第四十九席 利康のそろばん教室
「よーしお前らー。今日はトシヤス先生が算術を教えてくれるぞー」
「はーい!」
エルネストの掛け声に、重なった元気な声が跳ね返る。
村のお社兼エルネスト夫妻の自宅。
そこは何日かに一度、村の子どもを集めた勉強会が開かれている。
教える内容は読み書き計算。あとは村の暮らしに役立つ知識。
学校、というよりは寺子屋といったところである。
子どもも人手としてあてにされている村であるため、どうしても農閑期以外では開催頻度は低い。
が、それでも子どもたちに知識と知恵を備えた者に育てるために、と出来る限り行われているのである。
「はいみんなよろしくねー」
「よろしくー!」
雨宿りにきたウテアを見送ってから数日。
今日の算術講師として紹介された利康は、エルネストに倣って、集まった子どもたちに向けてあいさつを。
元気のよい返事をする種々様々な子どもたち。
耳も尖り耳に犬耳、猫耳。果ては頭そのものがうり坊の子まで。
その中には彩り定まらぬ髪を持つ少年が交じっているようだが、きっと目の錯覚だろう。
エルネストも何一つ突っ込まないのだから間違いない。
それはさておき、講師役として立つ利康の手にはそろばんが。
とは言っても、日本で普及しているような細長いものではない。
串にささって縦並びになった五つの珠。
木の実の殻や削り木を利用したそれは、それぞれが人差し指の先ほどに大きく、材料も混然としているため不揃い。
それらが枠に収まって十列。十桁の数字にどうにか対応した形になっている。
手に馴染んだ規格と違うのは問題である。が、利康が試しに使ってみたところ欠陥は無かった。
普通に弾いて引っかかったり、勝手に分解したり、求める機能を害するところは無く、充分使用に耐えられる仕上がりだと言える。
村の木工職人たちには子どもたちに触らせる分も含めて、いくつか数を作ってくれといきなりに無茶ぶりをしてしまった。
だがそれでも否と言わず、きちんと使えるものを用意してくれたことに、利康は頭が下がる思いを禁じえない。
「じゃあまずは基本の使い方のおさらいからいこうか」
幸いにもこの大陸、この地方でも十進法が一般的。
おかげで物理的に二五進法表示であるそろばんの形状を変える必要もなく、利康の習得した珠算術を伝えるのに障害は無かった。
ちなみに先に利康が言う通り、珠算の教師役をやるのは今日が初めてではない。
しかし、普段は子どもたちに混ざって東方語の読み書き会話を習っている利康としては、未だに講師側に立つことに違和感が強い。
もっとも、利康が珠算を教える時には、東方語の教師役をしているエルネストが生徒側に回るので、ただその一点が交代しているだけとも言える。
事実、子どもたちは自分たちに混ざって言葉を学んでいる者が講師役をすることをまるで気にしていない。
近隣のはぐれ者を集めるこの村では、流れ着いた大人が言葉を学びに混ざるのも珍しいことではない。
特にエルフ語はこの森では公用語同然であるので、習得できているか否かの差は大きい。
なのでこのはぐれ者の村に流れ着いたものたちのほとんどは、大人も子どももまずはエルフ語の会話は学ぶのである。
ちなみに子どもたちに混じって学んできた利康の東方語であるが、正直なところきちんと話せると言える域からはまだほど遠い。
聞く分には、よほど聞き取りづらい早口や小声でもなければ、いくつか単語を拾って、どうにかおおよそのところを察することはできるまでになった。
だが、いざ話すとなるとそれはもうひどいことになる。
現代日本で言うのなら、言語の自動翻訳で翻訳して戻したような形になってしまうのだ。
利康は普通に喋っているつもりなのにも関わらず、である。
試しに聞いてもらったエルネストは吹き出し、フミニアも顔を背けて肩を震わせるような、おかしな喋りになってしまうのである。
というわけで、無理せず妻と同じように単語を羅列。あとは身振りで補った方が、ぎこちないなりに理解してもらえることだろう。
利康の東方語のレベルはともかく、今は珠算だ。
そろばんの使い方を伝えて、他にも教えられる人間を作らなくてはならない。
エルネストは特に熱心に学び覚えてくれている。
なのでもうすでに加減算ならば、生徒と一緒に練習してもらえるようにはなっているだろう。
その目標と進み具合はともかく、利康は集まった生徒たちにそろばんの基本的な使い方を説明。課題としていくつかの計算問題を出す。
続いてパチパチと生徒たちが珠を弾く音が響くようになる。
そうして計算を進める音がに社の戸をノックする音が割って入る。
「はい。どちらさまです?」
「こんにちわー。こちらにコガさんがいらっしゃるって聞いてきたんですけれど?」
そのノックにエルネストが応えると、ドアの向こうから若々しい女の声が。
「その声、ウテアさんです?」
「ああ。やはりこちらでしたのね。聞いた通りで良かったですわ」
利康の声に続いて喜色を帯びた声と共に、社の扉が開かれる。
そうして扉をくぐってきたのは、声から判断した通りやはりウテアであった。
「どうされたんですか? 里帰りは? 僕に何か御用ですか?」
そろばんの練習はそのまま続けてもらうこととして、利康は銀髪のエルフが立つ入口に向かって足を進める。
チュニックにズボン。レザーコートを脇に抱えて身軽な格好をしたウテアは、そんな利康の質問に微笑みうなづく。
「ええ。里帰りしての用事は終わりましたわ。それでウルタニアの家に戻る前にあいさつとお礼。それに、頼まれごともできてしまいましたので、そのことについてお話もしたくてですね」
利康の質問に微笑みのまますらすらと答えるウテア。
あいさつとお礼に立ち寄ってくれた律義さは、本当にありがたいことだ。
しかしまだ本題を残しているらしいその口ぶりに、利康の顔は困り顔に。
「申し訳ありませんが、いま手が放せない用事の最中ですので、家で妻と待っていていただいてもよろしいでしょうか?」
待たせることになって申し訳ないと、八の字形の眉で詫びの礼を。
だが謝る利康に、ウテアは微笑みを崩さないまま頭を振る。
「いえいえ、こちらこそ急に用事があるなんて訪ねてきて申し訳ありません。待たせていただきたいと思います」
逆に忙しい中にごめんなさいと頭を下げる。
「すみませんがお願いします」
「こちらこそどうぞよろしくお願いします」
利康がそう言って改めて頭を下げると、ウテアも返礼。
そうして利康は珠算の授業に、ウテアはレンボルテオラスの社を後にする。
「中断しちゃってごめんなさい。それじゃあ続けていきましょうか」
ウテアの対応を終えて振り向いた利康は、チラ見していた生徒たちに一言詫びて、珠算授業の再開に入る。
「はーい。お願いしまーす!」
「いえーす! つづき早う早う!」
それに元気よく返事をする子どもたち。
一番力強い声で続きをと急かすのが、彩り移ろう髪の少年なのは気になるところであるが。
「ああ。新しい女にばっかりかまけてないで、こっちのことも頼むぜよろしく?」
「いやだから教えるの優先して待ってもらうようにしましたよねッ!?」
ちゃちゃを入れるエルネストに、すかさず利康が突っ込み。
その鋭いほどの反応に、この場に集まった者たちからはどっと笑いが。
笑いの沸くレンボルテオラスの社。それに利康は困り笑いで後ろ頭をかく。
「もう、とにかく続き! 続きやりますよ! はい集中!」
そして手を叩くと、強引に珠算の授業に向けて話の方向を切り替えようとするのであった。
今回もありがとうございました。
次回の更新もいつ何時になるかわかりませんが、待っていてくださるとうれしいです。




