寿綾乃という女 第3部 28
そして、そんなことを、考えると、落ち込んだ…
実に、落ち込んだ…
と、思いがちだが、さにあらず…
これは、自分でも、意外だった…
さほど、落ち込まなかった…
これは、やはりというか…
やはり、そうか!
やはり、来たか!
と、思った…
なにが、来たかと、言えば、不幸になるということ…
誰もが、不幸になることを、望んでいるわけではないが、これまでが、うまく行き過ぎた…
そう、思っていたからだ…
振り返れば、私の人生は、藤原ナオキと、出会ってから、順風満帆だった…
ユリコが、失踪するなど、苦労はあったが、それは、藤原ナオキのサクセスストーリーから、見れば、大した話ではなかった…
私の人生は、ナオキと共に、飛躍した…
これまで、考えたこともない…
これまで、夢見たこともない、成功物語だった…
わずか、数名で、始めた会社が、時代の波に乗り、千人近くの従業員を抱える企業にまで、成長した…
それ自体、奇跡…
まさに、奇跡だった…
もちろん、この世の中には、ナオキ以上の成功者は、多い…
先に挙げた、ソフトバンクの孫や、楽天の三木谷など、ナオキの成功とは、桁が違う…
桁が違う成功者だ…
が、
たとえ、ナオキレベルでも、それなりに、成功した人間を、身近に見る人間は、少ない…
普通に、考えれば、大企業に入って、昔、いっしょに、仕事をした同僚が、出世して、部長になったり、取締役になったのを、間近にしたことがあるとか…
あるいは、
昔の学校の同級生が、アイドルとして、成功したとか、
そういうたぐいの成功だろう…
まあ、もっとも、アイドルとしての成功の例も少ないだろうが(苦笑)…
だから、もっとも、身近な事例は、やはり、会社だろう…
が、
それが、一般的だろう…
しかし、
それさえも、普通は、あまりお目にかかることはない…
サクセスストーリーなど、そんなものだ…
が、
私の場合は、身近…
身近過ぎた…
事実上のパートナーが、社長を務める会社が、見る見る成長したのだ…
だから、ハッキリ言えば、それは、孫や三木谷の例で挙げれば、私は、彼らの妻の立場と、同じだった…
二人の妻たちと、同じ立場で、会社の成長を見ていたと、言っていい…
が、
それが、私は、不安だった…
なぜなら、自分の人生が、あまりにも、順風満帆だったからだ…
私は、それ以前…
寿綾乃を名乗る以前は、成功とは、無縁の人生だった…
母親と二人だけの生活…
生活も、決して、裕福ではなかった…
母は、今でいうシングルマザーだったので、これは、ある意味、当たり前だった…
だから、生活が苦しかった…
が、
それが、母が亡くなり、寿綾乃になりすまして、上京してから、人生が、一変した…
藤原ナオキと、出会い、人生が、上昇気流に乗ったのだ…
これは、当たり前だが、嬉しかったが、同時に、いつも、不安を感じていた…
自分の人生が、こんなに、うまくいくとは、考えもしなかったからだ…
だから、不安だった…
むしろ、この先、なにが、起こるか、わからない…
と、いつも、心のどこかで、怯えていた…
ハッキリ言えば、成功になれてないから、自分の成功が、素直に喜べない…
むしろ、この先、大どんでん返しが、あるんじゃないか、と、怯えていた…
だから、癌が、見つかったときに、むしろ、ホッとしたというか…
内心、やはりと、思った…
考えてもいなかった成功をした、報いというか…
やはり、自分の人生に大きな落とし穴が、あったと、思って、ホッとした…
冷静に振り返れば、私は、成功というものに、馴れていないのだろう…
だから、そんなふうに、考えるのだろう…
人生が、あまりにも、うまく行き過ぎるものだから、これは、おかしいと、考える…
これは、成功し過ぎと、考える…
それは、まるで、貧乏人が、金持ちになったのと、同じ…
成功し、金持ちになった自分が、どこか、居心地が悪いのだ…
それと、似ている…
変な話、四畳半一間の暮らしをしてきた人間が、大豪邸に住む…
すると、どうだろう?
居心地が悪いに決まっている…
あまりにも、立派な豪邸が、なんだか、気色悪いというか…
どうにも、自分に合わないのだ…
それと、似ている…
要するに、貧乏人に、金持ちは、似合わないということだ…
私も、それと、同じ…
いや、
貧乏人が、金持ちになる…
まさに、私が、それだった(苦笑)…
なまじ、成功したものだから、その成功が、似合わない…
言葉を変えれば、いくら美人に生まれても、華やかな服を着る機会がなかった女が、都会に出て、派手な服を着る…
周りは、美人だから、派手な服が、似合っていると、思うかも、しれないが、当人は、なんだか、居心地が悪い…
それと、似ている…
つまりは、成功したことがない人間が、成功した…
だから、ホントは嬉しいのだが、つい、
…世の中、こんなにうまくいくわけがない…
…どこかで、しっぺ返しが来るに違いない…
と、思ってしまう…
そういうことだ…
だから、今回のナオキの逮捕も、冷静に考えれば、驚くことでも、なんでもなかった…
これまでのしっぺ返しが、やって来た…
あるいは、
やはり、大きな落とし穴が、あった…
そういうことだった…
成功に慣れてない人間の思考形態ゆえだったのかも、しれない…
平凡ゆえに、自分の成功が、信じられない…
東大を出て、大会社で、出世しても、当たり前だと、思いがちだが、無名の大学を出て、大会社で、出世すれば、どうだろう?
それを、当人は、当たり前と、思うだろうか?
…こんなに成功して、いいのだろうか?…
…オレって、こんなに、凄いのだろうか?…
と、思う人間も、間違いなく、いると、思う…
そういうことだ…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、考えた結果、結論が出なかった…
いくら、考えても、どうして、いいか、結論が、出なかった…
だから、考えるのを、止めた…
それから、マンションを出て、近くのスーパーに買い物に行くことにした…
気分転換の意味も、あったが、それだけではない…
家に食べ物が、なくなっていたのだ…
私は、今、一人暮らしだから、籠城ではないが、一回で、数日分の食料を買ってくる…
それで、数日間、しのぐ…
体調が、悪いこともあり、毎日、買い物に行くことが、億劫だからだ…
だから、行くたびに、数日分、まとめ買いをする…
まあ、私が、一人暮らしをしていることも、大きいかもしれない…
まもなく、33歳になる女が、そんな大食漢であるはずがない…
おまけに、病気持ち…
だから、食も細い…
それゆえ、数日に一回、家を出て、近所のスーパーに買い出しに行けば、数日間は、買い物に行かなくても、事足りる…
そういうことだ…
そして、なにより、嫌なのは、女は、外に出るとき、面倒なことだ…
キッチリと、メイクをして、着る服にも、気を配る…
面倒臭いっていったら、ない!
これが、嫌だった(苦笑)…
たかだか、自分の住むマンションから、一歩出るのにも、周りの目を気にして、メイクをして、着る服にも、気を配る…
それが、嫌で、嫌で、仕方がなかった…
まして、今は、私は、体調が悪い…
それが、そんなことにまで、気を配ってまで、外に出かけたくなかった…
だから、買い物は、数日に一回と、決めて、それ以外は、自宅のマンションから、一歩も出なかった…
そういうことだ…
スーパーは、家から歩いて、5分ちょっとのところにある…
だから、便利…
結構、便利だった…
そして、スーパーに買い出しに行っても、買うものは、いつも、同じ…
同じようなものだった…
パンや、卵やハムやチーズなど、いつも、同じ銘柄の同じ商品をまとめ買いする…
これは、誰もが、同じだろう…
自分が、好むものは、決まっているからだ…
それに、予算もまた、決まっている…
だから、高い物は、買わない…
それゆえ、いつも、似たような物を、買う…
そういうことだ(笑)…
私が、いつものように、スーパーで、食品を見ていると、ふと、誰かの視線を感じた…
明らかに、誰かに、見られている…
そんな気がした…
いわゆる、第六感…
人間には、この感覚がある…
誰もが、目に見たり、なにか、音を、聞いたり、あるいは、匂いを感じて、なにか、起こったと知るものだが、そうではなく、ただ、感じるのだ…
私にとって、今が、まさに、それ…
なんだか、誰かに見られている気がした…
理由は、わからないが、そう感じた…
だから、慌てて、周囲を見た…
食品を見るのを、止めて、顔を上げて、周囲を見回した…
と、
そこには、見知った顔があった…
なんと、ユリコが、いたのだ!…
私の宿敵のユリコの顔があったのだ!…
私は、仰天した…
文字通り、仰天した…
言葉が、出なかった…
思考が、停止した…
まさか、ユリコが、こんなところに、いるとは、思わなかった…
まさか、ユリコと、こんなところで、再会するとは、夢にも、思わなかった…
そして、そんな私の思いが、表情に出たのだろう…
「…あら、寿さん、どうしたの? …鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして…」
と、ユリコが、面白しろそうに、言った…
それから、
「…美人が台無しよ…」
と、付け加えた…
その顔は、実に、面白そうだった…
その顔は、実に、愉快そうだった…
そして、ユリコは、
「…こんなところで、寿さんと、会うのは、偶然ね…」
と、さらに、付け加えた…
わざと、付け加えた…
…偶然のはずは、なかった…
あらかじめ、私の行動を見張っていたに、違いなかった…
おそらく探偵か、なにかを雇い、私を、見張っていたに、違いなかった…
今日、久しぶりに、マンションから出てきたので、その連絡を受け、急いで、ここにやって来たに違いなかった…
そうでなければ、こんなスーパーで、出会うはずが、なかった…
スーパーは、誰もが、近所のスーパーに行くもの…
ユリコが、今、どこに住んでいるかは、知らないが、この近所に、住んでいるわけがない…
だから、このスーパーで、出会うはずが、なかった…
だから、こんな偶然は、ありえなかった…
そして、そんなことを、考えたとき、私の中のアドレナリンが、突如、活性化した…
アドレナリンが、たちまち、体内を駆け巡った…
宿敵が、目の前に現れた!…
その現実を、今さらながら、認識した…
認識したのだった…




