寿綾乃という女 第3部 41
私の心は、伸明にあった…
諏訪野伸明にあった…
五井家当主にあった…
が、
今、ユリコの言った言葉も、否定できない…
なぜなら、伸明は、五井家当主…
大金持ちだ…
だから、伸明が、好き…
だから、伸明に憧れる…
そんな自分が、心のどこかに、いる…
それは、否定できない事実だからだ…
仮に、もし、伸明が、一般人なら、どうか?
今と同じように、憧れるか?
と、問われれば、微妙…
微妙だ(苦笑)…
伸明は、長身のイケメンだから、憧れないわけでは、決してないが、今ほど、憧れることも、ないだろう…
残念ながら、それが、事実…
事実だ…
そして、そんな私を見て、ユリコが、
「…でも、安心したわ…」
と、笑った…
「…安心? …なにを、安心したんですか?…」
「…寿さんが、普通のひとだと、思って、安心した…」
「…どういう意味ですか?…」
「…だって、お金持ちに目がくらんで、そのひとの言うことを、無条件に信じるなんて、一般人そのものでしょ?…」
「…」
「…寿さんは、違うと思ったけれど、同じ…ホント、普通のひと…」
ユリコが、笑う…
「…だから、お金持ちに騙される…お金に目がくらんで、諏訪野伸明を正当に、評価できなくなる…」
「…」
「…でしょ?…」
そう、言われると、返答に、困った…
「…」
と、返答に、窮した…
事実、その通りだったからだ…
伸明のことは、盲目的に、信じているわけでは、決してない…
が、
大分、甘く見ていることは、確かだった…
これは、否定のしようのない事実だった…
それを、眼前のユリコは、見抜いたということだ…
私の天敵のユリコが、見抜いたということだ…
それに、気付くと、私は、どうして、いいか、わからなかった…
なんと、答えて、いいか、わからなかった…
まさか、ユリコに、
「…ご忠告、ありがとうございました…」
と、頭を下げるわけには、いかないからだ…
だから、困った…
困ったのだ…
そして、そんな私の態度を見て、実に、ユリコは、嬉しそうだった…
きっと、私が、動揺する姿を見て、嬉しいに、違いない…
自分の言葉が、私を惑わせる…
それが、できたから、嬉しいに、違いない…
私は、そう、思った…
そう、思ったのだ…
すると、
「…美人って、得ね…」
と、ユリコが、笑いながら、言った…
「…なにが、得なんですか?…」
「…私が、言った言葉に、考え込む姿も、美しい…絵になる…」
「…絵になる?…」
「…ほら、美人も、イケメンも、同じ…本人が、なにげなくする動作に、周囲の男や女が、歓声を上げる…」
「…」
「…そして、周囲の反感も買う…」
「…反感も買う? …ですか?…」
「…この世の中、善人ばかりじゃないわ…どうしても、自分の能力が、劣っていたり、一目見て、叶わなかったりするのが、わかれば、叶わないと諦めたり、真逆に、尊敬したり、憧れたりする人間が、いる一方、相手の能力に、心底、嫉妬する輩もいる…」
「…嫉妬ですか?…」
「…そうよ…」
短く、言った…
私は、その言葉を聞いて、ユリコは、暗に、自分のことを、言っているのだと、気付いた…
ユリコは、ルックスこそ、平凡だが、頭脳は、優秀…
とてつもなく、優秀だ…
だから、きっと、子供の頃から、勉強ができたに違いない…
きっと、それを妬んだ、クラスメートに、苛めを受けたに違いない…
人間は、嫉妬の生き物…
私のように、ルックスが、優れていたり、ユリコのように、頭脳が、優れていたり、しても、周囲から、妬まれる…
その結果、周囲の一部の者から、苛めや、いやがらせを受ける…
そういえば、以前、伸明も同じことを、言っていた…
諏訪野伸明も、同じことを言っていた…
金持ちゆえに、苛めを受けたようなことを、言っていた…
伸明は、金持ちだから、金持ちばかりが、通う、有名私立学校に通っていた…
が、
その中でも、伸明は、別格…
別格のお金持ちだ…
なぜなら、五井は、大金持ちだからだ…
だから、金持ちの中でも、別格…
それゆえ、周囲から、妬まれ、孤立したと、以前、私に語っていた…
それが、ウソだとは、思えない…
事実、その通りなのだろう…
金持ちの中でも、いわば、スーパー金持ちだから、周囲から、妬まれ、孤立する…
そういうことだろう…
ルックスでも、頭脳でも、お金持ちでも、周囲から、別格の扱いになる人間は、周囲から、羨望の眼差しを浮かべられ、その一部の者から、激しく、嫉妬される…
そういう体験をした者は、例えば、小学生でも、つくづく、人間は、醜いと、実感するものだ…
そして、そんなことを、考えたとき、初めて、このユリコと、私が、共感することが、できたと、思った…
互いに憎み合い、敵対するユリコと、私は、わかりあえる共通の話題が、できたと、気付いた…
これは、驚き…
実に、驚きだった…
なぜなら、これまで、一度も、私とユリコは、共通するものが、なかったからだ…
だから、会話も平行線…
交わることもない…
それは、ユリコに言わせれば、私とユリコは、頭が違うから…
だから、話が合わない…
そういうことだ…
そして、私も、それは、受け入れる…
なぜなら、それは、考えれば、誰でも、わかることだからだ…
偏差値40の工業高校を出た人間と、偏差値70の進学校を出た人間が、結婚して、話が合うわけがないからだ…
これは、差別でも、なんでもない…
頭が違うのだから、日常の話題が違ったり、互いに関心のある話題が違う…
だから、話が合うわけがないからだ…
これが、わからない人間には、なにを言っても、無駄…
無駄だ…
これは、環境も同じ…
金持ちと一般人では、金銭感覚が違う…
育った環境が、違うのだから、これも、話が合わない場合が、多い…
金持ちには、安いと思った価格が、一般人には、高いと、感じる…
あるいは、
金持ちには、普通のことが、一般人には、とんでもなく贅沢なことに、感じる…
例えば、ミシュランの三ツ星のある高級店を行きつけの店にしているのなど、その最たる例だろう…
そんな高級店を普段、行きつけの店にしているなど、庶民には、ありえないこと…
一食食べるだけで、3万や五万、あるいは、それ以上のお金を出すことなど、ありえないことだからだ…
そんな日常を送る男女が、結婚して、うまく行くはずもない…
当たり前のことだ…
私は、あらためて、思った…
思ったのだ…
そして、そんなことを、考えていると、
「…寿さんって、面白いわ…」
と、ユリコが、声を上げた…
「…面白い? …なにが、面白いんですか?…」
「…寿さん…私が、なにか、言うと、それが、ウソか、ホントか、考えるでしょ?…」
「…」
「…そして、沈思黙考する…そして、私との会話中、それを、繰り返す…」
「…」
「…まるで、ゲームね…私が、寿さんに、謎かけのゲームを提供して、寿さんが、次々と、そのゲームを解いてゆく…だから、面白いって、言ったの…」
ユリコが、笑いながら、言う…
私は、その言葉に反論できなかった…
なぜなら、その通り…
その通りだからだ…
だから、反論できなかった…
そして、私が、そう、考えていると、
「…でもね、寿さん?…」
と、ユリコが、語りかけてきた…
「…なんですか?…」
「…寿さん…その美しい顔で、私の作ったゲームを次々と、解いていってしまうの…」
と、笑いながら、言う…
「…ゲームを、解く?…」
「…つまり、ゲームを次々とクリアするってこと…ゲームを作った方は、堪らないな…」
ユリコは、笑った…
が、
すぐに、一転して、
「…だから、気に入らないのよ!…」
と、大声で叫んだ…
それまでと、表情が、一変した…
「…だから、気に食わない!…」
ユリコが、大声で、私を罵倒した…
「…ルックスも頭脳も、私より、上の人間なんて、私は、認めない!…」
ユリコが叫ぶ…
が、
すぐに、自分が、大声を出し過ぎたことを、反省した様子で、周囲の人間を、見た…
そして、周囲の人間が、唖然として、ユリコに視線を注いでいるのを、見て、照れくさそうに、笑った…
自分でも、恥ずかしかったのだろう…
自分でも、つい、感情を昂らせて、しまったのが、恥ずかしかったのだろう…
これが、家で、一人でいたり、周囲に誰もいない、私と二人だけなら、なんの問題もない…
が、
私とユリコが、今いる場所は、スタバ…
五井記念病院内のスタバだ…
だから、周囲に、ひとが大勢いる…
周囲に、お客さんが、いっぱいいる…
そんな中で、自分の感情のタガが、つい外れてしまって、大声を出したのが、恥ずかしかったのだろう…
テレビドラマの中や、映画の中ではないのだから、周囲に、大勢のひとがいる中で、大声を出すことは、できない…
なぜなら、周りの目があるからだ…
大声を出せば、何事かと、つい、周囲の人間は、そのひとを見る…
当たり前だ…
だから、できない…
が、
それを、今、ユリコが、したのは、感情が昂り過ぎて、つい、爆発したから?
いや、
たしかに、その通りだが、なぜ、ユリコが、今、感情を爆発させたのか?
それが、問題だ…
ユリコは、いつも、沈着冷静…
そのユリコが、衆人環視の、この中で、感情を爆発させるなど、普段のユリコを知る者には、考えられない出来事だからだ…
すると、ひとつの考えが、浮かんだ…
もしかして?
やはり、もしかして、ユリコにとっても、ナオキの逮捕は、予想外の出来事だったから?
だから、極端に、動揺した?
そう、思った…
ユリコの言葉通り、ナオキの逮捕に、ユリコが、一枚噛んでいなければ、当然、ナオキの逮捕に、ユリコが、動揺したに、違いないからだ…
そして、もう一つ…
ユリコが、ナオキを愛していた?
とも、思った…
もちろん、元は、夫婦だ…
愛していないはずはない…
長身で、イケメンのナオキに、平凡なルックスのユリコが、一方的に惚れて、結婚した…
ユリコは、頭脳は明晰だが、ルックスは、平凡なために、ルックスの良い男性に強い憧れがある…
それゆえ、ナオキと知り合ったユリコは、半ば強引に、ナオキと、結婚した…
ナオキは、長身のイケメンだが、気の弱いところがあり、ユリコの要望を拒めなかった…
同時に、ナオキもまた、ユリコが、まんざらでも、なかったのだろう…
嫌いでは、なかったのだろう…
誰でも、そうだが、自分を好きだと、言ってくれる人間を心底、嫌いには、なれないものだ…
自分を純粋に好きだと言われれば、誰もが、悪い気はしないものだ…
ただ、一線を越えてしまっては、困る…
例えば、相手が、好きでも、自分は、大して、その相手を好きでない場合も、多い…
それが、相手が、どうしても、結婚したいとか、付き合いたいと、言って、それを、拒絶すれば、ストーカーまがいに、付きまとわれでも、したら、困る…
一線を超えるというのは、そういうことだ…
そして、そんなことを、考えながらも、このユリコが、もしかしたら、ナオキのことを、心配しているのか?
と、気付いたら、実に不思議な気持ちだった…
このユリコに、そんな気持ちがあるのが、不思議な気持ちだった…
ユリコが、心底、気にかけているのは、ジュン君だけだと、思っていたからだ…
自分の産んだ、息子のジュン君だけだと、思っていたからだ…
だから、意外だった…
意外だったのだ…
そして、もしかしたら、このユリコは、今でも、ナオキが、好きなのでは?
心の底では、好きなのかも?…
そう、気付いた…
そして、そう気付くと、このユリコも案外、普通の人間なんだと、思って安心した…
このユリコは、私の中で、別格…
別格の存在だった…
ジュン君のことを、除けば、血も涙もない人間だった…
が、
それが、もしかしたら、突然、逮捕された、元の夫の身を心配する、普通の女だった?
それが、意外だった…
実に、意外だった…




