後日談2 それから……
ある朝。
カテリーナは、少しだけ気分が悪かった。
「……?」
目が覚めた瞬間、ふわりと体が重い。
隣ではマッティアがすでに起きて、書類を読んでいる。
「おはよう」
カテリーナが目を覚ましたのを感じて、マッティアは視線を妻へ向けた。
(……優しい声)
カテリーナは微笑む。
マッティアの男っぷりが最近上がった気がするのは、カテリーナの欲目なのだろうか。
夫はますますかっこいい、と妻として思う。
「おはよう……マッティア。紅茶をいただける?」
けれど起き上がろうとした瞬間。
「……うっ」
思わず顔を押さえる。
マッティアがすぐに立ち上がった。
「カテリーナ!?」
顔色が一瞬で変わる。
「どこが痛い!?」
「熱? 頭? それともお腹?」
もう完全に青ざめている。
カテリーナは慌てて首を振った。
「大丈夫よ……少し気分が……」
「大丈夫じゃない!」
マッティアは即座に言った。
「医者を呼ぶ!」
「いや、そこまでじゃ……」
「呼ぶ!」
――数分後。
屋敷は大騒ぎになった。
医者が呼ばれ、侍女たちが慌てて部屋を整える。
そして診察が終わる。
医者は微笑んだ。
「おめでとうございます、奥様は、ご懐妊されています」
一瞬、部屋が静かになる。
「……え?」
カテリーナは目を丸くした。でも、予感はあったかもしれない。
医者は穏やかに頷く。
「まだ初期ですが、間違いありません」
カテリーナはゆっくりと自分のお腹に手を当てた。
(……赤ちゃん)
その瞬間。
隣で――音が聞こえた。
「マッティア!?」
伯爵がめまいを起こしそうになっていた。
「なぜお坊ちゃんが倒れるのです!!」
侍女たちが慌てる。
「おぼっちゃま! 毎回毎回……!」
医者が苦笑した。
「――喜びすぎですね」
カテリーナは思わずため息をつく。
「……もう、倒れるのはいいけれど、頭をケガしないでね」
少ししてマッティアは深呼吸を繰り返し、ようやく精神を落ち着かせた。
そして最初の言葉を慎重に整える。
「……カテリーナ」
「……うん?」
震える声。
「本当に?」
カテリーナは微笑んだ。
「……本当よ」
マッティアはしばらく固まってから、急に真剣な顔になる。
「絶対に守る。君も、赤ちゃんも――全部」
カテリーナはくすっと笑った。
「まずは……」
少しからかうように見つめ、目を細めた。
「――倒れないことね。パパになるのだから」
部屋に小さな笑いが広がる。
そして、新しい家族の物語が、静かに始まった。
*********
一方、王宮ではそして王家では、騒がしいことが続いていた。
王太子は正式に王妃を主要貴族から迎えたものの、彼の悪癖は止まらなかった。
自由恋愛を夢見ているのか、次々と新しい側室を増やしていく。
もともと女性関係に奔放ではなく、優等生だった王太子。
その完璧な印象は、今では地に落ちていた。
数年後もその悪癖はなおることなく、王都はだんだん治安が悪化してくる。
――――夜。
一人、執務室で王太子は書類を前にしていた。
……だが、集中できない。
奥の部屋から声が聞こえる。
「なぜあの女ばかり優遇するのです!」
正妃の怒声。
側室同士の争い。
侍女たちが慌ただしく動く。
王宮は常に緊張している。
政治、派閥、嫉妬、権力。
王太子は疲れたように目を閉じた。
(――どうしてだろう)
王を継ぐ立場。
権力。名誉。
すべて手に入れている。
――なのに心は、少しも安らがない。
そのとき――ふと、思い出す。
学園の中庭、ベンチ。
……カテリーナが笑っていた。マッティアに寄りかかりながら。
あの柔らかな顔。
王太子は机に肘をつく。
「……あれが」
小さく呟く。
「幸せ、というものか」
なぜ、自分には手に入れられないのか。
王太子は小さくため息を吐いた。
*********
遠く離れた領地。
伯爵家の庭には、まだ小さな子供たちの笑い声が響いていた。
「母様!」
駆け寄る子供たち。
全員、カテリーナに似ている。
整った顔立ち。利発な声。
元気いっぱいのしぐさ。
「母様見て!」
「兄様が転んだ!」
「違うよ!」
カテリーナは笑う。
その隣にはマッティア。
少し困った顔で子供たちを見ている。
「……賑やかだね」
「ええ」
カテリーナは幸せそうに答える。
「幸せね」
マッティアは微笑んだ。
「うん」
領地は発展している。商業も伸びている。
人々は穏やかに暮らしている。
争いは少ない。
そして何より――家族がいる。
マッティアがふと聞いた。
「カテリーナ」
「なに?」
「今、何かほしいものあるかな?」
カテリーナは迷わず答える。
「特に、ないかしら」
そして少し笑う。
「あなたはほしいものある?」
マッティアは子供たちを見る。
それからカテリーナを見る。
「……うん」
静かな声。でも確かな声だった。
「最近カテリーナとの時間を取れてないから、週末に二人で出かけたいんだ。
子どもたちは両親が王都から来るから、ぜひ行ってきなさいって」
「まあ、お父様とお母様が」
「どうかな?」
「ええ、うれしい……。でも最近、あまりきれいにできていなくて。マッティアを魅了できるくらいに、おしゃれするわね」
「これ以上きれいになられたら、僕の心臓がもたないよ」
「でも母親になって、お肌も荒れたり、寝不足になったり……体のラインも前より……」
「君はずっときれいだよ」
「もう……」
マッティアはずっと変わらない。ずっと優しくて甘い。
父親としても頼れるし、夫としても尊敬できることばかりだ。
ただ一つだけ――マッティア成分が足りないこと。
それがカテリーナの唯一の不満だったから、
デートの約束ができて、つい張り切ってしまう。
「マッティア、これからもずっと愛してね?」
「……ずっと君に夢中だよ」
相変わらず仲のいい二人に、子どもたちがじゃれつく。
使用人たちも微笑む。
こんな光景が、ずっと、ずっと続く。
そして――
カテリーナとマッティアは、いつまでも幸せに暮らしました。
と、のちに子どもたちは幸せそうに語るのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
※次回作のお知らせ
5月22日より、異世界恋愛の長編作品を連続連載予定です。
「王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました」
全52話・約10万文字。
朝8時・夜20時を中心に更新予定となります。
静かな図書館から始まる、
少し不器用な二人の結婚と恋愛のお話です。
のんびり楽しんでいただけたらうれしいです。




