夫婦岩もある
近くの街は入学前の年に一度の来訪でしっかりマスターしている。
街に出たり出なかったりしながら一ヶ月程滞在したのだが、驚くほど進展しなかった。そこで私は遂に仕掛けることにした。
「ユリウス様とデートに行きたいです」
夕食のときにユリウス様に言うと、ユリウス様はしっかり噎せた。
「ごほ、ごほ、……あーっと、案内して欲しいってことでいいか?」
「間違ってはいませんが、デートに行きたいです」
あくまでデートという言葉を強調してやると、ユリウス様の眉間に皺が寄った。
「……行きたいところは」
諦めたらしい。
「恋人岬に」
「んぐふっ、あー、ん-、あー、あー………………分かった」
溜めが長い。
恋人岬は恋人同士で訪れれば一生共にいられる、好きな人と訪れれば結ばれるという願掛けスポットである。後者に関しては一緒に来ている時点で両想い確定なのだが……。
ユリウス様が迷った理由も分かるだろう。しかし恋人岬は立派な観光地であり、案内して欲しい場所があれば日を取ると自ら言ってしまった。逃げ場はない。
だが私が恋人岬を訪れたことがないのも事実である。因みに前世では訪れたことがある。多分、もう思い出すことのできない、前世で最初で最後の恋人と。
「……どうした?」
顔を覗き込まれて我に返る。私の前世はどうでもいいのだ。
「あ、ううん、何でも!ありがとう、楽しみにしてる。いつなら行けそう?」
「今週中はちょっと無理かも。来週でもいいか?」
「分かった」
心配そうに私を窺うユリウス様に笑みを見せる。しかし解消はできなかったらしい。少し逡巡し、ユリウス様は私に悪戯っぽく微笑みかけた。
「お忍びだ。貴族のデートにはお忍びがつきものだろう?」
デートだと言ってくれた。私を心配して敢えてその言葉を使ってくれたのだと分かるが、それでも嬉しかった。
ユリウス様に抱き着きたいのを抑え込み、私は満面の笑みを浮かべた。
「そうね!それでこそデートよね!」
「服装一式俺が贈る。アストレア領の服装を一番知っているのは俺だからな」
「そんな、悪いわ」
「いいから」
少し抵抗したが、押し問答の末に結局押し切られてしまった。そういえば小説では母も父とのデートで服を贈られていたなと思い出す。独占欲を身に纏った母が羨ましい。
そんなことを思いながら、夕食を終えた。
⁑*⁑*⁑
「わぁ、凄い。写真で見た通りだね」
「そうだな、ほんとすごいなこれ。こんな上手くぶつかるもんなんだな」
「ね」
彼は私の肩を掴んで向かい合わせにさせた。
「なあ、――」
「何?」
彼が跪いて、懐から小さな箱を取り出した。
ぱかりとそれを開いて彼が口を開く。
「俺と結婚して下さい」
ひゅっと息を呑み、じんわりと胸が熱くなる。
涙がぽろぽろ零れ出て、顔を覆う。
「はい」
彼の口元が歓喜に歪む。彼は慎重に指輪を私の薬指をはめて、ぎゅっと私に抱きついた。
「愛してる。愛してるよ、――」
「私も――のこと愛してる」
引き寄せられるようにキスをすると、周りからぱちぱちと拍手の音が聞こえる。
観客は少なかったけれど、拍手は大きく響いていた。
⁑*⁑*⁑
頬を濡らす涙で目が覚めた。
ああそうだった、名前も顔も何一つ思い出せない彼とは婚約をしていたんだった。変に前世を思い出してしまったせいでこんな夢を見てしまった。
彼に未練はない。今私が恋をしているのはユリウス様だ。
氷の残った水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。次の瞬間には、夢のことはさっぱり忘れ去っていた。
「おはようございます、シルフィーネ様。ん、どうされました?悪い夢ですか?」
「え?」
「頬に涙の跡がありましたので」
「あら、そうなの?なら悪い夢を見てしまったのかしらね」
⁑*⁑*⁑
二日後、ユリウス様に服装一式をもらった。荒いレースがふんだんに使われた淡い菫色のワンピース。アクセサリーは全て濃い目のパープルサファイアで固めてある。
「ユリウス様、」
「違う!お忍びなら恋人設定の方がいいだろうと、それだけだ」
「そういうことにしておきます」
私がにっこり笑って言うとユリウス様が仏頂面になる。
親子の年の差がある私たちなので親子設定の方が楽だったと思う。いや、実際多分周りからは娘を溺愛する父親、とっても仲の良い親子に見えることだろう。
だが、ユリウス様はあくまで恋人設定だと言う。
――もしかして、結構いい感じかもしれない。
待ちに待った当日。
「再度確認だが、恋人岬までは電車で片道半日。馬車より電車の方が早いし、今回はお忍びだから馬車は使わない。一日目の今日は夜に着いて泊まって、二日目は一日遊ぶ、三日目の朝に帰る。何かあるか?」
「大丈夫、ないわ」
「よし。……それと、その服とても似合っている」
横を通り過ぎたユリウス様の耳が少し赤い。私が動けずにいると、ユリウス様は私の元に戻ってきて、――私の手を取った。
「行くぞ」
「っはい」
その時の私の顔は人生で一番赤かったと思う。
宿に着いて、またひと悶着あった。部屋割りである。
ユリウス様がとったのは二人部屋を二部屋。というのもこの宿は二人部屋しかない。
「えっと、私とユーリ、レックスとエリーゼっていう組み合わせでいい?」
「いいわけあるか!一人で寝るのは駄目だ。フィーはエリーゼと一緒の部屋だ。レックスは俺と同じ部屋だ」
ユリウス様の愛称はユーリだ。お忍びなのでユーリと呼んでくれと言われたのである。そのときの私の喜びようは使用人全員が微笑んでしまうくらいのものだった。私が言いふらしたので。
因みに今回はダブルデートの設定らしい。護衛としてレックスを選んだのはエリーゼがレックスを気になっているからである。
「何よ、恋人同士なんだから同室が当然でしょ?」
「レックスが変な気を起こしたらどうするんだ。なあ、レックス」
「否定はしません!」
エリーゼがレックスを見る目が非常に冷たくなった。レックスはびくりと体を震わせ、自棄っぱちといった様子で付け加える。
「誰にでもとかじゃないから。エリーゼだから否定できないんだよ」
エリーゼの顔がみるみるうちに赤くなる。
「レックス、言うのは今じゃないだろ。まあとにかく部屋割りは性別だ、以上!」
有無を言わさぬ口調で言いきって、ユリウス様は私の手を握ってずんずんと進んでいく。引っ張られるようにして私もユリウス様を追った。
あんまり眠れなかったのは、硬いベッドのせいだけではないと思う。
翌朝、宿で簡易的に朝食をとって、私たちは恋人岬に向かった。
前世で訪れた所とは全然風景が違った。全く別の場所だった。
「波が岩を迂回するときに二つに割れて、ここで合流するんだ」
「……すごいわ」
仕組みは同じ。けれど合流したところで渦ができていて不思議だ。この世界は本当によく分からない。
「好きな人と来ると、結ばれるのよね」
私がユリウス様を窺いながら言うと、ユリウス様は迷いに迷って、首を少し傾け口元を歪めた。
「そう言ってはいるが、迷信を利用した単なるプロモーションだな」
背後でエリーゼとレックスが分かりやすくがっかりした雰囲気を出した。
分かっていたことだろうに。
と、レックスが気を取り直して口を開いた。
「ユーリ、フィー。場所は離れないから五分だけ時間が欲しいんだけど」
お忍びなので、勿論エリーゼとレックスもお友達口調だ。
ユリウス様が私を促す。何をしようとしているのかは一目瞭然だ。周囲に憲兵の制服を着た二人組を確認して私は頷いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
レックスがエリーゼを向き、跪いた。
「エリーゼ。一目見たときから貴女を愛しています。私と結婚を前提に交際をして頂けませんか」
エリーゼもレックスも平民出身だ。身分は釣り合っている。おめでとうという言葉を口の中で準備した。
しかし、エリーゼは表情を変えずに首を横に振った。
「ごめんなさい、できません」
私もユリウス様もらしくなく動揺して小さく声を漏らす。
どこからどう見ても二人は両想いだった筈だ。
レックスはガーンと擬態語が聞こえてきそうな表情でエリーゼに尋ねた。
「り、理由を聞いても?」
「私はお仕事を続けたいの。正直に言うと、私もレックスを好きよ。でも、レックスよりもシルフィーネ様の方が好きで大切なの」
あ、嬉しい。
「それに……私は今30歳よ。平民でも行き遅れって言われる年齢。それに貴方は25で私より年下でしょう?貴方のご両親も相手が私じゃがっかりするわ」
「まずエリーゼの年齢については問題ない。ユリウス様はもうすぐ40だ。30なんて余裕だ。で、両親についても問題ない。元々俺は結婚するつもりはなかったし、俺の兄貴が子沢山で両親がそっちに夢中だから、俺の結婚なんか欠片も気にしちゃいない。で、仕事の話だが、続けてもらって全く問題ない。確かに平民は結婚すれば嫁は家に引っ込むみたいな風習はあるけど、高位貴族なら母親が働いているのも普通なんだろう?」
「それは、まあ……」
「どっちの方が好きとかじゃなくて、シルフィーネ様への好きと、俺への好きは別物だ。異性としての好きでただ一つを貰えるならそれで構わない。実際俺も有事ならユリウス様やシルフィーネ様を優先するしな」
一つ一つ言い訳を潰されてエリーゼが戸惑っているのがわかる。
「あと30秒だ」
告げるユリウス様は可笑しそうに笑みを浮かべている。レックスはエリーゼの左手をとって手の甲に口づけた。
「何も障害はない。お互い好き合っているんだから答えに迷うことはないだろう?エリーゼ、俺と付き合って欲しい」
「うぅ……よろしく、お願いします」
観念したように言うエリーゼの顔は真っ赤だ。私の侍女であるがために結婚しないのは分かっていたので私も少し心苦しかったのだ。上手くまとまりそうでよかった。
レックスは満面の笑みでエリーゼを抱き締め、唇を重ねて解放した。
エリーゼは最早ぴくりとも動かない。
「すまん、ありがとう。俺たちのことは気にせずに」
「おう」
そう言うとレックスは気配を薄めた。エリーゼもそれに合わせて甘い雰囲気を不自然でない程度に薄める。プロだ。
「気に入ったか?」
「うん。ユーリと一緒に来れて嬉しい」
微笑んで、手の繋ぎ方を変える。指を絡ませた、恋人繋ぎへ。
「良かった」
ユリウス様も微笑み返してくれる。
恋人繋ぎは拒否されなかった。




