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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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お花石鹸 後編

 


 朔が石鹸をお披露目した、その翌日。

 タケヒコは姉である卑弥呼の私室を訪れた。


 その時の卑弥呼は、長引く雨に気分も塞ぎがちで、脚を組み、退屈そうに肘掛けに頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺めていた。


「姉上。ご機嫌麗しゅう」


「タケヒコか。何か用か。国の問題なら今は聞きたくない」


 その棘のある物言いにも、タケヒコは臆することなく、笑みを浮かべた。


「いえいえ、まつりごとではございませぬ。姉上に面白い贈り物をと思いまして」


 タケヒコは懐から、麻布に丁寧に包まれた小さな塊を取り出した。

 そして、それを卑弥呼の前に差し出す。


「……これは?」


 卑弥呼は目をパチクリさせる。


「昨日サクが作り上げた、『石鹸せっけん』なるものにございます」


「セッケン?」


 卑弥呼は、その白く硬い塊を、訝しげに手に取った。


「……いい香りがする」


 ふわりと、清らかで甘い花のような香りがする。

 だが見た目はただの磨かれた石か、粘土の塊にしか見えない。


「して、これは何に使うのだ。飾り物か?」


「いえ」とタケヒコは、楽しそうに言った。


「それは、体を洗うためのもの、だそうでございます」


「……体を?」


 卑弥呼の眉が、かすかにひそめられた。


「体を洗うのは、米ぬかか、サイカチの実であろう。このような石ころで、一体どうやって体を清めよと申すのだ」


 卑弥呼は真顔で問う。


「サクが申すには、これまでの洗浄料とは、全くことわりの違う、新しい『清浄の力』を持つそうです。……姉上、今宵の沐浴もくよくで、お試しになられては? あの男のことです。我らの想像をまた遥かに超える何かを、見せてくれるやもしれませぬ」


「……ふむ……確かに香りは良いが……いまいち気乗りはせぬ」


 卑弥呼は、任についているユズリハを呼ぶよう伝えた。

 まもなくしてやってきたユズリハに、それを手渡す。


「ユズリハ。今宵の沐浴にこれでそなたの体を洗ってみよ」


 受け取ったユズリハが畏まる。


「……畏れ多くも、この私めが陛下より先に使ってよろしいのでしょうか」


「かまわぬ。洗った感想をきかせよ」


「はっ」


 ユズリハは、深々と頭を下げた。




   ◇◆◇◆◇◆◇




 その夜、王宮の奥深くにある『女王の湯殿』は、湯気と、灯火の柔らかな光に満たされていた。


 大きなヒノキの湯船に、たっぷりと張られた湯。

 その湯の中央で、卑弥呼は多くの侍女たちにかしずかれながら、物憂げにその日の疲れを癒していた。


 いつもの倍ほどに侍女が多いのは、気のせいではない。

 サクの『セッケン』とやらに興味津々で、皆それとなく理由をつけて、卑弥呼の世話にやってきているのである。


 やがて体を清める刻限となり、布を巻いたユズリハが、例のものを小さな木の器に乗せて、卑弥呼の前に恭しく差し出した。


「陛下。例の『石鹸』にございます」


「よい、使ってみせよ」


「はっ」


 ユズリハは湯けむりの中、石畳の上に両膝をつくと、朔から教わっていた通りに、その石鹸を手にした清潔な麻布に数度擦り付けた。


 そして、その布を桶の湯の中で静かに揉む。


 卑弥呼は、それを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。


「やれやれ……本当にこのようなもので綺麗になるのか。まあ良い。やってみ――」


 次の瞬間。


「―――!?」


 その場にいた、卑弥呼を含む全ての人間が驚愕した。


 ユズリハの手の中から、まるで雲が湧き出るかのように、真っ白な「泡」が、次から次へと生まれてきたのだ。


 それは、サイカチの実が作る、頼りなげな、すぐに消えてしまう泡ではない。


 きめ細かく、もこもことして、弾力があり、そしていくら揉んでも消えることなく増え続ける未知の物質だった。


 すっきりとした橘の香りが、湯気と共に、湯殿全体に広がっていく。


「……な……、なんだ、そのモコモコは……!?」


 卑弥呼は瞬きを忘れていた。


 侍女たちも、目を見開いて囁き合う。


「白い……雲……?」


「あぁ、よい香り……♡」


 ユズリハはその雲のような泡を、たっぷりと掬い取ると、自身の肩から、背中にかけて、そっと滑らせるように洗い始めた。


 大好きな橘の香りに包まれたユズリハは、目を細め、恍惚の表情を見せる。


「すべすべ……♡」


 湯で流し終えた後のユズリハの肌は、もちもちしっとりしていた。

 その輝く肌は、誰かを羨ましがらせるには十分だった。


「……わ、私にも!」


 卑弥呼は湯船から飛び出して、俄然ユズリハの前にやってきた。


「はっ。もちろんでございます」


 ユズリハは先ほどと同じようにして、布で多くの泡を作ると、卑弥呼の体にそっと塗った。


「……はぁ……」


 人生で二度目となる、食以外の衝撃に、その身を貫かれた。


(この柔らかな感触……)


 肌の上を滑る、圧倒的なまでの、滑らかさ。

 絹の衣で、撫でられているかのよう。


 それでいて、その泡は、肌の表面の汗や、塗りたくられた香油の不快なぬめりを、優しくしかし確実に、絡め取っていくのが分かった。


 米ぬかのように、肌にざらつきが残ることもない。

 灰汁のように、肌がひりつくこともない。ただ、ひたすらに、心地よく――。


「あんっ」


 ふいに、卑弥呼がえっちな声を発した。

 顔が真っ赤になる。


「はっ!? も、申し訳ございません。この白い泡で見えず、手が……」


 ユズリハがしどろもどろになる。


「おのれ、ユズリハめ!」


 笑いながら、卑弥呼が両手で泡を拾うと、仕返しとばかりにユズリハの体に塗りたくる。


「……へ、陛下!? ちょっ」


「ふふふ♡」


「だ、だめっ……あぁっ……ん」


 しっかり仕返しされ、ユズリハも色っぽい声を上げさせられていた。




   ◇◆◇◆◇◆◇




 二人は全身を洗い終え、湯船の清浄な湯に入り直す。


 言うまでもなく、取り巻きの侍女たちも、泡のお裾分けを受け、きゃぴきゃぴしながら洗い合っていた。


「素晴らしいぞ……」


 日中の不機嫌はどこへやら、卑弥呼は満足気に頷いていた。


 自分の、肌の感触が、全く違うのだ。

 指で、自らの腕をなぞると、キュッ、と、清浄な音が鳴った。


 これまで、どれだけ湯を使っても、どれだけ米ぬかで磨いても、決して得ることのできなかった、完全な「清浄」。


「赤子のような肌……」


 脂のぬめりも、古い角質も、全てが洗い流された素肌。


 それでいて、不思議と肌がつっぱらない。

 むしろしっとりとして、滑らかで、潤っている。


「これはまたサクに感謝せねばなるまい。考えてもみよ」


 卑弥呼は、水滴が玉のように肌の上を転がり落ちていくのを見つめながら言った。


「兵士たちの汚染した傷を、この石鹸で清めたならばどうなる? 傷の化膿を防ぎ、命を落とす者がどれほど減るであろうか」


 一緒に湯船に浸かるユズリハや侍女たちが、大きく頷いた。


「生まれたばかりの赤子を、この石鹸で沐浴させたならば、どうなる? 目に見えぬ病から、どれほどの幼き命が救われるであろうか。そして、我らが神々への祈りを捧げる前にこの石鹸で身を清めたならば、我らの祈りは、どれほど天に届きやすくなるであろうか」


「はっ。おっしゃる通りでございます」


 皆が石鹸の価値を理解し、心から感謝していたところで。


「――よし。今すぐサクを呼べ」


 嬉しくなった卑弥呼は、嬉々としながらそう言った。


「へ、陛下!?」


「こ!? こ……ここにでございますか!?」


 侍女たちはうろたえ、ユズリハは人一倍、顔を赤くしながら言った。


「そうだ。セッケンとやらで磨いた、このもちもちの肌を見せねばなるまい?」


「な、なれど陛下!」


 ユズリハおよび侍女連合軍が、かつてない必死の説得に出る。

 肌はともかく、それ以外のものは如何様に隠すのか、と。


「……あ、あぁそうだったな。後で……いや、明日で良いな」


 卑弥呼はとびきりの肌を撫でながら、とびきりの笑顔で言った。



 翌日、唐突に呼び出された朔は、何か粗相でもしたのかと険しい表情でやってきて、真っ青な顔のまま、緊張に身を固くしていた。


 が、石鹸の価値を極めて高く評価され、多くの人の前で絶賛されただけだった。


「ありがとうございます」


「引き続き期待しているぞ。では戻って良い」


 お褒めの言葉を頂戴し、安堵しながら、そそくさと厨房に戻ろうとする朔を、侍女たちが何層にも取り囲んだ。


「サク様、どうか私めにもセッケンを!」


「サク様!」


「サク様ぁ~♡」


 卑弥呼ら王宮女子にとっては、厨房の衛生よりも、ボディソープの誕生の方が、心に残ったようである。





カクヨムにて先行連載しております。

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