受傷日 プロローグ
カツっカッツ……コツコツ……
不規則な音は、病院のドコか淋しい廊下に響きます。
松葉杖の使い方がギコチナイのは、私が入院してからまだ日が浅いからです。
私は、乙川 姫乃。『姫乃』っていう名前はなかなか気に入ってます。
つい最近まで元気に暮らしていたのですが……
私の不注意で入院するハメになってしまいました━━
二日前、
『姫乃……ちょっと体調悪いんじゃない?』 友人Aこと、水谷 真冬がいつもの“おっとりボイス”に警告の意を含ませていることに私は気付いていました。
しかし!!
我がバレーボール部の全国大会を賭けた一戦を控えし今、体調不良くらいで休むことは出来ません。
『真冬、ありがとう。でも大丈夫!私は“全国”行くまでくたばらないから』
『そぅ?なら良いんだけど……』
真冬はまだ何か言いたげでしたが、私の決意に圧倒(?)されたのか、心配そうな顔で見つめるだけでした。
あぁ……今思えば、なんであの時真冬の忠告を聞き入れなかったんだろう……
女子にしては身長の高い私は、バレーボールにおいてはまさに無敵でした。
自分で言うのも難ですが、私の高い砲台から打ち出されるボールは、人間のスパイクとは思えない威力で相手を弾き飛ばすのです。
今回の試合でもスタメンとして起用されることになっていたので、練習にもよりいっそう力が入ります。
しかし、
真冬の言ったことも正しいのでした。
この日の私は、16年の人生で類をみない“絶不調”だったのです。
いつもの私なら、何かしら理由や言い訳をして帰っているはずでした……
『もぅ一本!』
私が叫ぶと、一年生がトスを上げてくれました。
タッ、タッ、タンッ!
リズミカルに助走をつけたあと、タイミングを合わせてジャンプしました。
しかし━━
私は上げられたボールを空振り、バランスを崩して落下しました。
ただ“落ちた”のなら、笑って頭を掻いとけば問題なかったでしょう。
『━━姫乃!!』
真冬の一言は、シンプルかつ的確に私の危険を察知していました。
私は、いつの間にか足下に転がっていたボールの上に着地したのです。
皆さんご存じのように、ボールは丸いのです!転がるのです!
左足を伝わって、白いバレーボールに私の全体重がかかりました。
視界がサカサになったのは、それから半秒後でした。
空中で横に一回転した私は、左半身を体育館の冷たい床に叩きつけました。
『━━ッ!!』
あまりに強く全身を打ったため呼吸が出来ず、半端なうめき声をあげてしまいました。
(あちゃぁ……恥ずかしいなぁ。)
私は一刻も早く立ち上がって、『あぁ、痛かった』と言いながら強がりたかったのですが━━
起き上がろうとした私を、真冬が片手で制しました。
真冬は妙に蒼白い顔で、私の膝の前辺りを見下ろしていました。
ふと、私はその視線の先を追うとそこにはあってはならない物があったのです。
私の背中側に曲がるはずの左足が、なんとその爪先を顔に近付けんばかりに折れ曲がっていたのです。
『……折れてるよ。姫乃』
真冬の一言は、私にもわかっていたことでしたが、あまりに突然の出来事に私の思考回路はオーバーヒート、オーバーラップ、オーバーザレインボーなのでした。
……足?……折れた?……嘘だょね?……全国は?……私のせいだ……
私の周りには練習中の悲劇に気付いた部員たちが、輪を作っていました。
受け入れられない現実は、夢のなかでは感じることの出来ないものによって突きつけられました。
『━━痛ッ!!』
左足に今まで味わったことのない痛みが走りました。
チクチクゃズキズキといった擬音では表現出来ない痛みに、私の視界が白くボヤけ━━
私は気を失いました。
目が覚めたのは、薬品の香る病院の一室でした。
既に処置はされていて、あの時に感じた痛みはもうありませんでした。
ベッドの上でボーッとしていると、不意にドアがノックされました。
『……どうぞ』
入ってきたのは母親と体格の良い医者でした。
『気分はどうだい?』
大きな体に不釣り合いな高い声は、無邪気で人なつっこい印象を受けました。
『……良いです』
嘘です。最悪です。
しかし
最悪なのは心の方であって、身体的には足が固定されているという以外、なんの不具合もありませんでした。
『そうかぁ、じゃぁまだ手術は出来ないね。僕は君の執刀医の河本です。よろしく』
『ょ、宜しくお願いします』
さっきの会話ドコかおかしくなかったかな?
元気なのに手術が出来ない?やはりおかしいです。
私の不思議そうな顔に気付いたのか、河本先生が口を開きました。
『姫乃さん、実は“水ぼうそう”に感染しているようなんです。気付かないまま全身麻酔をかけると、気道にできたブツブツのせいで呼吸困難になる場合があるんだ』
河本先生が言うには、私の膝は関節の中の骨が砕け、飛び散っているそうです。
すぐにでも手術をしたいそうですが。
私の体調が良いということは、まだ“水ぼうそう”が本気を出していない(先生は別の言葉を使っていたけど……)からなんだそうです。
先生は困ったように笑っていましたが、
お大事に。と言い置いて、トボトボ出ていきました。
これが私の入院生活の始まりだったのでした。