彼女のいない10日間(ユリウス視点)
「ユリウス様にとって私ってどういう存在?」
尋ねられたとき、咄嗟に答えられなかった。
フィーは俯いて、微かに震えていた。
当たり障りのない答えを返せる自信がなくて、問い返した。
「……フィーはどういう答えが欲しいの?」
「そ、れは」
フィーの震えが一瞬だけ大きくなった。
「ほんとは、好きな人って言って欲しいけど、違うって分かってるから。ねぇ、ユリウス様。私ってユリウス様にとって、一人の女性?」
「それはそうだろ。フィーはれっきとした大人の女性だ」
俺にとっても何も。彼女は学院を卒業した16歳。大人の女性でなければ何だというのか。
「少なくとも愛しうる対象ではあるのね?」
「……まあそうだな」
ああそっちか。
愛する人という言葉で思い浮かべるのはやはりカルメリーナだ。学生だったときと比べれば随分と落ち着いたが、それでもカルメリーナを愛している。
しかし単純に恋愛対象か否かと問われると、是としか言いようがない。
確かに親子の年の差だ。しかし既にその姿は立派に女性なのだから。
その日の夜、夕食を終えて部屋に戻ろうとすると、フィーに呼び止められた。
「ユリウス様」
「うん?」
「好きです。お慕いしています。私を妻にして下さい」
フィーに正式に告白されたのは、初めて会ったとき以来だ。学院を卒業してここに来たときも、好きだとは言われたし態度もそうであったが、正式な告白はなかった。
答えは決まっていた。
「ごめん。できない」
「分かりました」
フィーはあっさり引いた。少し泣きそうになりながらも、それを隠して美しい笑みを浮かべ、先に部屋に戻っていった。
本心を隠して浮かべる完璧な笑みは、どこかカルメリーナに似ていた。胸がきゅっと締まったのはきっとそのせいだ。
その日から毎日、夕食の後にフィーは俺に好きだと伝えてくる。断るたびに泣きそうな笑みを浮かべられると流石に胸が痛んだが、彼女を妻にする気はなかった。
一ヶ月たったその日、彼女は俺に告白しなかった。それどころか、予想だにしないことを言ったのだ。
「ユリウス様。私実家に帰ろうと思います」
「え……?」
「明日には荷造りを終えられそうなので、明々後日の朝出発したいのですがよろしいですか?」
あまりに想定外だった。しかも、明々後日。
固まってしまった俺をフィーが窺う。
「ユリウス様?」
「……いや。明々後日に馬車を出そう」
「いえ、シュリーレンから迎えが来る予定だから大丈夫です」
それも断られてしまうのか。
「そう、か。分かった」
「ありがとう。それじゃお先に失礼します、おやすみなさい」
軽やかに部屋に戻っていくフィーを見送るしかできない。
俺は何かしてしまったのだろうか。
何がいけなかったのだろうか。
何を言えばよいのか分からない。自分の気持ちすらも分からない。
翌日も翌々日も、結局何も言えなかった。
出発当日さえ、何も言えなかった。
ここにいて欲しいという自分の気持ちに、俺は気付かなかった。
無垢な笑顔でフィーは馬車に乗り込む。俺と離れられて清々しているのだろうか。
そう思っていると、フィーが窓を開けた。
「一週間滞在して戻ってきますね!お土産も買ってくるわ!では」
あ。
戻ってくるんだ。
そう分かった瞬間、何故かとても安堵して、自然と笑みが零れた。
「土産、楽しみにしている」
「期待しておいてね!」
フィーが馬車から身を乗り出し、俺に大きく手を振る。太陽を反射してきらきらと輝く金髪が風に揺れる。
俺も彼女に手を振り返し、その体が馬車に引っ込むまで見送った。
彼女のいない日が始まった。
朝食の席に彼女がいない。
昼食の席に彼女がいない。
執務の間に彼女が差し入れをしに訪れない。
夕食の席に彼女がいない。
彼女がいなくなって屋敷は暗くなった。
彼女はこの屋敷できらきら舞う妖精であり輝く太陽だった。
彼女がいないせいで使用人も寂しそうにしている。
彼女がここに来てたった七ヶ月なのに、彼女がいるのが随分と当たり前になってしまった。
「早く帰ってきて下さるといいですね」
この屋敷の家令が、執務中に話しかけてきた。
家令が執務や事務連絡以外のことを執務中に話しかけてくるのは初めてだった。
「何だ、急に」
「坊ちゃまがどうにもそわそわしていらっしゃるので。執務も捗らないようですし」
そわそわしているかはともかく、捗らないのは事実だった。
書類一枚こなすのにも二倍三倍の時間がかかっている気がする。
彼女が帰省して以降、ノルマがこなせず毎日遅くまで執務をしている。それでも終わらせることができない。
「フィーが来る前と同じなのにな」
「シルフィーネ様はとても魅力的な方ですから」
きっとそうなのだろう。
彼女がいないと光が失われたようで、喪失感を抱かざるを得ないのだ。
「けれどいずれシルフィーネ様はここを出て行かれるでしょう。今のうちにシルフィーネ様がおられない環境に慣れておいた方が良いかと」
「出て行く?」
「坊ちゃまはシルフィーネ様を奥様とするおつもりがないのでしょう?シルフィーネ様は坊ちゃまと結婚するためにここにいらしているのですから、シルフィーネ様が諦められたら公爵家にお戻りになると思いますよ」
そうか。
そうだった。
諦めて欲しいのに、出て行っては欲しくない。
自分勝手だ。矛盾している。
どうして彼女が諦めないと、ここを出て行かないと当然のように思っていたのだろうか。
「坊ちゃまはシルフィーネ様にここにとどまって頂きたいのですか?」
「……ああ」
「でしたらきちんと自分のお気持ちに向き合って下さい。シュリーレン公爵夫人を愛しているからという設定を一度忘れて下さい」
「設定ではない。俺はカルメリーナを愛している」
むっとして反論すると、むしろ諭すような目を向けられた。
「坊ちゃまがそう考えておられるのは分かっておりますが、夫人を愛しているからシルフィーネ様を愛することはできないという考え方を一度お捨てになって下さい。夫人のことは一旦横に置いておいて、シルフィーネ様のことだけをお考えになって下さい」
家令の言う意味が良く分からない。
カルメリーナを愛しているから彼女には応えられない、それの何がおかしいというのか。
眉間に皺を寄せた俺を見て、家令は言葉を加える。
「二人の女性を愛することはないと誰が決めたのですか。愛人を持たれる方の中には奥様も同じく愛している方もいらっしゃいます。まずシルフィーネ様へのお気持ちをお考え下さい。その上で夫人へのお気持ちをご確認すれば良いのではありませんか。今すぐ答えろとは申しません。一度きちんとお考えになって下さい」
「俺は二人を同時に愛するほど器用ではないし、そんな不誠実な真似はできない」
「誰もがそう思うものです。しかし愛してはいないがここに残れと仰る方が不誠実かと。勿論やはりシルフィーネ様のことを愛しておられないという結論が出たならば、それで結構です。考えるだけならタダではありませんか」
ここに残れと彼女に言うつもりはない。だが敏い彼女なら、俺のその気持ちに気が付いてここに残ることもあるかもしれない。もしそうなれば、確かに不誠実ではあるだろう。
俺はフィーを愛してはいない。だが家令の言う通り、考えるだけならばタダだ。
彼女がいなくなって生まれたこの喪失感の意味を少し考えてみてもいいかもしれない。
⁑*⁑*⁑
彼女が帰ってきたときには、俺の心は決まっていた。




