Not a friend, only an acquaintance.
「カノウセカイ」および「グウゼンセイ」のネタバレを含みます。単体でも読める…はず。少し話が飛び飛びになりそうですが。
「黒川さん、今日の夜にクラス会やろうっていう話があるんだけど、黒川さんも行かない?」
体育館から戻り、様々な感情が渦巻いた喧噪の中、意を決したように女子が話しかけてきた。
「ごめんなさい、アタシ、用事があるから」
「あ、そ、そっか…」
麻利亜はすげなく返す。女子は気まずそうにグループへと戻っていった。
教室を出て廊下を歩く麻利亜の耳に、先ほどのグループの会話がかすかに流れ込む。
「だから言ったじゃん、どうせ無駄だって」
「だって…」
「あの子、つきあい悪いよねー」
「誰かと仲良さそうにしてるの見たことないよ」
否定的な言葉の中に、彼女の呟きが混じり込んだ。
「…最後くらいお話したかったな…」
その言葉に、足を止める。引かれてしまいそうになる。
でも、駄目だ。
麻利亜は首を勢いよく左右に振ると、ズンズンと廊下を歩き始めた。まるで足に枷が付いているかのように、その足取りは重かった。
麻利亜に友人と呼べる存在はいなかった。
声をかけてくれる子はいた。遊びに誘ってくれる子もいた。でも、麻利亜はそれらを拒絶し続けた。だから、友達ができなかったのではなく、作らなかったと言った方が正しい。彼女の刺々しいオーラが、人々を遠ざけた。
昇降口を出て、麻利亜は校舎を見上げた。
もうここに来ることはないだろう。クラスや同じ学年の皆とも顔を合わせることはないだろう。もう彼女にはその必要性も、機会もないのだから。
でも、それでいいのだ。
どうせ卒業すれば、たった3年のつきあいの絆なんて元から無かったのと同じなのだから。
先ほどの少女は委員会が同じだった。明るくクラスの人気者で、それでいてそれを鼻にかける様子もなく、誰にでも分け隔て無く接していた。麻利亜にもよく接してくれた。
でも、それだけだ。
彼女にとって麻利亜とは、「仲良くすべき大勢のうちの一人」にすぎない。決して唯一無二の存在ではない。きっと新生活に入って半年もすれば、麻利亜のことなどきれいさっぱり忘れているだろう。
もちろんそれは、彼女が悪いのではない。麻利亜がもっと積極的に関われば、色々な話をすれば、一緒に遊べば、友人と呼べる存在になったかもしれない。別々の高校へ行っても、ずっと連絡をとり続ける仲になったかもしれない。そしてそのための努力は、今からでも遅くはないはずだった。今夜のクラス会に出れば、あるいは。
その夜、麻利亜は自室で辞典を読んでいた。クラス会の時間も場所も知らなかったし、知ろうとする行動も起こさなかった。
高校に入れば、新たな人々との交流が始まるだろう。でも、それも結局その場限りだ。大学に行っても、社会に出ても、それはきっと変わらない。彼女に、長年の友人なんてものはできない。
アタシは、呪われているんだから。
「あいつ、ウザったいんだよね」
麻利亜が自身の呪いに気づいたのは、小学生の頃、その言葉によってだった。
そのころの麻利亜には、よく一緒に遊ぶ相手がいた。四六時中一緒にいると言っても過言ではないくらいだった。自分のことは何でも話したし、相手のことなら何でも知りたかった。少しでも暇ならその子の所へ行ったし、どこか出かけることがあればその子を誘った。麻利亜にとってその子は親友だったし、大人になってもずっと仲良くつきあっていくと信じて疑わなかった。
その思いは、何の前触れもなく砕かれた。
ある日、麻利亜は街で友人の姿を認めた。声をかけようとしたとき、彼女が他のクラスメートたちと連れ立っていることに気づいた。近づこうか迷っていると、彼女らの会話が聞こえてきた。
「いつも麻利亜と一緒にいるよね」
「もう親友って感じ」
「やめてよ、そんなんじゃないったら」
「えー、違うの?」
「だってあいつ、ウザったいんだよね。何かにつけて寄ってくるし、何か用事があってもなかなか離してくれないし」
「うわー、ひっどーい」
「だってしつこいんだもん。あんたも麻利亜と話してみればわかるよ。絶対そのうちウンザリしてくるから」
その声が完全に聞こえなくなるまで、麻利亜はその場に立ち尽くしていた。
怖かった。
独りぼっちになるのが怖かった。
離れられてしまうのが怖くて、だから離れまいとした。
でも、近づきすぎた。
太陽に羽を焼かれたイカロスのように。
そしてその痛みは、あまりにも大きかった。
痛かった。
拒絶された痛みは、学年が変わっても治まらなかった。
もうこんな目に遭うのは嫌だった。
だから。
近づきすぎて痛みを味わうのなら。
いっそのこと、近づかなければいい。
分かってた。
自分が人付き合いが苦手なのは分かってた。
人の気持ちが分からない。丁度いい距離が分からない。
麻利亜という人間を知るにつれて、誰もが麻利亜の元を離れていった。
自分が普通じゃないのは分かってた。
どうせ無理なんだ。
アタシは、呪われているんだ。
春休み、麻利亜は朝食を食べると自室でタロットカードを取り出した。
よく混ぜて、裏にしたまま3枚を並べる。
この3枚が、麻利亜の置かれた状況を示している。左が過去、真ん中が現在、右が未来。
この占いはよく当たる。少なくとも麻利亜はそう思っていた。確率は半々のはずなのに、「現在」の位置に良い意味のカードが来ることはほとんどなかった。
そう、今回も。
左をめくる。そこには角の生えた異形の物体が描かれていた。悪魔のカード。意味するのは執着、盲目。ただ一人の友人に執着していた。いつも一緒にいたくて、相手の気持ちなんてこれっぽっちも考えちゃいなかった。
2枚目をめくる。三角帽子をかぶった男が上下逆さまに写っていた。魔術師の逆位置。意味するのは未来への不安。今、麻利亜は不安でしょうがない。新しい環境で上手くやっていけるだろうか。嫌われたりしないだろうか。
最後のカード。未来を示すそれをめくると、麻利亜は目を見開いた。そこにあったのは若い男女。周囲には天使が飛び回っている。恋人のカードだ。しかも正位置。意味するのは出会い、選択。
あたしは呪われている。
麻利亜はもうそれを受け入れていた。
でも、それは諦めたということではない。
麻利亜は信じていた。
いつか必ず白馬の王子様がやってきて、この呪いを解いてくれる。
そうすれば、あたしは幸せになれるんだ。
もしかすると、それはそう遠くないのかもしれない。
そう思うと少し心が軽くなった。
少し、遠くへ足を延ばしてみようかという気になった。
まだ寒さも抜けきらない時候、麻利亜は散歩に出かけた。彼女の趣味の一つに野草の観察があった。そう言うと、大抵の人は驚き、そして興味を持ってくれる。でも、そこで気を良くして深く話してはいけない。その内容に、聞いた人は皆引いてしまう。
目的の場所へ向かう途中、姉妹と思われる二人組とすれ違った。すれ違い際に、麻利亜は彼女らの手にしているものをちらりと見やった。
数瞬遅れて、麻利亜は立ち止まった。さらに遅れて、それが意味することを認識した麻利亜は、慌てて振り返った。
「この時期」に、「この場所」で、「あんなもの」を持っているということは。
若干特殊な知識を持つ麻利亜には、彼女らが何をしようとしているのかが容易に想像できた。そして、その結末も。
声をかけようとした。警告しようとした。でも、声が喉の奥から出てこない。
本当に言うべきなのか? もしかしたら余計なお世話かもしれない。もしかしたら自分の推測は間違っているかもしれない。相手を不快にさせるかもしれない。自分が傷つくだけかもしれない。それでも、本当に言うべきなのか?
別にいいじゃないか。彼女らに何が起ころうと、麻利亜に危害が加えられるわけじゃない。声をかけなかったところで、麻利亜が失うものは何一つとしてないのだ。傷つけられるリスクを犯してまで、とるべき行動ではない。
そうだ。手を伸ばすから、振り払われる。伸ばしさえしなければ、掴めるものはないけれど、傷つくこともないはずなんだ。
麻利亜は、声をかけるのを、やめた。
彼女らのことを考えないようにした。
忘れてしまおう。アタシは何をしにきたんだ? 植物を探しにきたんだ。彼女らを助けにきた訳じゃない。アタシには関係ない――
「おい」
声をかけられて、麻利亜は現実に引き戻された。
目の前に、さっきの姉妹がいた。
「何よアンタ、さっきからガン飛ばしてきて。喧嘩売ってんの?」
「お、お姉ちゃん、やめなよ…」
「いいんだよ、失礼なことしたのは向こうなんだから」
そう言って少女は麻利亜を睨みつける。年は同じくらいに見えたが、麻利亜より背は高くすらりとしていた。不機嫌そうな顔には威圧感があったが、顔つきは凛々しかった。肩下までの長さを頭の天辺で束ねた髪は茶色く染まっている。
「で、何の用?」
それが、鶴羽真希との出会いだった。
――友達なんかじゃない、ただの知り合い――