契約者②
エーラが語り始めたその過去は、王宮の優雅な茶会にはおよそ似つかわしくない、狂気に満ちた物語だった。
◇
運良く脱出できたものの、地面に向かって一直線に落ちていくエーラ。
「助かった!けどこのままじゃ落下死ね。エアライド!」
得意の空を飛ぶ風魔法を発動してゆっくりと着地する。
こんな時風魔法が得意で良かったと思いつつ周囲を見渡すが、そこは元の街道から遠く離れた未知の森の奥深くだった。
立ち込める霧は異常なほどに濃く、まるで世界から切り離されたかのような静寂が支配している。
空を飛んで位置を確認する方法もあったが、ギガントホークが上空にいるような場所だと飛び上がった瞬間に襲われる危険性が高く、迂闊には飛べない状況だ。
見通しは悪くなるが、夜を待ってこっそりと飛ぶしかないのでしばらくは辺りを散策することにしたものの、霧が濃くて数メートル先の視界はほとんどない。
せめて休めるような開けた場所はないかと探していると、何かに足を取られて転げ落ちる。
「きゃあっ!」
悲鳴をあげて坂を転がっていくと、木に体をぶつける形でようやく止まった。
「ごふっ!...いたたたた。魔力防御がなかったら今ので死んでるわよ全く」
視界と足元の悪さに愚痴をこぼしていると、何処かから視線のようなものを感じる。
その視線には不思議と危険性は感じられず、何となく神聖な物に思えた。
「見られてる?...あっち、、から?」
吸い寄せられるように霧の奥へ進むと、そこだけが円形に切り取られたように開けた空間に出た。
その中央にポツンと鎮座していた一基の古い祭壇に、エーラは何とも言えない魅力を感じていた。
「これってもしかして、、」
近づいて観察すると、古い文献で読んだ精霊の祭壇によく似ている気がした。
魔法が大好きなエーラは、いつか精霊とも会いたいと強く思っていたのでその手の文献はよく勉強していた。
今まさに、目の前に夢にも出てきた祭壇があるのかもしれないと思うと、自分の状況を忘れて段々と息が荒くなっていく。
祭壇ににじり寄り、舐め回すような視線を注ぎこむ。
最初は指先でその刻印をなぞり、次は頬を擦りつけ、さらにはその魔力回路の感触を確かめるように全身で抱きつきいた。
その奇行は、一時間近くにも及んだ。
隅々まで執拗に触れ、嗅ぎ、観察し尽くしたエーラは、ついにその「核心」に触れるべく、最期の境界線を越えようとする。
「ねえ、あなた。……いったい、どんな味がするのかしら?」
頬を赤らめ、涎を垂らしながら、彼女がその舌を突き出したその瞬間。
脳内に、絶叫に近い怒声が響き渡った。
『やめなさい!なんなのあなたは!その汚い舌をしまいなさい!』
「なにこれ、声?違う、これはもしかして!精霊さま!どこ!?どこにいるの!?」
歓喜に打ち震え、狂ったように周囲を旋回するエーラ。
あまりの落ち着きのなさに、隠れていた精霊も声をかけ続けるべきか、本気で悩んだほどだ。
『落ち着きなさい。いきなり結界の中に入ってきたかと思えば、ひたすらに私の住処を舐め回す様に見て触れて、あまつさえ本当に舐めようとするなんて、なんなのよあなたは!』
ぽうっと祠から薄緑の光が出てきてエーラにお説教を始める。
言っている事は至極真っ当であり、全面的にエーラが無礼極まりないのだが、本人に自覚はあまりない。
「ほ、本当に本物の精霊様だ...!こんなにも早く会えるなんて夢見たい!
あ!私はエーラといいます!あの、よければ味見を少々...」
良いはずがないのだが、顔を赤らめながら舌を出して近づいてくるエーラに対して精霊は後ろに下がる。
『な、何を言っているのかわからないけど近づかないで!身体がないのに身の危険を感じるわ!』
精霊すら引かせる奇行に何故か「エヘヘ」と照れて返すエーラ。
『そもそもここは誰も入ってこれないはずの場所なのに、あなたはどうやってたどり着いたのよ』
本来この場所は特殊な風の魔法で隠されており、普通は近づくこともできず、その存在にすら気がつく事は出来ない。
にもかかわらず突然現れた人間に対して精霊は警戒をしている。
「えーと、ギガントホークに連れされてたのですが、運良く逃げ落ちたらここでした!これはもう運命ですね!」
物理的な結界ではないので理屈は通るのだが、さほど広くもないこの空間内に落ちてくる確率なんてほとんどありえない。
それ故に、運命と発するエーラの言葉をイマイチ否定しきれないのが妙に癪に触る精霊だった。
『はぁ、、ここにきて、私を見つけてしまった以上は貴方には契約の儀を行う資格があるわ。嫌だけど、貴方には風魔法の適正もあるみたいだしね』
理屈は不明だが、どうやら見つかった以上は契約の儀を行わなければいけないらしい。
それは精霊たちのルールなのか、はたまたこの精霊独自のものなのかはわからない。
「契約!?精霊様と契約できるのですか!本当に!?やったーー!!!」
風の精霊と会えただけでなく、契約までできるとわかり喜びのたうち回るエーラに精霊は冷たく投げかける。
『契約の儀は行えるけど、あんたの魂がそれに耐えられるかは別の話よ。
私の力と同調できなければ、あんたは魂を引き裂かれて死ぬわ。それでもいいなら、』
「やります!!」
エーラは話の途中で食い気味に契約の儀を行う宣言をする。
『ちょっと、ちゃんと聞いてたの?言っておくけど死ぬ確率の方が高いからね?私の力に適合できる人間なんてほとんどいないんだから!』
何も考えてなさそうなエーラに対して改めて注意喚起を行う精霊は、言葉遣いとは裏腹に結構良い人なのかもしれない。人ではないけれど。
「わたし!魔法が大好きなんです!愛しています!魔法を追求して死ねるなら本望です!
それも精霊様と一つになって死ぬならこれほど光栄な事はありません!
あーでも出来れば精霊様ともっと一緒にいたいしその力に少しでも触れたいですね!
適合って魂が混ざり合うんですよね!そんな事になったら嬉しくてそれこそ死んでしまうかもしれません!あーどうしましょう!」
寝転がりくねくねと理解できない妄想を垂れ流すエーラに、精霊も今からこれと同期するのかと思うと気が重くなる。
「あー、もう良いからさっさとやるわよ。頭なんてないのに頭痛がしてきたわ」
「はい!いつでもきてください!」
起き上がったエーラは、最愛の恋人を待ち構えるかのように両手を広げ、精霊を迎え入れる姿勢をとった。
そんなエーラに嫌々ながらも近づいていき、胸に向かって入り込んでいく。
直後に、エーラの身体に激痛が走る。
精霊が魂へ干渉して、混ざり合い肥大化していく。
自身の器を大きく超えて魂が肥大化すると、そのまま死に至るのだが、、
「んああああああ……っ!!」
エーラは頬を染め、涙を流しながら、身悶えして歓喜の声を漏らしている。
「ああ……! すごい……っ! 精霊様の力が、私の中をかき乱して……っ! こんなの、私……っ!」
神聖な儀式をまるで背徳的な行為のように形容する彼女に、シルフィードは「早く終わってほしい」と心の底から願う。
しかし一度始まった契約の儀は精霊にも止められない。
「んんっ! だめです……そんな、奥まで……っ! こんなの初めてで……どうにかなっちゃいます……っ!」
苦痛を「快楽」として受容し、さらに奥底へと力を求める。
そんな人間は、精霊の長い歴史にも存在しなかった。
そして徐々に魂が同調し、痛みが弱まってくる。
結局適合してしまったかと、これからの事を思うと気が重くなるが、とりあえずこの時間を終わらせられるのであればなんでもいいかと考える精霊だったのだが。
「えっ...?終わっちゃだめです!まだわたしはやれます!もっと下さい!もっとあなたを感じさせて!」
『ちょっ!?力が引っ張られる!?』
適合間近の魂に、さらに力を引っ張り出される。
本来なら本人の意思に応じて最初に渡す力以上に取り込まれる事はなく、こんな事はありえない。
あまりにも彼女の願う力が強すぎるのだ。
耐え切るのではなく更に痛みを渇望する。
この時本当の意味でこの女の異常性を精霊は感じ取った。
「結局最初の倍近く力を引っ張られたわね。それでも適合できちゃうなんて、こんな事は初めてよ」
完全に「昇天」して気を失っているエーラに、シルフィードは呆れと、わずかな敬意を込めて語りかける。
「私は風の精霊シルフィード。あなたの才能は本物の様ね。これからよろしくね、エーラ」
聞こえているのかはわからないが、契約完了の証として自己紹介をするシルフィードであった。




