第三章 早馬、観音寺に奔る
第三章 早馬、観音寺に奔る
永禄八年(一五六五年)の春、京の情勢は急速に不穏さを増していた。
三好長慶が世を去って以来、三好家の実権は長慶の養子・義継、そして三好三人衆と称される三好長逸・三好政康・岩成友通、さらに松永久秀の子・松永久通らの手に移っていた。将軍・足利義輝は、これら三好方の傀儡たることをよしとせず、独自に諸大名との連携を模索し、将軍権威の復権を図ろうとしていた。この義輝の動きは、三好方にとって次第に看過し難いものとなっていく。
観音寺城の奥、義頼が甲賀口より久方ぶりに参上していたその日の夕刻、一頭の早馬が城下の坂道を駆け上ってきた。息も絶え絶えの使者を出迎えたのは、折悪しく城内におらず、後に知らせを受けた家老の一人であった。
「近衞様よりの御使者にございます。火急の御用向きとのこと」
近衞家からの使者は、公家にしては珍しく旅塵にまみれた狩衣姿で、観音寺城の広間に通されるなり、開口一番にこう告げた。使者は近衞家の家司であり、近衞家当主本人の名を直接伝えるのではなく、京に出入りする公家衆や将軍側近から得た情報を取り次ぐ役目を担っていた。
「三好方、近く二条御所に何やら大がかりな兵を集めておる由。将軍家に対し、由々しき動きあり。近衞左大臣様より、六角家にはくれぐれもご油断なきよう申し伝えよとの仰せにございます」
近衞家は将軍・義輝と姻戚関係にも近い立場にあり、その家司や周辺の公家衆を通じて三好方の不穏な動きを察知していた。近衞家内部でも三好方への対応には温度差があり、家として露骨に将軍救援を表明することは避けていたが、少なくとも警戒を促す情報は諸方へ流れていた。そしてこの近衞家との細い伝手を保っていたのが、他ならぬ義頼であった。かねてより義頼の弓の技に興味を抱いていた近衞家の一部の者との交流が、京の情勢をいち早く観音寺城へもたらす回路となっていたのである。
「まことか。委細、某にお聞かせ願いたい」
密使の言葉を受け取った義頼は、使者を丁重にもてなしつつ、京における三好方の兵の集め方、二条御所周辺の警戒の緩さ、将軍方の手勢の少なさなど、聞き出せる限りのことを聞き出した。使者が語る話を継ぎ合わせるほどに、義頼の胸中には、拭いがたい不吉な予感が募っていった。
その夜のうちに、義頼はこの報を携え、当主・義治、そして隠居の義賢(承禎)の前へと参上した。
「三好方、将軍家に害意ありと見て間違いございませぬ。今すぐにでも兵を京へ向けるべきかと」
義頼のこの言に、当主・義治は難色を示した。
「性急に過ぎる。三好方とは、我が六角家もこれまで幾度となく矛を交えてきたが、和議を結んだ経緯もある。今、一方的に兵を動かせば、それこそ三好方を刺激し、六角家全体を戦火に巻き込むことになりかねぬ」
義治の立場は、宥和政策であった。六角家は既に南近江において独自の勢力圏を築いており、京の政変に深入りすることの利は乏しいと見ていた。むしろ、三好方との関係を無用に悪化させることこそ、六角家にとっての損失であると考えていたのである。
この場には、義治の側近として長らく仕えてきた後藤但馬守賢豊も列座していた。賢豊は義治の宥和路線を支持する立場から、静かに口を添えた。
「殿の仰せ、もっともかと存じまする。観音寺より京までは、およそ十二里の道のり。兵を動かすとなれば、支度だけでも数日を要しましょう。それだけの間に、果たして三好方の動きがどう転ぶか、正しく見極めねばなりませぬ」
一方、蒲生下野守賢秀は、いくぶん異なる懸念を口にした。
「されど後藤殿、十二里の道、悠長に構えておれば、着いた頃には既に事が終わっておるということもございましょう。将軍家の一大事となれば、遅疑逡巡こそが最も恐ろしゅうございます」
家中の評定は、早くも二つに割れつつあった。
これに対して、隠居の身でありながらなお発言力を保つ義賢は、異なる見解を示した。
「治部(義治)よ、三好の増長、目に余るものがある。将軍家を傀儡とし、あまつさえ害しようという企てを見過ごして、六角の名がどうして立とう。父としては、義頼の言に理があると見る」
義賢自身、かつて三好家とは幾度も対峙してきた経験を持ち、三好方の野心的な動きに対して一貫して警戒的な立場を取ってきた。義治の宥和路線は、義賢から見れば、三好方の増長をいたずらに許すだけの弱腰と映っていた。
「父上。されど、既に家督は某が継いでおりまする。六角家の方針を決めるのは、この義治にございます」
義治のこの言葉は、単なる政策論争を超えて、家督を継いだ当主としての矜持と、なお隠居の身で口を挟んでくる父への複雑な感情を露わにしていた。義賢もまた、それを察してか、しばし沈黙した。
この対立の間に立たされた義頼は、甥であり、しかも年上である義治と、実の兄である義賢、双方の言い分を聞きながら、己の考えを述べた。
「兄上のお立場も理解いたしまする。六角家の存立を第一に考えれば、軽々に京へ兵を出すことは危うい賭けにございましょう。されど――」
義頼は一度言葉を切り、続けた。
「将軍家が三好方の手にかかり、命を落とすようなことあらば、この国の秩序そのものが崩れ申す。それは、六角家にとっても決して他人事では済みませぬ。今日、将軍家を見捨てた家が、明日、誰に見捨てられぬと申せましょうや」
義治はなおも渋った。
「情勢は近衞殿からの一報のみ。誤報である可能性、あるいは大げさに伝わっておる可能性とて捨てきれぬ。それだけの根拠で、六角の兵を動かせと申すか」
「されば、六角家としての正式な出兵は、今この時点では不要にございます」
義頼は静かに、しかし明確な意志を込めて言った。
「某が預かる甲賀口の兵を率いて、京へ参ります。これは六角家としての正式な軍事行動ではなく、六角家が将軍家への援軍を黙認したもの、という形にいたしましょう。兵は六角家の軍役によって預けられたものゆえ、最終的な責は某が負うこととし、兄上には直接の出兵命令を出さぬという体裁をお取りいただきたい。もし某の見立てが誤りであれば、その責はすべて某一人が負いましょう」
この申し出は、義治にとって受け入れ難いものであった。
「たわけたことを申すな。お前の兵とて、六角の名において預けたもの。お前一人が動くということは、六角家が動くということと変わらぬではないか。もし三好方を刺激する結果となれば、その責を六角家全体が負うことになるのだぞ」
「されば、兄上は将軍家が害されるのを、黙って見過ごせと仰せか」
「わしはそのようなことは申しておらぬ\! ただ、拙速を戒めておるのだ」
叔父と甥である両者の間に、激しい応酬が続いた。後藤賢豊はなおも義治に味方して慎重論を説き、蒲生賢秀は義頼の側に理解を示すというように、家中の評定そのものが、二つの流れに分かれつつあった。
義賢は、その様子をしばし見守った後、静かに口を開いた。
「治部、義頼。両者の言い分、いずれも一理ある。しかしな……」
義賢は、かつて幾度も戦場に立った隠居の目で、二人を見据えた。
「乱世において、最も恐ろしいのは、判断を誤ることではない。判断そのものを避け、時を無駄に費やすことよ。三好方が本当に事を起こすつもりならば、我らが議論を重ねておる間にも、事態は動いておる」
そして義賢は、義治に向き直った。
「治部よ、六角家としての正式な出兵は、お前の言う通り、拙速であってはならぬ。それは認めよう。されど、義頼個人の判断による援軍という形であれば、六角家としての体面を損なうことなく、万一の際の備えともなろう。もし近衞殿からの報が誤りであったならば、義頼の兵を静かに引き上げさせればよいだけのこと」
義治は、なおしばし黙考した後、苦渋の表情で口を開いた。
「……好きにせよ、義頼。ただし、これはあくまでお前個人の裁量による行動であり、六角家としての正式な出兵ではない。この点、京においても決して誤解を招かぬよう、重々心得よ」
義頼は深く頭を下げた。
「委細承知仕りました。この義頼、必ずや将軍家をお守りいたします」
こうして、義頼は正式な六角家の出兵命令を得ぬまま、しかし当主の黙認と父・義賢の後押しを受けて、六角家の一部兵力を率いて京へ向かうこととなった。表向きは義頼の先遣・救援であり、六角家としての全面的な参戦ではない、という微妙な線引きであった。
評定の後、義頼は一人になった刻を見計らい、義賢の元を訪れた。実の兄であり、また日置流当代随一の遣い手でもあるこの人物に、義頼はさらに一つ、頼み事を持ちかけようとしていたのである。
「兄上、三千のみにて京へ参るは、いささか心許のうございます。二条御所の守りが薄いとなれば、なおのこと」
「して、いかがするつもりだ」
「若狭の一色殿に、援軍を請いたく存じます。一色家は将軍家との縁も深く、かねてより三好方の専横に不満を抱いておられると聞き及びます。兄上のお口添えを頂戴できましたら、話も早く進みましょう」
義賢は、しばし義頼の顔を見つめた後、小さく笑った。
「相変わらず、油断のない男よ。よかろう、書状の一つも認めてやる。ただし、これもまた六角家としての正式な要請ではない。あくまで、義賢個人の口添えということにしておけ」
「重々承知しております」
こうして、義賢の手による私的な書状が、密かに若狭へと走らされることとなった。この一手が、後の二条御所における防衛の帰趨を大きく左右することになろうとは、この時の義頼にもまだ、確信までは持てぬことであった。
さらに義賢は、床の間の刀掛けの脇に置かれていた一張りの弓を取り上げ、義頼に差し出した。
「これは、わしが吉田殿より奥義とともに授かった折の、思い出の一張りだ。今のお前の轆轤弓とは似ても似つかぬ、ただの和弓に過ぎぬがな。京へ行くならば、これを持っていけ。日置の型を忘れるでないぞ」
義頼はその弓を両手で恭しく受け取り、深く頭を下げた。
「必ずや、この弓に恥じぬ働きをいたしまする」
観音寺城を発つ前夜、義頼は甲賀口の陣にて、集めた諸将にこう告げた。
「これより我らは、六角家としてではなく、義頼個人の名において京へ参る。危うい戦になろう。命を落とす者も出るやもしれぬ。それでもなお、我についてまいる者はおるか」
弓兵、盾兵、槍兵――義頼軍三千の将兵は、誰一人として動じることなく、その場に立ち続けた。数年にわたる厳しい訓練を共にしてきた者たちにとって、義頼の判断を疑う余地はもはやなかったのである。かつて忍びの技に不向きと言われ、義頼の元に集った望月孫太郎も、この場に加わっていた。
「若様、それがしも参りまする。忍びには向かねど、堂々と戦場で名乗りを上げるは望むところ」
義頼は、その様子に深く頷いた。
「よし。ならば、京へ参るぞ」
観音寺から京までは、およそ十二里の道のりである。急ぎ足で進めば三日、悠長に構えれば四日から五日を要する行程であった。義頼は、矢束の手配、盾や槍の点検、そして何より兵たちの脚を労わりながらの行軍を、事前に幾度も算段していた。三千はあくまで動員可能な総兵力であり、京へ急行した先発隊はそのうち約二千四百であった。残余は甲賀口の守備と補給路の確保に残され、後続として順次京へ送られることになっていた。この用意周到さこそが、後に二条御所での防衛戦において、義頼軍が力を発揮する土台となっていくのである。
義頼軍三千は、夜陰に紛れて甲賀口を発ち、京を目指して進軍を開始した。
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### 二条御所、崩れかける
戦いが激しくなるにつれて、二条御所そのものが戦場になっていった。土塁の一部が崩れ、仮設の柵が倒れ、矢が建物の屋根へ突き立つ。
「西門が危ない!」
伝令が駆け込んだ。
義頼は地図を見る。
「弓兵を二十、盾兵を三十。槍兵は門の内側で待機」
「弓を西へ集中させるのですか」
「違う。西門を攻めている敵の後ろを見る」
義頼が指したのは、敵の予備兵が集まる場所だった。
西門へ兵を送れば、後方が薄くなる。そこへ矢を降らせれば、攻撃を続ける兵は孤立する。
「門そのものを守るのではない。門を攻めるための仕組みを壊す」
轆轤弓が再び鳴った。
一斉射。
敵の後方が崩れる。
だが、その隙を突いて別の部隊が東側から押し寄せた。
「若殿、敵が回りました!」
「分かっている」
義頼は歯を食いしばった。
敵も学習している。こちらが一つの場所を守れば、別の場所を攻める。轆轤弓の射線を避け、建物の陰を進む。
ここで義頼は、あえて弓兵を退かせた。
「東門を捨てる」
「しかし!」
「捨てるのではない。敵を入れる」
東門付近の兵が後退した。三好方は勝機と見た。
兵が門内へ殺到する。
その瞬間、左右の建物陰から盾兵が現れた。槍が並ぶ。後方から弓兵が近距離射撃を行う。
敵は狭い場所へ入り込み、互いに動けなくなった。
「今だ!」
槍兵が押し返す。
三好方は再び外へ戻ろうとするが、後ろから来た兵に塞がれる。
義頼はこの瞬間、轆轤弓よりも大切なものを見た。
それは兵士たちが、自分の判断で隊列を保っている姿だった。
「……軍になったな」
義頼は呟いた。
最初は珍しい弓を持った者たちだった。今は違う。弓が壊れれば槍を取り、槍が折れれば盾を持ち、命令が届かなければ隣の兵を見て動く。
新兵器は兵を強くしたのではない。兵を組織するための理由になったのである。
その時、御所の奥から義輝の声がした。
「義頼!」
「は!」
「まだ守れるか」
義頼は周囲を見た。
兵は疲れている。矢も減っている。土塀も崩れている。
それでも答えた。
「守ります」
義輝は頷いた。
「ならば、余もここにいる」
将軍が逃げない。それだけで兵たちの顔が変わった。
義頼は槍を握り直した。
夜が近づいていた。
戦いはまだ終わらなかった。
### 将軍と武将
二条御所へ入った翌朝、義輝は自ら御所の防備を見て回った。側近たちは止めたが、義輝は聞かなかった。
「ここが破られれば、余のいる場所もなくなる。ならば、余自身が知らねばならぬ」
義頼は少し離れて後ろを歩いた。
「上様、あちらの土塁は弱うございます」
「ならば直せ」
「人手が足りませぬ」
「余の近習を使え」
義頼は頭を下げた。
将軍は戦場を知らない公家ではなかった。だが、実戦を経験した武将とも違う。義頼はそこに微妙な危うさを感じていた。
「上様」
「何だ」
「もし敵が御所へ入ったならば、某の命に従っていただきたい」
義輝は足を止めた。
「余に命令するのか」
「はい」
「恐れぬのだな」
「恐れております」
義輝は笑った。
「正直な男だ」
「しかし、将軍を失えば、この戦は負けです」
義輝はしばらく義頼を見た。
「分かった。戦の間だけは、そなたの命に従おう」
それは短い約束だった。だが、義頼にとっては大きかった。
将軍は将軍として振る舞う。しかし戦場では、一人の人間として守らねばならない。義頼はその二つを切り分けることにした。
後に戦が激しくなった時、義輝は自ら刀を抜こうとした。義頼はそれを止めた。
「上様、今はまだです」
「余も戦える」
「知っております。だからこそ、今は戦わないでいただきたい」
「なぜだ」
「将軍が前へ出れば、兵は将軍を守ろうとして隊列を崩します」
義輝は一瞬、反発しかけた。しかし周囲を見ると、義頼の言葉が正しいことが分かった。
「……将軍とは、戦うことだけが役目ではないのだな」
「御意」
「覚えておこう」
この会話は、二人の関係を決定づけた。義頼は義輝を守るだけの家臣ではなく、将軍に戦場の現実を説明できる武将となった。義輝もまた、義頼を単なる弓の名手とは見なくなった。
### 敵もまた考える
二条御所の戦いで、三好方は一度轆轤弓に苦しめられたからといって、何も学ばなかったわけではない。翌日には盾の形を変え、兵を分散させ、弓の射線を避けるようになった。
「敵が散りました」
孫太郎が報告する。
義頼は頷いた。
「良い」
「良い?」
「散れば、敵は互いに助けられなくなる」
だが、同時にこちらの曲射の効果も落ちる。密集した敵へ一斉に矢を降らせることができない。
「ならば、今度はこちらが散る」
義頼は射手を小隊に分けた。
一つの隊が撃つ。敵がそちらへ向けば、別の隊が撃つ。
これまでの「一斉射」という発想から、「交互射」へ変わった。
矢が飛ぶ間隔は長くなる。しかし敵はどこから次の射撃が来るか分からない。
三好方の指揮官は苛立った。
「どこに弓兵がいる!」
旗が上がる。
その旗へ矢が飛ぶ。
「旗を隠せ!」
旗が下がる。
すると今度は伝令が走る。
そこへ矢が降る。
三好方の兵は次第に、「何かを命令すること」そのものを恐れるようになった。
義頼はそれを見ていた。
「これが弓の力だ」
弥助が言った。
「人を殺す力ですか」
「違う」
義頼は首を振る。
「人に、動くことを躊躇させる力だ」
敵が一歩進む前に、矢が来るかもしれない。旗を上げれば狙われるかもしれない。伝令を走らせれば倒されるかもしれない。
そう思わせるだけで、軍の速度は落ちる。
これは鉄砲とは異なる轆轤弓の使い方だった。
もちろん、だからといって鉄砲より強いわけではない。近距離では鉄砲の一斉射の方が恐ろしい場面もある。雨や湿気への対処、弾薬の補給、射撃速度など、双方に長所と短所がある。
義頼が理解したのは、兵器には「強さ」ではなく「役割」があるということだった。
轆轤弓は、その役割を明確にすればするほど強くなる。
そして、その役割を実現するには、射手だけではなく、指揮官と工兵と兵站が必要だった。
二条御所での勝利は、轆轤弓が強かったからではない。
敵が轆轤弓へ対策を施すたび、それに合わせて六角側が戦術を変えられたからこそ、最後まで戦線を維持できたのである。




