寿綾乃という女 第3部 72
そして、そんな思いが、私の顔に出たのだろう…
伸明が、不思議そうに、
「…寿さん…なにが、おかしいんですか?…」
と、聞いた…
当たり前だった…
別段、今、面白い話など、なにも、していない…
にもかかわらず、笑っている私が、不思議だったに違いない…
が、
伸明のこの質問には、答えなかった…
いや、
答えることは、できなかった…
いかに、伸明とて、五井の人間…
五井の当主だ…
だから、その伸明の前で、和子を非難することは、できなかった…
当たり前だ…
だから、
「…いえ…」
と、曖昧に、言葉を濁した…
「…伸明さんも、ナオキも大変なときに、自分が、役に立てなくて…」
と、言った…
「…役に立てない…どうして、役に立てないんですか?…」
「…体調です…今も、ご覧のように、体調が悪くて、寝込んでいました…」
「…」
「…せめて、もう少し体調が、回復すれば、お二人の役に立てたかも、しれない…そう、思うと、自分の役立たずさが、笑えて…」
と、言った…
本音だった…
が、
それを、聞いても、伸明は、なにも、言わなかった…
「…」
と、黙ったままだった…
だから、伸明が、一体なにを考えているのか?
不思議になった…
誰でも、そうだが、おしゃべりの人間は、いい…
おしゃべりの人間は、わかりやすい…
年がら年中、思ったことを、すぐに、口にするからだ…
だから、どんな人間か、すぐにわかる…
考えていることを、すぐに、口に出すからだ…
真逆に、困る人間は、おしゃべりでない人間…
口数の少ない人間だ…
あまり、しゃべらないから、なにを、考えているか、わからない…
だから、そういう人間は、危険…
扱いに、困る…
そういうことだ…
そして、これは、目の前の伸明にも、当てはまる…
伸明は、五井家の当主の家に生まれた…
だから、五井家の次期リーダーだ…
天皇家で、言えば、皇太子…
次の天皇陛下になる人間だ…
だから、おいそれと、思ったことを、口にしない…
次の天皇陛下になる人間が、おしゃべりで、いつも、自分の感情を爆発させては、周囲も扱いに困る…
天皇陛下は、神輿…
みんなが担ぐ人間だ…
みんなに担がれる人間が、いつも、自分の希望や愚痴をこぼしていてばかりいては、困る…
それでは、誰も、担ぐ気が失せる…
それと、同じだ…
伸明は、五井の天皇陛下…
だから、幼少より、自分の感情を抑える術を学んだに違いない…
だから、私といっしょにいても、普通にココミュニケーションは、取れるが、必要以上には、しゃべらない…
意思表示をしない…
そういうことだ…
だから、怖いというか…
いまいち、伸明という人間が、わからない…
なにを考えているか、わからない…
だから、怖い…
伸明と出会ったのは、半年ちょっと前…
すでに、一度だけだが、キスをして、男女の関係になりかけたこともある…
が、
果たして、男女の関係になったから、どうか?
男女の関係になったから、伸明のなにが、わかったかと、誰かに問われれば、これも、また返答に困る…
その人間が、どんな人間か、知るには、ホントは、背後霊ではないが、四六時中、その人間の近くにいることだからだ…
だから、ホントは、両親も、学校の友人や、会社の同僚も、その人間が、どんな人間か、わからないものだ…
それは、なぜか?
それは、相手によったり、あるいは、家庭や、学校では、そのときどきで、見せる顔が違うことが、あるからだ…
ありがちな例では、家では、内弁慶ではないが、わがまま放題なのが、学校や、会社では、いいひとを、演じている…
そんな例は、枚挙にいとまがない…
要するに、気が弱いのだ…
だから、学校や、会社では、よいひとを、演じる…
敵を作るのが、怖いからだ…
が、
ホントは、我がまま…
だから、家庭では、わがまま放題になる…
家庭では、自分の感情を抑えない、素の姿を出せるからだ…
だから、もしかしたら、伸明も、それと同じかも?
ふと、気付いた…
この伸明と結婚したら、それと、同じかも?
と、気付いた…
なにしろ、五井家当主だ…
家も、名門中の名門…
当然、プライドも、高い…
おまけに、ルックスも、悪くない…
長身のイケメン…
だから、この伸明のホントの姿は、我がまま放題の人間だと、しても、驚かない…
さもありなんと、納得するだけだ(笑)…
そして、そんなことを、考えると、ナオキのことを、考えざるを得なかった…
私の事実上のパートナー、藤原ナオキのことを、考えざるを得なかった…
なぜなら、私は、ナオキを知っているからだ…
どんな人間か、知っているからだ…
ナオキとは、もう出会って、十五年は、経つ…
私が、上京して、女子高生のときに、知人の紹介で、ナオキの会社にアルバイトで、行ったのが、出会うきっかけだった…
だから、ナオキのことは、よく知っている…
会社での姿も、家での姿も、知っている…
だから、安心できる…
安心して、ナオキといることが、できる…
そういうことだ…
極端な話、藤原ナオキという男の裏も表も知っている…
それが、ナオキと、伸明の違い…
大きな違いだ…
だから、私は、ナオキに騙されることは、ないと、信じている…
が、
正直、この伸明のことは、わからない…
私は、まだ、この諏訪野伸明という男を、よくは、知らないからだ…
あるいは、寝てみれば?
とか、いう意見はあるかも、しれない…
しかしながら、何十回、あるいは、何百回、カラダを重ねたところで、その人間が、どんな人間か、わかるものか!
私は、言いたい…
せいぜい、わかるのは、カラダの相性ぐらいのものだ(爆笑)…
他には、なにもわからない…
いや、
わかるはずもない…
なにしろ、したのは、カラダを重ねることだけだからだ(笑)…
そんなことで、男も女も相手のすべてが、わかるわけは、決してない…
が、
しかしながら、そんなことを、考えていては、いつまで経っても、結婚は、できない…
どこまで、相手のことが、わかれば、結婚するのか?
以前、そんな質問をネットか、雑誌で、見たことがある…
が、
答えは、ないだろう…
結婚して、わかる…
いっしょに暮して、初めてわかることは、たくさんあるからだ…
だから、それに、躊躇していては、結婚は、できない…
かつて、タレントの優香が、
「…結婚は勢い…」
と、語ったが、それは、わかる…
うじうじ考えていても、答えは出ないからだ…
だから、勢い…
思い立ったら、勢いで、結婚する…
そういうことだからだ(笑)…
だから、それを、思えば、私は、優香さんとは、真逆に、ナオキと結婚した方が、いいかもしれない…
ふと、気付いた…
この眼前の伸明と違い、私は、ナオキを知っている…
会社での顔も、家庭での顔も、知っている…
だから、安心できる…
そういうことだ…
それが、伸明とナオキの違い…
仮に、伸明と結婚すれば、この後、予想もつかなかった伸明の別の顔を見ることになるかもしれない…
そんな予感もする…
が、
そこまで、考えて気付いた…
この私が、伸明と結婚できるわけがないことに、気付いた…
なにしろ、この伸明は、五井家当主…
日本、いや海外でも、知られた、名家の当主…
片や、私は、どこの馬の骨とも、わからない女…
そんな女と、五井家の当主とも、いう男が、結婚なんて、するはずがない…
あらためて、自分の愚かさに気付いた…
自分自身の愚かさに、気付いた…
と、同時に、今さらながら、気付いたことがある…
あの和子が、私に優しかった理由だ…
おそらく和子は、ナオキの会社、FK興産の買収をだいぶ前から、考えていたのではないか?
ふと、気付いた…
なぜなら、ナオキは、私に頭が上がらない…
それを、見て、私をうまく取り込み、FK興産の買収の際に、私にうまく、ナオキを説得させようと、思っていたのでは、ないか?
そんな和子の目論見に今さらながら、気付いた…
気付いたのだ…
そして、そう考えれば、和子が、なぜ、私をこの伸明のお嫁さん候補のように、扱っているのかも、よくわかる…
私を伸明のお嫁さん候補のように、扱って、私を信用させ、FK興産の買収の買収に際して、藤原ナオキを、説得させる…
おそらく、それが、目的…
五井の女帝、諏訪野和子の目的だ…
私は、今さらながら、そんなことに、気付いた…
寿綾乃、32歳…
自分では、それなりに、これまで、修羅場をくぐって来たつもりだった…
が、
きっと、和子から、見れば、赤子…
私は、赤子同然だったに違いない…
実に、操りやすい人間だったに違いない…
そんなことに、今さらながら、気付いた…
自分の愚かさに、気付いた…
これは、ちょっと、ショック…
ショックだった…
が、
一寸の虫にも五分の魂という言葉がある…
和子の思い通りになってたまるか!
という、気持ちが、沸いてきた…
寿綾乃、
いや、
矢代綾子とて、意地がある…
たとえ、相手が、五井の女帝だとしても、そうやすやすと、相手の思い通りになってたまるか!
そう、思った…
そう、思ったのだ…




