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陸、よもすがら

 さくら、と誰かが言った。

 それは酷く甘い声で、聴いているこっちが恥ずかしくなるような、そんな声だった。

「こんなところに居たのか」

 差し伸べられた手は、大きくて優しい。

 長い黒髪が顔に掛かってくすぐったかった。

「行こう、桜。梅が待っている」

 白い着物を着ている、それが白無垢だと気が付くと、男が纏っている紋付に目を剥いた。

 黒雲組の紋様。

 恐ろしい、と指先に震えが走る。

「桜?」

 男の顔が、さっきより近付く。そして、はっきりと見えたその顔に、柚月は今度こそ悲鳴を上げた。


「いややっ!!」

 

 ぜえはあ、と肩で息をする少女を夜雨は横目で盗み見た。

「どうした」

 いくら生意気な小娘とは言え、泣きながら飛び起きるというのは尋常なことではあるまい。同室の身としては声を掛けないわけにもいかなかった。

「ゆ、ゆめを、」

「怖い夢を見たのか」

 こくり、と普段の態度が嘘のように素直になる柚月に、夜雨は手を伸ばす。

「どんな夢だ」

 夜雨の言葉に、柚月は酷く狼狽えた。

 優しく響いた低音に、視界が滲む。

「……っ」

 唇を噛み締めて押し黙ってしまった柚月の腕を、夜雨が引っ張る。

 思っていたよりも簡単に懐に収まった少女の旋毛をじっと見つめれば、小さな身体はかたかたと震え始めた。

「大事ない。お前が眠るまでこうしていてやる」

 常ならば「子供扱いすんな」と罵声が飛んでくる。

 けれど、このときの柚月は違った。

「うん」

 ほっと安心したように、息と共に短くそう吐き出すと、夜雨の胸に身を預けて眠ってしまった。

 規則正しく寝息を立てる腕の中の少女に夜雨は少しだけ驚いたが、次いでその穏やかな寝顔を見て口元を綻ばせた。

 さらり、と銀の髪を柔く撫でてやると、柚月を起こさないようにゆっくりと褥の中に倒れ込む。

 甘い柑橘の香りが夜雨の鼻腔を満たした。


 目を覚ますと、そこに夜雨の姿は無かった。

 代わりに腕の中に収まっていたのは、昨日夜雨に向かって火を噴きだした白い子犬である。

 火を吐いたことに気を取られていてすっかり忘れていたが、確か「ゆづき、いじめちゃだめ」と夜雨に向かって言っていた。

 子犬が言葉を話せることを思い出した柚月は、そっと彼の肩を揺すった。

「おーい。ちょっと起きて。聞きたいことがあるねんけど……」

「んん?」

「こら、早よ起きてぇな」

 ぐりぐり、と自分の胸元に顔を摺り寄せる子犬に笑い声を上げていると、襖が勢い良く開かれた。

 見れば、不機嫌を隠そうともしない夜雨が膳を持って、こちらを睨んでいる。

「……飯」

「え、ああ、うん」

 子犬を抱いたまま起き上がった柚月に、夜雨は「チッ」と舌打ちを零した。

 その鋭い音に、子犬の耳がピンと立って、同時に開眼する。

「ひぅ!」

 夜雨から漏れ出る怒気とも殺気ともいえる空気に気が付いたのだろう。

 ぶるぶる、と身を震わせ、柚月の胸に顔を埋めた子犬に、夜雨は音を立てて膳を畳の上に置いた。否、正確には落としたと言った方が正しいかもしれない。

 そして、落とした膳をそのままに、勢い良く子犬の首根っこを捕らえると、尖った八重歯を見せて彼を威嚇した。

「いい加減にしろよ、小童! 柚月(これ)は俺のだ!! お前如きが容易く触れていい女ではない!!」

「は……?」

 突然のことに、柚月は口を開けて固まった。

 何しろ、この猫のものになったつもりなど毛頭なかったからだ。

 そもそも、自分は夜雨に嫌われているとさえ思っていた。

 彼が欲しいのは柚月ではなく、柚月の項に埋め込まれている宝珠『楠』である。

(ああ……なるほど……「これ」を取られると思ってるんか……)

 子供相手に何をムキになっているのかと思えば。

 柚月は呆れたように溜め息を吐き出すと、子犬を捕まえた夜雨の腕にそっと触れた。

「うちがいつアンタのモンになったねん。そもそも、アンタが欲しいんはうちやのうて、ここにある『楠』やろ」

 夜雨の目が僅かに揺れた。

 その隙に、彼の手中から子犬を救出する。

「怖かったなぁ。いけるか? えっと……」

「しらぬい!」

「不知火かぁ。ええ名前やねぇ」

 ふふ、と笑い合う二人を他所に夜雨はぎりり、と歯を鳴らしていた。

 気に入らない。

 チッと鋭い舌打ちを零すと、夜雨は持ってきた膳の一つに手を付けた。

 明け方の様子から、目を覚ましても加減が良くないと思って、胃に優しいものを弦吉に頼んでいたのだが、それは杞憂に終わった。

「……さっさと食え。今日は芸妓が来るから、宴会の準備を早めに済ませろと梅が言っていたぞ」

 それっきり言葉を発さず、夜雨は食事を始めた。

 黙々と食事を進める夜雨に、柚月はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 柚月は不知火と顔を見合わせた。

そして、彼が持ってきてくれた膳を二人で分け合って食べ始める。

 夜雨のしなやかな尻尾が不機嫌を表すように、畳を叩く音がやけに大きく響いていた。


 芸妓がやって来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。

「ごめんください」

 透き通った声に、膳を運び終えて中庭で不知火と毬遊びに耽っていた柚月はハッとした。

「はーい」

 不知火を抱え、慌てて玄関を開けると、そこには二人の女性が立っていた。

 一人は雪のように白い髪と燃えるように赤い眼が印象的だった。もう一人は、肩までに切り揃えた黒髪に、にっこりと笑った表情が愛くるしい。

「こんにちは~。『夜桜屋』から来ました。白雨と、」

 黒髪の女性が頭を下げ、名乗り始めたのと同時に可愛らしい声がそれを遮った。

「むうちゃ!」

「不知火!?」

 どうやら黒髪の女性と不知火は面識があったらしい。

 きゃっきゃっと燥ぐ二人を他所に、白髪の女性が柚月にぺこりと頭を下げた。

「妹が騒がしくして、申し訳ありません。改めまして『夜桜屋』の白雨(はくう)夢雨(むう)です」

「ああいえ、騒がしいのには慣れてますから……。今日はお忙しい中、ありがとうございます。宴会は夕刻からですよって。ごゆるりとお待ちください」

「ご丁寧にありがとうございます。それでは先に梅様へご挨拶を」

「ほんなら、こちらへどうぞ」

 不知火を夢雨に任せ、柚月は白雨を梅の部屋へと案内した。

 今日は夕刻から何件かの宴会が予定されている所為か、常ならば煙管を咥えている梅が小難しい顔をして帳簿とにらめっこをしている。

「ああ、来たか。悪いなぁ。忙しい時期に」

「いいえ。梅様には夜桜屋を立ち上げた当初からお世話になっていますので」

 これを、と言って白雨が梅に包みを渡した。

 その中身を見た梅の顔が僅かばかりに綻ぶ。

「母からです。いつもご贔屓にして頂いている細やかなお礼に、と」

「おおきに。大事に食べさせてもらうわ」

 祖母の穏やかな表情を見るのは久しぶりだった。

 柚月は少しだけ驚いたように目を丸めると、そっと部屋を出た。

 何だかその場に居てはいけないような気がしてしまったのだ。

 廊下に出るとそこには不知火を抱いた夢雨が立っていた。

 そして徐に柚月に顔を近付けたかと思うと、項の匂いを嗅がれる。

(あに)様の匂い」

「え?」

「兄様がここに居るの?」

「え、あの、兄様? ってどういう……」

 そっと伸びてきた腕に柚月が顔を顰める。

「夢雨」

 低い声がそれを咎める。

 同時に逞しい腕が柚月の腰に巻き付いた。

 夜雨が好んで吸っている葉巻の香りが柚月を包み込む。

「夜雨の兄様!!」

「……芸妓、と言うからもしやと思っていたが。やはりお前たちだったか」

 はあ、と夜雨の吐き出した溜め息が柚月の耳朶を震わせた。

 小さく肩を跳ねた少女を一瞥すると、夜雨は夢雨に鋭い視線を向けた。

「先に言っておくが、俺は帰らんぞ」

「え、」

「ここの女亭主にしてやられたのだ。この首輪が外れるまで、俺はここから出ることは出来ん」

 リン、と夜雨の首元で涼しげな音が鳴った。

 夢雨は開いた口が塞がらないと言った様子で、兄とその首元の鈴とを視線で何度も行ったり来たりしている。

「……なぁるほど。てっきり、父上の顔を見るのが嫌で家に戻らないのだとばかり思っていたけれど、そう言うことだったのねぇ。なら、仕方ないか。母上には私から上手く言っておいてあげますよ」

 ふふ、と途端に楽しそうな表情になった夢雨に、夜雨は視線を逸らす。

 どうやら兄弟仲は悪くないらしい。

 不意に視線を感じてそちらを見れば、梅の部屋から出てきた白雨がじっと柚月のことを見ていた。

「まあ、最もな理由はそちらのお嬢さんのように思えますけれど?」

「……」

 夢雨から視線を逸らしたわけではなく、白雨の視線から逃れたかったらしい。

 居心地悪そうに唇を歪めた夜雨と彼女らを交互に見遣ると柚月は小首を傾げた。

「うちが、って言うよりはうちの持っているもんに興味あるみたいなんやけどなぁ」

「黙っていろ、柚月。余計に話が拗れるだろう」

「はいはい。それより、いつまでくっついてるねん。ええ加減離してぇな」

 熱い、と腕の中から抗議の声を上げると、夜雨は柚月の腰に回していた腕を離した。

 それを見た不知火が、夢雨の腕から柚月に抱っこをせがむ。

「あら~。振られちゃった。なあに、不知火もその娘の方がいいの~?」

「むうちゃ、おしごと! またあとで、あそぼ!!」

「いや~ん! 相変わらず、空気が読める子ね~! どっかの誰かさんとは大違い!」

「あけにいちゃ、ごめんね?」

「ふふ。冗談よ」

 不知火は自分と夢雨にしかわからない人物の名前を出して小さく謝る。

 しゅん、と項垂れた不知火の頭を撫でると、夢雨は柚月の翡翠色の眼をじっと見つめた。

「粗暴な兄ですけど、根は優しいんです。どうぞ、よろしくお願いしますね」

「はい?」

「私からも、よろしくお願いします」

「え、ちょ、あの! お二人とも!」

 何故だか分からないが、にこにことしたまま立ち去って行った芸妓の美しい後姿に所在なく宙を彷徨った手を、夜雨が掴む。

「昼餉がまだだろ」

 今は人型となっている所為か、夜を溶かして煮詰め込んだような漆色の髪から覗く耳がうっすらと赤い。

「照れてるん?」

「照れてなどいない!」

「ふふっ」

 握られた掌から伝わる温度が心地良い。

 ぺたぺたと廊下に響く二人分の足音が、柚月の心を楽しさで彩るのであった。


ひえ……。気が付いたら半年以上も更新していない。お待たせしました←

夜雨の妹、白雨と夢雨の登場です。それから、柚月の母、桜も少しだけ。

ゆっくりではありますが、これから過去編に突入していきたいと思いますので、よろしくお願いします~!


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