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死に損ないの『御伽噺』が、死地へ還るまで  作者: 馳せ参ず
第一章「ぬーちゃん」

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第1話「深層三十九、あるいは泥濘のワルツ」

 暗緑色の苔がへばりつく広大な地下洞窟に、冷たい水音が反響している。

 くるぶしまで浸かるほどの泥濘(でいねい)の中を、漆黒の外套を翻して一人の男が疾走していた。水面を蹴り上げるたびに飛沫が爆ぜ、鋭い風切り音とともに彼の銀色の髪が後方へと流れていく。


「やれやれ……少々、歓迎の宴にしては参列者が多すぎるのではありませんか?」


 男──冒険者のローレは、金色の縁取りを持つ片眼鏡(モノクル)の奥で双眸(そうぼう)を細め、芝居がかった丁寧な口調で零す。

 彼の視線の先、そして背後、側面のすべてを埋め尽くしているのは、おぞましい数の『黒』だった。骨の髄まで濃厚な瘴気に浸され、光を吸い込むような禍々しい漆黒に染まった骸骨の群れ。それが数千、あるいは数万。足の踏み場もないほどに密集し、カタカタと乾いた顎骨の音をオーケストラのように響かせながら、ただ一つの生者の肉を求めて押し寄せている。

 現在地は、大陸でも最悪の難易度を誇るとされる辺境の迷宮『ゲファールリッヒ』の第三十九層。

 この階層に足を踏み入れ、終わりの見えない戦闘を開始してから、すでに四十分という果てしない時間が経過していた。


「ふっ──!」


 ローレはたっ、と低めに跳んでからの反転、短い呼気とともに、右手に握られた装飾の一切ない無骨な細剣(レイピア)を閃かせた。極限まで貫通力と切断力を追求した鈍色の刀身が、暗闇の中で鋭い軌跡を描く。

 同時に放たれた刺突が、最前列にいた黒骸骨の首を正確に貫く。そのまま手首を返し、横薙ぎに数十体の頸椎を切断。黒い泥のような瘴気を撒き散らしながら崩れ落ちる骸骨たち。しかし、その空いたわずかな隙間は、瞬きをする間に後続の群れによって完全に埋め尽くされてしまう。

 左手に逆手で構えたパリングダガーで、死角から迫る錆びた剣を弾き落とし、火花が散る。その反動を利用して身を捻り、ローレは泥水を蹴って大きく後方へと跳躍した。


(異常ですね……)


 着地と同時に再び姿勢を低くし、ローレは冷静に戦況を分析する。

 どれだけ斬り伏せ、どれだけ砕こうとも、敵の波は一切途切れる気配を感じさせない。それは単なる数の暴力ではなく、この空間そのものが黒骸骨を産み出し続けているかのような絶望感があった。

 何より不可解なのは、次層への道筋を示す『転移の魔法陣』がどこにも見当たらないことだ。本来であれば、階層のどこかに青く発光する魔法陣が出現しているはずなのだが、ローレがこの四十分で洞窟内を駆け回り、視界に収めた限りでは、それに類するものは一切存在しなかった。

 

(このままでは、ジリ貧どころの話ではありませんね。私の魔力も、体力も、永遠ではありませんから)


 ローレは内心の焦りを隠すように、ふっと薄く微笑んでみせた。

 自らを『道化』と称し、常に飄々とした態度を崩さない彼にとって、絶望的な状況ほど笑みを浮かべるべき舞台だった。記憶の大半を失い、己が何者であったのかさえ定かではない彼にとって、このヒリつくような死線の上だけが、唯一自分が「生きている」と実感できる場所なのだから。


「実に、優雅(エレガント)です! 良いでしょう『ゲファールリッヒ』よ。このローレが、貴方の用意した舞踏会を最後まで踊り抜いてみせましょう!」


 弾けるように声高らかに叫ぶと、ローレは極寒の水面を蹴って急旋回した。逃げの姿勢から一転、黒骸骨の密集地帯へと自ら飛び込んでいく。

 

「流る(たい)は閃光が如く」


 静かに、祈るように一節の言葉を紡ぐ。

 その瞬間、シャリン、と。ローレの頭上で、物理的には存在しないはずの澄んだ『鈴の音』が鳴り響いた。

 同時、彼の身体を覆っていた魔力が爆発的に膨れ上がり、筋繊維の一つ一つに超常の活力を叩き込む。ローレの姿がブレたかと思うと、彼は黒骸骨どもの頭上を飛び越えるほどの圧倒的な跳躍を見せた。

 これこそが、ローレが自力で編み出した独自の魔法術式『(うた)呼びの鈴』。

 偶像を、十文字以内の詩に乗せて事象として顕現させるという極めて特殊な魔法だ。ただし、身の丈を超えた現象を起こそうとすれば、術者の生命力や精神そのものから手痛い『代償』を強制的に徴収される。便利さとは程遠い、己の血肉を削る劇薬であった。


 眼下に広がる、うごめく黒の海。

 ローレは宙空で身体を反転させ、直下に向けて細剣の切っ先を定めた。


「空を穿つ一点は氷撃」


 二度目の鈴の音が鳴る。体内を巡る魔力が急激に冷やされ、細剣の刀身に絶対零度の冷気が纏わりつく。


 ローレは自由落下しながら、眼下の群れに向けて一息に剣を突き出した。一射、二射、三射。細剣から放たれた不可視の衝撃波が黒骸骨の群れに着弾した瞬間、爆発的な冷気がドーム状に広がり、数百体の骸骨を一瞬にして氷漬けに変えた。

 着地の衝撃に合わせて氷結した骸骨たちが粉々に砕け散り、空間にわずかな空白が生まれる。ローレはその隙間を利用して着水し、第一節の加速効果が残る脚で再び包囲網を突破していく。


「はっ……、はっ……、はぁっ……!」


 しかし、呼吸は確実に乱れ始めていた。

 冷たい空気が肺を焼き、細剣を振るう右腕が、まるで鉛を埋め込まれたかのように重く軋む。

 斬っても、突いても、凍らせても、終わらない。倒した端から這い上がり、砕かれた骨が寄り集まって新たな敵を形成する。数の暴力が、じわじわと、しかし確実にローレの生存空間を削り取っていた。


(一対一の決闘ならいざ知らず、この乱戦で代償魔法を連発するのは、自ら命を縮めるようなものですね)


 ローレは冷静に頭を回転させ続ける。

 階層のどこかに隠されているという説はすでに棄てた。ならば、何か特殊な工程──例えば特定の個体を倒す、あるいは特定の場所で大魔法を放つといった『トリガー』が存在するはずだ。


 もし、この階層にいるすべての敵を殲滅しなければならないのだとしたら、それはもはや神話に語られる英雄たちの領域だ。


「そんな大層な御伽噺(おとぎばなし)、私には似合いませんねぇっ!」


 ローレはパリングダガーで迫り来る槍の穂先を弾き飛ばし、がら空きになった黒骸骨の胸部へ細剣を叩き込む。

 その時だった。


「──っ!?」


 足元から、ぬちゃり、と嫌な音がした。

 完全に沈黙したはずの、半分に砕かれた黒骸骨の腕が、泥水の中から這い出てローレの左足首を万力のように掴んでいたのだ。

 体勢が大きく崩れる。四十分間維持し続けてきた完璧な足捌きに、致命的なノイズが走った。


 瞬間、体の側面に激痛が走るとともに世界がくるっと反転。細身なローレの体は骸骨の突進でいとも簡単に宙に浮く。


「かはっ──」


 次の刹那、視界の端で黒い影がうねる。

 回避は間に合わない。ローレは咄嗟に首を捻った。


 ──ザクリ。


 頭部のあった位置スレスレを、丸太のように太い大剣が空を裂いて通過した。直撃は免れたものの、ローレの左頬から鼻梁にかけてを浅く、しかし鋭く切り裂いた。

 鮮血が空中に舞い、視界が一瞬赤く染まる。


「我が輪郭は(おぼろ)!」


 地面に着地した直後、たまらず三節目の詩を紡ぐ。シャリン、と三度目の鈴が鳴り、ローレの身体が強制的な回避行動をとる。全方位から一斉に放たれた無数の槍と剣の雨。その隙間にある、たった数メートルの生存空間へと、関節の可動域を無視して身体が滑り込んだ。

 刃が外套を掠め、浅くない切り傷が全身に増えていく。だが、致命傷だけは避けた。


「はぁぁっ!!」


 ローレは姿勢を低く保ったまま、第二節の氷撃効果を乗せた細剣で円を描くように周囲を薙ぎ払う。空気が凍てつき、破裂音とともに周囲の骸骨がバラバラに吹き飛んだ。

 しかし、限界だった。

 先程で受けた側面からの打撃のダメージが想定より大きく、右半身の反応速度が著しく低下している。流した血の量も無視できない。体温が奪われ、指先の感覚が麻痺し始めている。


(……マズいですね。ここで残る魔力をすべて振り絞って広範囲魔法を放てば、一時的に吹き飛ばすことは可能でしょう。しかし、その時点で私の生命維持は不可能になる。それに、この階層を抜けた先には、確実に『(ガーディアン)』が待ち構えているはず)


 思考が白熱し、そして、一瞬だけ止まった。

 その、ほんのコンマ数秒の淀み。それが致命的な隙となった。


 泥水の中から、一切の予備動作なしに三叉の槍が突き出された。背筋を凍らせるような悪寒。ローレは本能だけでパリングダガーを交差させるが、疲労で麻痺した腕は本来の速度を出せなかった。

 カァンッ、という気の抜けた金属音が響き、左腕が弧を描く。


「っぁ────」


 無防備になった腹部。

 そこに、数十体の骸骨が折り重なるようにして形成した巨大な骨の塊が、捨て身の突進を仕掛けてきた。


 ──メキョッ。


 肋骨が数本、無残に折れ砕ける嫌な音が、ローレの鼓膜を直接揺らした。

 かひゅっ、と肺の中の空気が強制的に吐き出される。耐え難い激痛が全身の神経を焼き、世界がスローモーションに陥った。

 ローレの身体は人形のように宙を舞い、泥水の中に無様に叩きつけられ、水しぶきを上げながら何度も何度も転がっていった。


 音が、消えた。

 痛みが、遠ざかっていく。

 泥水に顔を半分浸したまま、ローレの視界が急速に暗闇へと引きずり込まれていく。

 冷たい。ひどく、冷たい。

 このまま目を閉じれば、すべてが楽になるのだろうか。自分が何者であるかを探す、この虚しい旅も、ここで終わるのだろうか。


 薄れゆく意識の中で、ふと、視界がぐにゃりと歪んだ。

 暗く冷たい地下洞窟の風景が溶け落ち、その奥から、強烈な色彩が網膜を焼いた。



『な────に?』

 

 ──吹き荒れる吹雪。

 ──燃え盛るように紅く、そして不気味に濁った空。

 ──鼻をつく、むせ返るような血と焦げた肉の匂い。


 先ほどまでの暗闇とは正反対の、狂気に満ちた戦場がそこにあった。

 視界はまるで第三者のように俯瞰しているようで、しかし確かに、ローレ自身の瞳を通して見た光景だった。


「──行け! もたもたしてんじゃねぇッ!」


 怒号が響く。

 ぶらぶらと、今にも千切れそうな左腕を抱えて叫ぶ小柄な青髪の男がいた。右手に握る半ばから折れた長剣は紅く染まっていて、左の肩から先は、既に止血すら手遅れなほど命が零れ落ちていた。ローレは咄嗟に駆け寄ろうとするが、その思考に反して視界は男と反対へ走っていく。


「そうだ……これで良かったんだ、全部」


 背後から、血を吐くような、しかしどこか安堵したような声が追ってくる。


「あとは頼んだぜ、ローレ。お前と呑んだ酒──ぜってぇ忘れねぇからよ」


(誰だ? 貴方は…………誰なんだ?)


 心が激しく軋む。胸の奥底から込み上げてくるのは、言葉にならない喪失感と、激しい吐き気だった。

 再び視界がブラックアウトし、瞬きをする間に別の光景へと切り替わる。


 今度は、肌を打ちつける鋭い瓦礫の痛み、凍えるような寒さ、そして腕の中に抱え込んだ『確かな重み』が、生々しい感覚として蘇ってきた。


「……どうか、貴方は────生きて」


 ぽつりと、耳元を撫でるような、ひどく掠れた声。

 今度は肌を打ちつける礫の痛みや、凍えるような寒さ、息遣いから感触まで感じられるようになる。


 燃え上がるような紅い髪。

 ルビーのように煌めいた瞳。

 華奢で、少しでも力を込めれば壊れてしまいそうな繊細な体。


 ローレの腕に、生気のない女性が支えられていた。

 彼女の胸元から流れる大量の血が、ローレの衣服を深紅に染め上げている。


 震える彼女の白い手がローレの頬を撫でる。

 芯まで冷え切った、命の熱を完全に失いかけている温度。それが、彼女の最後の動きだった。頬に触れた手が力なく滑り落ち、二度と彼女が口を開くことはなかった。


 ──つう、と。


 ローレの瞳から、熱い雫がこぼれ落ちた。

 きっと、この世の何よりも大切な人だったはずだ。己の命に代えてでも守り抜くべき存在だったはずだ。

 それなのに、名前すら思い出せない。

 彼女がどんな笑顔で笑っていたのか、どんな声で自分を呼んでいたのか、何もかもが抜け落ちている。

 自分を庇って死んでいった人々を前に、ただ傍観することしかできない己の無力さ。記憶を持たない不甲斐ない自分に対する、形容しがたい激情が、ローレの魂を焼き尽くすように膨れ上がった。

 真っ赤な空。怒号。絶望の叫び。泣き声。断末魔。

 そして、自分を庇って倒れた女性の、燃えるような赤い髪。

 記憶にないはずなのに、細胞の一つ一つがその悲劇を覚えている。これが単なる幻覚や虚構であるとは、微塵も思えなかった。


(冗談じゃない。……こんな、こんな結末が、あってたまるものか)


 死んでいった一人一人に、生きる理由があったはずだ。家族が、友人が、愛する人がいたはずだ。

 それらをすべて背負って、自分は『生き残ってしまった』のではないのか。


 腕の中に残る、生々しい命の重み。

 その感覚が、ローレの頭でピンと張っていた糸をプツンと絶った。

 体の芯が急激に冷えていく。

 手にかかる重みを抱いて。


 

「──あ゛ぁ、ぁぁあああああッッ!!!!」


 それは、もはや言葉を飾る道化の台詞ではなかった。

 腹の底から、魂の奥底から絞り出した、獣のような咆哮だった。


 ローレの意識が、現実へと急速に引き戻される。

 目を見開いた瞬間、彼は折れた肋骨の激痛を意志の力でねじ伏せ、泥水の中から跳ね起きた。ほぼ同時に、彼が倒れていた場所を無数の槍が串刺しにし、巨大な水柱が上がる。


 口の中に広がる濃厚な鉄の味を吐き捨て、ローレは血走った瞳で周囲を睨みつけた。


「──我が輪郭は朧ッ!!」


 再詠唱。頭痛で脳が割れそうになるのを無視し、第一節の加速と並行して術式を強制起動させる。

 右半身の鈍痛も、折れた骨が肺に刺さるような感覚も、すべてをアドレナリンと狂気で塗り潰す。追撃として投げ込まれる凶刃の雨の中を、ローレは転がり、跳び、四つん這いになって泥水を這いずり回りながら、無様に、しかし絶対に立ち止まることなく回避し続けた。


 洗練された優雅な剣技など、もはやそこにはない。

 あるのは、泥にまみれてでも生き延びようとする、執念の塊だった。


(思い出すんです……!)


 疾走しながら、後ろから迫る剣を細剣で強引に弾き飛ばす。

 あの走馬灯の情景が、仲間たちの悲鳴が、腕の中に残る彼女の重さが、今もローレの心臓を鷲掴みにしている。

 彼らが誰なのか、なぜ自分が生き残ったのか、何も分からない。

 だが、一つだけ確かなことがある。


「生きて……生きて、確かめるんですよッ!!」


 死んでしまえば、すべてが闇に消える。

 失われた過去を取り戻すためにも、彼らの死の意味を知るためにも、こんな薄暗い地下の泥水の中で、無名の骸骨どもに喰い殺されるわけにはいかないのだ。


 そして、その時は訪れた。

 攻勢から転じ、敵を注視しながらの回避に回っていたローレはある「違和感」をその双眸(そうぼう)に捉えた。


  ──黒、黒、黒、黒。

 果てしなく続く漆黒の波。その奥深く、およそ百メートル先の地点。そこだけが、妙に黒骸骨の密集度が高く、まるで何かを『護衛』しているかのように陣形が不自然に歪んでいた。

 ローレは目を凝らす。

 そしてついに、彼の瞳は一筋の希望を射抜いた。


 黒の群れの中央。他の黒骸骨の半分ほどの背丈しかない、異様に小柄な『白い骸骨』の姿があった。それを見てローレは確信する。


 ──初めから、転移魔法陣(ゴール)は『敵の群れの中に潜み、移動し続けていた』のだ。


 勝ちを確信したローレの口角が、血だらけの顔面で三日月のように吊り上がった。

 次の瞬間。彼は狂ったように地面を蹴り飛ばした。


 もはや防御は捨てた。回避も必要ない。

 体のあちこちに突き刺さる凶刃を、増え続ける青痣と切創をすべて無視して、ただ一直線に黒骸骨の群れの中央へと突撃を開始する。

 ここまで的が多ければ技術は関係ない。左の刃で迫る骨を叩き割り、右の刃で前方の敵を串刺しにする。斬って、弾いて、跳んで、骸の山を踏み台にして、ひたすらに最短距離を駆け抜ける。


「道を、開けなさいッ──!」


 血の飛沫が舞う。ローレの身体はすでに限界を超えていたが、謎の情動が彼を突き動かしていた。

 白骸骨までの距離が残り五十メートルを切る。

 周囲の黒骸骨たちが異常を察知し、一斉にローレへ向けて殺到してくる。壁のように立ちはだかる黒の津波。


 ここで、すべてを懸ける。


 神経が発火し、ローレが口を開いた。


「三体一筋の極光と成れ」


 シャリン、シャリン、シャリン──


 三重に重なった狂おしい鈴の音が、洞窟の空気を震わせた。

 その瞬間、限界を超えた代償によってローレの視界が一度真っ白に染まり、ごぽりと大量の血が口から溢れる。だが、彼の身体は前へ倒れ込む勢いそのままに、放射線状に凍りついた水面を閃光の如く滑るように駆け抜けた。


 ──流転(るてん)


 空間が歪んだかのような錯覚。五十メートルの距離が、文字通り一瞬にして消し飛んだ。

 白骸骨の眼前に到達したローレは、残るすべての命の火を細剣の切っ先に集約させる。

 極至近距離。細剣から、夜明けを思わせる圧倒的な極光が撒き散らされた。

 世界から音が消え、薄暗い洞窟内が白夜のように染め上げられる。


「消し飛べ」


 静かな、しかし絶対の意志を持った言葉。

 それが、骸骨どもが聞いた最後の音声となった。


 極光を纏った細剣が、白骸骨の頭蓋を寸分の狂いもなく貫く。同時に、放たれた光の奔流が周囲の黒骸骨どもを一網打尽に飲み込み、空間そのものを浄化するように消滅させていった。

 鼓膜を劈くような崩落音が遥か遠くで響き渡り、浅瀬の水面が一直線に割れる。

 それを見届けたローレは、肺に溜まっていた息を長く吐き出し、限界を迎えた身体を支えきれずに、水面へと膝をついた。

 

「やはり……です、か……」


 白骸骨が消滅した場所。そこには、静かに青い光を放つ転移の魔法陣が完全な形で姿を現していた。

 それを確認し、ローレはようやく臨戦態勢を完全に解いた。


「ふぅ…………はぁ、頭が、割れるように、痛い……ですねぇっ……」


 掠れ声で独り言をもらし、どさりと仰向けに倒れ込むローレ。脳内を駆け回るドーパミンのお陰で麻痺しているが、出血の量と経過時間がまずい。


 酸欠によって震える手で、懐から小瓶を取り出す。

 中には、毒々しいほど鮮やかなピンク色の液体──最高級ポーション。

 歯で栓を空け、それを一気に(あお)る。


「────ッ!!」


 声にならない絶叫が、洞窟に木霊する。

 ポーションの効果は絶大だが、その代償は「超再生に伴う地獄の激痛」だ。折れた骨が無理やり結合し、破れた肉が蠢きながら塞がる。ローレはその痛みに悶え、地面を溜まる泥水を啜りながら、しかし、数分後。

 彼は荒い息を吐きながらも、ふらりと立ち上がっていた。傷一つない、完全な状態で。


「ふぅ……快適、ですね。これでまた、踊れます」


 ローレは落ちていた片眼鏡(モノクル)を拾い上げ、泥を拭ってから再び右目に装着した。

 魔法陣を見つめる彼の瞳の奥には、先ほどまでの飄々とした道化の態度は鳴りを潜め、静かで冷たい炎が宿っている。


 先の闘いの途中で見た、あの光景。

 記憶は未だ不完全だが、あの感情の渦と、腕の中に残る命の重さは、嘘偽りのない真実だと確信できた。

 自分が何者であったのか。何を失い、何を背負って生き残ったのか。

 『知りたい』という強烈な渇望が、ローレの心を支配し始めていた。


 だが、彼はその感情にそっと蓋をした。

 少なくとも、その過去と向き合うのは()ではない。


「沈静化まであと少し。さぁ、延長戦と洒落込みましょうか!」


 この迷宮の最深部に巣食う『(ガーディアン)』を討ち果たし、ダンジョンを本来の難易度まで沈静化させること。それが、今の彼に課せられた依頼だ。

 その先に、自分の探す真実の欠片があるかもしれないと信じて。

 ローレは、滴る血と泥を振り払い、青く輝く魔法陣へと迷いなく歩き出した。

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