第三十二席 探し物と行き倒れ
みっしりと木が立ち並ぶエルフの大森林。
木立と比例して密度も高く、天然の日傘となった枝葉に遮られて、ほどよく和らいだ日差しが下生えにまで届く。
ささやかな風が木々の合間を抜けて、しっとりとした空気を押して流れを生む。
そして大気の流れに乗って、鳥たちの高い歌声も渡っていく。
そんな森の中、もっと光をとどん欲に背を伸ばす草を踏み分けて進む影がふたつ。
先を歩くのは薄金の長髪を揺らす尖り耳のフミニア。
その彼女の後ろ、手を引かれて続くのは黒髪を一つ縛りに束ねた利康である。
先日朝早くの悶着などすでに忘れたかのように、フミニアは夫としっかりと手を繋いで、軽やかな足取りで森を進む。
そんな柔らかな笑みさえ浮かべる妻に対して、利康は空いた手で汗をぬぐいつつ着いていくばかり。
こちらの世界に渡ってしばらく。野良仕事や森を巡っての仕事を続けていくらか体力のついた利康であるが、やはりまだこちらの方ではフミニアよりも先にへばってしまう。
正座と、他にもいくつかのことでは、フミニアの方が決まって先に音を上げるのであるが。
「もうすぐですから、もうひとがんばりですよ」
「は、はい」
しかしいまは森歩き。
はつらつと楽しげに足を進めるフミニアに引かれて、利康は息をあえがせながらくっついて行くばかりであった。
「……あれ?」
しかしフミニアは一本の木を目の前に立ち止まると首を傾げる。
彼女が訝し気に眺める木には蔓が絡まっているが、その蔓についているのは葉っぱだけ。実のあったらしき場所も確かにある。だがどれもすでに実を摘み取った跡だけで、果実は一つたりとも残っていない。
「この蔓が、そうなんですか?」
妻が眺める蔓を指さして利康はこれに間違いないのかと確認を。
「はい。去年はこの時期に実をつけていたんですけど……」
フミニアはそう答えて裏側に残った実がないかと、木の後ろへ回り込む。
しかし案の定というべきか、ぐるりと見まわしたところで見当たる実はない。
「おかしいですね。あの実を誰が取っていくんでしょう?」
眉をひそめて首をひねるフミニア。その一方で利康はひとまずは膝に手をつき深呼吸。乱れていた息を整える。
そこで下に向いていた利康の目は、草に埋もれていた何かを見つける。
利康は目についた土にまみれのそれを摘み、拾い上げる。
じとっと湿り気の強いそれは、何かの植物の破片らしい。
泥に隠れてしまっているが、元は淡い緑と白の二色縞を持つ、スイカの皮のようなものだったのだろう。
皮の質感といい埋もれていた場所といい、この破片が恐らくは―。
「あ、それですよ! それがトシヤスさんの探してたヒサゴーリの実ですよ!」
「ああ、やっぱりこれが……」
フミニアの言葉に、利康は自分の予想が正しかったのだとうなづく。
「皮の破片が落ちているということは、ここに実がついていたのは確実ですね」
分厚い皮の破片を摘んで高い位置を探す利康。
何物かが実をもぎ取っていたとして、取りこぼしがないかの確認。
それに続いて完全に形の残ったものが落ちていないかも見回す。
しかし見えるところに落ちているのは破片ばかりで、形を丸々残したものは一つも見当たらない。
その落胆からか疲労からか、利康は大きく息を吐く。
「とりあえず探すのは後回しにして、お昼がてら少し休みましょうか?」
「そうですね。一休みしましょう」
そこで妻からの休憩の提案に、利康も素直にうなづく。
二人は手近なところで、腰を掛けるのにちょうどよい高さに盛り上がった木の根を見つけてそこに並んで腰かける。
正面の下草に、日差しが葉の重なりの弱いところを貫いてまっすぐに降るのを見ながら、利康は重ねて深呼吸。
そして妻とともに、出かける前に渡された弁当の包みを広げる。
色違いの包みから現れたのは薄い無発酵パンで豆や葉野菜と塩漬けの肉を巻いたもの。
地球の料理でいえばトルティーヤのブリートが近いだろうか。
「いただきます」
「大地と森より授かった恵みに感謝を」
それを前に二人は手を合わせて食前の挨拶をきちんと。
そして具巻きパンを掴むかと思いきや、二人ともまずは革の水袋を手に取り一口。
汗の目立つ利康はもとより、フミニアののどもまず水を欲していたのだ。
利康はそこで水に交じって入ってくる革の臭みに眉尻を下げる。
乾いたのどに染みるほど美味い水であるのに、その味を損なう臭気は、繰り返し飲んでもどうしてもなじめないものであった。
しかしヒサゴーリと呼ばれるこの実。
フミニアがこれだと薦めたものが、間違いなく利康の求めたものそのものであるならば、革の臭みのする水を常識とする人々に革新的な驚きをもたらせるはずだ。
「でも、きちんとしたヒサゴーリが見つかったとして、どうするんです? 食べても人やエルフはお腹を壊しますよ?」
「ああ、その辺りも同じなんですね」
泥に汚れた瓜の破片を手に眺めていた利康に、フミニアは首を傾ける。
利康はそんな妻の愛らしい仕草に微笑みを返す。
「もちろん食べるわけじゃありませんよ。加減して下剤にってこともあるかもしれませんが、そっちでもないです」
それにフミニアはあいづちとともにうなづいて、説明の続きを待つ。
「で、皮を使ってなにを作るのかというと、これですよ」
そんな妻に、利康は手に持った革袋を持ち上げて見せる。
「水袋……ですか?」
「ええ。水を持ち運びする容器です。この皮の感じならきっと僕の期待通りに、この世界でのひょうたんとして使えそうですよ」
「ひょー……たん?」
「そういう名前の植物で。水入れにした後もそのままの名前で呼ばれてるんですよ」
そう。利康が今回求めているのはひょうたんの代用品である。
革の水袋に対して、ひょうたんや竹を加工した水入れは水への臭い移りが少ない。
くわえてニス塗などの防水加工を施さなかった場合、水分の容器外部への蒸散による気化冷却で中身の温度が外気温よりも低く保たれるという効果もある。
さらに素材を得るために動物をつぶす必要もなく、素材を安定して供給できる環境を整えやすい。
もっともこうした利点は確かながら、革袋のほうが優れている点もある。
まず一つ。容積そのものは、革袋の方が大きくなりやすい。
次に落下や衝突による破損には柔軟な袋のほうが強い。
また胃袋や膀胱など、素材に使う部位によっては中身の蒸散減少に非常に強い。
こうした長所短所の違いから、これらは環境や目的によって使い分けられてきているのである。
具体的には砂漠など、補給が容易でなく、容器の破損による水の損失が即死活問題になる環境ならば革袋一択、ということになるだろう。
「でも不思議なのは、どうしてこの森で今までそういう使い方をしようと思いつかれなかったかということですね」
弁当をあらかた食べ終えて、利康はつぶやき首をひねる。
ひょうたんはその用途から、地球人類最古級の栽培植物の一つともいわれるほど、利用法込みで伝統的な植物である。
しかし先にあげたような水に乏しい環境でないにもかかわらず、エルフの大森林とその周辺では全く使われていない。
それも類似した植物がないならともかく、それが野生種で存在する上での話である。
しかもその野生種、実をつける時期が違う品種がいくつもあるらしく、様々な季節で採取可能なのだという。
そのような環境下で、なぜ見向きもされなかったのか不思議でならず、利康はうなるばかり。
「あー……そのぉ、実はエルフって、そもそも水を持ち歩く習慣がないんですよ」
「なんですって?」
そこへ妻からあっさりともたらされた回答に、利康は間の抜けた顔を隣へ。
するとフミニアは「見ていて」と、夫の目を見返して右手人差し指を立てる。
そのままフミニアは空気を一吸い。次いで肺にためたそれを言葉とともに放つ。
『木よ……水よ……万物に宿る精霊たちよ……この声が聞こえたのなら応えて。ほんの少しずつ、私に水を分けてちょうだい……』
大気を波立たせる力ある言葉。
ただの音ではまず応えぬ別の領域にある存在。
それらに届けるために魔力を乗せて紡ぎだされた言葉が、桜色の唇を中心に波紋を起こす。
するとどうか、利康らの周囲でにわかに霧が立ち込め始める。
その霧はフミニアの呼びかけが生んだ波をさかのぼるようにして集まり、見る見るうちに景色を遮るほどに濃密に。
集いゆく先はフミニアの立てた指先。
その一点に集中した霧はやがて丸い滴として固まる。
フミニアの指先に浮かんだ一滴は、雪玉を転がすように辺りの霧を吸い込み大きくなっていく。
ほどなくして霧のすべてを取り込むと、その大きさはフミニア自身の握りこぶしほどにまでなる。
そしてフミニアは、指先にできた水球を利康の鼻先へ。
透き通った水球は大きく揺れながらも、また元の球に。
レンズ状に景色を歪ませ揺らめく水ごしに、フミニアは利康に向かってウインク。
飲んでみて、ということか。その目くばせを受けて利康は口をすぼめて水球へ近づける。
想像していた以上に唇を冷やす温度に、利康は目を見開く。
が、驚きながらも体を引くことはなく、水に触れた唇はそのまま吸い込んでいく。
すると逆側からフミニアも吸い付いて、二人は同じ水を直に分かち合う。
そして揃ってちゅるりと水を飲み込むと、フミニアは頬を染めてはにかむ。
「……エルフはだいたいこんな風に、精霊にお願いして水を集められますので」
「な、なるほど……」
唇をくすぐる妻の吐息。
利康はそれにどぎまぎしながらも、妻の説明にうなづく。
つまりは森の中にいる限り水が欲しくなれば魔法で集めて出せるのであれば、確かに水筒のような道具を必要とはしないだろう。
つけ加えて、水気の多い果実の実りもあるため、不足はない。
道具の必要性とは需要と言い換えてもいい。
必要とする思いがなければそもそもの発想すら生まれないものだ。
そのまま誰も水筒を必要としていない土地に革袋が持ち込まれて、精霊魔法で手軽に水を用意できない者たちはそちらを利用する形で今まで落ち着いてきたのである。
ちなみに、フミニアはの立ち位置は両者の中間にあたる。
精霊魔法は難なく使えるがそれは高い素質任せのこと。同じく素質任せのエルフにはやはり劣るのだ。
先の水集めの魔法もそれほど負荷が大きいものではないが気軽に乱発できるほどの力量はない。
熱心に修行を積めばまた違うのであろうが、少し暮らしを豊かにできる現状で充分な以上、それこそ需要がない。
話はそれたが、素材はあれど誰も使い物がないところへ、同じような道具を持ち込まれたというのが、エルフの森でひょうたん水筒の生まれなかった理由ということなのだ。
「そういうことですか。魔法は便利ですが、それでいい道具が生まれないのは残念ですね」
腕組み苦笑する利康。
しかしそのおかげで利康の知識が役立ち、評価されているのだから一概に悪いことだとも言えないのだが。
その事実に利康は苦笑を深める。
そこでふと草の擦れる音が。
音のした方向に二人は顔を。
するとそこでは、ちょうど小さな人が草をかき分けて出てくるところであった。
背丈は利康よりも頭一つ小さいだろうか。
葉を重ねてつる草でまとめた腰巻とベスト。
そんな体をぎりぎり隠せている程度の、服と呼べるかも怪しい衣服を身にまとった体は、脂肪で柔らかくふくふくとしている。
背丈に大きな目。加えてむっちりとした体と、随分と幼く見える。
「み……水……」
葉っぱを頭に乗せたその男の子は、アヒル口な唇からエルフ語で呻くとそのまま前のめりに倒れる。
「お、おい君ッ!?」
「カワロの子? なんでこんなところでッ!?」
渇きを訴えて倒れた男の子に利康とフミニアの夫婦は慌てて駆け寄る。
今回もありがとうございました。
次回も更新日時は未定ですが、どうぞよろしくお願いします。




