第三十七話
「じゃあ、着信拒否は解除したんだ。」
放課後の図書準備室で、都と明里はノートを突き合わせていた。他の友人たちが塾があるからと帰る日に、そうやって自習するのは夏頃からの習慣。けれど今日は勉強の話題もそこそこに、二人きりになるや否や、明里は西とのケンカの顛末を話し始めたのだ。
「だって家のファックスに理由書が届いたのよ。」
「さすが西くん。っていうかお家の人、びっくりしたんじゃない?」
「おかげさまで。上の妹には台本のネタだと思われた。下の妹は自分も幸也くんに送るーって、わけわかんないもの描きはじめるし……あ、幸也くんって和臣の弟ね。下の妹と学年同じだから。」
「そっちも仲いいんだ。」
「まぁね。でもそこまでやられたら、話し合いに応じないわけいかないじゃない?」
「それで解除かぁ。」
「マンションの廊下で立ち話できる内容じゃないし。」
だよね、と都は苦笑する。
「まぁ言い分はわかったから、とりあえずの対策として都さんの真似してお守り渡した。」
「わたしの真似?」
「お母さんの形見の万年筆、ペンケースに入れてるでしょ。」
「あ、うん。」
「中学入ったとき、おばあちゃんにもらって使ってた万年筆、和臣に渡したの。」
「効き目あるかな?」
明里は肩を竦める。
「気分的な問題かもしれない。でも結果、和臣が一人で考えてたこと話してくれてよかった。なんかホッとした。」
「でも明里さん、実は気づいてた……よね?」
西をよく知る彼女が、むしろ気づいてなかったとは思いにくい。
「でもだからって、面と向かって亡くなったお父さんのこと聞けるほど、図太くないもの。そういう意味では、都さんに感謝。」
「わたし、なんにも……」
「ううん。ちょっとだけ境遇が被ってる都さんと、それ全部了解してる波多野くんだから、和臣も相談できたんだと思う。それにフリューゲルに乗り込んだこと、誰にも言わないでくれたでしょ。そのことも含めて、感謝。」
そっか、と都は呟く。
「それで明里さんが納得できたなら、役に立ってよかった。」
「まだ何が起こるかわかんないけど……」
「そういうの、ときどきでいいよ。わたしだって図太くないもん。」
でも……と首を傾けながら言う。
「レスポンスなし、聞くだけだったらいいかな。愚痴言いたいときって、やっぱりあるもんね。」
「それも、経験済みなんだ。」
「そりゃ、婚約してたって別の人間だもん。ときどき何考えてるかわかんなくて腹立つことあるし。」
「だよね。」
二人は顔を見合わせ笑った。
「ただいま。」
バイクのヘルメットを小脇に抱えたまま、ジャンパー姿の竜杜が厨房に飛び込む。
「これ、集金した分と頼まれた買い物……領収書は、これか。」
「うん。ご苦労さま。」
「すぐに着替えてくる。」
「その前に、お客さん。」
言われて店に目を向けると、窓際の席から手を振っている男が一人。
ああ、と竜杜は笑顔で近づく。
「うちに来るの珍しいですね、三芳さん。」
おう、と三芳啓太は応える。隣の椅子に置いたカメラバッグをぽんぽん叩き、
「小暮さんとこで打ち合わせした帰りなんだ。それとフリューゲルの二階、見せてもらってた。」
「二階?」
「言わなかったっけ?輸入家具のカタログ写真撮ってるって。」
「そういや都が言ってたな。社長が外国の人だとかなんとか……」
「それそれ。もう何年も日本に住んでるイギリス人で、普通に日本語だから仕事は楽なんだけど、こだわりが強いっていうかさ。扱ってるのはモダン家具だけど、背景をアンティークとかヘリテージっぽくしたいって言うのよ。」
「ヘリテージ……ってもっと古い由来の建物のこと言うんじゃないのか?」
「でもアンティークには充分なってるだろ?」
「まぁ……そうか。」
「早瀬父に聞いたらしばらく使う予定がないって言うし、それに竜杜さんのヘルプも期待できそうだし。」
「日当は請求できるよな?」
「できれば、知り合い価格で。」
「俺が拒否できないの知ってて言ってますね。」
「ばれたか。」
仕方ないか、と竜杜はため息をつく。
「三芳さんには都の母親の遺品整理でお世話になってるし……」
「それはこっちが頼んでやらせてもらってること。」
「それに俺が留守の間、都が世話になってるみたいだし。」
「あ、聞いてるんだ。てかホント、仲いいよな。」
「三芳さんたちほど、まだ長くないから。」
「長い分、ケンカも多いけどな。」
「ケンカくらい、あって当然でしょう。」
えっ?と三芳は目を丸くする。
「ケンカ、するんだ。」
「おかしい、ですか?」
「都さんが怒るの、想像できないから。」
「それは俺も意外でした。」
やっぱり、と三芳は頷く。
「そういうとこ、木島先生と違うんだよなぁ。」
「都の母親?」
「でもあれは怒る、ってのと違うか。叱咤激励?でもすんげ、気迫あったぜ。」
「冴さんと似たり寄ったりか。」竜杜は感心したように呟いた。
それからしばらくして、三芳と入れ替わりに制服姿の都がフリューゲルにやって来た。
「三芳さんと会わなかったか?さっきまでここを仕事場代わりにしてたんだが。」
「ちょっと寄り道してきたから。外、もう暗いし。」
「もう少しで閉店だから、待っててくれ。」
冴が、用あって上京した友人の香織と会うから遅くなる、と言い出したのは昨夜のこと。どうしようかと迷ったが、竜杜に文字の勉強ついでに送って欲しいと、都は自分から切り出した。もちろん、彼が二つ返事で了承したのは言うまでもない。
そのスケジュールに従って閉店近い喫茶店フリューゲルにやって来た都は、カウンターの隅の席に座る。
「カフェオレ注文してもいい?」
「僕が淹れるよ。」すかさず早瀬がカウンターの内側から応える。
「その代わり、閉店まで少しだけ竜杜と店番しててくれないかな。」
「どこか行くんですか?」
「地下の倉庫で探し物してきたいから。クリスマス用のオーナメント。」
ああ、と都は笑顔になる。
「もう、ちらほら見かけますもんね。」
「竜杜に頼もうと思ったら、そもそもクリスマスが何たるかわからないって言うし。」
「早瀬の家はクリスチャンじゃないだろう。」
「だから、便乗的な習慣なんだよ。ガッセンディーアの祭りだって、別に聖堂だけのものじゃないし。とにかく少しの間頼むよ。」
「了解です。」
笑顔で頷く都の前にカップを置くと、早瀬は慌しく地下に続く小部屋……従業員控え室に飛んで行った。
都はカップを両手で包み込むと、ほんのり甘いカフェオレに口をつける。
「リュート、年末年始はやっぱりラグレスさん家に戻るの?」
「いや、早瀬の家にいるつもりだ。」
「お義母さまが来る、とか。」
「それはないが、近日中に父親がもう一度、向こうに行くことになった。」
「マーギスさんに会いに?」
「その他いろいろ……らしい。だからあえて年末年始に帰る必要もないし、俺はどちらかといえば日本式の年越しをしてみたい。それと都の傍にいたいから。」
けほっ、と都はカフェオレにむせる。
「大丈夫か?」
「だ、だからそういうこと、なんで普通に言っちゃうの?」
「予告して言うものでもないだろう。それにちゃんと言わなきゃ、またすれ違いになる。」
「そうかもしれないけど……」
むぅ、と都は唇を尖らせる。
やがて最後の常連客が店を出ると、竜杜は外に出て鉄の門扉を閉めた。クローズの札を下げると、店に戻って入り口の鍵を閉める。都も勝手知ったる手順でテーブルの上を片付けて行く。カーテンを閉めたところで、竜杜から「そこまででいい」と声をかけられた。
「あとは父親が片付けるだろう。母屋で着替えてから家まで送っていく。と、忘れるところだった。」
竜杜はレジに戻ると何かを手にとって都の前に立った。彼女の手を取り、掌に銀色の物を載せる。
「なに?」
「渡しておく。」
「鍵?」
「うちの母屋の鍵。」
えっ?と都は目を丸くする。
「危ないと思ったら、遠慮なく逃げ込めるだろう。」
「で、でも……わたしなんかが持ってていいの?」
「父親と相談して決めたことだ。年が明けたら引越しの準備もあるし、何かの時には銀竜の世話を頼むかもしれない。なにより、もうじき都もこの家の家族になるんだ。」
「あ……えと……そ、そっか。」
言われてみればその通り。けれど改めて「家族」と言われると妙にドキドキしてします。
「なんか……凄く実感。」
きゅっと鍵を握り締める。
「うん?」
「リュートと一緒になること。」
「そうだな。」
「また、ケンカするかな?」そっと上目遣いに見あげる。
「嫌か?」
「仲直りできるなら、嫌じゃない。」
「なら、大丈夫だろう。」
そう言って差し出された手に、都は頷きながら自分の手を重ねた。
「よいしょ、っと。」
早瀬加津杜は声を出しながらダンボールを引っ張り出す。
「こんな奥にあっちゃ、見つからないはずだ。」
中身を確認してから、「うーん」と背筋を伸ばして腕の時計に目を落とした。
「店は……閉めた時間か。竜杜と都ちゃんも母屋に戻ったかな。これでも不用品が減ったのは今年一番のがんばりかな。」
ひとりごち、ダンボールを持ち上げようとして顔を上げる。視線の先にあるのは、年季の入った神棚。
早瀬は一旦ダンボールを床に置くと、神棚の前で手を合わせた。
「今日も、守ってくれてありがとう。もうしばらくだけ、がんばってくれ。」
まるで誰かに語りかけるような口調。
「もう少しだけ、ルーラを休ませてあげたいんだ。だからそれまで……頼んだよ、リラ。」




