20
がりがりと耳障りな音に気づいて僕は顔をあげた。
机の上の置き時計は夜の九時を示している。
間近に控えた期末テストに向けて勉強していた。数学の問題集の二周目で、前回解けなかった発展問題に頭を悩ませていたところだった。
がりがりがりがり
音はまだ続いている。気味悪く思って音の出どころを探すと、カーテンの隙間から、小さな目が部屋の中をのぞいているのが見えた。
「……っ!」
ギョッとして立ち上がる。
窓の向こうはベランダだ。そこに何かがいて、こちらをじっと伺っている。
緊張して身構えた僕の耳に、微かな音が届いた。
「にゃあ」
「え?」
拍子抜けしてカーテンを開けると、ベランダに一匹の猫がいる。黒猫だ。ガリガリという不快音は、猫が窓をひっ掻く音だったようだ。
「あれ、お前?」
奇妙に長い尻尾と、まばらに毛の抜けた痛々しい姿に見覚えがある。
懐かしい。この猫に案内されて、僕はあの公園で涼乃と出会えたんだ。まだ数ヶ月しかたってないけど、それは長い長い思い出の出発点みたいな気がした。
こいつ、寒くないのかなぁ。毛並みの揃わない、こんなに薄い体で。
夏原さんはたまにミルクをやっているようだったけど、それでもあの猫が回復する様子はない。
「……なんか食べるか?」
窓を開けると、猫はベランダの手すりに飛び乗った。
じっとこっちを見て、片腕で空を掻く。
その仕草は、まるでおいでおいでと手招きするようだった。
「にゃあ」
黒猫は一鳴きすると、ベランダから飛び降りた。
「危ないっ!」
焦ってベランダから身を乗り出すと、足もとからにゃあと聞こえた。なんだ、猫はこの高さから落ちても大丈夫なのか。
山丘家の駐車場に降り立った猫は、まだ僕にじぃっと視線を送ってくる。
――なんだ? それに、さっきの手招きするような仕草。
ざらり、と嫌な感触が胸を撫でた。
夜闇の中で黒猫の姿はいかにも不吉で、僕の鼓動がはやまっていく。
「にゃあ」
鳴き声にも、どこか切迫した調子が聞き取れた。
――そうだ、この猫は僕を夏原さんのところに導いてくれたじゃないか。
「もしかして……また僕を夏原さんのところに連れて行ってくれるの?」
――死神に、早すぎる死を予言された、彼女。
投げかけた言葉に、黒猫ははっきりと頷いた。少なくとも、僕にはそう見えた。
――まさか、夏原さんの身に何かあったのか……!?
コートを引っ掴んで階段を駆け下り、僕は部屋着のまま家を飛び出していた。




