うなぎの蒲焼き 後編
夕方、謁見の間で、供物比べが始まった。
玉座に座る卑弥呼の前へ、位の高い者から順に、自慢の一皿が運ばれていく。
「第一位、オシヒト。『イワシのつみれの菊花仕立て』にございます」
オシヒトが捧げたのは、安価なイワシを骨ごとすり潰し、山芋で繋いで団子にし、それを菊の花に見立てて、澄み切った出汁に浮かべた、まさに味と技術の粋を凝らした一品だった。
イワシの生臭さはかすかなものになり、上品な味わいに昇華されている。卑弥呼は、それを一口味わい、静かに頷いた。
「見事だ。卑しい魚を、見事に雅な一品へと変えてみせたな」
「はっ。ありがたき幸せ」
続いて、第二位、第三位と、様々な「安価な魚」の料理が続く。
シンプルに味付けした焼き物、アジを酢で締めて臭みを消したもの。
どれもが、料理人たちの高い技術を示し、いかにして「安価な魚の欠点を消すか」という点に腐心した、見事な料理だった。
だが卑弥呼は、全てたった一口で箸を置く。
美味なのは違いない。
しかしいずれも一度と言わず口にしたことがあり、心は揺さぶられてはいなかった。
食べ慣れた味からは、どれも逸脱できていない。
逆に言えば、いつも気づく欠点も残ったままだということ。
やがて、十二人の献上が終わり、残るは朔を含め三人となった。
「第十三位、サク。前へ」
その声が響くと、広間の空気が微かに変わった。
皆が、あの異端の料理人が何を見せるのかと、固唾を飲んで見守っている。
ユズリハも謁見の間の入り口で、その瞬間を待っていた。
その胸は、ひそかに高鳴っている。
彼女はその一品がどれほどのものか、すでに知っているのだ。
朔が黒い漆塗りの盆を捧げ持ち、ユズリハの横を通り過ぎる。
「………」
ユズリハはいつものように何も言わない。
だがいつもと違い、横顔を見つめる視線には僅かに熱がこもっていた。
「む?」
卑弥呼の目が細められる。
盆の上に乗っていたのは、一つの漆椀。
その蓋が開けられると、ふわり、と湯気が立ち上った。
中には、艶やかに炊き上げられた白米のご飯。
そして、その上にまるで黒い宝石のように、艶やかに輝く魚の切り身が二枚、鎮座していた。
そこから立ち上る匂いは、それまでのどんな魚料理とも違っていた。甘く、香ばしく、そして食欲を猛烈に掻き立てる、少し焦げた醤の香り。
「……サクよ。それはなんの魚だ」
「鰻です」
広間がざわりとした。
「うなぎ? ……確かに、安価な魚ではあるが、サクよ。それは食用ではないのを知らぬのか」
卑弥呼が、怪訝そうな顔で尋ねた。
「おいしいですよ」
朔はいつもの笑顔で、卑弥呼に微笑み返す。
「小骨はどうする? いちいち出すのか」
「何も気になさらず、がぶりといって大丈夫です」
卑弥呼が小さく唸る。
「ご飯と一緒に召し上がってください」
「………」
卑弥呼は朔に不満げな視線を向けるが、朔の自信に満ちた表情は変わらない。
サクの実力は認めているが、料理したところで、こんなものが本当に美味くなるのか……。
「……全く気が進まぬが……」
卑弥呼がしぶしぶ、侍女に目配せをした。
侍女が頷き、箸の上に鰻のかけらと少量のご飯をのせ、おそるおそる、卑弥呼の口に運んだ。
ぱく。
……もぐ、もぐもぐ。
――その瞬間だった。
「………!!」
卑弥呼の全身に、雷に打たれたかのような衝撃が走った。
あまりのことに、卑弥呼は立ち上がっていた。
ユズリハの口元に、会心の笑みが浮かぶ。
「……なんだ、これは! なんだ、この食べ物は!」
まず舌を包み込むのは、タレの甘く、そして塩辛い濃厚な味わい。
次に、炭火で焼かれた皮の、パリッとした香ばしい食感。
そして、その下にある身は、まるで雲のようにふわりと柔らかく、口の中でとろけていく。
身と皮の間から、上質な脂がじゅわりと溢れ出し、タレの味と混じり合って、得も言われぬうま味の奔流となって、喉の奥へと流れ込んでいく。
後味には、山椒の爽やかな香りが、鼻腔を駆け抜けた。
美味しい、という言葉では、全く足りない。
これはもっと根源的な、人間の闘争本能と食欲を同時に満たすような、暴力的なまでの「美味」。
「……よ、よこすのだっ!」
卑弥呼は、侍女から椀をかっさらった。
そして、女王としての威厳も神の巫女としての神秘性も全て投げ捨てて、そのタレが染み込んだご飯と共に鰻を大きく頬張った。
「………♡」
そして、二度目の衝撃が、彼女を襲った。
その目が、うっとりとする。
白米が、鰻の味をさらに何倍にも何十倍にも昇華させている。
鰻から溢れ出した甘く香ばしい脂とサク秘伝のタレを、一粒一粒の米が、余すところなく受け止めているのだ。
鰻の濃厚な味を、米の素朴な甘みが、優しく包み込み、そして、さらに大きなうま味の波として、口の中に解き放つ。
この、完璧な調和……。
ご飯をひたすら掻き込みたくなってしまう。
「……うまい」
最初は、か細い呟きだった。
「これはうまいぞ!」
それは、確信に満ちた声になった。
「これほど、うまいものを、私は生まれてこの方、一度も口にしたことがない!」
一口ごとに、驚嘆の声を上げ、時には、美味しさのあまり、子供のように足をばたつかせている。
その、あまりに人間的で無防備な姿に、広間にいた全ての役人、そして料理人たちが、凍りついた。
あの、氷のように冷静で、決して感情を表に出さない女王陛下が、まるで初めておやつを与えられた童女のように、目を輝かせ、声を弾ませているのである。
「………!」
タケヒコはそんな姉の姿に感極まり、顔を伏せて目元を拭った。
朔は自信に満ち溢れた笑みを浮かべたまま、その様子を眺め、ユズリハは壁際で腕を組み、卑弥呼ではなく、朔の横顔をじっと見ていた。
さっきよりもずっと、熱のこもった視線で。
「ふぅ」
やがて椀の底が見えるまで、綺麗に食べ終えた卑弥呼は、口の周りがタレで汚れているのも構わず、朔に言う。
「まさか鰻とは……! あの泥の中にいる下賤そうな魚が、これほどまでに、天上の味がするのか! サクよ! そなた一体、どのような魔法を使ったのだ!」
その満面の笑み。その弾けるような歓声。
それは、他の十四人の料理人たちが、生涯をかけても、決して女王から引き出すことのできなかった、魂からの喝采だった。
その日の夜、勝敗は、誰の目にも明らかだった。
オシヒトが捧げた、あの完璧な菊花仕立てのことなど、もはや誰も覚えてはいなかった。
広間は、女王が初めて見せた人間的な姿への驚きと、あの黒く輝く料理への興奮で、夜が更けるまでざわついていた。
◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
厨房には、葬式のような、重苦しい沈黙が支配していた。
オシヒト派の料理人たちは皆、死人のような顔で、言葉もなく立ち尽くしている。そこに、昨日供物比べの知らせを持ってきた侍女が現れた。
彼女は、序列札を壁から外すと、無言で、その順番を変えていく。
料理人たちが、恐る恐る、その札に目をやる。
そして、息を呑んだ。
札の一番上は変わらず、オシヒトだった。
だがそのすぐ下に、墨痕鮮やかに、こう記されていた。
『第二位 朔』
「おお」
「おめでとうございます、サク様」
サクの料理やその考え方に素直に魅せられ、敬意を表すようになった一部の料理人たちが拍手で祝う。
「ありがとう」
副料理長になると、料理長ほどではないものの、一定の権限と責任が与えられる。
厨房の副責任者となり、衛生についても口出しできるようになるのが朔は嬉しかった。
朔の背後、壁際に立つユズリハの、その常に無表情な唇の端にも、微かな誇らしげな笑みが浮かんでいた。
こちらで第一部終了となります。
お読みくださり、ありがとうございます。
第二部も、盛り上がる予定でございます。
オシヒトを押しのけていよいよ第一位となるか、また異国での料理対決も……!
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