第九十二席 コガのリコウと呼んでくれて構いません
はぐれ者の村は村長屋敷。
村で最も広く、独特な建築様式の家。
その畳敷きの居間では、風炉で沸かされた湯とその中の鉄片が奏でる音だけが響いている。
炉の近くに背筋をまっすぐに座る男は、もちろん家主の片割れ。茶の湯伝道者利康である。
厚手の布を敷いて設えた客席。そこに座るのは、エルネストにテリオジリオ、シュラムに、グオンゾとイウミ。そうした者たちを初めとした村人たち。
彼と彼女らは足こそ崩した者がほとんどであるが、誰もが背筋をしゃんと。整然と並び座している。
居並ぶ誰もが、一人としてしわぶきの音一つも立てずにある様は、まさに静にして整。
しかし、働きに臨む弓の弦のように、ただ張りつめているのとは違う。
苦痛にならぬ程度に各々が自律し、利康の生み出す空気に馴染んでいるのだ。
亭主と客とが一つにまとまり、共に茶を楽しむため、くつろぎの場を作り上げようとしている。
まさに一座建立を目指しての行動。
しかしそんなこの場の空気を作り上げる村の衆の様子に、目を見開き顔を強張らせた者が。
『ありえない……そんな、破壊神が肩入れ、盛り立てようとしているものが、こんなものであるはずが……!?』
そううめき声を漏らすのは、敷物からはみ出したところで、低い椅子に腰かけたレティシアである。
言いながら、まるで悪夢でも見せられているかのように、レティシアはイヤイヤと頭を振る。
そんな彼女の隣には、セシルが同じく低い椅子に座って。しかしこちらは逆に感心しきりといった様子で、茶会の様子を眺めている。
セシルらの座るこの椅子。床に腰かけるのに抵抗感を持つ文化育ちの者ももてなすため、用意していたものであるが、こうして早速に活躍の機会に恵まれることとなった。
亡命の一行を迎えて港を出てこっち。レティシアの襲撃の他には何の滞りもなく、一行は無事に村へと到着。
それまでの道すがら、利康は自分が変革神から人材まわりで支援を受けている、茶の湯文化の伝道者であることを正直に説明している。
はぐれ者の村の他にも、チクマの里にコセの里など、森の中に集落は点在しているが、そちらに誘導したところですぐにばれる話である。
そのようにだませば心象も悪くなるだけ。であるからして、意味もない嘘でごまかすことなく正直な話を。
すると、到着次第にすぐに見極めさせろと、グロレオウス神官は案の定にせっついて。
しかしまずは一休みしてと、セシルらと共にとりあえずのもてなしで旅の埃を落としてもらっておいて。
そうしてできた暇に、少しばかり手の込んだ支度を整えて、本日この席に至ったというわけである。
もちろんこうして素早く場を整えられたのは、留守をしてくれていた妻が、先走りにならない程度に準備を進めてくれていたことも大きい。
『……ウソよ、こんなに美しく秩序だったモノを、破壊神が後押ししてるだなんて……!』
『ダメですよ。リコーさん達の邪魔になります』
さておき。まだ茶を点て始める前だというのに、レティシアはすでに、自分ひとりだけでノックアウト寸前にまで追い詰められている。
そしてそれを見かねたセシルが、「静かに見守るように」と、自身の唇に指で閂をかける真似をしてみせて。
そんな金髪青目な男の子の仕草に、レティシアは鼻から赤いものを一筋。唇を結んでうなづき返す。
なおセシルの言った「リコー」というのは利康のこと。
利康と、こういうワケである。
この世界の人物にとって、エルフ語に馴染みが無いと、トシヤスと発音するのが難しいらしい。
利康の名を覚え、発音に悪戦苦闘するセシル。それを見かねて、発音の容易な通名として本人が提案したものである。
ちなみにこれは、小学生の頃につけられたあだ名そのままである。
歴史で千利休のことを学び、同級に茶道教室に通う、それっぽい字面の者がいたのならばさもありなん。
あだ名をつけられた当時は、正直畏れ多いばかりで、内心嫌で嫌で仕方なかった。
その悩みを両親に相談したこともある。だがしかし、両親からの名付けの由来とドンピシャリだと言うので、結局頭を抱えることに。
故郷の師匠にも、畏れを知らないかのような名の由来については明らかに渋い顔をされたものである。
しかし、名前の由来が偉大な先人にちなんでいるとは言え、何も生き方をなぞり、功績に並ぼうと気負う必要はない。
あくまで別人であるので、せめて名に泥を塗らない程度に精進しようという程度に今は受け止めている。
図らずも功績については、飛ばされたこの世界においては届く可能性の見えてきた話ではあるが。
幼いころの苦い思い出と、重苦しいほどの責を含んだものではある。しかしともあれ、それを改めて飲み込み背負ってみようという思いもあって、東方語圏向けの通り名として挙げたのである。
ただしそんな思いも語られなければ当人の胸の内だけの物。
呼びやすい名を利康の側から用意されたセシルとそのまわりは、遠慮なくリコウの呼び名を使うように。
こうなると、かつての級友からのものとは違い、さして抵抗も感じないのだから不思議なもの。
あらかじめ利康自身が覚悟を決めて、そして呼ぶ側にもからかう意識がまるでないためだろうか。
鼻血面の女神官にハンカチを差し出す男の子の姿を横目にそのようなことを考え微笑んで。利康はいよいよと、取り出した帛紗をちり打ちする。
すると同時に着物姿のフミニアが、盆一つを両手に音もなく。
そうして利康が畳んだ布にて道具を拭き清めている間に、フミニアの運んだ菓子がエルネストのところへ。
月が出た。
誰からか、そのような言葉がぽつりと漏れる。
黒く丸い小さな夜。その中心に、淡く紫がかった白い玉がちょこんと。
白い玉のまわりには、月夜草と呼ばれる夜咲きの花の花びらが散りばめられている。
白から淡い紫へのグラデーションの彩りを持つそれらは、月の光を受けた雲のようにも見える。
お客が到着してから、夜に摘み集めて支度してきたものである。
漆黒の皿に乗った団子は、その器と合わせて、まさに掌に収まる月夜となっていた。
渡された盆から月団子の皿を受け取ったエルネストは、その様に感嘆の息をこぼしつつ、菓子を乗せた盆を隣のテリオジリオへと滑らせる。
並びにそって順々に団子を受け取っていく、床に座した客の衆。
客の手に渡るその都度に、盛り付けの妙を称える感嘆の息が。
止水に石を投じるかのような吐息たち。
しかし利康はそれを心地よいものと受け止めながら、湯を汲み入れていよいよと茶碗と茶筅とを温めにかかる。
茶筅を回し、湯の温もりを道具に馴染ませると、そのために使った湯を捨てて、残った水気をしっかりと茶巾で吸い取って。
そうしているうちに、菓子の盆はセシルたちの前に。
『月がモチーフと言うのは引っかかるけれど……そもそもこれは食べられるものなの?』
『そこは、リコーさんの出すものですよ?』
目の前に到着したそれに、レティシアとセシルは好奇心と戸惑いのぶつかり合いに混乱した様子で。
しかしそんなためらう新参者をよそに、エルネストたちは月団子をぱくついて口元をほころばす。
その様にいまだに手を付けられていない新参の面々も、音を立てて唾を飲み込む。
そしてセシルが我もと手を伸ばしたところで、ふと引っかかったようにその動きを止める。
『あのリコーさん、どうしてこのお菓子、月がモデルなんですか? お日様でもいいかと思うんですけれど?』
その遠慮がちな問いに、利康はエルネストに目配せを一つ。通訳の了解を受けてから口を開く。
「前に話した二つの霊界のご馳走と同じような理由ですよ。たとえ真っ暗な夜に思えても、弱々しくても光はちゃんとそこにあると、ね」
利康はそうさらりと菓子に込めた意味を語ると、器の中に抹茶を茶杓で二つ。薄茶点前に戻る。
今回もありがとうございました。
次回の更新予定は例によって未定です。気長にお待ちいただけましたら何よりです。
今後とも拙作をどうぞよろしくお願いいたします。




