第二十六話 料理
翌朝、宗一は千夜を起こしに部屋へ向かった。
先日、見事に振られてしまったことは、まだ胸に堪えている。それでも、自分が気まずい空気を作ってしまっては千夜に申し訳ない。
なるべく普段どおりに振る舞おうと心に決めていた。
もちろん、振られた直後は酒を煽って寝た。一晩経てば気持ちもすっきりすると思っていたが、胸の奥にはまだ引っ掛かるものがある。
家族や友人にも心配された。
けれど、大の男がいつまでも落ち込んでいるわけにもいかないと、宗一は懸命に仕事に励んだ。
時間が心を癒やしてくれるとはよく言ったものだ。
千夜の顔を見ても、以前ほど胸が痛まなくなってきたのが、その証拠だろう。
あとは、このまま開墾が無事に終わり、千夜が藩に戻って会う機会もなくなれば、深く傷つかずに済むはずだ。
千夜の部屋の前に立ち、宗一は自分の頬を軽く叩いた。
いつもの笑顔を作る。
いざ、戸を叩こうとした、その時だった。
「……あ」
部屋から孤月が出てきた。
宗一は思わず、その場でぴたりと動きを止めてしまった。
「ああ、おはよう」
孤月は何でもないことのように挨拶をしてくる。
しかし、その直後、ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「まだ寝てるから、起こさないでやってくれ」
その顔に腹が立ち、宗一は孤月の首根っこを掴んで朝食の場へと連行した。
*
「……はっくしゅん!!」
朝食後のお茶の時間、宗一の母親が盛大なくしゃみをした。
ついでに、ズビッと鼻も啜っている。
父親と宗一、そして孤月が揃って母親に注目した。
「大丈夫か、久子。風邪ひいたんじゃないか?」
父親が心配そうに声をかけた。昨夜は下の子供たちに毛布を取られてしまい、夫婦揃って寒い思いをしたらしい。
その子供たちはというと、今日も元気に別室で遊んでいるところだった。
「少し熱があるみたいで。でも、このくらい大丈夫ですよ」
久子は少し辛そうにしながらも、にこりと三人に微笑んでみせた。
「家のことはやっておくから、母さんは寝てなよ」
本人は大丈夫だと言っているが、無理をして熱が上がってしまっては大変だ。
宗一も心配になって声をかけたが、久子は困ったように眉を下げた。
「んー……そうねぇ。でもさぁ、昼食の準備が全然できてないからさぁ」
三人のやり取りを見ながら、孤月はズズッとお茶を啜った。
自分の体調が悪いというのに、真っ先に家族の食事を心配するとは。
母親というものは、なんと健気で、たくましい生き物なのだろう。
孤月は素直に感心した。
やがて、何かを思いついたかのように湯呑みを置くと世話になっている礼も兼ねて、一つ提案した。
「俺が作ってやるよ」
「「「えっ!?」」」
三人が目を丸くする。
「そんな!孤月様にそんなことをさせるわけには!」
「そうですよぉ!」
「大丈夫だって。宗一にも手伝わせるから」
「!?」
宗一は、面食らったように孤月を見た。
孤月は、久子に無邪気な笑顔を向けている。
男子厨房に入らず。
中国古典の教えが本来の意味とは異なる形で日本に伝わったように、男は台所に立つものではない、という考えが古くから根付いていた。
料理は女の仕事。男が台所に入ることは、あまり良しとされなかったのである。
もちろん宗一も料理をしたことはなく、包丁の扱いすらおぼつかない。
それでも、母親を休ませるためには、孤月の提案に乗るしかないと思った。
「母さんは寝ててよ。二人でやるから」
宗一もそう言って後押しした。
二人の息子に頼もしい笑顔を向けられ、久子は嬉しそうに頷いた。
*
「〜♪」
孤月は鼻歌を歌いながら、手際よく料理を進めている。
食材は、雪の中に保管してあったものを取り出してきた。
雪国では、冬になると雪の中に野菜などを埋めて保存することがある。雪そのものが天然の冷蔵庫となり、食材を新鮮な状態で保ってくれるのだ。
「まあ、簡単なものしか作れないがな」
そう言うと、孤月は大根を五センチほどの厚さに輪切りにした。
そして、包丁を器用に動かし、皮を薄く剥いていく。
宗一は目を丸くした。
剥いた皮の向こう側が透けて見えるほど薄いからだ。まるで、職人の手仕事を見ているようだった。
「お前は米を研いでくれるか?」
「えっ? あっ、はい!」
宗一は慌てて返事をした。
稲刈りのときも、藁仕事のときも、孤月は何でも器用にこなすのだと分かっていた。
しかし、まさか料理までできるとは思っていなかった。
(……孤月様を選ぶのも、分かるなぁ)
自分との差を見せつけられたようで、宗一の気持ちは沈んでいってしまった。
そんな宗一の様子に孤月が気づいたかどうかは分からない。
ただ、落ち込む暇もないほど、次々と宗一に指示が飛んできた。
「お湯を沸かせ」
「煮干しで出汁を取れ」
「炊いた米を茶碗一杯分、鍋に入れろ」
「梅干しも入れとけ」
そうして孤月の指示に従い、宗一は何とか久子のための粥を作り上げた。
「……っ!」
自分で料理をしたことのなかった宗一は、鍋の中に出来上がった粥を見て、思わず感動した。
「久子に持っていけ。他のは俺がやっておく」
孤月はそう言うと、表情を変えずに調理に使った食器を洗い始めた。
(……敵わないなぁ)
不思議と、宗一の胸から劣等感は消えていた。
代わりに、孤月への感謝と、母親が粥を喜んでくれる姿を思い浮かべ、胸が温かくなっていた。




