寿綾乃という女 第3部 42
そして、それに、気付くと、実に面白いというか…
ユリコが、平凡な人間に見えてきた…
たしかに、頭は良いが、どこにでもいる平凡な人間に見えてきた…
もしかして、私は、ユリコを大きく見過ぎていた?
ユリコを過大評価し過ぎていた?
そう、気付いた…
これは、誰でも、あること…
とりわけ、格闘技などでは、よくあること…
相手の方が、自分より、強いと、ハナから考えてしまう…
だから、闘う前から、精神的にすでに負けている(笑)…
格闘技では、誰でも、ありがちなことだ…
が、
それだけでもなく、会社でも、学校でも同じ…
とりわけ、学校では、自分より、成績が、劣ると、思っていた人間にテストの成績で、負けたり、あるいは、真逆に、自分より、はるかに、頭のいい人間に、自分が、テストで勝つこともある…
つまりは、相手の能力を、見極めていたのが、謝りだと、気付く…
それと同じだ…
要するに、自分が、考えていた相手の能力と、実際の能力が、違う…
それが、私の場合、眼前のユリコに当てはまる…
そういうことかも、しれない…
私は、思った…
そして、そう、思いながら、私も、コーヒーを飲んだ…
すでに、2杯目だが、嫌ではなかった…
私は、元々、コーヒーが、嫌いでは、ないからだ…
だから、2杯目のコーヒーも嫌では、なかった…
そして、コーヒーを飲みながら、眼前のユリコのことを、考えた…
今さらながら、考えた…
これまでの話の流れからは、ユリコが、留置所に、拘束されているナオキを心配して、私に接触してきたように、思える…
そして、ナオキの逮捕の内幕を明かした…
要するに、私に五井に気をつけろ!
と、警告したわけだ…
私とナオキは、五井に気を許している…
五井=諏訪野伸明に気を許している…
しかし、そうではないと、ユリコは、警告したわけだ…
が、
それが、本当か、どうかは、わからない…
なにしろ、ユリコの言うことだ…
ウソか、ホントか、さっぱり、わからない(苦笑)…
私を混乱させるために、わざと、ウソの情報を教えたとも、考えられる…
それが、いかにも、ユリコのやりそうなことだからだ…
が、
もし、本当なら?
今のユリコの話が、もし、本当ならば?
ユリコが、苛立つのも、わかる…
自分の友人や知人が、騙されている…
あるいは、洗脳されている…
それを、見て、つい、
「…オマエは、騙されているんだ!…」
と、誰もが、言いたくなる…
誰もが、警告したくなる…
注意したくなる…
が、
いくら、真実を言っても、相手は、真実とは、思わない…
自分が、必死になって、
「…オマエは、騙されているんだ!…」
と、言っても、信じない…
すると、注意した相手は、落胆する…
あるいは、怒り出す…
さらには、イライラし出す…
自分が、こんなにも、熱心に言っているにも、かかわらず、相手が、まるで、自分の話に耳を傾けては、くれないからだ…
だから、もし、ユリコの話が、ホントなら、ユリコが、イラつくのも、わかる…
そして、ユリコの言うことも、まるっきり、ウソだとは、思えない…
荒唐無稽の話だとも、思えない…
ナオキは、五井から、融資を受けていた…
私は、以前、それを、偶然、知った…
偶然、ナオキが、諏訪野伸明と電話をしているのを、耳にしたからだ…
あれは、ちょうど、私が、癌の治療のために、オーストラリアに、行く直前だった…
日本では、まだ認可されていない、癌の治療方法が、オーストラリアでは、すでに行われている…
だから、私は、一縷の望みをかけて、オーストラリアに行った…
結果、病状は、大分、回復したが、完治までには、至らなかった…
だから、今も、私は、癌持ち…
癌持ち患者だ…
だから、今も、この五井記念病院に通っている…
そういうことだ…
そして…
そして、だ…
仮に、ユリコの話を荒唐無稽だと、頭から、否定しないのは、もしかしたら、結果として、そうなったということも、考えられるからだ…
つまりは、最初は、そんな気はなかった…
が、
途中から、気が変わったということだ…
これは、誰にも、ありがちなことだからだ…
よくある例が、結婚…
例えば、ある男が、好きになった女の家庭に頻繁に訪れるとする…
そして、女の両親も、うちの娘は、あの男と、結婚すると、考える…
が、
その娘に姉や妹がいて、彼女たちと、接するうちに、本来付き合っていた女ではなく、女の姉や妹と結婚することが、稀にある…
姉や妹と接するうちに、元の女よりも、姉や妹の方が、気が合ったということだ…
つまりは、最初と、実際に結婚した相手が違った…
これは、意外と、世間にありふれている…
これが、女では、なく男でも、ある…
付き合った男では、なく、その兄や弟と、結婚することも、ありがちな話だ…
要するに、その方が、自分と気が合ったということだ…
それを、諏訪野伸明に当てはめれば、当初は、ナオキの会社、FK興産の買収を狙ったわけでもなんでもなかったが、途中で気が変わった…
そうとも、受け取れる…
まあ、これは、だいぶ、好意的に受け取れば、の場合だが(苦笑)…
さすがに、最初から、諏訪野伸明が、ナオキの会社を乗っ取るべく、金を融資したとは、思いたくない…
あるいは、事実は、どうあれ、とても、そうは、思いたくない…
いや、
思えない…
私が接した諏訪野伸明は、そんな人間では、なかった…
大して、接したわけではないが、そんな人間ではなかった…
私が、伸明を好きだったから、そう信じたとは、思いたくない…
恋は、盲目というけれど、もはや、一途に恋に憧れる年齢でもない…
むやみやたらに、恋に憧れる中学生や高校生でもない…
32歳になる、女だ…
まして、女子高生のときから、すでに、ナオキと男女の関係だった…
そんな女である私が、よもや伸明の人間性を見誤ったとは、思えない…
好きだから、だいぶ、甘く評価したというのは、考えられる…
これは、否定しない…
が、
伸明が、当初から、FK興産の買収を目論んで、ナオキに金を融資したとは、思えない…
買収を目的に融資したとは、考えたくない…
それが、偽らざる私の本音だった…
そして、私が、そんなことを、考えていると、ユリコが、
「…まあ、寿さんもよく考えることよ…」
と、吹っ切れたように、言った…
「…私は、今、寿さんに真実を伝えた…でも、それを、真実か、ウソか、考えるのは、寿さん次第…」
「…」
「…そして、私は、これで、寿さんに、借りを返した…」
「…借り?…」
「…ジュンのことよ…」
「…ジュン君の?…」
「…寿さんが、裁判所で、ジュンを庇ってくれたことで、ジュンの刑が軽くなった…これは、そのお礼よ…」
「…お礼…」
「…まあ、これを信じるかどうかは、寿さん次第…ただ、私は、これで、借りを返した…そう、思っている…」
私は、ユリコの言葉に、黙らざるを得なかった…
反論できなかった…
もしかしたら、ユリコの忠告が、正しいかも、しれないからだ…
だから、反論できなかった…
できなかったのだ…
そして、私が、黙っていると、
「…ねえ、寿さん?…」
と、ユリコが、話しかけてきた…
「…なんですか?…」
「…私は、決して、アナタを嫌いなわけじゃないわ…」
ユリコが、言った…
「…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…合わないのよね…」
「…」
「…なんというか…どんな話をしても、平行線…ちょうど、ネジじゃないけれど、大抵のネジは、これで、合うのだけれど、寿さんには、合わないというか…」
「…」
「…とにかく、なにを言っても、会話が嚙み合わない…」
「…」
「…だったら、互いに会わなければ、いい…でも、ナオキやジュンのことも、あって、会わざるを得ない…」
「…これは、私にとっても、寿さんに、とっても、悲劇よね…」
ユリコが、したり顔で、言う…
たしかに、その通り…
ユリコの言う通りなのだが、どうしても、ユリコの言うことには、素直に頷けない…
素直に共感できない…
なぜなら、相手が、ユリコだからだ…
私の大嫌いなユリコだからだ…
だから、共感できない…
そういうことだ…
私が、思っていると、
「…まあ、そういうことよ…」
と、ユリコが、言って、話を終えた…
…まあ、そういうことって?…
…どういうこと?…
私が、思っていると、ユリコが、席から、立ち上がった…
「…それじゃ、寿さん…これで…」
と、言って、すぐに歩きかけた…
同時に、領収書を手に持ち、
「…払っておくから、会計は、いいわ…」
と、言って、歩き出した…
私は、慌てて、
「…いえ、自分の分は、自分で払います…」
と、言った…
が、
ユリコは、領収書を手で、ヒラヒラさせるのみ…
それには、及ばないとでも、言うつもりだろう…
私も、さっきのマミさんのときと、同じく、ユリコを追いかけて、お金をユリコに渡すわけにも、いかないので、そのままにした…
いったん、席を立ったが、すぐに、座った…
そして、飲みかけのコーヒーを飲んだ…
実に、苦かった…
さっきまでは、そうは、感じなかったが、今、飲むと、実に、苦く感じた…
これは、私の舌が、おかしい?
私の舌が、どうかしている?
一瞬、そう思ったが、やはり、そんなことは、ない…
ユリコから、諏訪野伸明のことを、聞いたからだ…
伸明に、初めて、不信感を持ったからだ…
だから、それまで、苦く感じなかったコーヒーが、苦く感じた…
そういうことだ…
が、
まさか、そんなことが?
自分でも、仰天した…
たかだか、伸明に不信感を抱いただけで、コーヒーの味を、苦く感じるとは、思わなかったからだ…
あるいは、
自分が、甘ちゃんだった…
自分が、伸明に憧れるばかりに、伸明を甘く、見ていた…
伸明を甘く評価していた…
そうも、思った…
だから、自分が、今、飲んでいるコーヒーが、苦く感じた…
自分の甘さを認識したことで、現実が、苦く感じた…
そうも、思った…
それとも、これは、こじつけ?
こじつけに過ぎない?
自分が甘かったから、突然、コーヒーが、苦く感じた…
そう思ったのは、こじつけに過ぎない…
そうも、思った…
事実は、わからない…
真実は、わからない…
が、
コーヒーが、突然、苦く感じたのは、確かだ…
そして、途端に、気分が、憂鬱になった…
それまで、信じていた伸明が、もしかしたら、信じられないかも、しれないと、気付いたからだ…
こんな状態で、コーヒーをうまく感じるわけはない…
自分の気分が、滅入っていれば、どんなに、おいしいものでも、おいしく感じない…
あらためて、そう思った…




