第十二席 学習には目的が必要だ
「さて、今日のところはこれでおしまいにするか」
「ありがとうございました」
エルネストの終了宣言を受けて、利康は深く頭を下げる。
その手元には黒い筋がいくつも書かれた木版と、布を巻いた細めの木炭が。
利康はいま、エルネストを頼って人族の使う言語を学んでいるのだ。
東方語と呼ばれているその言葉は、発音やSVO型の文法が地球でいう英語に近い。が、あくまで似ているだけ。文字もアルファベットに近いがやはり異なる。
日本では異言語系の授業を得意としていなかった利康としては、自分の意思で始めたこととはいえ、辛いものである。
「しかし、そんなに急いで東方語を、しかも読み書きまで覚えようとしないでもいいだろうに……」
余りに急ぎに言葉を学ぼうとしている利康に、エルネストは感心半分呆れ半分といった調子で肩をすくめる。
「いやでも、幸いにも日本語そのままで通じてますけど、通じない人とはろくに話もできませんし、手紙も書けませんから」
「あ? 手紙ならエルフ語で書けばいいだろ?」
「そっちも勉強中なんですよ」
「は? マジで?」
エルフ文字も勉強中だと言う利康に、エルネストは目を見開く。
驚き広がった目が利康と、その側に座るフミニアを交互に見る。
「ええ、はい。エルフ文字は私が」
「んん? ああ、マジで文字が違ったのか!?」
片手をあげて答えるフミニア。それにエルネストは繰り返しうなづく。
「ええ、そうなんですよ」
すっきりと納得した様子のエルネスト。それに対して利康は苦笑交じりに答える。
利康の言う通り、日本語とエルフ語は恐ろしいほどに共通しているものの、文字はまったく異なっていた。
エルフ文字は絵文字なのである。
横向きの人物。植物に動物。分かりやすく特徴を強調したそれらの絵のいくらかをひとまとめに。そのかたまりを上から下、右から左へと連ね並べていくのだ。
その形式はコマの読み進め方の異なるマンガのようでもある。
もっとも、人物の言葉がフキダシ表現されてるわけではないし、演出用の線が添えられたりはもちろんしていないのだが。
なお、そうして固めて組み合わせられた絵柄が、表意文字や個人の名を示すものになる。
たとえばフミニアを現わすならば、短めの尖り耳に長い髪。大きな目と小振りな鼻と唇を持つ小柄な女性として描かれる。
それら表意文字に加えて、表音文字は百以上ある全ての音全てに、異なる絵が配されているのである。
「こんな感じで、対応してる音がありますから、こっちの部分はまだ楽なんですけれど……」
言いながら利康は木版の余白に、覚えた絵に対応する音をあ、い、う……と、添えて並べ書く。
ちなみにこうした表音文字は、先のフミニアを現わす絵文字を例にすると「ふみにあ」とルビとして横に添えて使うのが通常の使い方なのだとか。
「ほぉん……こっちの方が書くの楽そうだな」
「まあ、改造を好む故郷の人が永い時間をかけて改造してきた文字ですから」
超改造民族と名高い日本人が簡略化を進めてきた表音文字である。絵を書くより楽なのは当然だろう。
「さあさ。一休みに飲み物をどうぞ」
そう言って奥から出てきたポリーヌが、トレイに乗せた木のカップをこの拝堂にいる面々へ配る。
「どうも」
「ありがとうございます」
「んん……」
手渡された果物を絞ったジュースに、フミニアと利康はにこやかに返礼。
対してエルネストは妻からコップを受け取りながら低い声でうなづく。
しかしそんな夫の態度にも、ポリーヌはその丸っこい顔を朗らかな笑顔を浮かべている。
そんなやり取りを前に、フミニアは動じた風もなくコップに口を付ける。
それを見て利康も、この神官夫婦のいつものことと流して、出されたジュースを頂戴する。
「はぁ……これ美味しいですね」
ほんのりとした甘味にさわやかな酸味がアクセントとして加わった、すっきりとした美味に利康は思わず感嘆の息をつく。
「ですよね。ポリーヌさんはこういうのが特に上手なんですよ」
それに続いてじっくりと果汁を味わっていたフミニアもうなづく。
「まあ、これくらいは得意な物もないとな」
「ぶうぅ……エル様ひどいですよぉ」
含み笑いを溢しながら言うエルネストに、ポリーヌは不満げに返す。が、やはりその顔に本気の不満は無い。
利康はそんな夫婦のやり取りに、こみ上げるままに微笑みを浮かべて果汁をもう一口。
「ふん。しかし……解せないな」
「なにがです?」
そして唐突に首を捻ったエルネストに利康もまた首を傾げる。
「いや、話の通じる相手を増やしたいって言うのは分かる。我が神もより進歩した自分への変化も推奨している。けれど、だ……やっぱ文字まで並行して覚えようとするのは急ぎすぎだと思うんだよ」
納得が足りない。エルネストはそんな意思を帯びた目を利康に向ける。
進歩と変化、革新を是とし、推奨するレンボルテオラス神。
そんな神の神官であっても疑問を持たざるを得ないほどの急進性だということなのか。
否、変化と進歩を尊ぶ神の教徒であるからこそ、きちんと土台を固めて行くべきだという考えなのかもしれない。
「まあ、実際“それ”は理由の半分くらいだったりするので」
そのようにエルネストの考えを察して、利康は苦笑交じりながら正直に理由の全てではないと答える。
「へえ。じゃあそのもう半分の理由ってのは?」
「茶席の時用に、書も書いて飾りたいんですよ」
好奇心に口の端を緩めて、残り半分の理由を求めるエルネスト。
利康はそれに苦笑のまま応える。
「お茶の時に書? 文字、というか文書を飾るんですか?」
利康の考えに、フミニアはイメージが追いつかないのか、首を傾げて疑問を示す。
「そうなんです!」
それに利康は拳を握り、腰を折る勢いで首を縦に振る。
「美しい花を飾るのもいいんです! いいんですが!? 一輪とて同じ花が無いとは言っても、いつもいつも花だけを飾っていてはいけません!」
「は、はい……」
「先人の知恵、思いを書き記した書を飾り、それを茶席で読み取り味わうのもまた一つの味わいなんです! でもいい具合のもの用意できるか分からない。なら自分で看板にでも書くしかないじゃないですか!?」
時と客に応じて、菓子や飾る品を変えるのは当然のこと。
もちろん不足ばかりの現状では、やむ無しとおかねばならないところはある。
しかしそれをいつまでも良しとして、改めるために動かないというわけにはいかない。
それはただの甘え。そして怠惰である。
今までに、この世界では見せたことの無い利康の勢い。
それにフミニアをはじめとした面々が気圧されたようにうなづく。
だが利康はそんな様子に気づいた様子もなく、拳を固めたまま語り続ける。
「あの、それならどなたかに譲っていただくか、書いていただくのもいいのでは?」
「それも悪くはありません。ありませんが! それでも僕がきちんと意味も理解した上で、床の掛け物として選べるようにならなくては!」
ポリーヌから上がった意見に、利康は勢いをそのまま、断固として主張を重ねる。
そう。誰の作った品であろうが、最終的に選び、もてなしの席に飾るのは自分なのだ。
その自分が意味が分からぬ、読めぬのではあまりにも不格好。不調法という言葉すら生易しい。
また一度は漢字で書いた書を飾り、解説することも考えはした。が、それは客に対してあまりにも高慢に過ぎる。
それらの考えから利康が至ったのは、この世界で茶の湯で人をもてなすのならば、まず自分がこの世界に踏み込んでいかねばならないという思い。
だから利康は、言葉を文字まで合わせて学んでいるのである。
ただ同時に、エルフ文字で書いた掛け物は筆と書き方、書き手次第では水墨画の魅力もあわせ持って美しく仕上がるだろうという目論みもある。そして、それを欲しいという願望も持っているのだが。
そこで利康は熱く語っていた自分。そしてそれに戸惑う三人に気づく。
「あ、あはは……というワケでして。自分で作るにしてもなんにしても、まず知識が欲しい……と」
そして冷や汗まじりに苦笑を浮かべ、歯切れ悪く説明を締めくくる。
どう言葉を並べたところで、結局の根本は利康の思い描く理想的な茶席のための欲望である。
そのために熱くなってしまった自分への反応が恐ろしくて、利康の回りの様子をうかがう目も怖々としたものになる。 ためらいがちな、探るような利康の目。
「ハッハハハハハッ!」
だがそんな利康の不安を吹き飛ばすような、カラリとした大笑があがる。
「エル様?」
「ど、どうしたんです?」
笑い声の根源。大口を開けたエルネストへ、フミニアとポリーヌの二人は揃って瞬かせた目を向ける。
戸惑うのは二人のみならず利康も同じこと。突然の笑いに対して反応もできず、口許がひきつった苦笑に固まっている。
エルネストはそんな三人に対して、膝をひとつ叩いてその笑いを切る。
「なかなかに熱いところあるじゃないか!」
そして口の端を吊り上げた笑みはそのまま、弾んだ声を放つ。
「落ち着き払って欲を隠してるばかりと見ていたが、なかなかどうして! こんなに熱くなれるほど欲して臨むものがあるじゃないか。そう言うのは嫌いじゃない」
含み笑いを溢しながら言うエルネスト。
「そ、それはどうも……ありがとうございます?」
見損なうどころか、むしろ好感触に見える反応。
利康はそれに、心配の空振りに戸惑いながら礼を返すしかなかった。
今回もありがとうございました。
次回は2月18日午前0時に更新します。




