第10話【紳士と献杯!ティーパーティー】
放課後の学園、ひっそりとした調理室。
生徒達のいない筈のその場所に、レイラは一人で座っていた。
彼女の目の前では現在、凄まじい怪奇現象が発生している。
ボウルが宙に浮いて高速回転し、小麦粉の袋がひとりでに傾いて中身を落とす。泡立て器はまるで意思を持つ生き物のみたいで、目にも留まらぬ速さで卵白を攪拌していた。さながら、見えない一流シェフが厨房を支配しているかのようである。
ポルターガイストだ。
『ぽ、ぽぽ……、レイラ嬢。その美しい瞳に見つめられてしまうと照れてしまいます。貴女の目ぢからは、まるで焔の雷でございます故……僕には眩しいのです。』
レイラの真横で照れたように俯くのは、白い美貌の幽霊、ハーシャクである。彼は天井の梁に頭をぶつけそうになりながら、長すぎる脚を少し折り曲げて、嬉しそうにレイラを見つめていた。付した睫毛が彼を幻想的に映す。
形の良い鼻はクッキリと高く、微笑む口角は高貴な仕上がり。
その表情は国を傾けそうなほど美しい。
『ホワイト令息。私の祖国を差し上げます』
『一度で良いのでウインクしてくださいませんか。お金ならあります』
『美しすぎるあまりこの国に封印された幻獣人ですか?今からこの国を燃やします。』
『今同じ空気を吸ってる……これって恋の始まり……?』
というか既に傾けていた。
あまりに麗しい紗羅硝子が微笑んでいるので、学園中の霊達が一斉に寄って来たのである。
レイラを見つめるハーシャクは、それほど美男子だったのだ。
不健康な肌色は真珠の輝きを持っている。白いスーツから覗く細長い首の悍ましささえも、彼を美姫に見せた。
彼は色んな霊から『彼を見ていると心臓がドキドキする。生き返ったのかもしれない』『人がいっぱいいるから世界遺産があるのかと思って近付いたら、そこには"幻の創った夢"がいた……』『夢小説かと思った……、(メリー)』とアホみたいな感想を投げられ、しかしその言葉すらも彼を表現するには役不足であった。
『ぽ……、申し訳ありません淑女達。僕は今、花国の姫に茶会の用意をしているのです。お帰りくださいませ』
がしかしハーシャクは、その猛烈なアタックに少しも靡くことは無く。彼はポルターガイストを止めぬまま、片手間にそう言った。
『"夢"が話しかけてくれた……』
『この場合帰った方が良いんですか?貴方が望むなら全然"還り"ますけど……』
『せめてお墓の場所を教えて欲しい。同じ所に骨を埋めたい』
霊達は出て行った。
レイラは怒涛の勢いに苦笑いし、ここまで意味分からないと逆に面白いな……と思った。
彼女はあまり人の造形に興味は無いが、確かにハーシャクは綺麗だと思う。彼が自分を好いてくる理由が分からない程度には、その美しさを理解出来る。
『お騒がせいたしましたレイラ嬢。たまにあるのです。しかし調理に問題は無いのでご心配なく』
「ふ、別に気にしていない。マァ、楽しみにしているから、あまり霊力を出力しすぎてオーブンを爆発させるなよ」
レイラが意地悪く笑い返せば、ハーシャクは「ぽぽ、ぽ……!」と胸をわなめかし上下させた。その釣り上がった唇があまりにもセクシーだった為、ビックリしてしまったのである。
『どうか安心してくださいませ。僕のポルターガイストが粗相なぞする訳ございません。レイラ嬢のため、王宮のパティシエから盗み見た技を練習したのです。きっとご満足いただける仕上がりに再現して見せます。どうか楽しみになさっていて。』
「それは期待している。……というかむしろ盛大に調理器具が動いているから、今誰か入ってきたら私が " 禁忌の黒魔術を使用している " とかで退学になりそうだな」
『我が白百合、ご不安でしょうか?人間など誰も来させはいたしません。仮に来たとしても、ハーシャクの名にかけ、僕がその者の家系ごとぽぽります。』
「ぽって動詞なのか?」
オーブンが小気味良い音を立てた。
ハーシャクが細長い指先をスッと動かすと、焼き上がった狐色のスポンジケーキが流れるように宙を舞い、大理石の台の上に着地する。
彼はチャイコフスキーを鼻歌に、ケーキに装飾を施していく。
生クリームは薔薇の花弁のように絞り出され、真っ赤なイチゴはスプレーをかけるとツヤツヤに輝く。均等に配置されるラズベリーに、粉砂糖の繊細なレースの装飾。
精密なコントロールだ。ポルターガイストは霊に備わっている基本的な怪奇能力であるが、彼はその中でも使い方が上手い。ハーシャクのレベルまでいくとなると、彼は相当練習したのだろう。ホワイトミルクと赤いリボンが、ハーシャクの歌と流れるようにケーキを彩っていく。
むしろどうしてここまで上手いのか意味が分からない。
多分レイラの手先より上手い。もうコイツの方が人間で良いんじゃないかと思う。
『お待たせいたしました、月の見る悪夢のように美しいひと。ぽぽぽ、レイラ嬢に食べていただけるなんて、僕はこの菓子に嫉妬をしてしまいそうです。』
目の前にイチゴのショートケーキが差し出された。
紅茶のカップも自動で傾き、ダージリンが注がれる。
レイラの胸元にナプキンが運ばれ、首の後ろで優しく結ばれる。
「もうコイツの方が人間だよな……」「てか人間か?」「普通に戸籍とか持っててもも驚かないし……」と心の中で呟きながら、ケーキを口に運んだ。
「…………」
『ぽ、お味はいかがでしょう。いえ!急かしてしまって申しわけございません。レディーの咀嚼は小さくてゆっくりなのです。どうぞ堪能してくださいませ。そしてもし宜しければ、ひとことでもお言葉を頂けたら……。ぽぽ、これは僕の欲張りですね』
濃厚なクリームの甘みと、イチゴの甘酸っぱさ。しっとりと上品な生地が舌の上で溶ける。重い皿の上で、こんなに軽やかにケーキが揺れる。思わず目をつむった。
恥ずかしいので誰かに言ったことはないが、レイラは甘い物が好きなのだ。しかし数々の甘味を知る彼女とは言え、まさか……これほど美味いケーキは食べたことがない。
「……素晴らしい。店が開けるレベルだ」
彼女が思わずクールな表情を崩し、、ボソッと本音を漏らした瞬間。
『……ッ!』
ハーシャクが、言葉を失ったように目を見開いた。
普段から慣れ親しんだ、『ぽ、ぽ、ぽ』という笑い声が消える。彼の長い前髪の隙間から、酷く綺麗な瞳がレイラを見つめていた。まるで宗教画を見つめるような視線はどこか真剣で、しかし怪異特有の笑みもある。
『喜んでくださいましたか、僕の女王。貴女に限ってお世辞などは有りますまい。あぁ、それなのに僕の何より望んだ言葉をくださるだなんて。「素晴らしい」だなんて賞賛!なんて甘美な響き!レイラ嬢が喜んでくださったこと、我が霊生の誇りといたしましょう。』
幽霊であるハーシャクの体は、驚くほど大きい。
彼がじわりと距離を詰め、レイラの座る椅子の背もたれに両手を突いた。上から覆いかぶさるようにして屈み込まれる。
ニメートル四十センチの巨体は簡単にレイラの視界を覆い、前髪が重力に従い垂れ下がり、彼女の後頭部と触れた。
顔が良い。無駄に、暴力的なまでに顔が良い。
普段から周囲に顔の良い女霊達がいるせいで麻痺していたが、ハーシャクも圧倒的に華やかで美しい。儚い顔色に気味の悪い程の手足の長さ。しかしその怪異としてのバランスが、彼を浮世離れした殊更の美男に魅せるのだ。
そういった美醜に疎いレイラですら、そのあまりの至近距離と、不意に漂ってきた霊気の冷たさに、少しだけ背筋が震えた。
『この歓びをどうお伝えしたら良いのでしょう。貴女に僕の心臓を食べて頂きたいほどだ!ケーキの他にも、クッキーはお好きですか、チョコレートはお好きでしょうか。アイスもプディングも作れます。とても練習したのです。レイラ嬢に喜んでいただけるならば、僕は、毎日だってお作りいたします』
ハーシャク令息の声が、いつもより一段、低く優しく響く。
彼の言葉遣いはいつだって堅苦しくて、表現は少し古臭い。
『他の奴らには一口だろうと差し上げません。王子も、あの男爵令嬢も、学園の全てが貴女を敵に回したとしても……僕だけは、レイラ嬢の背後でお仕えいたします。我が白百合、明日は何をお作りましょうか。』
レイラは「ストーカーみたいな奴が何か喋ってるな」と思ったらハーシャクで、「ハーシャクが何か言ってるな」と思ったらストーカーみたいな台詞だったので、「私の周りってストーカーみたいな奴が多いな……」と困った気持ちになった。
その声に籠められた響きは、あまりにも一途で、少しだけ独占欲が滲んでいて。
「……別に、毎日は作らんでいい」
わずかに顔をそらし、残りのケーキを口に放り込んだ。
心臓がほんの一拍、妙なリズムを刻んだ気がしたが、それはきっと、この部屋の霊度が低くなりすぎて体が冷えたせいだ。そうに違いない。
「……気が向いたら、また作ってくれ」
『ぽ、ぽ、ぽ……!! 今、「また」と言ってくださったのでしょうか?えぇ、えぇ、確かに承りましたとも!いつでもお呼びたてくださいませ、レイラ嬢。これは僕たちの輝かしい未来の約束、霊で言うならばマリッジブルー!!ぽ、ぽ、ぽ、ぽぽぽぽぽ!!!』
レイラが小さな声で要望を伝えた瞬間、ハーシャクは再び舞い上がり、長い手足が演技がかるように伸ばされる。胸に手を当て、歌うように目を閉じた。
彼の興奮に呼応して、調理室中のフライパンや鍋がガタガタガタッ!! と激しくポルターガイストで鳴り響く。窓ガラスがビリビリと震え、足元が揺れる。
「……褒めすぎた、か?」




