第1話 爆美女悪役令嬢は、悪役を信じていた
全21話+後日談2話です。
完結まで連続投稿いたします。
「カテリーナ元王太子妃、被告は死罪とする」
その宣告は、ひどくあっさりしていた。
ひび割れた指先。荒れ果てた髪。くすんだ肌。
かつて“王国の宝石”とまで呼ばれた女の面影は、もうどこにもない。
カテリーナは、法廷の床をじっと見つめていた。
まるで他人の話を聞いているかのように、静かに。
王国随一の名門侯爵家。
血統は建国までさかのぼる。
その家の一人娘が、今は王家転覆を企てた罪人として裁かれている。
壇上には、王。
その隣に立つのは、かつての側室――いや、今は王妃だ。
カテリーナが王太子妃を退いた後、王太子は王となり、側室は王妃となった。
王は、冷えきった視線をこちらへ向ける。
その目に、かつて夫婦だった情は、ひとかけらも残っていない。
(なぜ、こうなってしまったのかしら……)
身に覚えのない罪が、いくつも読み上げられた。
でっちあげられた証言。巧妙にすり替えられた書状。
しまいには両親まで巻き込まれ、家は廃嫡。
わずかに残る領地で、軟禁生活を送るのだろう。
弟もまた、罪人の弟として扱われ、
軟禁ののち国外追放。
――侯爵家は、終わる。
(思えば……私は、王太子妃になることしか見ていなかったのよね)
何が間違っていたのか。
政治の権力争いに負けただけ?
それとも、王太子の心をつかみ続けられなかったから?
答えは出ない。
気づけば、私はずっと戦っていた。
笑顔で、優雅に、完璧な令嬢として。
その戦いの終わりが、処刑だなんて。
「……ふふ」
乾いた笑いが、喉の奥で転がる。
なんて、皮肉。
*******
「美しい者は、勝つ」
それが、カテリーナの価値観だった。
生まれは侯爵家。
両親は揃って美しく、格式ある血筋。
誕生の際には盛大な祝宴が開かれたという。
王妃を輩出し、王家が婿入りしたことすらある名門中の名門。
そんな家に生まれて、平凡でいられるはずがない。
カテリーナは――爆美女だった。
鏡を見れば、ため息が出るほど整った顔立ち。
宝石のように艶めく黒髪。
光をはじく肌。
人を惑わせるラベンダーの瞳。
笑えば人が寄り、黙って立っているだけで場が整う。
そして、何をやらせても人並み以上。
学問も芸術も、社交も、完璧。
……だからこそ、嫉妬も買った。
強気な振る舞いは、いつしか“悪役令嬢”と呼ばれるようになる。
けれど、間違いは犯していない。
無実を装って泣くこともない。
健気に耐える令嬢でもない。
私は、自分の美貌と才能を使っただけだ。
王太子妃の座を狙う、それは当然の流れ。
王宮という舞台の中央を、堂々と歩くために。
王太子妃の椅子は一つしかない。
爵位が足りなければ、妾止まりだろう。
だが私には、美貌も、才能も、爵位もあった。
取りに行かないほうがおかしい。
そう信じていた。
邪魔なものは蹴散らす。
遠慮なく、容赦なく、笑顔で、確実につぶす。
「まあ、ごきげんよう。今日のあなたのドレス……あら、少し背伸びしたのね。似合っていないわけではなくてよ?」
言葉は柔らか、刃は鋭く。
「その髪飾り、とても素敵。……ああ、あの商会の? 子爵家に出入りしている、あの方が選んだのかしら。彼からの贈り物?」
一言で、相手の顔色が変わる。
恋敵に影があれば、徹底的に芽を摘む。
情報は自然と集まった。
私の周りには、忠実なしもべもいた。
幼い頃からの嫌味や牽制は、もはや呼吸のようだった。
だって――
王太子の隣に座る椅子は、戦場なのだから。
誰にでも優しい男は、モテる。
高貴な身分は、モテる。
見目がいい男は、モテる。
つまり、モテる男を選べば、間違いない。
愛なんて曖昧なものに、人生を預けるほど甘くはない。
欲しいのは確実性。
盤石な地位。
奪われない未来。
だから、私は王太子殿下を選んだ。
殿下は完璧だった。
顔立ちも、立ち居振る舞いも、声も。
誰に対しても穏やかで優しく、臣下にも民にも笑顔を向ける。
カテリーナの隣に立てば、世界は一枚の絵画みたいに整った。
そして何より――
(あの方は、誰からも愛されている。ならば、私が選ぶべきはあの方)
そう、疑いもせず信じていた。
********
宮廷の舞踏会で、カテリーナは一手ずつ駒を進めた。
誰が殿下に近づくかを観察し、ささやかな失言を誘い、失態を演出し、同情を集め、味方を増やす。
美貌は最強の武器。笑顔は最高の鎧。
名門の姓は、カテリーナの切り札の1つ。自然と相手を言いなりにできる武器だ。周囲は美貌やたたずまいを口々に褒めた。
「さすが侯爵家」
「美しさだけじゃなく頭も切れる」
「殿下の隣にふさわしい」
当然だと思った。
当然のはずだった。
――でも。
勝っているはずなのに、いつからか眠れなくなった。
朝になっても緊張は抜けず、笑うほどに顔は固まり、誰かが近づくたび、心臓が早鐘を打つ。
だって、常に不安だった。
ライバルはいる。
目の前にいなくても、噂の向こうに。
微笑みの裏に。贈り物の陰に。
王太子妃の椅子をめぐる戦いに終わりはない。
戦争に休息はない。結婚したとしても盤石は訪れない。
殿下は、誰にでも優しい。
――誰にでも。
その事実が、少しずつカテリーナを削っていった。
彼女が見つめている間に、殿下は別の誰かにも微笑む。
言葉を選んでいる間に、別の誰かに気遣いを向ける。
カテリーナは「特別」になりたいのに、殿下は「平等」に優しかった。
やがて気づき始める。
優しさは、愛ではない。
それでもカテリーナは、優しさを愛だと思い込み、愛を勝ち取ったつもりになっていた。
その夜も舞踏会だった。
シャンデリアは眩しすぎるほどに光り、香水と笑い声が甘く混ざり合う。軽くめまいがするほどに。
私は完璧なドレスを着ていた。
完璧な笑みも、当然のように浮かべている。
爆美女であるカテリーナが一歩進めば、海が引くみたいに人が避ける。
視線を向ければ、息を呑む音が聞こえる。
(ほら。今日も、私は勝っている)
そう思った。
――なのに。
殿下の視線が、私を通り過ぎた。
ほんの一瞬。でも、確かに横をすり抜ける。
えぇ、わかってる。わかってる、でも。
認めたくない。
しかし、現実はまざまざと視界に入る。
その先にいたのは、別の令嬢だった。
淡い色のドレス。
守りたくなるような儚い笑みが、夫を見つめ腕をとり寄り添う。
殿下はその令嬢に、ほんの少し身体を傾けていた。
まるで、2人しかいない世界だ。
(あの位置は、私のものだったはずでしょう?)
胸の奥が、ひび割れる音がした気がした。
私は扇を広げる。
指先が、わずかに震えていた。
悪役令嬢は取り乱さない。
取り乱した瞬間、負ける世界で生きてきた。
だからにっこりと微笑むしかない。
私は余裕なのだと、言い聞かせて。
「殿下」
声は完璧だ。震えていない。
だが、指先は冷えている。感覚などない。
殿下は彼女からそっと視線を上げ、カテリーナに向けた。優しい目だ。そう、いつもと変わらない。
――その目は、誰にでも向ける目。
「カテリーナ、今宵も美しい」
微笑み。誰にでも優しく、完璧な言葉そして声。
(それ、何人に言ったの?)
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「ありがとうございます。殿下こそ」
完璧な返答。完璧な距離。そして完璧な夫婦。
なのに、何も満たされない。
優しさは、愛じゃない。
その事実が、遅れて胸に刺さる。
私はずっと、“選ばれている”と思っていた。
でも殿下は違う。
殿下は――
みんなに丁寧に対応する。
誰も選ばない。
平等に、優しい。
(私は、誰かの特別になりたかったのに)
音楽が遠のく。
笑い声が波みたいに押し寄せる。
ふと、人混みの向こうを見る。
そこにいた。
地味で、華やかさもなくて、誰の視線も集めないのに、なぜかそこだけ静かな場所。
幼なじみの伯爵令息、マッティア。
彼はいつも通り、ただ見ている。
私を責めない、哀れまない。
でも――
何かを知っているみたいな目。
(やめて)
胸が痛む。
(そんな目で見ないで。私は常に勝つの。私は正しいの)
勝てる。勝てるはず。
―――なのに、どうして、あの視線のほうが、こんなに苦しいの。
私は目を逸らした。
逸らしたのに、胸の棘は刺さったままだった。
(何を間違えたの?私はいつから選択を間違えたの?)
そんな揺らぎが心をざわざわと揺らす。
その夜、私はまだ知らなかった。
この舞踏会が、転落の始まりになることを。
そして――最後に欲しくなるのが、王太子の言葉でも、王妃の椅子でもなく。
あの地味な伯爵令息の、たった一言になることをこのときの私は、まだ知らなかった。
そして、処刑台で思い出したのは、王でも、権力でもなく。
ずっと黙って隣に立っていた、―――あの人だということを。




