第八十二席 なんなんだこの人は、どうすればいいんだ
「いやね、トシさんから知識の書を借りたはいいんだけど、このルタさんにも全然読めなくってね!?」
そう言って笑い飛ばすルタ。
フミニアと、利康にも言われて改めてコガ家に上がった彼女は素足を畳もどきに投げ出して。
「だから待って下さいと言いましたのに、皆まで聞かずに飛び出してしまうから……」
「ヒハハ! だってさ、これでもっと面白アルケミできると思ったら、いてもたってもいらんなくってね!」
数寄者、趣味人としてルタのその主張は利康も分からないではない。
だがしかしとあきれ混じりに薬湯のお薄を差し出せば、ルタは交換とばかりに巻物と束ねた木簡を数巻。元の持ち主との間に。
ルタが知識の書と呼んだこれらは、利康が使えそうな地球の知識を書き連ねた備忘録である。
利用できそうだと見立てたアイデア。それを思い出し、思いついたままに書いたこれは、書などという仰々しいものではなくただのメモ書きと呼ぶべきものである。
実際、中には「米らしいのを探すには湿地か」とか、「もち米は交雑しないように分けて育てるべし」などといった食欲全開な内容の文も。
「いやでもウチにも全然読めない文字があるとは思わなかったよ! こんな字、見たことも聞いたこともないしさ! 悔しいわぁ!」
薄薬湯を一口飲んだルタが、独力では読めなかったことを悔しいと。
しかしその言葉に反して、弾んだ口ぶりには未知に対する好奇心が溢れている。
ルタが読めなかったのも無理はない。
このアイデアメモの木簡。利康が書きやすいように日本語で書いてあるのだ。
余人に読ませるためのものではなく、あくまで自分の思いつきを振り返るためのもの。自分だけが読めればいいと、馴染んだ文字で書くのも当然のこと。
この世界に利康が来るまで無かった文字。文字どおりに降ってわいた形で現れた文字をルタが読めないのは無理のないことである。
実際この世界、レナンジェイス大陸において、日本語の文章を読めるのは利康の知る限り、あとは妻しかいない。
なぜフミニアが読めるのかというと、利康がエルフ文字と日本語の文字を擦り合わせる勉強の中で、互いに教え合う形になったからである。
今ではフミニアもひらがなとカタカナ。あとは自分の姓はもちろん、利康のよく使う物を中心に、いくつかの漢字を使うこともできるようになっている。
「なにそれズッル! ズルいよ! ルタさんにもニホン語読めるように教えて、おせーてよ!」
文字の正体を含めて、その事を告げる。するととたんに、ルタは利康の袖を掴み、だだっ子のように教えをねだる。
「教えてくれたら、いいことして、あ、げ、る、からね?」
そして一転利康に体をすり付けると、襟をくつろげ、豊かな胸元がつくる深い谷を見せつける。
「る、ルタさん!?」
「ん、お!? か、からかわないでくださいよ!?」
三眼での上目づかいを添えた肉感的な誘惑。
それにフミニアが耳と髪とを逆立て、利康もどぎまぎしつつ身を引く。
しかしルタは三つの赤い猫目を柔らかく細め、離れようとすり利康を捕まえる。
「からかってるだなんてひっどいんだ? ルタさんはトシさんといっしょに色んなことを知りたいのに」
そして唇を柔らかな笑みに緩め、その豊かな胸で利康を押す。
すると利康と触れてつぶれた胸から、ムラリとした香りが広がる。
先程までの、太鼓の連弾とも重なるかしましさ。
それと打って変わっての惑わせようとする色香。
この落差からくる強烈な揺さぶり。
それに利康は、鼻から脳みそを掴まれているような錯覚に襲われる。
ぐらついた利康の頭は、ルタに誘われるままその胸元へ落ちていく。
だが落着の直前。その間を二つのモノが割り込み遮る。
ひとつはフミニアの袖。
もうひとつは利康の持つ扇子である。
「いい加減にしてください」
フミニアの深く据わった声と目。
ルタに真剣な怒りからくるそれを浴びせて、夫との間を引き剥がしに。
「まったく冗談が過ぎますよ。なにか香を使いましたね」
そうしてフミニアがルタを威嚇する一方。利康は鼻回りを扇いで、慣れ親しんだ妻の香りを自分の顔に寄せて。
「バレちゃあしょうがないってなもんね。いかにも。ルタさんはただいまおっぱいの間に男を酔わす香水を仕込んでるよ? もちろんこのワレ特製のね」
しかし対するルタは悪びれもせずに種明かし。
それどころかドヤッと言わんばかりな得意顔と、胸の谷間を向けて襟の開閉を繰り返して香りを利康へ送る。
その誘惑の芳香―蛇女の吐息とルタは言う。―を、利康は苦笑で、フミニアは錬金術師をにらみながら、外へと流す。
「ちょ、ヒド! せっかくとっておきの使ったってのに!?」
その反応にルタが非難がましい声を上げるも、コガ夫妻は無視。二人そろって誘惑の香りと共によそへ流す。むしろフミニアは無言で気流を作る動きを強めさえするくらいである。
「ちょっとそれはひどすぎるって、臭いもんじゃないっしょ!?」
ルタはさらにひどいひどいとは言うものの、その表情は楽しげにほころんでいる。
この反応からやはり、女として誘惑している素振りは、ルタ流のからかいなのだと利康は認識を深める。
利康の持つ異界の知識に対する好奇心は本当だろう。だがあくまでも興味止まり。現段階で行動ほど好意を持っているわけではない。
困惑する利康。そしてやきもちから怒髪、天を衝く様を見せるフミニア。
そんなコガ夫妻反応をただ面白がっているに過ぎないのだ。
しかも場を引っ掻き回すそのためだけに、怪しげな薬まで用いるのだから性質が悪い。
だが冗談では済まないことをしでかしたとしても、恐らくルタ本人の意識としてはただ遊んでいるだけ。じゃれ合いのイメージを出ていないのだろう。
大人の虎が世話をしてくれている人間に、子どものころの感覚でじゃれついている。そんな状況が近いのだろうか。
しかし悪意が無かったとしても、起きてしまったことには責任を取らなければならなくなる。
それがたとえ、はぐれ者同士の集まりで寛容な気風のある村であっても、人の集まるところには違いない。
集団を成す人々から、とても受け入れていられないと判断されれば、惨い扱いに落ち着くのは必定。
だがそれを座して眺めるだけというのは、無責任に過ぎる。
最終的に溶け込めるかどうかは本人の努力次第。とは言え、人材と望んだ身としては出来る限り支えるのが義務というものだろう。
利康としてこれまでの範囲ならば、まだじゃれ合いの範囲に納めることは出来る。
まだフミニアをなだめるだけでいいからである。
過激なじゃれ合いで済ませられているうちに、村の一員として馴染めるように加減することを覚えて納得してもらわなければならない。
ルタの手綱を捌くこと。レンボルテオラス神から挑戦状とばかりに課せられたことの難しさに、利康は痛むこめかみを揉み解す。
だが利康もルタの錬金術師の技能だけを目当てに、このような悩みを抱えているわけではない。
困らされているのは事実であるし、冗談での誘惑を本気にするつもりも無い。
「とにかく。そんな報酬なんてなくても日本語は教えますから……」
だが彼女の悪意のない振る舞いは、利康も嫌いではないのだ。
「えー。日本語は教えてくれなくてもいいけど、むしろトシさんといいことさせて欲しいね」
「ルタさん!?」
「ヒハハハハ! 真っ赤になって怒っちゃってかっわいいんだ! ヒャハ!」
しかし、フミニアの怒りのツボを突きに行っては面白がるその様に、利康は深々とため息。
そして遊ばれ笑われて涙目になっている妻の背中を、慰めさするのであった。
今回もありがとうございました。
次回の更新日時も例のごとく未定であります。気長にお待ちいただけたらなによりです。
今後とも拙作をどうぞよろしくお願いいたします。




