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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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白き黄金 前編

 


 小鳥たちがさえずるすがすがしい朝。

 季節はまもなく春を迎えようとしていた。


 邪馬台国の王宮、大膳職だいぜんしきの厨房は、日の出と共に活気に満ち溢れる。


 かまどの火は赤々と燃え盛り、薪が爆ぜる乾いた音と、湯気を立てる大鍋の煮える音が、静寂を破る。


 見習いの料理人たちが、重い石臼で穀物を挽く鈍い摩擦音と、包丁が木製のまな板を叩く小気味よい音が、規則的なリズムを刻む。


「よし、各自休憩」


 王宮の昼食の準備を終え、それぞれがまかないを口にし、落ち着いた頃。


 先日、料理人順位第二位となった朔は、厨房で、一つの課題に没頭していた。

 それは、猪肉いのししにくの可能性の追求。


 朔はすでに実験的にベーコンや燻製ハムを作ってみていたが、朔自身は、まだ満足していなかった。

 どうしても納得できる味と肉質にならなかった。


(猪肉は難しいな。脂も独特のクセがある)


 苦戦すればするほどに、かつての世界で扱い慣れた肉の記憶が蘇ってくる。


 融点の低い脂がとろける豚肉。ほおばりたくなる鶏肉。そして、圧倒的な存在感を放つ牛肉。


 それらの味を知る朔にとって、猪と鹿だけが支配するこの国の食肉事情は、あまりにも単調で、物足りなく感じられていた。


「なあ、ユズリハ」


 ユズリハは静かに、壁に背を預けて立っている。

 いつものように、朔の外敵を監視していた。


「友達みたいに話しかけるな」


「豚という獣、知らないか」


 朔は、無視して訊ねた。


 以前、ここに食材を届けにきた商人から、ちらりとその存在を聞いたことがあったのだ。


「……ブタ……?」


「猪によく似ていながら、もっと丸々と肥え、飼いならされて人に従い、その肉は驚くほど柔らかく、脂は雪のように白い」


 その言葉に、ユズリハが、ああ、という顔になった。


「確か、西の伊都いとの者たちが大陸から持ち込み、物珍しさで飼っていると聞く獣がそんな名だった気がする。だが、あれは食用ではないはずだ」


「食用ではない?」


 朔は不思議そうに訊ね返す。


「あの獣は呪われている」


 ユズリハは、忌々しげに言った。


「食べると必ず激しい腹の痛みに襲われ、何日も床に伏せるという。神に嫌われた不浄な獣なのだ。伊都の者たちも、もはや観賞用として飼っているだけだと聞く」


 朔はふむ、と顎をさする。


「その時はどうやって食べていた?」


「丸焼きだ」


「なるほど」


 それだと、火の通し方が甘いだけかもしれないな。

 ともかく、伊都という国に豚がいることはわかった。


 同じように鶏と牛について訊ねると、鶏は出雲いずもという国で時を告げる鳥として多く飼われていること、牛はこしという国で田畑を耕すのに飼いならしていることがあるらしい。


 いずれも食用にはされておらず、鶏は肉も卵も豚と同じように腹を壊し、死に至る病をもたらすこと、牛は肉質が硬い上に、臭みも非常に強く、とても食べられたものではないという話だった。


(なるほどな……)


 この時代では衛生管理もよくないし、牛はたぶん働けなくなった老牛を肉にしたのだろう。去勢なんてのもやってないだろうから、肉は相当硬かっただろうな。


 ともかく居ることはいるんだ。

 今後それらの国に行くことがあったら、見てみよう。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 一方、卑弥呼の宮殿・謁見の間は、鉛を飲み込んだかのような重苦しい沈黙に支配されていた。


 玉座に座す卑弥呼の顔は、神託を受ける時よりもなお険しく、その傍らに立つ弟のタケヒコは、苦々しく唇を噛み締めている。


 つい先刻、邪馬台国の主要な塩の供給元である、西の沿岸部を支配する「安芸あきの国」へ交渉に赴いていた使者が、血相を変えて戻ってきたのだ。


 古来より製塩技術に長け、国内の塩交易の大部分を牛耳るその国から、一方的で、傲慢な値上げ通告を突きつけられたのである。


 その値は、これまでの三倍。


 実質的な禁輸措置にも等しい、国家の存亡を揺るがすに足る、経済的な恫喝だった。


「……理由は、何と」


 卑弥呼の、か細いが鋼のような響きを持つ声が、静寂を破った。

 問われた使者の長は、震えながら答える。


「はっ……。安芸の国の長は、『我らの塩は今や我らの力そのもの。その力が欲しくばそれ相応の対価を支払うが良い』と、それのみで……」


「言うまでもありませぬ、姉上。これは、我ら邪馬台国連合の勢力拡大に対する、安芸の豪族たちによる牽制にございます」


 タケヒコが、忌々しげに言葉を継いだ。


「我らが都を整え、諸国をまとめ、交易の主導権を握りつつあることを快く思わぬ奴らが、我らの喉元、すなわち『塩』を締め上げに来たのです。奴らも知っている。この国の塩の備蓄があと三月みつきも保たないという事実を」


 タケヒコの言葉の重さに、広間にいた臣下たちは皆、青ざめた顔でうつむいた。


「まもなく、兵のための干し肉や塩漬け魚といった兵糧も作ることができなくなりましょう」


 卑弥呼は、静かに目を閉じた。


 塩の枯渇は、国の死を意味する。


 彼女の脳裏に浮かぶのは、塩を求めて暴徒と化す民の姿、そして、食料の保存もままならなくなり、国力が衰退していく自国の惨めな未来だった。


(祈りでは塩は生まれぬ。神託は腹を満たさぬ……)


 為政者としての無力感が、彼女の肩に重くのしかかった。




   ◇◆◇◆◇◆◇





 その夜、卑弥呼の私室は、重苦しい沈黙に支配されていた。


「………」


 タケヒコと二人、卓を挟んで座しているが、交わす言葉もない。卓の上の灯火が二人の疲弊しきった顔を、頼りなげに照らしていた。


「失礼いたします」


 そこへ夜食を運んできた朔が、静かに入室した。

 タケヒコが卑弥呼を気遣い、「なにか軽いものを」と臨時で申し付けたのである。


 朔が捧げ持ってきたのは、体を温めるための、簡素な根菜の汁物であった。

 だがその日の卑弥呼は、椀に口をつけることすらしなかった。


 朔はその場の尋常ならざる雰囲気と、二人の表情に浮かぶ深い苦悩の色を、鋭敏に感じ取っていた。


 これは、ただ事ではない。


「陛下。少しは口にしないと」


 朔の言葉に、卑弥呼は力なく首を振った。


「サク。今は何を口にしても、砂を噛むような心地がするだけだ」


 その時、朔は卓の上に置かれた、塩の入った小さな器がほとんど空になっていることに気づいた。


「もしかして、塩が足りないのですか」


 タケヒコは、ぎょっとした顔で、朔を振り返った。

 その表情で、朔は自分の推測が正しいことを知った。



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