第一話
死にゲー、というジャンルがある。
文字通りゲームオーバーを前提とした難易度のゲームのことで、初見殺しや性格の悪いトラップ、強力な敵の数々がプレイヤーを苦しめることが多く、一見すると一部のゲーマーが好む種別に思えるだろう。
しかし、それ故クリアした際のカタルシスは多く、難易度の奥深さや多彩な攻略法。神がかった調整により成り立つのが死にゲーの魅力である。
その人気は根強く、このジャンルは瞬く間に広がり、死にゲーライクという分派まで生み出したほどだ。
そして、このジャンルのもう一つの魅力こそ、重厚なダークファンタジーと多くを語らない考察重視の物語だろう。
テキストや散逸する情報を組み上げ、徐々に見えてくるキャラクターの偉業に百面相するのも醍醐味の一つだ。
だが……この手のゲームには、一つの致命的な欠陥が存在する。
それは、このゲームがダークファンタジーであり、登場人物がハッピーになる展開など、殆ど存在しない、という点だろう。
プレイヤーにとって対岸の火事であるそれは、しかし現実の出来事として起きる人間にとっては絶望そのものである。
「……えぇ。マジかよ」
特に、そんな世界に転移してしまった人間にとっては、死刑宣告よりも遙かに重い罰である。
1
『ゼディメント』というゲームは、ゴリゴリの死にゲーライクである。
弱攻撃と強攻撃、防御とカウンター、後は秘技や武技というスキルを活用して戦う、王道ダークファンタジーだ。
そしてこの世界は既に殆ど終わっている。修復の余地はなく、僅かな延命措置しか残っていない現状は、まさしくダークファンタジーを名乗るに相応しい舞台設定であろう。
世界には狂人が溢れ、狂えなかった常人は理性を失い、ただの獣へと変貌する。それこそ、『ゼディメント』の舞台である国、フラメントだ。
きっかけは『淀み』と呼ばれる呪いが蔓延したことだ。たった一度の過ちにより、終焉は瞬く間に広がっていった。
適正のないものが人を襲う怪物に変容し、適応した人間もまた己が目的のために暴れ回り、世界は再建不可能なまでに壊れてしまった。そんな状態で、物語は幕を開ける。
名も無き『淀み』の適合者である主人公は、斜陽にあるフラメントを探索し、そして『淀み』の怪物や適合者を打ち倒し、自らの望む世界へと変容させていく。それが『ゼディメント』の大まかなストーリーだ。
ここで考えて欲しい。
もし、そんな終わった世界へ唐突に放り込まれてしまったのなら?
もし、そんな状況で自死を選べぬ主人公と同じ『淀み』に適合してしまったら?
もし……そんな最悪な環境で、さらに極悪な人間に目を付けられてしまったら?
一体、どうすれば良いのだろうか。
「はぁっ……! はぁっ……!」
「おい、逃げるな。いい加減追いかけっこは飽きたぞ」
「じゃ、あ……! 逃がして、くれ……!」
「駄目だ。諦めて死ね」
灰と石ばかりの廃墟であっても、その光景は珍妙であった。
息を切らしながら走る男は、赤く染まった腹を押さえながら一人の人間から逃げていた。
何故か半裸の女だった。もはや下着とも呼べぬボロ布のみを纏った、あまりに美しすぎる肉体の女だ。だが、そんな女の両手にはあまりに重々しい大剣が装備されていた。
明らかに女の体重よりも重いソレを、彼女は難なく振り回していた。その度に建物が崩れ、灰が舞い、潜んでいた『淀み』の怪物を蹴散らす。
「っぶねぇ……!?」
「また躱すか。中々やるな、青ローブ」
「また生き返れる保証は……! 無いんでね……!」
超重量の暴力を、男は紙一重で避け続けていた。その度に女の口角は上がり続け、攻撃は苛烈になっていく。直撃せずとも、その風圧や衝撃だけでも男には十分なダメージとなっていた。
そして……そんな蓄積は、致命的な隙となって現れることになる。
「がっ……!?」
「浅い。だが、これで終わりだ」
大剣の切っ先が、男の上半身を凪いだ。それだけで男の身体は跳ね飛ばされ、地面に赤黒い染みを作っていった。
「く”そ”……!」
立ち上がろうとしても、既に身体は限界を超えていた。そんな男に向け、女は大剣を天高く振り上げた。
「私の勝ちだ、青ローブ」
「は――! いいや。お前の負けだよ、主人公様」
その鉄塊は男に向かって落ちていき、寸前のところで突如現れた黒い腕に吹っ飛ばされた。
「……なるほど、『裏通りの悪魔』か。私はまんまと、誘い出されたのだな」
「がはっ……! そういう、こと、だ……」
「##########!!!!!」
壁を破って現れたのは、四つの黒い腕を操る獣だった。この灰と石の街に巣くう『淀み』の怪物であり、ゲームでもボスとして登場する難敵の一人だ。
その特徴の一つとして、プレイヤーのレベルが低ければ低いほど、このボスの各種ステータスは下がるというものがある。その反面、プレイヤーのレベルが上がるほど、それに伴ってこの怪物のステータスは上昇する。
その上昇に上限は存在しない。条件次第では、裏ボスよりも凶悪な性能に変貌することもあるギミックボスである。
女は強者だ。それ故、『裏通りの悪魔』もこの女を基準に作られる。脅威の基準もまた、それを軸とするだろう。
もはやこの怪物には、自分と彼女以外を敵とすら認識できないはずだ。現に『裏通りの悪魔』は死に体の男に目もくれず、女のみを注視していた。
「じゃあ、な……主人公」
「…………逃げられたか」
その隙を逃すほど、男は鈍感ではなかった。すかさず転移アイテムを取り出し、女から逃げ出した。
女の目的は失敗に終わった。標的に逃げられ、それだけではなく厄介な『淀み』の怪物まで押し付けられた。大失敗といっても過言ではない。
「あぁ……! やっぱりお前は良いなぁ、青ローブ……!」
だというのに、女の顔は喜色満面だった。それまで彫像のように強ばらせていた表情を弛緩させ、口元を歪ませていた。その瞳には目の前の『淀み』の怪物など映っておらず、ただ男のみを鮮烈焼き付けていた。
「############!!!!!」
「邪魔だ、ゴミクズが」
「######!?!?!?」
『淀み』の怪物はそんな女の行動を、隙と誤認して踏み込んでしまった。
次の瞬間、『淀み』の怪物の身体が二つに分かたれていた。たった一撃。それだけで決着はついていた。
「つまらない……お前以外は全て無意味だ」
女の視線は虚空の彼方。幾度となく自分から逃げ果せる青いローブの男だった。
「絶対に逃がさないぞ、青ローブ」
『裏通りの悪魔』が消滅し、『淀み』の根源が現れる。この世界の住人なら喉から手が出るほど欲する、力の源だ。だが、女はその『淀み』に眼もくれることもなく、その場を立ち去った。
その行動は彼女の異常性を表すのか、それとも……
この程度の力など、不要なのだということなのだろうか。
2
死にゲーの世界に転生した、名も無き男。それが俺だ。
俺は見渡す限りの荒廃とした世界をしばらく探索し、そしてこの世界が『ゼディメント』というゲームの世界であることに気が付いた。
一言で言えば、終わりかけの世界だ。偽りの王により世界には『淀み』が撒き散らされ、大半の人間は理性を消失し、適合者もまた己が欲望を振りまく。まさに地獄である。
この世界の顛末を知っているからこそ、俺は深く絶望した。どのルートを選ぼうとも、この世界が救われることはないのだから。
ルートは三つ。新たな偽りの王として、この世界を延命させるか、終わらせるか、作り直すか。その全てにおいて、フラメントは滅ぶことになる。
つまり……たとえ『淀み』に適合しようとも、この世界に転生した時点で、全て終わりなのだ。
「とはいっても、足掻きたくなるのが人情だよな……」
設定としても、この世界が終わるのは必然だ。そんなことは分かっている。
だが、『淀み』に適合した以上、自死は意味を為さない。崩壊した世界では娯楽なんて皆無な以上、俺に許されるのは待つことのみだ。
待つか、足掻くか。俺は後者を選んだ。ただ、それだけのことなのだ。
前世の知識と時間を掛ければ、それなりに力を身に付けることはできた。フラメントの英雄に並ぶとは言わずとも、その部下程度の実力はあると自負している。
その上。徹底したリスクヘッジにより、俺は長い間死ぬことはなかった。感覚的に死んでも問題はないと分かっていたが、そうといっても死ぬのはゴメンだ。
だからだろう。俺はこの世界が理不尽な死にゲーであることをすっかりと失念してしまったのだ。
「……ん?」
「――――は?」
とある廃城を探索していた時のことだった。その女は、唐突に俺の前へ現れた。
雪のように白い女だった。銀色の髪に、真っ白な肌。藍色の瞳に、モデルかのような抜群のプロポーション。全てが眼を惹く、美しい女だった。
だが……女は半裸だった。薄汚れた布で胸と腰を隠している以外、何もかもがモロ見えだ。
この世界において、鎧や服の類いを身に付けない者は二種類に分けられる。
気が触れ、理性を蒸発させた『淀み』の怪物か……理性を持ちながら、あえて全てを脱ぎ捨てる異常者か。
コイツは後者だ。何故ならその手には……『劫火の大剣』という、二週目限定の最強武器を携えていたのだから。
「……? 誰だ、お前」
「あ、アンタと同じ……『淀み』の適合者、だ」
「名は?」
「……忘れた」
久方ぶりのコミュニケーションに感動すると同時に、俺は女が何者かを悟った。
コイツ、主人公だ。しかも『劫火の大剣』という要求ステータスの高い武器をチョイスするあたり、周回プレイ済みのカンストプレイヤーだろう。
「…………そうか。私も名は無い」
「あは、アハハ……俺達、似た者同士だな」
「ふ、ふふ……確かにそうだ。私とお前は似ている」
大剣に火が灯る。その火は、全てを燃やし尽くす尊き大火。バフ込みの一撃はラスボスすらもワンパンする至高の武技だ。
「ならば、一度死ね。それで全てが分かる」
「がっ……!?」
痛みすら無かった。一瞬にして視界が真っ黒になり、全てが終わる。
この世界で初めての死亡だった。
3
「……さて、行くか」
女にとって、それはいつもと変わらぬはずの世界だった。
何も変わらない。同じ場所で目覚め、同じ場所を巡り、そして同じ結末を迎える。
昔はそんな結末に抗おうとしたが、全てが無意味と思い知り女は思考を放棄した。
一体何度繰り返しただろうか。変わらぬ光景に、変わらぬ強敵達。もはや女にとってこの世界の全てが既知であり、脅威などではなかった。
屠り、潰し、そして終わらせる。その繰り返しだ。
だからこそ、女はあの男に期待を寄せていた
『淀み』の適合者はそう多くはない。更に言えば、そこから自らの死という脅威を乗り越えられる存在は、未だ自分以外居なかった。
あの男は、これまで繰り返してきたどの世界においても存在しなかったはずだ。まだ諦めていなかった頃の自分が、『淀み』の適合者を見逃すはずがない。つまり、アイツは唐突にこの世界へ現れたのだ。
そう。いつかの自分のように。記憶を失い、ただ言われるがまま世界を延命させる偽りの王となった、最初の自分のように。
「……また会えると、良いのだがな」
女は仲間という存在に飢えていた。この世界ではどれほど絆を深めようとも、最後には死に、そして何もかもが無かったことになるのだ。そんな者達と、真に分かり合えることは無い。
だが、もしあの男が自分と同じ、死を超越した『淀み』の適合者ならば……女は、ついに心の底から分かり合える仲間を得られるかもしれない。
久方ぶりに湧いた枯れた感情は、女の顔を少し綻ばせた。




