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寿綾乃という女 第3部  作者: トモサン


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99/122

寿綾乃という女 第3部 99

そして、そんなことを、考えていると、ふと、


 「…帰りましょう…」


 と、いう言葉が、口を突いて出た…


 私が、いきなり、そんなことをいうものだから、私以外のここにいる全員が、驚いて、私を見た…


 それから、


 「…綾乃さん…いきなり、なにを…」


 と、ナオキが、驚いた表情で言った…


 もちろん、それは、ナオキだから…

 藤原ナオキだから、言った…


 あるいは、言えた言葉だった…


 つまりは、私と極めて、距離が近い関係だから、言えた…


 そういうことだ…


 そして、私は、そんなナオキを見て、


 「…ナオキ…アナタも、いっしょに帰りましょう…」


 と、言った…


 ナオキは、言葉こそ、発しないが、仰天の目で、私を見た…


 「…帰るって、どこへ?…」


 と、ナオキ…


 「…自分の家に決まっているでしょ?…」


 と、私。


 なにより、私は、この場所から、出たかった…


 この場所は、嫌…


 実に、嫌だった…


 精神衛生上、実にカラダに悪い(苦笑)…


 そんな感じだった…


 そして、なにより、ナオキと、二人きりになりたかった…


 正直、積もる話もある(苦笑)…


 なぜ、こんなことになったのか、ナオキ自身の口から、聞きたかった…


 まさか、それを、伸明や和子の前では、話せない…


 これは、伸明や和子を信用できない…


 信頼できないではなく、二人だけでしか、話せないことだからだ…


 だから、一刻も早く、この場を離れ、ナオキと家に帰りたかった…


 ナオキと、二人きりに、なりたかった…


 そういうことだ…


 そして、私は、ナオキと帰ることの了承を得るべく、二人と見た…


 伸明と和子を見た…


 二人は、なにも、言わなかった…


 「…」


 と、無言だった…


 そして、それが、肯定を意味した…


 私とナオキが、この病室を出ることを、了承したと、思った…


 だから、私は、ソファから、立ち上がって、ナオキの手を取った…


 そして、言った…


 「…さあ、行きましょう…」


 と、言った…


 ナオキは、ソファに座ったまま…


 どうして、いいか、わからない状態だった…


 自分で、どうしていいか、わからない状態だったから、伸明と和子を交互に見た…


 二人が、どういう反応を見せるのか、知りたかったからだ…


 すると、和子が、


 「…お行きなさない…」


 と、ナオキに言った…


 「…寿さんの言う通りにしなさい…」


 と、告げた…


 その言葉で、ナオキは、吹っ切れたようだ…


 私の手を握り締めたまま、ソファから、立ち上がった…


 「…では、失礼します…」


 と、伸明と和子に一礼した…


 それを見て、私も、


 「…では、これで…」


 と、二人に、一礼して、歩き出した…


 ナオキと、手を取って、歩き出した…


 一体、いつ以来だろう…


 このナオキといっしょに、手をつないだのは?


 思わず、そんなことを、考えた…


 正直、覚えていない…


 それぐらい前だった…


 いや、


 もしかしたら、これが初めてかもしれない…


 これまで、一度として、ナオキと、こんなふうに、互いに手をつないで歩いたことも、ないかも、しれない…


 なぜなら、私たちは、普通の関係では、なかった…


 ナオキと私が、出会ったときは、ナオキは、妻帯者…


 妻のユリコがいた…


 だから、出会った当初は、男女の関係ですら、なかった…


 そして、いつのまにか、男女の関係になったが、そのときは、まだユリコがいた…


 まだ、失踪していなかったからだ…


 だから、おおっぴらに、ナオキと二人して、恋人のように、手をつないで、外を歩くことは、できなかった…


 周囲の目があるからだ(笑)…


 だから、できなかった…


 そして、今度は、ユリコが、失踪すると、ジュン君の面倒を見ることが、優先になった…


 私は、幼いジュン君の母親代わりになった…


 だから、とてもではないが、ナオキと、二人きりで、外で、手をつないで、歩くことなど、できなかった…


 ナオキと外を歩くときは、必ずジュン君もいっしょにいた…


 そして、私が、手をつなぐ相手は、ナオキではなく、ジュン君だった…


 ユリコの子のジュン君だった…


 気が小さいジュン君は、外出時は、いつも、私の手をしっかり握りしめていた…


 だから、私が、手をつなぐのは、ジュン君であって、ナオキでは、なかった…


 今、冷静に考えれば、片方の手で、ジュン君と手をつなぎ、もう片方の手で、ナオキと手をつなげば、よかったのだが、そんなことは、しなかった…


 できなかったというのが、正しい…


 気の弱いジュン君は、いつも、私の手をしっかり、握り締めていた…


 だから、私は、ナオキより、ジュン君が、心配だった…


 ナオキより、ジュン君に気を取られて、ナオキの手を握るどころでは、なかったというのが、正しかった(苦笑)…


 だから、もしかしたら、これが、初めて、ナオキと手を握りしめたときかも、しれない…


 堂々と、二人きりで、手と手を取り合ったのは、初めてかも、しれない…


 そう、気付いた…


 四十代前半の藤原ナオキと、32歳の私が、初めて、手と手を取り合うなんて…


 考えてみれば、笑える…


 実に、笑える…


 だが、事実…


 まぎれもない事実だった…


 そして、二人で、手と手を取り合って、部屋を出ようとすると、


 「…寿さん…」


 と、伸明が、私に声をかけた…


 私は、その声で、振り返った…


 振り返って、伸明を見た…


 伸明は、ソファから、立ち上がって、私を見た…


 が、


 その伸明を、和子が、叱った…


 五井の女帝が、叱った…


 「…やめなさい、伸明さん…寿さんは、藤原さんを選んだの…」


 と、言った…


 私の思っていることを、言った…


 「…だから、諦めなさい…」



 と、続けた…


 伸明は、どうして、いいか、わからない様子だったが、まもなく、ソファに、座った…


 そして、そんな伸明を見届けたかのように、和子が、


 「…さあ、お行きなさい…」


 と、私に言った…


 私は、無言で、和子に一礼した…


 それを、見て、隣のナオキも、また、和子に一礼した…


 部屋を出ると、屈強なボディーガード二人が、部屋の前にいた…


 私とナオキの二人だけで、部屋を出て来たので、驚いたようだ…


 私は、二人に向かって、


 「…帰ります…」


 と、だけ、言った…


 二人は、仰天した様子だった…


 「…ちょっと、お待ち下さい…」


 と、言って、慌てて、一人が、部屋の中に入った…


 私とナオキは、一人だけ残ったボディーガードを無視して、歩くわけにも、いかず、その場で、立ち止まって、待った…


 すぐに部屋の中から、もう一人のボディーガードが、戻ってきて、


 「…OKだそうです…」


 と、残ったボディーガードに伝えた…


 それを、聞いて、私とナオキは、歩き出した…


 手をつないで、歩き出した…


 これは、初めて…


 生まれて、初めて、私とナオキは、堂々と、他人の前で、周囲の目を気にせず、手をつないで、歩き出した…


 その瞬間だった…



 結局、私とナオキは、そのまま、五井記念病院を出た…


 そして、その足で、私の自宅に、向かった…


 かつて、ナオキが、私に与えた億ションに、向かった…


 二人とも、無言だった…


 歩いているときも、電車に乗っているときも、ほぼ無言だった…


 私は、自分の体調が、気になったが、不思議と、なんともなかった…


 気が張っていたからかも、しれない…


 気が昂っていたからかも、しれない…


 まるで、二人して、どこかに、逃亡する…


 あるいは、


 二人して、どこかに、駆け落ちするような気分だった…


 そして、それに、気付くと、我ながら、笑えたというか…


 四十を過ぎた男と、三十を過ぎた女が、今さら、駆け落ちでも、なんでもないだろうという気持ちだった…


 そんなことをするのは、もっと、若い人たち…


 少なくとも、私たちより十歳以上は、優に若い人たちだ…


 そして、駆け落ちは、いいが、その後は、どうするのだろう?


 ふと、思った…


 駆け落ちというのは、故郷を離れること…


 故郷を捨てることだ…


 つまりは、故郷から、逃げ出すことだ…


 すると、どうだ?


 会社は、どうなる?


 勤めていた会社に、いきなり行かなくなったら、後は、どうなる?


 正式に退職しなければ、離職票は、もらえないし、次の会社にも、いけない…


 いや、


 住民票は、どうなる?


 生きてゆくのに、住民票も、なにもなければ、この先、この日本で生きてゆくのに、困る…


 だから、そんなことを、考えれば、絵空事…


 駆け落ちなど、昔の小説やマンガや、ドラマの中にあるだけの絵空事だ…


 いや、


 必ずしも、そうでないかも、しれない…


 例えば、昔、昭和の二十年、三十年の時代ならば、可能だったからかも、しれない…


 今のような情報化社会ではないからだ…


 だから、可能だったかも、しれない…


 私は、ナオキと、電車に乗りながら、そんなことを、考えた…


 そんなバカなことを、考えた…


 そして、一方のナオキは、なにを考えているか、わからなかった…


 それは、黒いサングラスをして、顔を隠しているから…


 だから、表情が、読めなかった…


 やはり、藤原ナオキは、有名人…


 素顔のままで、いると、誰かが、藤原ナオキだと気付くひとがいる…


 まして、このご時世だ…


 誰もが、スマホを持っている…


 カメラ付きのスマホを持っている…


 いや、


 ガラケーでも、いい…


 皆、カメラがついている…


 だから、あの藤原ナオキだと気づけば、遠慮なく、カメラのレンズを向けるだろう…


 だから、変装することなく、素顔を晒したまま、ナオキは、移動できなかった…


 そして、会話もそう…


 私と、おしゃべりをして、FK興産の話をしたら、わかる人間が出て来る…


 気付く人間が、出て来る…


 そういうことだ…


 だから、二人とも、暗黙の了解で、口を利かなかった…


 どうせ、時間はたっぷりある…


 家に帰れば、二人きり…


 話す時間は、いくらでもある…


 私は、そう、思った…


 そう、思いながら、五井記念病院から、自宅に帰るまで、ほぼ無言で、歩いた…



 やがて、家に着いた…


 私が、かつて、ジュン君と共に、住んでいた億ション…


 かつて、ナオキが、私とジュン君のために、買い与え、今は、私一人が住む、億ションに帰って来た…


 エントランスに入り、自室に、向かう…


 思い返せば、ナオキと二人きりで、このマンションにやって来たのは。いつ以来だろうか?


 考えた…


 やはり、ナオキと手をつないで、歩いたのと、同じ…


 つまりは、初体験だろうか?


 なぜなら、いつも、私とナオキの間には、ジュン君が、いたからだ…


 だから、いつも、二人きりでは、なかった…


 だから、これも、初体験だろうか?


 いや、


 違う…


 ジュン君が、逮捕された後、ナオキは、何度か、この家にやって来た…


 私に会うために、やって来た…


 それを、忘れていた…


 これでは、まるで、少女…


 まるで、恋に恋する十代の少女のようだ…


 私は、思った…


 私は、考えた…


 そして、そんな考えが、私の表情に出たのだろう…


 マンションの自室に入ってすぐ、


 「…なにを、笑っているの? …綾乃さん?…」


 と、ナオキが、聞いた…


 私は、すでに、マンションの自室に入って、周囲の目を、気にする必要が、なくなったから、


 「…それは、ね…ナオキ…」


 と、言おうとした…


 が、


 私が、話す前に、ナオキが、


 「…綾乃さんが、賭けに負けたから…」


 と、言った…


 思いがけないことを、言った…


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