1話 アルコバレーノの場所で
分かっている。自分は幸せになれないと。
きっと、これからも寂れた人生を送るのだろうと、何度思ったことだろうか。
希望的観測はない。天変地異さえもひっくり返すような奇跡が起こる予感も微塵も感じなければ、実際今日に至って変化はない。破滅思考、とは異なる心の蟠りがリフレインして現実に戻される。何度も並べられる普遍の言葉と、平凡的な毎日が続けば、やがて事象は日常や習慣と呼べるものになる。
立花鳴海は帰宅部だ。
高校生という青二才の身分。馴染み、帰宅する日々に虚無感を覚えた日頃。教室が無人になるまで閑散とした放課後の時間を過ごしていた。
隙間風で揺れたカーテンを見届ける。目線を切り、リュックを背負い直し支度を整えた鳴海は教室を出る。
黙々と廊下を歩き階段を下る。重い足取りで昇降口を通って潜ると、運動部の怠そうな掛け声が横切り、吹奏楽部の発声練習が一層と聞こえてくる。基本的にこの時間帯になると在学生の人数が少なくなり、その代わりとして部活に所属する人達が活動している状況だ。
帰宅部の鳴海が日が暮れるまで教室に居座る意味。
様々な理由を含めるが、鳴海の方は至極単純なものだった。
「人間関係に、疲れたな」
部活は疲れる。人間関係だってそうだ。
自ら志願して進んだり、時と場合によってはアドバイスは枷になる。
更に面倒事を避けてしまえば気持ちに余裕が生まれるし、余計なストレスにしかならない。勿論偏見ではないが、帰宅した際にクタクタの体をベッドの上で伏している状態が容易に想像できる。
心身を含めて疲労困憊。ロスした分の時間がもったいない。
オマケに日が暮れる。マイナスポイント。
なので、元陸上部の経験者として考えてみた。
適度な運動方法と基本的な体力作りに必要な要素。
正直、日頃の通勤で事足りてしまうのだが、やはり継続こそが一番の近道だ。
アスリートである自分を目指す者には安直な道なんてない。過去の自分を越えるか栄光を築いたライバル達の足跡を踏み越えるか。
陸上という、人類の果てしなき挑戦に、生半可な一歩では何も届かない。
真っ直ぐに進める者だけにしか、その先に続く景色は見れない。
放棄した鳴海には、無関係の話だ。
「……神山先生、俺、結局帰宅部を選んじゃったよ」
汎用性が優れており、効率良く時間を管理できる。それが帰宅部の利点だ。
中学時代、お世話になった恩師に感謝を忘れず、鳴海は静かに微笑を浮かべる。高校の担任もそうだ。周りの大人達の気配りが行き届いている。
息が詰まるほどの、自責の念に駆られるくらいには。
『立花。君には未来を選ぶ権利がある。君の境遇は君にしか変えられないんだ』
『―――いいんですよ。氷川先生。今の俺は、余燼みたいじゃないですか』
『―――だからこそ、燻っていたいんです』
君は未来がある、そう先生に注意されてしまったけれど。
出来ない。本当に怖い。人を信じることを諦めてしまった鳴海には慰めの言葉は諸刃の剣だった。同情に似た視線が辛くて、根も葉もない噂話を聞き流して、必死に耐えた結果が何も馴染めずに孤立して、それでも社会に溶け込む為には、一匹狼になるしか方法が無かった鳴海は、心の寂しさを埋める答えが見付からない。
『……なるほど。聞いていた通り、かなりの重症みたいだな』
考えるほど悪化する。ジレンマの繰り返し。
堂々巡りの悩みを、一枚の紙を翻す氷川先生は理解した上で教えてくれた。
道とは、一体何の為にあるのかと。
『―――だったら、自分が出来ることを探せ』
『―――外の世界に触れるんだ。考え続けることを諦めるな』
『―――そして、その目で確かめろ』
(そう言われてみたものの、抽象的過ぎて、何を始めたらいいのやら……)
方針の無計画さに戸惑う鳴海は首を傾げて唸る。
要するに、目標を掲げろと。得意気に熱弁を振るう氷川先生の覇気を含んだ目。勢いのままに誤魔化された気がするのだが、舵を切ってしまった以上仕方ない。
順風満帆に青春を謳歌する者達に似て寄せるのは駄目みたいだ。
個性を尊重する。
素晴らしい助け合いの精神。文化人らしいフレーズ。
けれど、その個性ですら今の立花鳴海には欠けている、ということか。優柔不断で無味無臭の面白くない人間になる。つまり死出の旅路に進んでいるらしい。
人間不信が悪化している証拠だった。
「自分にしか変えられない、か」
骨が折れるほどの荒療治が必要不可欠で。
固定概念に支配された心象を揺るがしてしまうほどの衝撃に飢えていると。
想像の範疇を遥かに凌駕した、混沌極めるカオスの領域。
外の世界に触れて、人間嫌いを克服するキッカケが、果たしてあるのだろうか。
(……俺は、自分が嫌いだ)
そう簡単に信念は揺るがない。
道を塞ぐ赤信号のように鳴海は立ち止まる。規則と同じ。嫌いな自分を律する。行き交う交通量を俯瞰的に捉え判断する。
待ち時間で束になる群衆に紛れ込む鳴海だったが、会話に夢中で漫然としていた他校生の鞄が不注意のせいで肩にぶつかる羽目に。
「あ、ぶつかったか? 悪いな」
片手を挙げて謝罪のジェスチャーをする男子高校生。
その様子を見ていたグループのお洒落な女子は「ちょっと男子ー、ちゃんと謝りなよー」と茶化す。面白半分にぽつりと物申す一味に「ちゃんと謝ってるだろ」と反論する男子。物柔らかな口調が安堵の雰囲気を作る。
一方、億劫そうに鳴海は有線イヤホンを耳に掛け直すだけだった。
戯れるのは得意じゃない。馴れ馴れしいのも目障り。
正直ウザい。音楽を聴くフリをして無視するのが一番簡捷的だ。無言の威圧感。微動だにしない無表情。俗に言う、話しかけるなオーラを出すことで相手は勝手に拍子抜けする。不思議そうに戸惑い始めた彼等を無視して、ペースを乱さない鳴海は青に切り替わる信号機を見て交差点を渡る。
(なんで、関係ないのに、話しかけてくるんだ)
行き交う人々の流れを沿うように。鳴海は不機嫌そうに目を細めた。
喧騒漏れる都会の足音。擦れ違う人達の一喜一憂。
門限が迫りつつある黄昏模様が傾き、連なる高層ビルを照らす。空が薄くなる。夜の片鱗が覗く中で、不自由とは無縁の人達を見ると堪らずに僻む。
くだらない。キラキラした外の世界で笑顔を浮かべる人間が。特に同世代の人間を嫌って。性根が腐るほどうんざりして。
自分に余裕がないのはとうに理解している。
不幸、という言葉で片付けられない。文句が吐ける時代じゃない。
けれど、居場所を求めるだけでも贅沢じゃないか。
(どうしてなんだ。関係ないなら、俺を独りにさせてくれよ)
強烈な光を浴びてネガに反転。馴れ合いの連鎖を引き千切ることにした。
全ては自分自身の為。プライベート優先の為。彼等の底無しの優しさは鳴海には関わりないものだ。遮断しないと理性が崩壊する。
(所詮、人は虚勢を纏っていないと何も出来ない生き物なんだ。他人の顔色を伺いながらも自分の脚色に染めたいばかりに、囃し立てる口実の都合良い相手が欲しいだけだ。何が仲間だ。自分を贔屓にして、自身の非に見て見ぬ振りをする、責任を放棄して擦り付ける行為に、何処に青春があるんだ)
人の可能性を。人の温もりを。人の歩む未来を信じたかった。
地獄だ。信じた結果、辿り着いたのは人類の無情。裏切りと上面を繰り返す。
輝きを求めた。毒を浴びた。是々非々の届かない無法地帯の教室。
濡れ衣と罵詈雑言。彼等は言葉を話すだけの猿だった。行き当たりの惨状を見て見ぬフリをする傍観者。壊れていく状勢を聞き流した部外者。混沌を極める現状を保身の為だけに真実を語ろうとしない第三者。
心は他人のままに。
根本的に相容れることのない青春らしさがそこにはあった。
その隙間を埋める差違は価値観の有無。日常の為に人身御供に代わることを。
猿は嫌いだ。足を引っ張るだけの猿が嫌いだ。
助け合う意思も忘れた猿が嫌いだ。
(裏切るのが正しい人生なんて、そんな都合が通る解釈があってたまるか)
贔屓はしない。妥協もしない。
中庸的な立場に佇む立花鳴海が俯瞰する唯一の手段。
それがたとえ孤高の道になろうと。困っている人を見捨てるワケにはいかない。
苦しむのは自分だけでいい。誰一人と孤独にさせない為に。見据えた景色の先にある世界が少しでも美徳を語れるものなら、それだけで十分だ。
人の痛みを知らない彼等には、決して辿り着けることのない景色。
寂しさは紛れる。故に立花鳴海は健常者を装う猿だ。
教室の片隅で踞る日々。つまらない人生。純粋な青春を送るクラスメイト達を見て羨望を抱き。抱えた贖罪を数えて。窶れた心を苦しめて。差し伸べる人達の手を払い除けて築き上げた立花鳴海という人格は。
この世界には不必要なものだった。
呼吸をしても、泥水に浸かった気分に襲われる。
幸せになる行程に他人を蹴落とす必要性があるのだろうか。分からない。
理解できないから軋轢を生む。信じる過程には裏切る選択肢がある。鳴海は他人を信じることが出来なかった。鳴海にとって信頼は猛毒になった。
疑え。何も信じるな。
己が貫き通した道に進むだけ。二度と過去の悲劇をなぞらないように。
自分自身を呪う。それだけの人生だ。
「にゃー」
一匹のネコがいた。
夜の青に溶け込み始める黄昏。人々の影は次第に斜めに伸びていく。薄暮の境界線に誘われた鳴海は自然と路地裏の方角へ振り向いていた。
毛並みが細かく綺麗で、随分と手入れされている黒ネコだった。人との接し方を慣れているのか軽やかな足取りで、自ずと歩み寄る。
屈む仕草をすると黒ネコと目が合う。
「空腹の足しになるか分からないけど、ビスケット持ってきたんだ。食べるか?」
偶然ビスケットを持っていた訳じゃない。
下校中に黒ネコを見掛けて、ふと気が付くと面識が増える日々が続いていた。顔を覚えられすっかり警戒心を解いた黒ネコは、クラスメイト達と過ごすよりも孤独の時間を埋めてくれた小さな親友だ。
感謝したい鳴海は背負っていたリュックの中身を取り出して、家にあったネコ用ビスケットを勝手に拝借して、袋の中身から数枚のビスケットを食べやすい半分サイズに砕き、そっと地面に置いた。
すると黒ネコは素直に小さく食べてくれた。
当たり前のことだけど、些細な幸せを感じられることが嬉しい。
「あはは、そんなに美味しいんだ。良かった」
環境に囚われない、カラッとして澄んだ空気感に憧れを抱いている。
ネコは気の向くまま寝たり適当に散歩して、好きなタイミングでご飯を食べる。そこには文句を言う者も自由を妨げる障壁も存在しない。
鳥だってそうだ。空を飛べる。広大な世界の景色を眺めることが出来る。
そんな、瑣末な存在に至る鳴海は、奇妙な違和感を覚えた。
夜が訪れる。その前の心胆の逆撫でが。
「……なんだ?」
振り向き、イヤホンを外して、怪訝そうに鳴海は路地裏に目を向ける。
日中だろうと光が届かない奥行き。全体的に薄暗く、迷路のように続く細長い道は進む度に狭くなる構造をしており、その窮屈感が不気味な雰囲気を漂わせ、人は避けて誰も通ろうとしない。綺麗に陳列した花壇は訪問者を歓迎しているみたいに存在していて、触れることのできる人の気配が逆に背筋を凍らせるのだが、路地裏の奥には隠れ家的な公園があるにも関わらず、好奇心旺盛の子供達でさえ遊ぶことを否定して逃げてしまうほど。
名前の知らない、禁足地の公園で。
都市伝説漂う曰く付きの世界の片隅に、人の影が揺れたような。
「……誰か、そこに居るのか?」
ビスケットを完食した黒ネコは路地裏に向いている鳴海の姿を見ていた。
一方的に訪れる謎に直面して、底無しの疑心暗鬼が生じる。その微弱に揺れ動く瞳に何か感じ取れたのか、小さな親友は細長い道に向かってしまうことに。
「あ……」
咄嗟に手を伸ばすものの、姿は遠くなるばかり。
動物特有の直感が働いたのか。あるいは鳴海の心境をキャッチしたのか。不思議な行動をした黒ネコに鳴海は後を追い掛けるしか方法はないようだ。
「分かったよ。この目で、ちゃんと確かめてやるさ」
外の世界に触れる。
思考を放棄しない。目の色を変えて、その先にある景色を確かめる。
心臓に絡み付いた恐怖を掴み、燻った本能を起こす。一呼吸のため息を置いて、鳴海は再びリュック背負うと、黒ネコが消えた路地裏を駆けていく。
懐かしい気分だ。いつ以来だろうか。全力で走ることを。
風を横切る感覚が。切り刻んでいく視界の変化が愛おしいと思えるほどに。
まだ走れる。けれど全盛期ほどじゃない。
小学生の頃、全学年で一番誰よりも速く走れるだけ。その運動神経の良さで女子にモテた。正直に言うと気分が良かった。成功体験が身を結ぶことになって、お陰で人に優しくなれた。自信が湧いた。自信が湧いて、中学時代はそのまま陸上部の道に進んだ。
今となっては見るも無惨な道に進んだが、別に後悔していない。
帰宅部になって時間が増えた。きっと、これからは省みる機会が訪れるハズだ。自分の時間を探す旅。人間嫌いを克服する旅。
鳴海は影の正体が知りたい。飢えた好奇心を満たす為に。
とはいえ、息を整えたつもりだったが、急激な運動と全力疾走の影響で万全の状態じゃない。事前にウォーミングアップするべきだったと自省。視界に映る黒ネコの尻尾を頼りに、深淵に浸かる。
その途中、急に道標を見失ってしまうことに。
奥地に踏み込んだ代価として、鳴海は路地裏の未知を目撃した。
(……公園だけじゃない。路地裏の裏には、隔離した世界が広がっているんだ)
まるで異世界に辿り着いたような、光の匙加減。
差し込む光芒は辺りだけを照らしており、ステンドグラス調の硝子窓を通して、幾何学的に屈折する。太陽の方角と見える時間帯の傾きによっては、擬似的にだが虹を連想させる―――。
黒ネコは光明の中に紛れ込み、虹に模した路地裏の奥に姿を消す。夕暮れの後光が差す中で、周辺を警戒する鳴海は注意を怠らず、息を呑む。
歩みを止めず。迷路を掻き分けて。
違和感を感じた影の正体を知る為に狭い路地裏を駆ける。差し込んだ虹の光芒を遮ろうと、手を目の上に掲げる。
本音を一つ溢すと、この謎解きの瞬間が最高にワクワクしていた。
完成よりも行程を。
成長する過程が何よりも楽しくて。結果は二の次。
ジグソーパズルのピースを埋める時間のように。プラモデルを組み立てる時間のように。心の本質、つまりカタルシスを得るには、冒険心と好奇心の両方の両立が必要であり、行動原理のマンネリ化を防ぐことだった。
燻っていた感情を再び灯すキッカケ。
そこに完璧な答えは要らない。影の正体がスケールが小さくても構わない。
年相応に。少年っぽく。懐かしさを埋める刺激が欲しいだけ。
等身大の興味の先に、鳴海は辿り着いた。
「……まさか」
目を見開き。目を凝らす。
追い求めていた影の正体に気付いた途端、偶然のタイミングで街灯が照らす。
段々と。伸びていく光の連鎖は鳴海の目の前で止まる。
影の正体は人だった。
けれど、鳴海を導いてきた黒幕は黒ネコの方だった。
颯爽と横切り、光の中心に寛ぎ、尻尾を揺らしては気ままに毛繕いをする。
黒ネコは自由だ。自分の時間を理解している。
全ては気分次第で動く。それはあくまでも自身の快適さを重点に置き、度重なる行動原理は含蓄に富むものじゃない。
意味があるハズだと、人間が勝手に振り回されているだけだ。
予測不能の顛末に思考は空回りする。
「―――そう、なるほどね」
ソプラノの凛とした声が狭い路地裏の世界に響く。
微かに身構える鳴海の視界に、突如として影の中に現れたのは、軽やかに靴音を鳴らし白橡色のロングヘアーを靡かせる一人の少女だった。
整った容姿を飾る眼差しの冷たさ。空気を張り詰める彼女の存在には、誰もが知る名門女学校、聖アグネス女学院の制服が影響力を及ぼしている。白を基調とした明白の象徴が、彼女の用いる胆力の強さをより助長させる。
「この子があなた達を招いたのね」
「……招いた?」
膝を曲げて屈む彼女は指先を伸ばし黒ネコの顎下をそっと触れる。何気無い発言に訝しむ鳴海に、彼女は面倒そうに白橡色の髪を弄り、
「言葉通りのことよ。君は認められた。そこに隠れているあなたもね」
「ふぇ!?」
視線を追うと、曲がり角の隅で小さく縮こまる少女がいた。
存在を暴露されて、ビックリしたのか少女はほんの少しだけ飛び上がり、可愛い悲鳴を上げる。変装のつもりなのか、帽子とサングラスを落としそうになり、朱色に染めた頬と共に恥ずかしそうに右往左往していた。
けれど、二度咳払いをすると、制服の襟を正してきた。
しかも何食わぬ顔で。
「……すごいよ。私に気付くなんて、流石は聖アグネスの学生さんだね」
「見間違えるワケないじゃない。そういうあなたこそ、翔星学園の生徒でしょ」
(温度差が激しい奴だな……)
鳴海が距離を置きたくなるほどの個性的なキャラクター。
桜色混じりの茶髪が特徴的で、毅然とした振る舞いをしているが、年相応の旺盛な仕草をする度に微かにセミロングは揺れる。滲み出る箱入り娘の雰囲気をカバーするのは、不死鳥を象る左腕の校章が有名な翔星学園の制服が彼女の容姿端麗な風貌をより一層とアクセントを加えているところか。
聖アグネス女学院。そして翔星学園。
名の知れたお嬢様高校の双方が相対する中、無関係の鳴海は当惑するばかり。
(何かの冗談だろ。外の世界に触れる? こんなものが……?)
一度限りの好奇心を満たす為だけに。黒ネコの尻尾を追い掛けたのに。
辿り着いたのは拍子抜けの景色。他人事の許容範囲だった。鳴海は部外者だ。何も関係ない。だって、迷惑を掛けたくないじゃないか。
素性の知れない人間を知る? 冗談じゃない。何も知らない方が幸せなのに。
胸騒ぎが終わらない。
「大体、高嶺の花のあなたが居ること自体が、証明だというのに」
譲歩なき意志の強さを示す聖アグネスの少女。
余裕綽々と。淡々とした声音を溢す。物柔らかな仕草でスカートの埃を払うと、翔星学園の少女と同じ目線で向き合う。そこに浮かべる涼しげな表情には、少女が変装している理由をさも当然のように理解しているかのような。
全てを見透かした、鋭い目を宿していた。
「そうでしょ? 八重の一人、―――『百合姫』。夜桜香織さん」




