最初の見積もりが間違いであることを知った。自分なんていなくても変わらないと思っていた。でも、今の状況は明らかに自分が主導して動いている。人手も必要だ。美菜は外へ救急車を誘導しに行った。美沙はパニックになっているし中毒の可能性があるので下手に動かせない。真希一人で眞子を運び、吐物の処理をし、呼吸の管理をするのは難しかっただろう。
やがて救急車が到着し、眞子は担架に乗せられた。真希と美沙はもう麻利亜のことなんか眼中になかった。ただ去り際に、美菜が車内からお辞儀をするのが見えた。
――友達になってもいいですか?――




